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リザ
デカート 共和国協定千四百三十四年清明
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ハリス・ウィンス・ストーン氏は豪商の大旦那という印象とは程遠く、老境というよりは円熟した壮年という印象の人物だった。
息子のアエスターと並ぶと年若い叔父という印象で世間で還暦に手の届く人々の老いをみるにストーン家の生活の豊かさを感じさせた。
更に九十間近というペルリ・ランス・ストーン氏が隠居として存命であると聞けば、富と健康の関係について考えないわけにもいかなかった。
男性ばかりのほうが却って気楽であろうと、ストーン親子とマジンの三人で朝食の食卓を囲むことになった。食事番の下僕も男性で徹底していた。朝食は商会らしくしっかりとしたもので、重みの違うパンや新鮮な玉子野菜を含め密かに贅沢な献立だった。
ハリスは控えめではあったが、製氷事業の先行きの採算と社会的影響について明るい見通しを持っていることを食事中に述べた。
「ときにあの荷車、機関車と申されていましたな。アレをお譲りいただくことは出来ますかな。無論、今ただいまというわけではなく、同じモノ似たモノを製氷庫の後日ということですが」
ハリスの申し出は朝食の場にあった軽く明るい声であったが、間合いを探るような光が目にはあった。
「既に幾台か組み立ててはみたものの、まだ問題もあります。それに現状いまのままお渡ししてもすぐに使えなくなります」
「それは、どういうことでしょう。扱いが難しいとか、魔法、を必要とするという意味ですか」
ハリスが尋ねた。
「扱いに知見が十分でないというのはそうなのですが、操作そのものは慌てず無理せずこなせば、我が家の娘達も全員その日のうちに扱いを覚えました。そうではなく燃料がやや特殊なのです」
「と言いますと」
「石炭から取り出した燃焼性のガスを利用しています」
「それも圧縮して液体にして気化させて使うという、お馴染みの手法ですか」
ハリスは手品のタネを見破ったという顔をした。
「細かな形は少々異なりますが、敢えて差違を述べ立てなければそうなります」
「いま燃料とおっしゃいましたか。つまり、問題とは使えば減りやがて無くなるということですね」
ハリスは思い出すように言った。
「はい」
「それを石炭から取り出している、と。氷を作る物体、冷媒も石炭から取り出された物質で、燃料になるガスがあり、鉄を作る骸炭になる。せいぜいタールを取り出すくらいしか考えていませんでしたが、様々に使えるものだったのですね。そういえばタールも沸かしてやるとクレオソートともっと硬いアスファルトや膠のようなものになりますか」
ハリスは感慨深げに言った。
「いずれまたタールも調べてみるつもりですが、様々使えています」
「そこに魔法は必要ですか」
ハリスは魔法という言葉にこだわりがあるようだった。
「とくには。ただ、ある程度の手管の見積もりと運とが必要ですが」
「聞けばお家では巨大な絡繰で骸炭を作られているとか」
「そうです」
「寸分同じもの或いは大きくしたものを作っていただくことは出来ますか」
「可能不能でいえば、可能ですが、我家の場合は工房が隣り合って調整や改良をしているものですから、採算をお示しするような材料はありません」
「気積りとして代金をお聞かせいただければ」
「そうですね。乾留して出来た産物製品の一割五分というところでしょうか」
「それは、灰や煤などもということでしょうか」
マジンとしては適切な範囲でふっかけたつもりであったが、ハリスは生真面目に応えた。
「――灰はレンガ、煤も石鹸水に溶いてインクやタールで固めなおせば燃料になりますからな。事業ともなればそれなりに量も価値も馬鹿になりません。利益でなく産物で一割五分。なるほど」
「ですから、骸炭を原料と同じ価格で町に卸せるのです」
マジンは指摘するように言った。
「ヴィンゼでは石炭より値が安定しているとか」
「その辺は素人芸なのでお恥ずかしいことです」
謙遜ではなかったのだが、ハリスとアエスターはマジンの率直な言葉に微笑んだ。
「気積りといえば、デカートで何処か工房を開かれることを考えていただくことは出来ますか。裁判のお話は伺っております。なんでもお気の毒な成り行きでヴィンゼのお家を賭けての争いであるとか」
