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14話 思いがけぬ凶報
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シルヴェーヌは、テラスに長椅子を持ち出して、そこから打ち上げ花火を観ていた。
隣には、コンスタンスが座っている。
「これが、カッター帝国特製の打ち上げ花火なんですね。なんて見事なんでしょう」
「ゲラン王国では、あまり花火は打ち上げないし、あっても単色だものね」
すっかり仲良くなった姉妹の間には、ゆったりした空気が流れている。
毎日、ぼーっと過ごしていたシルヴェーヌに、人懐っこいコンスタンスがなにかと絡み、いつしかこんな関係になっていたのだ。
しかし、そんな和やかな場へ、高笑いをしながらジュネ伯爵夫妻がやってきた。
「ついに決まったぞ! シルヴェーヌの行き先はカッター帝国だ。喜ぶがいい、こんな打ち上げ花火が見放題だ!」
「高齢の貿易商が、シルヴェーヌの能力をお望みだそうよ。うふふ、思っていた以上に、カッター帝国は豊かなようね」
どうやら、シルヴェーヌが高く売れたらしい。
ジュネ伯爵夫妻の表情は、晴れ晴れとしている。
コンスタンスは息を飲んだが、シルヴェーヌは逆に安堵した。
いつまでも、なにもせずに宙ぶらりんでいるのは、性に合わない。
やると決めたからには、やる。
(カッター帝国だろうと、どこだろうと、私はそこで誰かを癒すだけよ。お姫さまのドレスと、ガブの指輪があれば、頑張れるんだから)
シルヴェーヌが気持ちを新たにしていると、この夜一番の大きな花火が打ち上がった。
「おお、素晴らしい! カッター帝国の繁栄そのものだな」
いい気分のジュネ伯爵は、いつになく口が滑らかだ。
隆盛たるカッター帝国の恩恵に与れるのが、よほど嬉しいのか。
一方のシルヴェーヌは、ぱらぱらぱらと、儚く散っていく火花に衰勢を感じた。
いかに興っていようとも、いつかは枯れていくのだと、消えゆく花火は教えている。
そんな家族が勢ぞろいしたテラスへ、大袈裟なほど慌てて家令が駆け込んできた。
「だ、旦那さま、大変でございます! 王城から急ぎの馬車が来て……!」
「王城から? 今さらシルヴェーヌを返せなんて、言うんじゃないだろうな?」
「それが……その通りなんです。至急、王城へ向かうようにと……」
「なんだと!? シルヴェーヌはもう、嫁ぎ先が決まったんだ! しかも相手は、カッター帝国の豪商だぞ!?」
「ですが、これは王命です。逆らっては、ゲラン王国での旦那さまの爵位が……」
「ぐぬぬぬぬ……っ」
ジュネ伯爵の頭の中で、天秤が激しく揺れる。
片や豪商からもらえる多額の結納金、片やゲラン王国での伯爵家としての地位。
「……いっそのこと、家族総出でカッター帝国へ移り住むか?」
そんな極端な考えに傾きかけているジュネ伯爵を余所に、シルヴェーヌが家令に問いかける。
「私を呼ぶということは、どなたか体調を悪くされたのかしら?」
「どうやら、ガブリエル殿下が大怪我をされたそうで……」
「ガブが大怪我を!?」
シルヴェーヌが椅子から立ち上がる。
そしてジュネ伯爵の制止も聞かず、テラスから庭へ、部屋履きのまま飛び出した。
複雑な屋敷の中を走るより、こちらからのほうが玄関に近い。
「待つんだ! シルヴェーヌ!」
ジュネ伯爵が追いかけてくるが、疾風のごときシルヴェーヌに敵う者はいない。
馬車回しに王家の紋章が入った馬車が停まっているのを確認すると、シルヴェーヌはそれに乗りこんだ。
「シルヴェーヌです。ガブのもとへ、離宮へ急いでください!」
御者はそれを聞いて、馬に鞭を入れる。
ここまで連れてきた使者はまだ戻って来ていないが、今は緊急事態だ。
何よりも、シルヴェーヌを連れてくるのを優先するよう、国王より命じられている。
いつもより速度が出ている馬車の中で、シルヴェーヌはもどかしく手を合わせる。
(ガブ、何があったの……今夜はブリジット皇女殿下と一緒に、婚約の発表をしたはず。花火が打ち上がり始めたから、無事に終わったのだと思ったのに)
どっどっと心臓が逸るのは、決して走ったせいではない。
(ガブ……ガブ……離れているのが、こんなにもつらい)
この想いは、ガブリエルがシルヴェーヌの、唯一の友だちだからだろうか。
(いいえ、ばあやだって料理長だってロニーだって、離れたらつらかった。でも違うの。ガブは特別で……)
ぎゅうと握りしめた手に力がこもる。
(お願い、助かって。そのためだったら、私、何でもするわ!)
