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開幕 彼女の幕が降りる、そして貴方の幕が上がる

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 日本トップクラスの演劇学校、光琳音楽学園舞台表現科。

 一学年四十名を最高値し、一人入れば一人抜ける、絶対的実力主義。

 先日行われた編入試験で、合格者が出た。それは誰かの退学を宣告されたのと同義だった。

 そして今日、その一人が抜ける。

「これで全部、だね」

「うん……そうだね……」

 一つのベッドシーツが消えた。一つの机が空になった。一つのクローゼットが空っぽになった。

「も、門まで……! 門、まで……送る……」

「ううん、いいよ。ここで……ここまでで、十分だから」

 辛いのは、彼女なのに。泣きたいのは、彼女なのに。私に気遣ってか、みすずは曖昧に微笑んだ。

「ごめんっ……ごめん、ごめん……」

「もう、何でさっつんが謝るのー?」

 全く持って、その通りだ。

 私はみすずの足を引っ張るようなことはしていない。……もしかしたら気づかぬうちにしていたのかもしれないが、ないと信じたい。

 それでも、謝りたかった。

 このどうしようもない感情をみすずに受け止めて欲しかった。

「大丈夫だよ。学校をやめても、演劇は止めないから」

「そんなの、分かってるけど……」

 もう、一緒に入られない。それが辛いのだ。

 生まれてからずっと隣にいた、私の半身。離ればなれになるなんて、神様も想像していなかっただろう。

 私たちを引き裂いたのは、神でも悪魔でも死神でもない。

 編入試験に合格した、たった一人の役者志望だ。

「じゃあ、またね」

「……また、ね」

 リュック一つ背負い、手を振られた。振り返そうと思ったが、伸ばした手は空を掴む。その白い手を掴むことは決して許されない。

 行き場を無くした手は、夏の暑さに焼かれる。滴る汗だけが、手の中に残った。

 一時間後、新たなルームメイトが訪れる。私は彼女を、歓迎できない。絶対に。

 どんなに秀でた子でも、優しい子でも、人類誰もが好くような天使でも、『みすずを退学にした』子など、恨まずにはいられない。

 扉が開いたのは、きっかり一時間後だった。

「失礼します」

「……はい」

 意図せず刺々しい言葉が漏れた。それでも罪悪感などは一ミリも感じない。

「本日より光琳音楽学園舞台表現科で共に学びます、笹山葵です。以後、よろしくお願いします」

 肩につく黒い髪。身長は平均以上、舞台映えする長い手足。体型は良い訳ではない。けど姿勢はとても良かった。

 息を飲む。初対面の彼女が見せたのは、友好的なものではなかった。

「……安藤さつきです。よろしく」

 挑戦的に私を睨む。でもそれは意図せず、だろう。

 漏れているよ、舞台への執着が。本人も自覚していない事実を指摘することなく、

 彼女から目を逸らし、台本を開く。

 誰かが退学して、転入しても、私のすることは変わらない。

 明日から二学期が始まる。始まるのだ、あの日々が。

 舞台に全てをかけた、私たちの物語が。





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