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九話 ガマガエル
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離宮の玄関ホールでは、ロドリゴとレオノールが噛み付きそうな勢いで兄妹ケンカをしていた。
「どうしてじっとしていられないんだ! 発情を抑える薬はどうした!?」
「うるさいなあ! 私が何しにこの国に来たと思っているのよ! 目的を果たそうとして何が悪いのよお!」
べろんべろんなレオノールからは、アルコールの匂いがぷんぷんしている。
鼻がいい獅子獣人のロドリゴは、うっと呻いて距離をおく。
アドリアナが祝宴会場から戻ってきたのは、そんなときだった。
「レオノールさま、今回の件は王太子クレイグさまからの謝罪もありましたし、全てがレオノールさまの罪というわけではありません。しかし、一国の王女として、夜這いという行為はいただけません」
アドリアナが言ったことは正論だが、レオノールの機嫌はさらに悪くなった。
そしてレオノールはいやらしい笑みを浮かべ、アドリアナを挑発するのだった。
「ふん、自分は正面突破したからって偉そうに! その鱗だらけの容貌が、ちょっと物珍しかっただけに決まっているでしょ! グリーンイグアナ獣人だなんて、バーナビーさまはきっとこれまでに見たことがなかったのよ! 間違いなく、アドリアナは遊ばれて、ワンナイトで終わっていたわ!」
「レオノール! アドリアナに謝れ! 種族を侮辱することは許さない!」
ロドリゴが吠えた。
獣人国には、いろいろな種族が共存している。
小競り合いはあっても、大きな諍いが起きないのは、それぞれの種族を尊重する礼法があるからだ。
肉食であろうと草食であろうと、特性を笠に着て相手を下に見る行為は、恥ずべき事とされている。
また種族に関して外見を揶揄したり、差別的な発言をしたりすることも厳禁だ。
王女としてのレオノールが、口火を切っていいことではない。
「だっておかしいじゃない! 獣人国内だろうと国外だろうと、美姫と呼ばれ、もてはやされているのは私なのよ! 私に劣るアドリアナに、抱かれたい男No.1のバーナビーさまが本気だなんて、そんなことあってはならないのよ!」
レオノールは髪をぐしゃぐしゃと掻きむしる。
肩で息をしているレオノールに、ダフネが水の入ったグラスを持っていく。
それを払いのけ、ガシャーンと床に叩きつけると、レオノールはアドリアナを睨みつける。
「アドリアナは馘首よ! 私の護衛騎士として相応しくないもの! 主人から男を奪うなんて、とんだ淫売だわ!」
「お前に馘首の権利はない! 厄介ごとしか起こさないお前を、抑えられるのはアドリアナしかいないと、俺が判断したんだ! まともに王妹として外交ができないのなら、今後は一切の国外への同行を禁じる!」
「横暴だわ! 完全にアドリアナの尻に敷かれているのね! 兵士見習い時代に何があったのか知らないけど、教官だったアドリアナに頭が上がらないだけでしょ!? 情けない!」
これ以上はまずいな、とアドリアナが物理的な力で止めに入ろうとしたとき、門番が予想外の客人をつれてきた。
「第二王子のバーナビーさまがお見えです。応接室へご案内しようと思ったんですが……入れてよかったですか?」
最後のほうの台詞には、この修羅場を想定していなかったがために、うっかり玄関ホールへバーナビーを入れてしまった門番の泣きが混じっていた。
アドリアナも気まずい思いでバーナビーを見ると、その瞼が真っ赤に腫れあがっていた。
婆やに託したときは、あんなになっていなかったはずだ。
「バーニー、どうしたんですか? 瞼が真っ赤に腫れあがって……」
アドリアナは、バーナビーを心配してすぐに近寄る。
近寄ってくれたアドリアナに、バーナビーは嬉しそうだ。
「アナ、あなたが明日帰ってしまうと聞いて、取るものも取りあえず駆け付けました。どうしてもアナに求婚したくて。こんなみっともない姿で、申し訳ないけど……」