◇◆◇◆
「すぐに花火師を捕まえて! 王族への反逆罪よ!」
「落ち着きなさい。打ち上げ花火に事故はつきものだ」
国王は、喚き散らす王妃を宥める。
一歩間違えば、自分が火だるまになっていたと思うと、王妃は体の震えが止まらない。
「しかしこれで、ガブリエルの婚約の行方は、分からなくなったな」
「もう正式に約束を交わしているのだから、顔が燃えようが動けなくなろうが、ブリジット皇女殿下との婚約は続行してもらうわよ!」
「カッター帝国の皇帝は、末姫に甘い。嫌がる娘に、無理強いはしないだろう」
「それじゃあ、ゲラン王国ばかりが損をするじゃない!」
自ら仲介したカッター帝国との縁に泥がつき、このままでは王妃の失点となる。
しかも、顔が取り柄だったガブリエルが、髪まで燃え盛ってしまったのでは、もう釣り餌としても使えない。
何もかもが上手くいっていたのに、打ち上げ花火の事故せいで、すっかり風向きが変わってしまった。
「こういうときこそ、政治力を発揮するべきだ。――皇帝との交渉には、儂が臨もう」
王妃はそのとき初めて、国王の瞳の奥に、強かさが宿っているのに気づいた。
いつもはのんびりしていて、何の値打ちもない男だと思っていたのに。
「あ……相手は、大陸の覇者とも言われているのよ? あなたなんかが挑んで、どうにかなるものでは――」
「大国に囲まれているからこそ、儂らゲラン王家の駆け引きの術は磨かれるのだよ」
パチンと片目をつむって見せた国王に、王妃はいつにない狼狽を感じる。
(私は、この男を見誤っていたのでは? 誰もが慌てふためく場面で、どうしてこうも落ち着いていられるの?)
それは国王が、この事態を最初から認知していたからで、これ以降に起こりうる局面も想定しているからだ。
だが、王妃にとっては、それは薄気味の悪いものに映ったようだ。
◇◆◇◆
「シルヴェーヌさま、今、殿下は医師たちの治療を受けています」
離宮に着くなり、馬車からまろび出たシルヴェーヌは、ガブリエルの部屋を目指して走った。
そして部屋の前に待機していたロニーと、久しぶりに顔を合わせたのだった。
「ガブは……大丈夫なの?」
唇を震わせているシルヴェーヌを、ロニーは痛ましい目で見る。
「顔と頭部に、ひどい火傷を負っています。命に別状はないだろうと、診断されていますが……」
シルヴェーヌは続く言葉を待った。
「傷跡は残ると言われています。顔がひきつれるほど焼けて、髪も燃え落ちてしまったので」
ロニーの説明を聞いて、シルヴェーヌの血の気が引く。
「治療が終わっても、しばらくは激痛で動けないでしょう。どうかシルヴェーヌさまの能力を、お貸しください」
頭を下げるロニーを、シルヴェーヌは留める。
「何でもするつもりで、ここに来たわ。ガブのために、私にできることがあるなら教えて」
「実は……ずっと黙っていたのですが」
そしてロニーは、シルヴェーヌが赤面せざるを得ない内容を打ち明ける。
「え……? 私の体液が?」
「そうなんです。シルヴェーヌさまの食べかけを口にしたり、同じカトラリーを使ったりすると、殿下は元気になっていたんですよ」
「……知らなかったわ」
シルヴェーヌは大きくなってからも、ガブリエルとのカトラリーの共有を嫌がらなかった。
なんだかそれが、二人の間で自然な流れになっていたからだ。
「それで私からお願いしたいのは、これからもそれを、続けて欲しいということなんです」
「それくらい、いくらでも……」
そこでロニーが、少しだけ意地悪な顔をして笑った。
「言質をいただきましたからね、シルヴェーヌさま」
隣には、コンスタンスが座っている。
「これが、カッター帝国特製の打ち上げ花火なんですね。なんて見事なんでしょう」
「ゲラン王国では、あまり花火は打ち上げないし、あっても単色だものね」
すっかり仲良くなった姉妹の間には、ゆったりした空気が流れている。