「ご心配をお掛けして申し訳ありません。こちらの事業にはご迷惑をおかけしないつもりではおりますが、憂慮されるは御尤もかと存じます」
「ああ、いえ。既に冷凍機関の本体はお持ちいただいたという話も伺っておりますし、今回の事業の取引については心配しておりません。そうではなく、近くにおいで頂ければ、こちらよりの相談なぞお願いしやすく助かるという、欲目からです」
取り繕うようにハリスは言ったが、冗談というわけではなさそうだった。
「工房を引っ越すとして、手作り間に合わせの品ばかりですが、再び揃えるとして半年一年では揃えきりませんし、運んで建てなおすとしても人時所が必要になります。裁判起こされました先方にも言い分はあると思いますが、ご寛恕いただきたいところです」
マジンにとってもあまり冗談ではなかった。
「ところで、ゲリエ様は師事されることなく独学で術理に至ったと伺っておりますが、逆に徒弟や弟子をとられる気はありませんか」
アエスターが切り替えるように話を振った。
「おお、それはいかがですか。いずれウチのものを幾人か仕込んでいただかないといけないわけですが、それとは別に幾人か学ばせていただければ、世の人のためになるかと思います。なに、世の徒弟共の半分は使い物になるかも怪しい者たちですが、残りの半分は何かの得意ひとつくらいには使えますし、そのうちいくらかは本当に大した者も混じっています」
ハリスの言葉は実感があり、おそらく体験に基づく幾ばくかの真理であるのだろうが、術理の探求が全く娯楽であるマジンにとっては、遊びに誰かを混ぜる、ということであって、即座に首肯はしかねる、しかしいずれは次を求める上で必要なことでもあった。
言葉を探しているとハリスが手でマジンの言葉を制した。
「――突然に話を広げすぎましたな。しかしともかくも冷凍機関の操作についてご指導いただかねばならないので、幾人かはよこさせていただきます。お邪魔とは存じますが是非使えるものを一人でも二人でも見出していただければと思います」
幾人かの食事番の中でかすかな身じろぎがあったところを見ると、顔見世的な意味があったのかもしれない。
その後、中庭に毛布と帆布を広げ積み荷の冷凍機関を降ろし配管と機関のの歪み割れを探したが手回しと弁の開閉の感触としては正常そうだった。各部のネジも歪み軋みなく回ることを確認して広げていた店をたたむと、あとは組み込みと次の荷を待つことにした。
昼食をアエスターと摂るとマーシーがやってきて三人で製氷庫の建設現場にゆくことになった。
マジンの運転する機関車に乗れることにアエスターは多少はしゃぎ気味だったが、マーシーはその速さにやや不安げに座席の肘掛けを握りしめていた。
現場は駅馬車の停留所から見える位置で、先に荷着け場になるボードウォークが完成して資材置き場となっていた。工事そのものは基礎部分が完成した段階で工事からひとつきほどであることを考えれば文句をいうのも難しいが、手早いというほどのこともなく、まぁまぁ順調というところだろうか。うず高く積まれた漆喰の袋やレンガの山はそれなりに手配が済んでいる量にも見えた。だが、指矩と図面が砂にまみれて放置されているところを見ると予想通りでもあった。
井戸には蓋がされていたが、蓋を開けてみれば水面が見えるほどのなるほど豊かな井戸であった。
工事の進捗を含め納得すると、アエスターの紹介で布織物を見て歩いた。
白い丈夫な厚手の木綿生地を多めに買い求め、他に目についた生地や裁縫小物を多少多めに手に入れると、型紙集を何冊か買った。
からかい混じりのつもりでの、服もつくるのか、というアエスターの質問を真顔でマジンは肯定した。
ゲリエ家では余所行きの服以外は半分以上がマジンの手製だった。
ヴィンゼの仕立屋であるモールの仕事は、マジンが世辞をいう必要がない仕事ぶりだった。腕の良い職人がヴィンゼに流れてきた理由は女房と揉めて店を灼いて出てきたらしいと噂では聞いている。細かいところは聞いていないが、結婚のいちどや二度はありそうな年齢で独り身であるところを考えれば何かあったのだろうとは思う。
内心は知らないがアルジェンとアウルムとも揉めたという話はないので、噂のような身の上は信じられないが、人の複雑さというものは些細な事で人は変わるというところにあった。