うつむいて顔を隠すバーナビーの両手を、アドリアナはしっかり握る。
「みっともなくなんてありません。バーニーは誠意を込めて、これまで私に接してくれたではないですか。私が好意を抱いたのはあなたのそういう所であって、美貌にではありません」
アドリアナの言葉に勇気をもらって、バーナビーは顔をあげる。
世界中の女性を虜にすると言われた美顔は、いまや情けなく歪んでいる。
泣きたいのか笑いたいのか。
恋しいという、バーナビーの瞳の奥の強い想いだけは、しっかりアドリアナに伝わった。
「アナ、私はあなたと――」
バーナビーが決意を込めた告白をしようとしたとき、そこにレオノールが割り込んだ。
「信じられない……これがバーナビーさま? まるで冬眠明けの、ガマガエルじゃないの……」
枕でこすれて腫れあがった瞼は、冴えわたる青眼を覆い隠し、真っ赤な目元は痛々しく膨れ、精悍な顔を台無しにしている。
それをガマガエルに例えたレオノールの声に、その場は水を打ったように静まり返った。
「――私はあなたと生涯を共にしたいのです。どうか、結婚してください」
しかし、バーナビーは言い切った。
そんなことは分かっているのだというように。
それでも言いたいのだというように。
アドリアナをしっかり見つめたまま、プロポーズを最後まで言い切ったのだ。
バーナビーの見事な男ぶりに、アドリアナは魂が震え、敬服した。
(こんなに、いい男だったのか――)
アドリアナはぎゅうとバーナビーを抱きしめ、腫れあがった顔を自分の肩に押しつけた。
これから、もしかしたらもっと腫れあがるかもしれない、瞼を隠すように。
「バーニー、こちらこそよろしくお願いします」
「――え?」
まさか諾と返ってくるとは思っていなかったバーナビーは驚き、そしてアドリアナの予想通り、しゃくりあげて泣き出した。
「あ、あり、が……とうっ、ござい、ま、ず、アナ!!」
バーナビーは、アドリアナの背中にきつく両腕を回し、決して離さないと抱きしめる。
そんなバーナビーの背中を、なだめるように撫でるアドリアナ。
ふたりの真横で、ぽかんとするロドリゴ。
もらい泣きをしているダフネ。
囃し立てる部下たち。
そして拳を握りしめ、戦慄くレオノール。
三者三様の夜となった。
◇◆◇
「すまなかったな、バーナビー。俺が早とちりしてしまったばかりに」
翌日、医務室のベッドで目を覚ました王太子クレイグに、バーナビーは頭を下げられる。
「お前が頑張って用意したムーディな寝室に、招いたはずもないレオノール姫がいて驚いただろう。しかも、本命のアドリアナ嬢をつれこもうとした矢先だ。俺の首を絞めるくらい、いくらでもしてくれ」
クレイグはどうやら心から反省しているようだ。
そもそも弟の恋心を応援しようとして、先走った結果だ。
クレイグのどこにも悪気はなかったのだ。
「兄上、よほど地位を簒奪しようかと思いましたが、そうしなくてもアナが結婚してくれると言うので、頭を下げるならアナに下げてください。そして、すまないではなく、許してくれてありがとうと伝えてください」
「まあまあ、坊ちゃん、いけませんよ。怒ったふりをしても、歓びが隠せていません。そんなニヤけた顔で叱られても、クレイグさまも困ってしまいますよ」
バーナビーはご機嫌だった。
それもそうだろう、あれほど希ったアドリアナに求婚を受け入れてもらえたのだ。
もう頭の中には、昨夜からずっとバラの花が咲き続けている。
クレイグもホッと胸をなでおろした。
昨夜は本当に死ぬかと思ったのだ。
バーナビーの怒りのほどを知って、真摯に謝ろうとしていた。
「よかったな、バーナビー。それで、アドリアナ嬢はいつ嫁いでくるのだ?」
「今日です」
「え?」
「今夜が結婚式です」
「え!?」
「坊ちゃんが、どうせ今なら獣人国のお歴々も揃っているし、集める手間が省けてちょうどいいと言い出されて……」
