石炭と水晶

小稲荷一照

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リザ

デカート市況 共和国協定千四百三十四年秋

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 朝、ストーン商会を訪れた一家を出迎えたのは、マーシーではなかった。
 だがストーン商会でゲリエの名前を知らないものはおらず、下にも置かない扱いで応接に通された。
 暫く待つ間に綺麗な砂糖菓子が出てきた。
 アルジェンもアウルムも甘いモノには目がなく自制に苦しんでいた。
 グリスが手代を伴ってあらわれ、マジンを奥の席に誘った。
 リザに子供たちを預け、マジンは商談を始めることにした。
「ようこそおいでくださいました」
 グリスがにこやかに席を勧めながら言った。
「お約束もなく伺いましてお世話をかけます」
「いえいえとんでもない。何でも昨日はセレール商会にもむかわれていたとか。見かけた者がおりまして、そろそろおいではあるか、と楽しみにお待ちしておりました」
 にこやかにグリスが応じた。
「――先にご紹介いたしましょう。こちら、手代のバールと申します。これより当家の商いごとについてご用命くださるときにこの者をお呼びいただければ通りも早いかと存じます。先のマーシーは製氷庫の方に回しております。製氷庫の件、全くおかげさまで無事商売に勉強をさせていただいております」
 バールと呼ばれた年の頃三十ほどの手代は神妙な顔つきで頭を下げた。先のマーシーが比較的柔らかいともすれば柔弱な印象の男だったのに比べると似たような年齢のバールは多少硬さが先に表に出る男らしい。
「本日は石炭を買いに来ました」
「もう冬も近いですからな。いかほどお売りしましょう」
 バールが石炭の産地銘柄と価格を記した紙を机に滑らせた。
「三グレノルほど」
「三百ストン。お屋敷までですと飼葉の手当てを考えて、馬車で十では利きませんな。途中まで飼葉用の車を仕立てて別件を立てることで人足を絞っても恐らく十二台。冬の間、雪を避けてのこととは思いますが、かなりの量ですな。お取引の実績で半年分くらいですか」
 グリスは注文を疑うというよりは注文の意味を考えるような表情を作って確認するように言った。
「ああ船で運ぶので、馬車は結構です」
「なるほど。何か試されておられるのは舟でしたか。次の建築現場も運河沿いとか。――人足の手配はどうかな」
 グリスはバールに確認した。
「デカートの中でしたらどこなりと。ですが、三百ストンですと石炭も足りない銘柄があります」
「せっかくのゲリエ様のお越しだというのに不調法なことだな。誰か山にやって取りに行かせるか。お前ヤマは行ったことあったな。ゲリエ様のお帰りの後に日を切って山へ行け。もちろん日取りの算段を立てて、それにそって書状は全てに出せ。これから冬だというのに全くどういう手抜かりだ」
 グリスは隠さないままバールに言った。
「人はどういたしましょうか」
「ボーエルとモイスにたのめ。ゲリエ様にはこの場でお詫びしろ。三週間ばかりのことだろう」
 グリスがそう言うとバールは立ち上がり頭を下げた。
「ゲリエ様には商いの件、今後三週間ご不便をお掛けするかと思いますが、ご容赦いただければと思います」
 バールは律儀にそう言って腰を下ろした。
「石炭の銘柄にはこだわっておりませんので、お気遣いなくて結構ですが」
 マジンはちょっとした寸劇に戸惑い言った。
「そう言っていただけるとはありがたいのですが、日商で百グレノルほどのデカートの石炭市場の一角を支える我が商会がたかだか数グレノルの在庫を自在できないということが、秋口のこの時期には問題なのは事実なのです。バールの手落ちばかりともいえないのですが、手代の中で動ける者がバールしかいないということもありまして、ゲリエ様にはしばしバールをお貸しいただく形で手を打たせていただきます。バール不在の間はボーエルとモイスという者が手代として承ります。もちろんおまたせしてもよろしければ私に直にお申し付けくだされても結構です」
 その後、マジンは全ての石炭を均等に網羅する形で注文した。
「こちらが以前の銀鉱石を調べた結果です。やはり以前のものに比べて鉛がだいぶ少ないようです。他は、あの日に運んでいただいた鉱石の内容です。正体のわかっていないものもこちらで仮の名前をつけているものも含まれておりますが、その辺りはご容赦を」
 マジンは注文の後に封筒に持参した紙束を机の上に示した。