毎日、ぼーっと過ごしていたシルヴェーヌに、人懐っこいコンスタンスがなにかと絡み、いつしかこんな関係になっていたのだ。
しかし、そんな和やかな場へ、高笑いをしながらジュネ伯爵夫妻がやってきた。
「ついに決まったぞ! シルヴェーヌの行き先はカッター帝国だ。喜ぶがいい、こんな打ち上げ花火が見放題だ!」
「高齢の貿易商が、シルヴェーヌの能力をお望みだそうよ。うふふ、思っていた以上に、カッター帝国は豊かなようね」
どうやら、シルヴェーヌが高く売れたらしい。
ジュネ伯爵夫妻の表情は、晴れ晴れとしている。
コンスタンスは息を飲んだが、シルヴェーヌは逆に安堵した。
いつまでも、なにもせずに宙ぶらりんでいるのは、性に合わない。
やると決めたからには、やる。
(カッター帝国だろうと、どこだろうと、私はそこで誰かを癒すだけよ。お姫さまのドレスと、ガブの指輪があれば、頑張れるんだから)
シルヴェーヌが気持ちを新たにしていると、この夜一番の大きな花火が打ち上がった。
「おお、素晴らしい! カッター帝国の繁栄そのものだな」
いい気分のジュネ伯爵は、いつになく口が滑らかだ。
隆盛たるカッター帝国の恩恵に与れるのが、よほど嬉しいのか。
一方のシルヴェーヌは、ぱらぱらぱらと、儚く散っていく火花に衰勢を感じた。
いかに興っていようとも、いつかは枯れていくのだと、消えゆく花火は教えている。
そんな家族が勢ぞろいしたテラスへ、大袈裟なほど慌てて家令が駆け込んできた。
「だ、旦那さま、大変でございます! 王城から急ぎの馬車が来て……!」
「王城から? 今さらシルヴェーヌを返せなんて、言うんじゃないだろうな?」
「それが……その通りなんです。至急、王城へ向かうようにと……」
「なんだと!? シルヴェーヌはもう、嫁ぎ先が決まったんだ! しかも相手は、カッター帝国の豪商だぞ!?」
「ですが、これは王命です。逆らっては、ゲラン王国での旦那さまの爵位が……」
「ぐぬぬぬぬ……っ」
ジュネ伯爵の頭の中で、天秤が激しく揺れる。
片や豪商からもらえる多額の結納金、片やゲラン王国での伯爵家としての地位。
「……いっそのこと、家族総出でカッター帝国へ移り住むか?」
そんな極端な考えに傾きかけているジュネ伯爵を余所に、シルヴェーヌが家令に問いかける。
「私を呼ぶということは、どなたか体調を悪くされたのかしら?」
「どうやら、ガブリエル殿下が大怪我をされたそうで……」
「ガブが大怪我を!?」
シルヴェーヌが椅子から立ち上がる。
そしてジュネ伯爵の制止も聞かず、テラスから庭へ、部屋履きのまま飛び出した。
複雑な屋敷の中を走るより、こちらからのほうが玄関に近い。
「待つんだ! シルヴェーヌ!」
ジュネ伯爵が追いかけてくるが、疾風のごときシルヴェーヌに敵う者はいない。
馬車回しに王家の紋章が入った馬車が停まっているのを確認すると、シルヴェーヌはそれに乗りこんだ。
「シルヴェーヌです。ガブのもとへ、離宮へ急いでください!」
御者はそれを聞いて、馬に鞭を入れる。
ここまで連れてきた使者はまだ戻って来ていないが、今は緊急事態だ。
何よりも、シルヴェーヌを連れてくるのを優先するよう、国王より命じられている。
いつもより速度が出ている馬車の中で、シルヴェーヌはもどかしく手を合わせる。
(ガブ、何があったの……今夜はブリジット皇女殿下と一緒に、婚約の発表をしたはず。花火が打ち上がり始めたから、無事に終わったのだと思ったのに)
どっどっと心臓が逸るのは、決して走ったせいではない。
(ガブ……ガブ……離れているのが、こんなにもつらい)
この想いは、ガブリエルがシルヴェーヌの、唯一の友だちだからだろうか。
(いいえ、ばあやだって料理長だってロニーだって、離れたらつらかった。でも違うの。ガブは特別で……)
ぎゅうと握りしめた手に力がこもる。
(お願い、助かって。そのためだったら、私、何でもするわ!)