毎月、娘たちの新しい服を一着づつ仕立てるのがヴィンゼでのマジンの密かな月課の一つであったが、型紙と幾つかの手引はあってもわからないところはそれなりにあり、教えを乞う代わりに一着モールに仕立ててもらうのが常だった。
幸いというか娘は二人づつ似たような体格だったので、一着余計であっても差し支えなかったし、手際は悪くとも繰り返しが苦にならない手数の早いマジンにとって、裁縫は成果がわかりやすい楽しい作業のひとつだった。
マジンはとくに説明はしなかったが、アエスターは驚きと笑いの混じった顔で納得した。
その後、二人を商会に送り届けると、日が落ちないうちに検事局でメラス検事長に面会を求めた。
マイルズ老人からの書状を見せると応接室で暫く待つことになったが、検事長と面会が出来た。書状を受け取った時の受付の様子からすると、田舎の保安官では役に立つはずもないマイルズ老人の元老院議員の肩書はここではそれなりに使えるようであった。
メラスはマジンの成長を喜び、今回の訴えと裁判については遺憾だが、関わっていないし関われない、と予め告げた。代わりにマジンが求めるなら弁護士についての紹介はおこなうと約束してくれた。
メラスは裁判の召喚日には随分日数に余裕が在ることを不思議がっていたが、ストーン商会との間に大きな商談を抱えていることと、市にいる間の逗留先がストーン家であることを告げると納得した風であった。
その後、連れ立って検事局とつながっている裁判所の事務局で喚問に応じて市内に宿泊していることの手続きをした。
「喚問の期日いっぱいで到着する者も多いのだが、そういう連中はたいていここの独房で夜明かしすることになるのだよ。毛布と食事の手当があれば野宿よりはだいぶマシだと思うが」
そんなことをメラスは話しながら事務局を出ると別れた。
「もしや、ゲリエの若旦那じゃないですか」
聞き慣れない声に思わず振り返った。
「――ああ、やっぱり、背が大きくなってるから間違ったかと思ったけど、その腰のものは忘れちゃいねえ。町中だってのに、隙もない」
いかにも職人風の固太りをした老人がいた。名前は確かウィル・ミズアン・ウェッソン。賞金額は――
「千八百五十タレル」
「お忘れですか、その節はお世話になりまして」
「いや、覚えているよ。ウィル・ミズアン・ウェッソン。元気そうじゃないか」
ウェッソンはマジンが名前を覚えていることに嬉しそうに笑った。
「どうしたよ。とっつあん。……あっ」
別の出口の方からフラン・オブジュールの姿が見えた。賞金額は
「千七百五十タレル」
「なんすかい。その金額」
「お前らの顔と名前を覚えるための呪文だよ。フラン・オブジュール」
「手配書のアレですか。名前間違ってるってのになぁ。自分フラノ・オーブ・ジュールなんすよ」
「いいじゃねぇか。んなこと。顔を覚えてもらってるだけ贅沢言うな」
ウェッソンが混じってきたジュールの尻を廊下に響くような音で叩いた。
その音に行き来していた人の目がざっと集まる。
「元気そうで何よりだ。もう悪さするんじゃないよ」
一度は見逃した連中が生きているのを見てマジンの中では一段落した。
「そりゃつれないんじゃないすか。ゲリエの若旦那」
ウェッソンが言った。
「荷物もあるし他所の家に厄介になっているから、悪いが今日は引き上げるよ」
マジンはとくに先約を断るほどの義理は目の前の彼らに感じていなかった。
「せっかくだから飲みましょうよ。川の荷口のこっち側に銀鱒亭っていう良い飲み屋があるんですよ。そこで一席」
ジュールが馬車小屋まで付いてきて食い下がる。
「わるいが、他所のお宅で先約があるんだ」
「うちら日雇いの溜まり場ってのはあるんですが、食い物旨いんで街場の連中も結構使っている店なんですよ。一杯奢るくらいはしますから」
ジュールが纏わり付くように訴えた。
「お招きがあるんじゃしょうがないだろ。まぁ、わしらも行くとこあるわけじゃないんで、夜ッピで居着いていますんで良ければ来てください」
ジュールを引き剥がすようにウェッソンが言った。
「行けるかわからんが、シャバ祝いだ。飲んどいとくれ」
そう言ってマジンは銀貨をひとつかみジュールに渡し、機関車に火を入れると勢車を回した。
「きっときてくださいよ。川の港口の橋の方から来ればマスの看板が見えるはずですから」