「ありがとうございます」
「物としては新しい物のほうが一手間多いですが、銀自体は多く気づけば簡単という所も多いかと」
「他所の職人も質が変わったことについて似たことを口にしておりました。中には気付くのが遅れ面倒を起こしたこともあったようです」
 グリスが頷いていった。
「他にもこちらでの商いの記録と併せて写しを認めてありますのでご参考にお役立てください」
「こちらのお代はいかがしましょう」
「次に新しい鉱脈を開いたときに一ストンいただければお調べしますよ」
「なるほど。――バール。ご注文いただいた石炭、銘柄、各ひとつ分はお預けしてお調べいただきなさい。――ゲリエ様。こちらの石炭のご報告は急ぎません。ごゆっくりお調べください。……ところで――」
 グリスの指示にバールがメモを足し伝票を書き直しているのを待つ間に、改めるように離れたゲリエ家の子供達の様子を探るようにしてグリスは言葉をためた。
「――ゲリエ様には新しくご相談お願いしたいことがあるのですが、お時間いただくことは可能ですか」
 グリスが切り出した。
「どういったことでしょう。このあと、午後には約束もあるのであまり長くはできませんが」
「それでは昼食を取りながら相談の大枠をご説明いたします。興味を持っていただけたら細かいところは後ほど詰めるということで。――鴨鳴亭にゆこう。あそこの料理や菓子はぜひお見せしたい。もちろんお前も来い」
 鴨鳴亭という料理屋は建物の作りや雰囲気は天階亭とは異なっていたけれども、客層を見ればやはりただならぬ名店の雰囲気を滲ませていた。
 当然に娘のふたりが獣人である旨を確かめたが、グリスが気にせず扉をくぐった入った店の豪華な客室の一角を控えめに示すと身なりの整った有角人が恐らく夫妻で食事に訪れていた。
「貧富の差や様々な面倒が多いのでおおっぴらではありませんが、ある程度の余裕のある定収や技能職では亜人に対する特別な扱いを維持する努力は次第に減っています。共和国全体となるとまた話が変わってきますが、デカートに関してはお嬢さんたちについてあまり気にする必要はないと思います。とはいえ、身分の確定という意味で所有権を放棄なさるのはまた面倒がつきまとうところですが」
 グリスは控えめな言葉で現状を説明した。
 鴨鳴亭の料理は驚くべきものだった。
 天階亭の料理が材料の質と技巧を凝らしたものとするなら、鴨鳴亭のそれは想像力と知恵を料理の形と味にしたものだった。当然に冷凍庫の氷を使ってもいる。
 ユエいわく、天階亭の料理は不思議な料理で、鴨鳴亭の料理は楽しい料理ということだった。
 ともかくそういう素敵に知恵を巡らせた芸術のような料理を食べつつ、グリスはマジンに話を始めた。
 それは、蒸気圧機関を量産して販売したい。用途としては揚水ポンプを想定しているというものだった。
 発案者は実はバールであるらしい。
 ストーン商会では全く新しい商品である氷についてどのように商材として扱うべきかという構想が様々に求められた。成果の一つとしてはお披露目の会で示された冷蔵庫であったり、塩水を凍らせる、というものであったりしたのだが、その中でバールは冷凍機関を駆動する蒸気圧機関と冷凍庫内を作業可能な明るさに維持している電灯に注目した。
 各種鉱石を商いの軸に据えているストーン商会としては縁のある鉱山の業績発展を応援すべく、鉱山からの湧水を処理する事ができないかというのが主な商機と捉えているようだった。
「ゲリエ様にはお詫びしないといけないこともあります。頂きました電灯。知り合いの職人に渡し調べさせました」
「さし上げたものです。お詫びいただくことではありません。それで何かわかりましたか」
 グリスの言葉にマジンは微笑んで応えた。
「職人が云うには電池、――瓶の中身は酸であろう、残ったものを煮詰めた感じから中身は相応に濃い硫酸であろうと」
「そのとおりです」
 マジンの言葉にグリスがホッとしたように言った。
「電池を新たに作ってみたところ、元とは多少明るさに差がありましたが、頂いた電灯をつけることができました。問題は灯りの本体、電灯部分でした。職人が似たものを作り電池と繋いでみたところ、明かりが灯り成功に喜んでいる間に線が焼け落ち消えてしまいました。二百ほど試したところで頂いた電球を割って、どうやら白金と何かの合金であろうと云うところの見当をつけて新しく作ったガラスのホヤをかぶせて、明かりをつけてみたところ、瞬きほどの間に明るく灯り線が焼け落ちたそうです」