やれやれと婆やは首を振る。
そして、待てが出来ない犬を見る目でバーナビーを見た。
どんな目で見られようと、バーナビーは考えを改めるつもりはなかった。
「どうしてじっとしていられないんだ! 発情を抑える薬はどうした!?」
「うるさいなあ! 私が何しにこの国に来たと思っているのよ! 目的を果たそうとして何が悪いのよお!」
べろんべろんなレオノールからは、アルコールの匂いがぷんぷんしている。
鼻がいい獅子獣人のロドリゴは、うっと呻いて距離をおく。
アドリアナが祝宴会場から戻ってきたのは、そんなときだった。
「レオノールさま、今回の件は王太子クレイグさまからの謝罪もありましたし、全てがレオノールさまの罪というわけではありません。しかし、一国の王女として、夜這いという行為はいただけません」
アドリアナが言ったことは正論だが、レオノールの機嫌はさらに悪くなった。
そしてレオノールはいやらしい笑みを浮かべ、アドリアナを挑発するのだった。
「ふん、自分は正面突破したからって偉そうに! その鱗だらけの容貌が、ちょっと物珍しかっただけに決まっているでしょ! グリーンイグアナ獣人だなんて、バーナビーさまはきっとこれまでに見たことがなかったのよ! 間違いなく、アドリアナは遊ばれて、ワンナイトで終わっていたわ!」
「レオノール! アドリアナに謝れ! 種族を侮辱することは許さない!」
ロドリゴが吠えた。
獣人国には、いろいろな種族が共存している。
小競り合いはあっても、大きな諍いが起きないのは、それぞれの種族を尊重する礼法があるからだ。
肉食であろうと草食であろうと、特性を笠に着て相手を下に見る行為は、恥ずべき事とされている。
また種族に関して外見を揶揄したり、差別的な発言をしたりすることも厳禁だ。
王女としてのレオノールが、口火を切っていいことではない。
「だっておかしいじゃない! 獣人国内だろうと国外だろうと、美姫と呼ばれ、もてはやされているのは私なのよ! 私に劣るアドリアナに、抱かれたい男No.1のバーナビーさまが本気だなんて、そんなことあってはならないのよ!」
レオノールは髪をぐしゃぐしゃと掻きむしる。
肩で息をしているレオノールに、ダフネが水の入ったグラスを持っていく。
それを払いのけ、ガシャーンと床に叩きつけると、レオノールはアドリアナを睨みつける。
「アドリアナは馘首よ! 私の護衛騎士として相応しくないもの! 主人から男を奪うなんて、とんだ淫売だわ!」
「お前に馘首の権利はない! 厄介ごとしか起こさないお前を、抑えられるのはアドリアナしかいないと、俺が判断したんだ! まともに王妹として外交ができないのなら、今後は一切の国外への同行を禁じる!」
「横暴だわ! 完全にアドリアナの尻に敷かれているのね! 兵士見習い時代に何があったのか知らないけど、教官だったアドリアナに頭が上がらないだけでしょ!? 情けない!」
これ以上はまずいな、とアドリアナが物理的な力で止めに入ろうとしたとき、門番が予想外の客人をつれてきた。
「第二王子のバーナビーさまがお見えです。応接室へご案内しようと思ったんですが……入れてよかったですか?」
最後のほうの台詞には、この修羅場を想定していなかったがために、うっかり玄関ホールへバーナビーを入れてしまった門番の泣きが混じっていた。
アドリアナも気まずい思いでバーナビーを見ると、その瞼が真っ赤に腫れあがっていた。
婆やに託したときは、あんなになっていなかったはずだ。
「バーニー、どうしたんですか? 瞼が真っ赤に腫れあがって……」
アドリアナは、バーナビーを心配してすぐに近寄る。
近寄ってくれたアドリアナに、バーナビーは嬉しそうだ。
「アナ、あなたが明日帰ってしまうと聞いて、取るものも取りあえず駆け付けました。どうしてもアナに求婚したくて。こんなみっともない姿で、申し訳ないけど……」
うつむいて顔を隠すバーナビーの両手を、アドリアナはしっかり握る。