◇◆◇◆
「すぐに花火師を捕まえて! 王族への反逆罪よ!」
「落ち着きなさい。打ち上げ花火に事故はつきものだ」
国王は、喚き散らす王妃を宥める。
一歩間違えば、自分が火だるまになっていたと思うと、王妃は体の震えが止まらない。
「しかしこれで、ガブリエルの婚約の行方は、分からなくなったな」
「もう正式に約束を交わしているのだから、顔が燃えようが動けなくなろうが、ブリジット皇女殿下との婚約は続行してもらうわよ!」
「カッター帝国の皇帝は、末姫に甘い。嫌がる娘に、無理強いはしないだろう」
「それじゃあ、ゲラン王国ばかりが損をするじゃない!」
自ら仲介したカッター帝国との縁に泥がつき、このままでは王妃の失点となる。
しかも、顔が取り柄だったガブリエルが、髪まで燃え盛ってしまったのでは、もう釣り餌としても使えない。
何もかもが上手くいっていたのに、打ち上げ花火の事故せいで、すっかり風向きが変わってしまった。
「こういうときこそ、政治力を発揮するべきだ。――皇帝との交渉には、儂が臨もう」
王妃はそのとき初めて、国王の瞳の奥に、強かさが宿っているのに気づいた。
いつもはのんびりしていて、何の値打ちもない男だと思っていたのに。
「あ……相手は、大陸の覇者とも言われているのよ? あなたなんかが挑んで、どうにかなるものでは――」
「大国に囲まれているからこそ、儂らゲラン王家の駆け引きの術は磨かれるのだよ」
パチンと片目をつむって見せた国王に、王妃はいつにない狼狽を感じる。
(私は、この男を見誤っていたのでは? 誰もが慌てふためく場面で、どうしてこうも落ち着いていられるの?)
それは国王が、この事態を最初から認知していたからで、これ以降に起こりうる局面も想定しているからだ。
だが、王妃にとっては、それは薄気味の悪いものに映ったようだ。
◇◆◇◆
「シルヴェーヌさま、今、殿下は医師たちの治療を受けています」
離宮に着くなり、馬車からまろび出たシルヴェーヌは、ガブリエルの部屋を目指して走った。
そして部屋の前に待機していたロニーと、久しぶりに顔を合わせたのだった。
「ガブは……大丈夫なの?」
唇を震わせているシルヴェーヌを、ロニーは痛ましい目で見る。
「顔と頭部に、ひどい火傷を負っています。命に別状はないだろうと、診断されていますが……」
シルヴェーヌは続く言葉を待った。
「傷跡は残ると言われています。顔がひきつれるほど焼けて、髪も燃え落ちてしまったので」
ロニーの説明を聞いて、シルヴェーヌの血の気が引く。
「治療が終わっても、しばらくは激痛で動けないでしょう。どうかシルヴェーヌさまの能力を、お貸しください」
頭を下げるロニーを、シルヴェーヌは留める。
「何でもするつもりで、ここに来たわ。ガブのために、私にできることがあるなら教えて」
「実は……ずっと黙っていたのですが」
そしてロニーは、シルヴェーヌが赤面せざるを得ない内容を打ち明ける。
「え……? 私の体液が?」
「そうなんです。シルヴェーヌさまの食べかけを口にしたり、同じカトラリーを使ったりすると、殿下は元気になっていたんですよ」
「……知らなかったわ」
シルヴェーヌは大きくなってからも、ガブリエルとのカトラリーの共有を嫌がらなかった。
なんだかそれが、二人の間で自然な流れになっていたからだ。
「それで私からお願いしたいのは、これからもそれを、続けて欲しいということなんです」
「それくらい、いくらでも……」
そこでロニーが、少しだけ意地悪な顔をして笑った。
「言質をいただきましたからね、シルヴェーヌさま」
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