 グリスは言葉を切って一口酒を含んだ。
「職人が想像するには灯りの中身が実は空気ではなかったのではないか。というものでした。他に鉄線に電気を通すと木がコゲるほどに熱くなることも突き止め、線の細さを考えると燃えて溶け落ちたのだろうと言ってもおりました。今はその熱でカネの線を鋳熔かして細工ができないかと工夫をこらしておるようでした」
「なかなかに優秀な方だと思います」
 グリスの言葉にマジンは素直に感心した。
「そんなわけで電灯については試しておりますが、どうも一朝では手に負えるような風情でないようです。――冷凍機関の方については、万が一にも管が破れたら、逃げろ、とご指導あったと聞いておりますが、蒸気圧機関の方は水がないときに火を入れるなと、まさかの時は釜の底を抜いて火を消せという二点だったように聞いております。直に教えを頂いた者達は、ともかく釜の底の抜き方とその後の直し方を教わり、それが一番面倒だったと口にしておりました。以前も触れましたとおり、冷凍機関の秘儀についての伝授いただく件は諦めておりませんが、稚拙なものを作るとしてもおそらくは事故として手当しやすいのは冷凍機関よりは蒸気圧機関であろうと考えております。水車風車よりも場所を選ばず、家畜のように疲れを知らない動力として石炭と水だけあれば良い蒸気圧機関というものは、どういう形であれこの世界の文明を大きく変えると思います。現にゲリエ様は機関車をお使いになって馬の半分以下の時間でお屋敷とデカートを往復していらっしゃる。それは我々、商いをする者にとって嫉妬を抱かずにはいられない秘儀なのですよ」
 グリスは機関車の中身が蒸気圧機関だろうと睨んでいるようだった。それは誤りではあったが、間違いの内容自体は全く本題ではない、という点で重要な示唆であった。
 少なくともグリスは短期間でマジンが示した機械装置の技術の階梯を見誤ってはいない。
「鉄と石炭の価値が跳ね上がりますね。しかし、春は御存知の通り、セレール商会の冷凍庫でかかりきりですし、さて。あまり先のことはお約束できかねます」
 グリスはバールと目配せをした。
「鉱山の成果が伸びれば、より安くもできるかと。そこでゲリエ様には絵図面と指矩を売っていただけないかと。更には折々部品の出来や組み付け具合なぞの講評をいただけないかと思っております」
 それはかつてグリスが尋ねた、徒弟を取らないのか、という問いに対する積極的な追及であった。
 マジンは目の前に皿があることに感謝するように、行儀悪く皿に残ったソースを刮ぐように掬い口に運んだ。
「――目論見は様々にございますが、今はまず私共が蒸気圧機関を組み立てられる職人を育てようと考えている。そのためにゲリエ様の絵図面のうち手頃なものを欲している。用途としては当面鉱山や灌漑用に使える大きなポンプを考えている。とご理解いただければと思います」
 グリスはマジンの逃げ道を示すようにそう言った。
 食事の美味しさ楽しさと会話の内容を考えるとマジンにとっては後者が勝ちすぎていたが、子供たちは連日の美食を様々に愉しんでいたようだった。
 グリスは市場の大通りのそばまで馬車で送りマジンをおろしてくれた。
 馬車の中でリザに子供たちを預けることにして史料館にむかってもらうことにした。
 子供たちを何もない空き地に立たせるのも気の毒だったし、それよりは書林で戯れさせるほうが有意義に感じた。夕刻銀鱒亭で落ち合うことで別れた。
 真昼の市場は大いに賑わっていたが、大通りは馬車がすれ違っての往来もできる程度には便がよく、子供たちがはぐれるということはなかった。
 セレール商会の市場大門支店では午前のうちに表の土の掘り返しが終わり、井戸の遺構を見つけたところで午後からは中に詰まっていた様々な瓦礫を掘り出す作業を行っているところだった。
「ゲリエ様。随分ごゆっくりのおいででご指導いただけないものかと心配してお待ちしておりましたよ」
 セリエ・アルガが気取った声で言った。
 職工たちの作業は佳境のようで櫓が二基組まれていた。
「今あたっているのはボクが昨日見つけた穴ですね。もうひとつのはなんですか」
「あちらが此処の住人が使っていた井戸のようです」
 アルガは知らなかったのかというような顔をした。
「状態はどうでしたか」
 マジンが尋ねるとアルガは悲しそうな表情を浮かべた。
「此処の住人が退去する前に揉め事があったらしく汚泥が投げ込まれていたようでして埋まっておりました」
 マジンが櫓に歩み寄るとアルガは説明しながらついてきた。