そのリズミカルな音に二人は驚いたようだったが、ジュールは車上のマジンに言い募った。
その晩、マジンは銀鱒亭を訪れなかった。
ストーン家の人々と食後を通じて話し込み、冷凍機関についての解説を求められたからであった。
息子のアエスターと並ぶと年若い叔父という印象で世間で還暦に手の届く人々の老いをみるにストーン家の生活の豊かさを感じさせた。
更に九十間近というペルリ・ランス・ストーン氏が隠居として存命であると聞けば、富と健康の関係について考えないわけにもいかなかった。
男性ばかりのほうが却って気楽であろうと、ストーン親子とマジンの三人で朝食の食卓を囲むことになった。食事番の下僕も男性で徹底していた。朝食は商会らしくしっかりとしたもので、重みの違うパンや新鮮な玉子野菜を含め密かに贅沢な献立だった。
ハリスは控えめではあったが、製氷事業の先行きの採算と社会的影響について明るい見通しを持っていることを食事中に述べた。
「ときにあの荷車、機関車と申されていましたな。アレをお譲りいただくことは出来ますかな。無論、今ただいまというわけではなく、同じモノ似たモノを製氷庫の後日ということですが」
ハリスの申し出は朝食の場にあった軽く明るい声であったが、間合いを探るような光が目にはあった。
「既に幾台か組み立ててはみたものの、まだ問題もあります。それに現状いまのままお渡ししてもすぐに使えなくなります」
「それは、どういうことでしょう。扱いが難しいとか、魔法、を必要とするという意味ですか」
ハリスが尋ねた。
「扱いに知見が十分でないというのはそうなのですが、操作そのものは慌てず無理せずこなせば、我が家の娘達も全員その日のうちに扱いを覚えました。そうではなく燃料がやや特殊なのです」
「と言いますと」
「石炭から取り出した燃焼性のガスを利用しています」
「それも圧縮して液体にして気化させて使うという、お馴染みの手法ですか」
ハリスは手品のタネを見破ったという顔をした。
「細かな形は少々異なりますが、敢えて差違を述べ立てなければそうなります」
「いま燃料とおっしゃいましたか。つまり、問題とは使えば減りやがて無くなるということですね」
ハリスは思い出すように言った。
「はい」
「それを石炭から取り出している、と。氷を作る物体、冷媒も石炭から取り出された物質で、燃料になるガスがあり、鉄を作る骸炭になる。せいぜいタールを取り出すくらいしか考えていませんでしたが、様々に使えるものだったのですね。そういえばタールも沸かしてやるとクレオソートともっと硬いアスファルトや膠のようなものになりますか」
ハリスは感慨深げに言った。
「いずれまたタールも調べてみるつもりですが、様々使えています」
「そこに魔法は必要ですか」
ハリスは魔法という言葉にこだわりがあるようだった。
「とくには。ただ、ある程度の手管の見積もりと運とが必要ですが」
「聞けばお家では巨大な絡繰で骸炭を作られているとか」
「そうです」
「寸分同じもの或いは大きくしたものを作っていただくことは出来ますか」
「可能不能でいえば、可能ですが、我家の場合は工房が隣り合って調整や改良をしているものですから、採算をお示しするような材料はありません」
「気積りとして代金をお聞かせいただければ」
「そうですね。乾留して出来た産物製品の一割五分というところでしょうか」
「それは、灰や煤などもということでしょうか」
マジンとしては適切な範囲でふっかけたつもりであったが、ハリスは生真面目に応えた。
「――灰はレンガ、煤も石鹸水に溶いてインクやタールで固めなおせば燃料になりますからな。事業ともなればそれなりに量も価値も馬鹿になりません。利益でなく産物で一割五分。なるほど」
「ですから、骸炭を原料と同じ価格で町に卸せるのです」
マジンは指摘するように言った。
「ヴィンゼでは石炭より値が安定しているとか」
「その辺は素人芸なのでお恥ずかしいことです」
謙遜ではなかったのだが、ハリスとアエスターはマジンの率直な言葉に微笑んだ。
「気積りといえば、デカートで何処か工房を開かれることを考えていただくことは出来ますか。裁判のお話は伺っております。なんでもお気の毒な成り行きでヴィンゼのお家を賭けての争いであるとか」
「ご心配をお掛けして申し訳ありません。こちらの事業にはご迷惑をおかけしないつもりではおりますが、憂慮されるは御尤もかと存じます」
