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三幕三場 特別な他人

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 ウサギの毛はふわふわだった。跨いだポニーの背中は不安定だった。アルパカも撫でたけど、見た目以上にふわふわしていなかった。本日より私はウサギ派閥として生きるだろう。

 彼らを撫でた感触は今でもこの手に残っている。思わずふぁぁっと間抜けな声が漏れてしまった。

「いやぁ。遊んだ、遊んだねぇ」

「うん」

 再び潜った古くせぇ看板は夕陽色に染まっていた。本当に、遊んだ、遊んだぁ。

 家族連れは車で来るらしく、駅は私たち以外誰もいなかった。思えば今日は平日。電車は少し混んでいるかもしれない。

「あっという間だった」

「楽しかった、と受け取って大丈夫?」

「だいじょーぶ」

「ならよかった」

 陽彩と遊んだ時と同じだ。この二日間は、この一年の中でとても短く感じた。

「あ、そうだ。これあげるね」

 電車が来るまであと五分。岩崎くんが差し出したビニール袋は、家族絵のお土産と売店で購入したものだった。……あれ、袋が一つ増えている。いつの間に。

「なに、これ?」

「今日の思い出? サプライズ? うーん……とにかく、笹山に貰って欲しいんだよね」

「う、ううむ……」

 躊躇う。岩崎くんに限らず、最近は貰ってばかりな気がする。

 私は彼らに、何も返せていないのに。

「少し早いけど、誕生日プレゼントってことで」

「……何故、知っている」

「ふっふっふー。チャラ男の情報収集力を舐めないで頂きたい」

 ドヤ顔かまし中悪いが、普通に怖い、恐怖だ。

 しかし彼の顔からは悪意は感じない、むしろ善意だ。ううむ。貰っておいた方が、岩崎くんは喜ぶだろう。

「じゃあ、頂きます……」

 渋々とビニール袋を受け取る。中を覗こうとしたが、テープによって阻まれた。

「ありがとう」

「それ、こっちのセリフ」

「そっか。じゃあどういたしまして」

「私まだ、お礼言ってない」

「あ。そっか、そっかぁ」

 正解だった。ヘラヘラと笑う岩崎くんは嬉しそう、というより楽しそうだった。

 胸を締め付ける感覚は苦しくない、愛おしさを感じる。

 でも、苦しい。矛盾しているのは分かっている。でも苦しく無くて、苦しいのだ。

「あの」

「あ、ごめん。ちょっといい?」

 言葉を飲み込む。電車が来るまであと三分。取り出したスマホを耳に当てる岩崎くんはワントーン声を上げた。

「もしもし、ユイちゃん?」

 ピクリと耳が震える。お、おおぅ。おんな、の子だぁ……

「うん、え? ……ああ、今日は休んだよ? ……ごめんって。明日は必ず行くから。……ええぇ? あー……別にいいけど。もうすぐ電車乗るからまた後でい
い? ……うん、はーい、じゃまたー」

 考えてみれば何の不自然もない光景。情報通のチャラ男は私が計り知れないほど女の子を知っている。そして沢山のデートを重ねてきた。

 私が舞台に、上がっている間に。

「ごめんね。で、何の話だっけ?」

「分かった」

「え? 何が」

「君に惹かれる、理由」

 岩崎くんは他者との接触を好む割に自分の話をしない。相手の速度に合わせる人付き合いを望む。

 そして来るものを拒まず、去る者を追わない。しかし選別はする。

 ……舞台とよく、似ている。

「連絡先、聞いてもいい?」

「あ、交換してなかったっけ? しよ、しよ」

 母、父、家政婦わんつーすりー、そして陽彩、岩崎くん。七人目の連絡先が埋まった。

「岩崎くんからは電話しないでね」

「え、何それ。メッセージならいいってこと?」

「うむ。それなら許そう」

「電話苦手なの?」

「……うん、苦手かな」

 君に呼びつけられる女の子はきっと、特別だ。私はその他大勢でいたかった。

 特別はとても嬉しくて、魅力ある単語だけど、デメリットも存在する。

 私はもう、見限られたくなかった。

 努力して、期待した分だけ裏切られるのならば、初めから望まない。いつの間にか、私は臆病になっていた。

「分かった。レディーファーストだね」

「それ、意味違うから」

 本当にコイツ、同じ学校なのか? 時折強烈な馬鹿臭を感じる。

 夕日を追うように、モノレールがやってくる。予想通り混んでいた。その主が社会人で、席は全部埋まっていた。

 約五分の道のり。扉の近くで都会へ近づく景色を見つめた。

「岩崎くんって硬くない?」

「そう?」

「ユートくんって呼んでよ。俺も……あーちゃんって呼ぶから」

 あーちゃん。何重にも包まれた高級お菓子のように丁寧な言い方に、どこか懐かしさを感じる。

 けれどそれだけで、何かを思い出すことはなかった。

「いいよ、岩崎くんで」

「えー? じゃあ俺はあーちゃんって呼んでもいーい?」

「嫌です。笹山とお呼びください」

 君の周りにいる女の子は、きっと互いに名を呼び合う。

 完全に無欲になれない私は、少しだけの特別を欲した。

 これくらいなら崩れることはないだろう、そんな特別。

「えー? 他人行儀じゃない?」

「そうだけど、私と君は何処までも他人だから丁度いい気がする」

 車窓に映る車内には、社会人の中にカップルが混じっていた。

 彼らは腕を絡ませ、これでもかと顔を近づかせる。よーするに、いちゃいちゃしていた。

 暑そうだなぁ。そんな感想だけを抱いた。
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