「建物の基礎整地を終える前に泥を全て掘り出してください。水脈伝いに汚染される可能性があります」
 アルガは露骨に嫌そうな顔をした。
「――住人の追い出しに井戸を塞ぐというのは全く陳腐な手だけれど、こういう先を読まない杜撰な手段は気に入らないですね。責任者がいればこの泥を全て食わせてやりたい。水脈なんてそうそうあるわけじゃないんだから、この土地の水が使えるかどうかも怪しいじゃないか」
 昨日は見えなかった井戸の石組みが表に出ていたが、その中には麻袋に詰まった汚泥が投げ込まれ埋められていた。もっこの中の汚泥の匂いに顔をしかめながらマジンは言った。
「幸い、見つけていただいた方の穴にも水はあるようです」
 話を切り替えるようにアルガが明るい声を出した。
「水音が聞こえましたからね」
「ご冗談を」
 マジンが軽口を叩いたかのようにアルガは応じた。
 ヒトの集まっている方の櫓にふたりは向かった。
 こちらは汚泥の匂いはなかったが仕事としてはより徹底していた。
 住人が使っていた井戸よりもやや太い口には大きな石材や木材のやけさしが大量に詰まっていた。
 マジンが一突きした結果として中で組み換えが起こりある程度の隙間ができたようだけれど、井戸を掘り起こすのには、瓦礫をどかさないと話が進まないようだった。
「こちらもなかなか一朝では進まなさそうですな。ボクとしてはこちらのほうがアチラの汚泥まみれの井戸よりは心配が少ないですが、正直なところここの氷を買わなければいいだけの話でどちらでも構いません。まずは改めてボクの仕事が始まる前に井戸から飲める水を汲めることを示していただければお仕事はおこないますよ。まだ二週間あります。大丈夫だと思いますよ」
 マジンは薄笑いを浮かべながらアルガに言った。
 アルガは口の中でモゴモゴと悪態をついたようだったが、音として漏らさない程度には冷静だった。
「――あとこちらのどなたかは、どうやら整地って言葉を勘違いされたようですが、こんな農地みたいなよほど肥えた土はどこか農家にでもくれてやったほうがボクの仕事はたぶん捗がいくでしょう。あまりに臭く汚れているので最初は驚きましたが、きちんと手入れをしてやれば、よほど良い店になると思いますよ。ここは」
 世辞ばかりでなく、遺構の石組みや川への開け具合あるいは表の店までのつながりをみるになかなか大したものではないかとマジンは思うようになった。
「具体的にはなにをお望みで」
 アルガは鼻を鳴らすように言った。
「石畳があるようじゃないですか、この下は。それが見えるくらいまで掘っていただけると最高ですね」
 マジンは昨日旗竿代わりにした鉄索を土にさしながら言う。
「二週間でですか。できなければどうと」
「開店までに水さえあれば、どうもありません。ただ、ここは古い船着場のようですからね。瓦礫や汚穢を隠すために土を被す、なんてもったいないことをするのは手抜きの好きな阿呆の仕事かなと感じたまでです」
「良くも気楽に云うね」
 マジンの言い草が癇に障ったのかアルガが伝法に言った。
「そら、ボクはただの雇われですから、気に入らないってなれば働いた分だけいただいて去るまでですよ。ま、今回のこれは成り行きで負けときますがね。口にするものを扱うご商売としては身奇麗な段取り仕事をお奨めいたします」
 アルガが上から睨むのにマジンは笑って肩をすくめてみせる。
「アタシらが何したってんだい」
「大店の大番頭をなさってる女丈夫ってことくらいしか知りませんよ。ヤクザか押込みみたいな目で睨まないでください。土だってこれだけ肥えてりゃソイル辺りで売りゃ売れるんじゃないですか。あの辺だってデカートから汚穢を運んで肥にしてるんでしょ」
 マジンがつまらなさそうにいうのにアルガが驚いた顔をする。
「アンタ、畑もやるのかい」
「あなたにヴィンゼの白っ茶けた如何にも痩せた土を見せてやりたいよ。こんな土も引き取ってやりたいところだが、持ってくにはいささか遠い。どうせこんだけ大店ならソイル辺りに担保とってる農家のひとつふたつあるんでしょ。土はそこに押し付ければいいさ」
 マジンの言い草は癇に障ったようだったが、アルガは敢えて文句も言わず考えを巡らせているようだった。
「土を剥がすのが、二週間で間に合わないとしてどうするね」
「井戸は多少待てるが、地ベタは待てない」
「工事は春にやるんじゃないのかい」
 驚いたようにアルガは言った。
「春には仕込みが終わってないと夏に自分で回せないでしょ。おたくのところの若い衆を仕込まないでいいってなら別だが」