「ああ、いえ。既に冷凍機関の本体はお持ちいただいたという話も伺っておりますし、今回の事業の取引については心配しておりません。そうではなく、近くにおいで頂ければ、こちらよりの相談なぞお願いしやすく助かるという、欲目からです」
取り繕うようにハリスは言ったが、冗談というわけではなさそうだった。
「工房を引っ越すとして、手作り間に合わせの品ばかりですが、再び揃えるとして半年一年では揃えきりませんし、運んで建てなおすとしても人時所が必要になります。裁判起こされました先方にも言い分はあると思いますが、ご寛恕いただきたいところです」
マジンにとってもあまり冗談ではなかった。
「ところで、ゲリエ様は師事されることなく独学で術理に至ったと伺っておりますが、逆に徒弟や弟子をとられる気はありませんか」
アエスターが切り替えるように話を振った。
「おお、それはいかがですか。いずれウチのものを幾人か仕込んでいただかないといけないわけですが、それとは別に幾人か学ばせていただければ、世の人のためになるかと思います。なに、世の徒弟共の半分は使い物になるかも怪しい者たちですが、残りの半分は何かの得意ひとつくらいには使えますし、そのうちいくらかは本当に大した者も混じっています」
ハリスの言葉は実感があり、おそらく体験に基づく幾ばくかの真理であるのだろうが、術理の探求が全く娯楽であるマジンにとっては、遊びに誰かを混ぜる、ということであって、即座に首肯はしかねる、しかしいずれは次を求める上で必要なことでもあった。
言葉を探しているとハリスが手でマジンの言葉を制した。
「――突然に話を広げすぎましたな。しかしともかくも冷凍機関の操作についてご指導いただかねばならないので、幾人かはよこさせていただきます。お邪魔とは存じますが是非使えるものを一人でも二人でも見出していただければと思います」
幾人かの食事番の中でかすかな身じろぎがあったところを見ると、顔見世的な意味があったのかもしれない。
その後、中庭に毛布と帆布を広げ積み荷の冷凍機関を降ろし配管と機関のの歪み割れを探したが手回しと弁の開閉の感触としては正常そうだった。各部のネジも歪み軋みなく回ることを確認して広げていた店をたたむと、あとは組み込みと次の荷を待つことにした。
昼食をアエスターと摂るとマーシーがやってきて三人で製氷庫の建設現場にゆくことになった。
マジンの運転する機関車に乗れることにアエスターは多少はしゃぎ気味だったが、マーシーはその速さにやや不安げに座席の肘掛けを握りしめていた。
現場は駅馬車の停留所から見える位置で、先に荷着け場になるボードウォークが完成して資材置き場となっていた。工事そのものは基礎部分が完成した段階で工事からひとつきほどであることを考えれば文句をいうのも難しいが、手早いというほどのこともなく、まぁまぁ順調というところだろうか。うず高く積まれた漆喰の袋やレンガの山はそれなりに手配が済んでいる量にも見えた。だが、指矩と図面が砂にまみれて放置されているところを見ると予想通りでもあった。
井戸には蓋がされていたが、蓋を開けてみれば水面が見えるほどのなるほど豊かな井戸であった。
工事の進捗を含め納得すると、アエスターの紹介で布織物を見て歩いた。
白い丈夫な厚手の木綿生地を多めに買い求め、他に目についた生地や裁縫小物を多少多めに手に入れると、型紙集を何冊か買った。
からかい混じりのつもりでの、服もつくるのか、というアエスターの質問を真顔でマジンは肯定した。
ゲリエ家では余所行きの服以外は半分以上がマジンの手製だった。
ヴィンゼの仕立屋であるモールの仕事は、マジンが世辞をいう必要がない仕事ぶりだった。腕の良い職人がヴィンゼに流れてきた理由は女房と揉めて店を灼いて出てきたらしいと噂では聞いている。細かいところは聞いていないが、結婚のいちどや二度はありそうな年齢で独り身であるところを考えれば何かあったのだろうとは思う。
内心は知らないがアルジェンとアウルムとも揉めたという話はないので、噂のような身の上は信じられないが、人の複雑さというものは些細な事で人は変わるというところにあった。
毎月、娘たちの新しい服を一着づつ仕立てるのがヴィンゼでのマジンの密かな月課の一つであったが、型紙と幾つかの手引はあってもわからないところはそれなりにあり、教えを乞う代わりに一着モールに仕立ててもらうのが常だった。
