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一話 待ちぼうけの王子

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 私はずっとここで待っている。

 だが、誰も来ない。

 それもそうか。

 私のいる城は茨に囲まれている。

 屈強な男でもない限り、これを乗り越えるのは至難の業。

 近づこうとも思わないだろう。

 本当なら、清く美しい心の持ち主には茨は道を開けてくれるという。

 しかしそれも茨の前まで来てくれないと、確認しようがないことだ。



 昔々、私たち王族が傲慢だったことに怒った魔女が、城に魔法をかけた。

 誰かの助けがない限り、城からは出られない魔法だ。

 みるみる城を取り囲む茨に、みんな阿鼻叫喚となった。

 だが、私は父に教えられて地下通路の存在を知っていた。

 そこからせめて召使いたちだけでも、と城外へ逃がした。

 予想外だったのは、地下通路から母や兄、妹まで逃げていたことだ。

 気がつけば城に残されていた王族は、私だけだった。

 そのときにはもう、地下通路にも茨の根が張り、城から出ることは叶わなかった。

 いつ来るともしれない助けを待つのに、一人は孤独すぎた。

 私は城中を探索して、何かが起きるまでは目が覚めない薬を見つけて飲んだ。

 そしておそらくは数百年、眠り続けたのだが。



「今日も暇だな」



 とっくに薬の効果が切れて、実はもう起きている。

 再び眠ろうと薬を手にしたが、経年劣化して変色していたので止めた。

 永遠に起きられなくなりそうな色をしていたからね。



「いつもの見回りでもするか」



 私は城の屋上にあがる。

 ここから四方八方を見渡し、平和を確認するのが日課だ。

 どこを見ても茨だらけ。

 数百年で立派に成長した茨は、かなり遠くまで生息地を広げていた。



「東側はもう地平線のかなたまで茨だな。これはますます、救助は望み薄だ」



 薬を飲んだときはまだ、逃がした召使いのうちの一人でも、助けに戻ってきてくれるのではないかと希望を抱いていた。

 しかしあれから数百年。

 今も生き残っているのは私だけだろう。



「代わり映えしないだろうけど、西側はどうかな」



 東側の風景にかるく絶望してしまった私は、気を取り直して西側を見る。

 毎日していることだ。

 こちら側の景色も似たようなものだと知っているが、それでも期待することを止められない。



「どれどれ……え?」



 西側に待ち構えていたのは、いつもの景色ではなかった。



 地平線とまではいかないが、それでも茨の生息地は伸びて、かなりの面積を茨が多い尽くしていたはずだ。

 なのに一本、まっすぐな道ができている。

 この城に向かって。



「ま、まさか……!」



 清く美しい心の持ち主が、この城に向かっているというのか。



「ああ、こんな日が来るなんて――」



 私は屋上の手すりにつかまり、膝から崩れ落ちた。

 頬を温かい涙が伝う。

 ――死ななくてよかった。

 一人取り残された寂寥感に、いっそこの世を旅立つことで、解き放たれたいと願うこともあった。

 あの変色した薬を飲めば、その願いが叶うのではないかと、夜が更けるたび考えた。

 だが朝が来ると期待してしまう。

 今日こそは、誰かが城を訪れるのではないか。

 あの茨が道を譲るほどの、清く美しい心の持ち主が。

 そして私はこの城から解き放たれ、ようやく人生をやり直す機会がもらえるのではないかと。



「今日が、その日なのかもしれない」



 私は立ち上がり、道の先端を見つめる。

 すごい勢いで道ができている気がする。

 走っているのかな?

 まだ朝日が昇ったばかりだ。

 もしかしたら、今日中にでも辿り着くのではないか。

 私の心臓が、痛いほどドキドキと脈打つのを感じた。



 城にいれば、食事をせずとも生きていられる。

 だから私はその日、屋上からずっと道を見ていた。

 太陽が真上に来た時、道の進みが止まった。

 きっと小休止をしているのだ。

 なにしろここまで走り続けている。

 休まねば体が持たぬ。

 私は城に向かって突き進む人物を、応援し続けた。



 日が傾いてきた。

 道がかなり城に近づいてきたおかげで、遠目ではあるが道の先端を目視できた。



「んん!? 茨が、茨が薙ぎ払われている!?」



 飛び散る木っ端を見る限り、茨は自ら道を開いているわけではないようだ。

 物理で道を切り開いていたのか……。



「ということは、清く美しい心の持ち主ではないということか?」



 物取りか?

 お尋ね者か?

 私はここで眺めていないで、城のどこかに隠れたほうがいいのではないか?

 夕闇があたりを覆うころ、またしても道の進行が止まる。



「今日はこれまでのようだな」



 私は大人しく屋上から自分の部屋へ戻り、変色した薬には見向きもせず、寝台へ横たわった。

 あの人物は朝が早い気がする。

 その動向を見逃さないために、自分も早起きしなくては。

 ずっと立ちっぱなしで体も疲れていたのだろう。

 久しぶりに悪夢も見ずに私は眠った。



 次の日。

 日が昇る前に、私は屋上へあがった。

 うっすらした靄に包まれた茨の森に、メキィッベキィッと樹がへし折れる音が響き渡る。

 道はかなり城に近づいていた。

 やはりあの人物は相当な早起きだった。

 うっすらと空が白み、日の出を迎える。

 東から昇る太陽が私の背を通り越し、道の先端にいる人物へ届く。



「ん!? んんん!?」



 私はまだ薄暗い中、必死に目を凝らす。

 寝ぼけているわけではない。

 だが私には、その人物が熊に見えたのだ。

 しかし熊ではないだろう。

 熊は刃物を振り回したりはしない。

 その熊はごつい刃物で茨に切り込みをいれ、そこに足を乗せて、自重で茨をへし折っていた。

 それをものすごい速さで行う。

 道はみるみる切り開かれていく。

 今日こそは城に辿り着くだろう。

 そう思わせるに十分な勢いがあった。

 そうだ、遠くて人影が見えなかったときは、その人物が茨の森を走っていると思っていたくらいだ。

 近づいた今、その人物の力強さと逞しさに、ますます私は心臓を高鳴らせるのだった。

 

 昼過ぎ、ようやく熊の正体が分かってきた。

 毛皮だ。

 熊の毛皮を頭からかぶっているのだ。

 獰猛そうな灰色熊の顔が、城を睨んでいる。

 茨に隠れて全身は見えないため、性別は不詳だ。

 開拓の勢いは衰えない。

 すごい。

 私は感心した。

 こんなに生命力にあふれた人間を、私は知らない。

 王族として扱われていたころ、不規則な生活が当たり前だった。

 夜ごと開催される舞踏会。

 次々に空になるワイン樽。

 令嬢たちとの恋の駆け引きは、空が白むまで終わらなかった。

 私たち王族は、金髪碧眼で色白く細い。

 それが伝統で、貴族たちにもてはやされる美点だった。

 兵士のように筋肉が盛り上がることは野蛮とされ、肌を焼くのも農夫のようだと忌避された。

 今思えば、馬鹿らしい。

 本当に美しい人間とは、外見で決まるものではなかった。

 あふれる命のきらめきに、私の心が惹かれて止まない。

 茨が道を譲らなかったことも忘れて。

 あの道の先端にいる人物を。

 今か今かと待ちわびる。

 また日が傾いた。
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