「ストーン商会の氷屋の若い衆は簡単だって言ってたよ」
 疑わしげにアルガは言った。
「大聖堂の大時計を扱う連中も鴨鳴亭や天階亭の料理人だって自分の仕事は簡単だって言うよ。仕事なんてできるようになっちまえば簡単なんだよ。じゃなきゃ毎日なんてやってらんない。アンタのところの若い衆がウチの娘達より物覚えがいいことを祈るよ」
 アルガは目元をピクリとさせた。
「あの若いしっぽ付きのことかい。ありゃいつつかむっつ、いいとこやっつだろ」
「年齢に関しちゃ目利きのとおりだが、ボクの娘をそういう風に言うのは止めろ。不愉快だ。……四人とも扱えるよ。ヴィンゼじゃ、ちょっとした名物だったようだよ。いまは弟子に任せているがね」
 アルガは苛ついたように煙管を取り出した。口に加える動作までの間でそばに控えていた男が火をつける。
「まぁいいさ。他に、ご指導くださることは、何かあるかね。先生」
「うちの連中が安く面倒なく泊まれる宿がほしいが、頼めるか」
 アルガは一息の間に苛立ちを押し込めたようだった。
「うちの事務所で良ければ、泊めたげるよ。何人だい」
「四五人ってところだろう。あと、目の前の運河の利用や舟の運行はなんか手続きがいるのかな」
「知らないねぇ。……舟で来るつもりかい」
 アルガは舟という単語に興味を感じたようだった。
「それなりに大荷物だからね。馬車よりも揺れないから、大事なものを運ぶなら舟だろ」
「それで水が汚いだのくさいだの言ってたのかい」
 マジンは肩をすくめた。
「こちらでも運河を便所かゴミ溜め以外に使うようになれば気になると思うよ」
 マジンの言い草にアルガは開きかけた口を煙管に寄せて一息蒸かした。
「ドブの水を綺麗にしようって話はいつまでに返事をすればいいって言ったかね」
「建屋の運河側の壁が張り終わる前までなら面倒が少ない」
「効果の程は」
「最初の一年はたぶんより臭くなる。三年くらいは効果があるまいね。恐らく五年超えた辺りでわかると踏んでいる。だが、まぁ十年がとこだろうね」
 マジンがそう言うのを聞いてアルガは煙管を一蒸しした。
「考えておく」
 アルガがそう言ったのを聞けば、マジンの用もそこまでだった。
 また来るとアルガに告げると荷馬車でならどこなりと送るということだったのでストーン商会まで頼んだ。
 ストーン商会でバールを呼び出すとすでに旅立っていた。
 ボーエルかモイスをと頼むと、頼んだ相手が当のモイスだった。
 モイスに石炭の荷の状況を尋ねるといつでもということだった。バールが荷と人足は整えて待たせていた。
 なかなかに太い足の立派な馬体の馬たちを二頭立てで五両の馬車を仕立てているのは町中とはいえなかなか大したもので、人足たちも日雇いの身なりとはひと味違った精悍な者達だった。
 モイスが人足を三十人ばかり引き連れて舟に石炭を積むのを、マジンは内心ハラハラしながら見守った。
 人足たちの仕事ぶりにではない。ストーン商会に出入りだけあって彼らはなかなかの仕事ぶりだった。
 面倒くさがりで三グレノルと言ったものの、舟の釣り合いまでは考えに入れてなかったし、喫水の位置はともかく航路の川の深さの程度がわかっていたわけではなかったからだ。
 それに体積か質量かはしばしば混乱のもとになる。さらにいえば彼らは三百ストンと言い直した。ここでもまたどうなるか分かったものではない。
 一ストンは麦粒百万粒の重量に相当し銀貨一万タレルの重さであるわけだが、つまりは穀物袋の大きさであるわけで、或いはそういう雑役用の麻袋の数を指すことも多い。
 同じ麻袋であれば石炭と骸炭では倍あまりも重さが違う。そういうことだ。
 ともかく、男たちは言われたとおりに三百の石炭袋を積み終えた。
 モイスはグレカーレの船体の奇妙な背の高さと櫂窓がないことを気にしていたようだったが、ともかくも直接にそれ以上の詮索はしなかった。
 銀鱒亭で子供たちと落ちあい、街の明かりが灯る頃に舟を出した。
 機関そのものには余裕があった舟は喫水が下がったことで落ち着きを示し、幾度か船底を擦ったのか、異物を吸ったのか多少の音をさせた以外は全く問題なく船小屋まで夜を徹して一晩と丸一日で走り切った。
 舟は川の流れを全くものとしなかったことに、ソイルでの寄り道分だけ早く着いただけさ、とリザにマジンは説明したが、リザの内心になにかが沈殿したことには気がついた。
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