幸いというか娘は二人づつ似たような体格だったので、一着余計であっても差し支えなかったし、手際は悪くとも繰り返しが苦にならない手数の早いマジンにとって、裁縫は成果がわかりやすい楽しい作業のひとつだった。
マジンはとくに説明はしなかったが、アエスターは驚きと笑いの混じった顔で納得した。
その後、二人を商会に送り届けると、日が落ちないうちに検事局でメラス検事長に面会を求めた。
マイルズ老人からの書状を見せると応接室で暫く待つことになったが、検事長と面会が出来た。書状を受け取った時の受付の様子からすると、田舎の保安官では役に立つはずもないマイルズ老人の元老院議員の肩書はここではそれなりに使えるようであった。
メラスはマジンの成長を喜び、今回の訴えと裁判については遺憾だが、関わっていないし関われない、と予め告げた。代わりにマジンが求めるなら弁護士についての紹介はおこなうと約束してくれた。
メラスは裁判の召喚日には随分日数に余裕が在ることを不思議がっていたが、ストーン商会との間に大きな商談を抱えていることと、市にいる間の逗留先がストーン家であることを告げると納得した風であった。
その後、連れ立って検事局とつながっている裁判所の事務局で喚問に応じて市内に宿泊していることの手続きをした。
「喚問の期日いっぱいで到着する者も多いのだが、そういう連中はたいていここの独房で夜明かしすることになるのだよ。毛布と食事の手当があれば野宿よりはだいぶマシだと思うが」
そんなことをメラスは話しながら事務局を出ると別れた。
「もしや、ゲリエの若旦那じゃないですか」
聞き慣れない声に思わず振り返った。
「――ああ、やっぱり、背が大きくなってるから間違ったかと思ったけど、その腰のものは忘れちゃいねえ。町中だってのに、隙もない」
いかにも職人風の固太りをした老人がいた。名前は確かウィル・ミズアン・ウェッソン。賞金額は――
「千八百五十タレル」
「お忘れですか、その節はお世話になりまして」
「いや、覚えているよ。ウィル・ミズアン・ウェッソン。元気そうじゃないか」
ウェッソンはマジンが名前を覚えていることに嬉しそうに笑った。
「どうしたよ。とっつあん。……あっ」
別の出口の方からフラン・オブジュールの姿が見えた。賞金額は
「千七百五十タレル」
「なんすかい。その金額」
「お前らの顔と名前を覚えるための呪文だよ。フラン・オブジュール」
「手配書のアレですか。名前間違ってるってのになぁ。自分フラノ・オーブ・ジュールなんすよ」
「いいじゃねぇか。んなこと。顔を覚えてもらってるだけ贅沢言うな」
ウェッソンが混じってきたジュールの尻を廊下に響くような音で叩いた。
その音に行き来していた人の目がざっと集まる。
「元気そうで何よりだ。もう悪さするんじゃないよ」
一度は見逃した連中が生きているのを見てマジンの中では一段落した。
「そりゃつれないんじゃないすか。ゲリエの若旦那」
ウェッソンが言った。
「荷物もあるし他所の家に厄介になっているから、悪いが今日は引き上げるよ」
マジンはとくに先約を断るほどの義理は目の前の彼らに感じていなかった。
「せっかくだから飲みましょうよ。川の荷口のこっち側に銀鱒亭っていう良い飲み屋があるんですよ。そこで一席」
ジュールが馬車小屋まで付いてきて食い下がる。
「わるいが、他所のお宅で先約があるんだ」
「うちら日雇いの溜まり場ってのはあるんですが、食い物旨いんで街場の連中も結構使っている店なんですよ。一杯奢るくらいはしますから」
ジュールが纏わり付くように訴えた。
「お招きがあるんじゃしょうがないだろ。まぁ、わしらも行くとこあるわけじゃないんで、夜ッピで居着いていますんで良ければ来てください」
ジュールを引き剥がすようにウェッソンが言った。
「行けるかわからんが、シャバ祝いだ。飲んどいとくれ」
そう言ってマジンは銀貨をひとつかみジュールに渡し、機関車に火を入れると勢車を回した。
「きっときてくださいよ。川の港口の橋の方から来ればマスの看板が見えるはずですから」
そのリズミカルな音に二人は驚いたようだったが、ジュールは車上のマジンに言い募った。
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