「みっともなくなんてありません。バーニーは誠意を込めて、これまで私に接してくれたではないですか。私が好意を抱いたのはあなたのそういう所であって、美貌にではありません」
アドリアナの言葉に勇気をもらって、バーナビーは顔をあげる。
世界中の女性を虜にすると言われた美顔は、いまや情けなく歪んでいる。
泣きたいのか笑いたいのか。
恋しいという、バーナビーの瞳の奥の強い想いだけは、しっかりアドリアナに伝わった。
「アナ、私はあなたと――」
バーナビーが決意を込めた告白をしようとしたとき、そこにレオノールが割り込んだ。
「信じられない……これがバーナビーさま? まるで冬眠明けの、ガマガエルじゃないの……」
枕でこすれて腫れあがった瞼は、冴えわたる青眼を覆い隠し、真っ赤な目元は痛々しく膨れ、精悍な顔を台無しにしている。
それをガマガエルに例えたレオノールの声に、その場は水を打ったように静まり返った。
「――私はあなたと生涯を共にしたいのです。どうか、結婚してください」
しかし、バーナビーは言い切った。
そんなことは分かっているのだというように。
それでも言いたいのだというように。
アドリアナをしっかり見つめたまま、プロポーズを最後まで言い切ったのだ。
バーナビーの見事な男ぶりに、アドリアナは魂が震え、敬服した。
(こんなに、いい男だったのか――)
アドリアナはぎゅうとバーナビーを抱きしめ、腫れあがった顔を自分の肩に押しつけた。
これから、もしかしたらもっと腫れあがるかもしれない、瞼を隠すように。
「バーニー、こちらこそよろしくお願いします」
「――え?」
まさか諾と返ってくるとは思っていなかったバーナビーは驚き、そしてアドリアナの予想通り、しゃくりあげて泣き出した。
「あ、あり、が……とうっ、ござい、ま、ず、アナ!!」
バーナビーは、アドリアナの背中にきつく両腕を回し、決して離さないと抱きしめる。
そんなバーナビーの背中を、なだめるように撫でるアドリアナ。
ふたりの真横で、ぽかんとするロドリゴ。
もらい泣きをしているダフネ。
囃し立てる部下たち。
そして拳を握りしめ、戦慄くレオノール。
三者三様の夜となった。
◇◆◇
「すまなかったな、バーナビー。俺が早とちりしてしまったばかりに」
翌日、医務室のベッドで目を覚ました王太子クレイグに、バーナビーは頭を下げられる。
「お前が頑張って用意したムーディな寝室に、招いたはずもないレオノール姫がいて驚いただろう。しかも、本命のアドリアナ嬢をつれこもうとした矢先だ。俺の首を絞めるくらい、いくらでもしてくれ」
クレイグはどうやら心から反省しているようだ。
そもそも弟の恋心を応援しようとして、先走った結果だ。
クレイグのどこにも悪気はなかったのだ。
「兄上、よほど地位を簒奪しようかと思いましたが、そうしなくてもアナが結婚してくれると言うので、頭を下げるならアナに下げてください。そして、すまないではなく、許してくれてありがとうと伝えてください」
「まあまあ、坊ちゃん、いけませんよ。怒ったふりをしても、歓びが隠せていません。そんなニヤけた顔で叱られても、クレイグさまも困ってしまいますよ」
バーナビーはご機嫌だった。
それもそうだろう、あれほど希ったアドリアナに求婚を受け入れてもらえたのだ。
もう頭の中には、昨夜からずっとバラの花が咲き続けている。
クレイグもホッと胸をなでおろした。
昨夜は本当に死ぬかと思ったのだ。
バーナビーの怒りのほどを知って、真摯に謝ろうとしていた。
「よかったな、バーナビー。それで、アドリアナ嬢はいつ嫁いでくるのだ?」
「今日です」
「え?」
「今夜が結婚式です」
「え!?」
「坊ちゃんが、どうせ今なら獣人国のお歴々も揃っているし、集める手間が省けてちょうどいいと言い出されて……」
やれやれと婆やは首を振る。
そして、待てが出来ない犬を見る目でバーナビーを見た。
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