石炭と水晶

小稲荷一照

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デカート

ローゼンヘン館 共和国協定千四百三十五年立秋

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 秋ごろ、マジンが得意気に今年の一連の成果を披露した。
 それは初夏にちょっとした衝撃と白けた空気を醸しだした宝玉の柱についての利用法だった。
 機関車のための材料でもあったが、強度のある透明材料としてやはりバカにすることの出来ないコランダムは様々な色合いを比較的正確に調合できる様になっていた。
 更にマジンとしては一つの重要案件としての血晶石の問題もあった。魔族の核をなすそれは、おそらく鉱物の形・組成をしていてそれがどういった性質なのかは今ひとつわからなかったが、その調査自体はおこないたかった。
 幸い手元には細工物に組み込んで子供たちに渡したものとおそらくは同じ効果と思われる血晶石が三つ残っていたので、一つをコランダムの色付けの混ぜ物に使った。
 結果ははっきり言えば期待はずれだった。しかし一方で混ぜものとして宝玉に着色が出来たことは血晶石が常の破壊の方法とは違って、この世にとどまっているらしいとも考えられ、そういった意味では単純な失敗とはいえなかった。
 血晶石はマジンには未だ扱いかねる、という事実だけが残った。
 しかし、一方でコランダム結晶の製造はこの夏のうちに順調に実績と技術を洗練していった。
 アルミの精錬を本格的におこなうための専用の電解炉も完成して、それを支えるために発電機も新調した。
 真空坩堝も限定的に材料の連続投入がおこなえるようになり、本当の意味で連続無制限とはゆかなかったが、ともかくアルミの精錬をおこないやすくするための一次精錬過程で水晶と鋼玉が月に数ストンという規模で生産されるようになり始めていた。
 当初四分の一キュビットほどの若木の幹のような石の柱だったものが、男の肩幅ほどもあるような一キュビット半もある立派な柱になっていたことも驚いたが、皆の前に出された時にはほぼ真円の透明の薄板になっていた。
「厚み二十シリカの宝玉の板だ。柱のときも以前のものより色が薄かったがこうなるとほとんど透明に見える。で、こっちがそれに銀を載せて鏡にしたものに石炭酸樹脂で錆止めと裏打ちをしてある。こっちが天眼鏡で、ウェッソンの眼鏡のレンズもそういうものの一つだ。下手なガラスよりもよほど素直に削れるし濁りも少ないから薄くできる。メガネも簡単だ。目に不安があるならいえば作ってやるよ。こっちは似た感じで作った遠眼鏡二種類。単眼鏡と双眼鏡。これは舟に積んどくといい。ジュラルミンで筐体を作ってあるから多少雑に扱っても壊れない」
 そう言うと、おずおずとベーンツが手を挙げた。もともと眼鏡をかけていたが、度が合わなくて苦しんでいたという。サンプルになる眼鏡のレンズセットに数百のレンズと仮の眼鏡が入っているのを見て、あまりに本格的なことに驚いていたが乱視用の歪レンズまであることは流石に一見のベーンツには理解できなかった。
「眼鏡作るとしてどれくらい日数がいるんで」
 呼ばれて狼虎庵からやってきたセンセジュが鏡を手にしながら尋ねた。
「枠に併せて切るだけだから乱視がなければ一日かからない。枠もおまかせで良ければ目を計って一両日ってところかね。その辺はボクかウェッソンの手隙にかかっている」
「ウェッソンのオヤジがこさえたんですか」
 マイノラが驚いたように言った。
「なんか文句あんのか」
「いや、旦那の仕事かと思ってたもんで」
 ウェッソンが睨むのにモゴモゴとマイノラが言い訳をした。
「リチャーズとウェッソンでそこの検眼レンズセットは半々かな。新しい工具類の試験と練習で二人に作ってもらった。ソラとユエが検算と検定をやっているから、ダメ出しはできているはずだ」
 実作業の殆どはアルジェンとアウルムがやっていたがソラとユエも機械の仕掛けや結果の確認などで働いていた。二人でやったほうが早かったか四人のほうが早かったかは怪しいが、ともかくソラとユエも仕事をした。妹たちが働いた分、姉たちの手が空いたのも事実だった。
「新しい工具ってのは、そこの石の柱を作る坩堝ってのとは別ですか」
 ミリズとふたりで双眼鏡と望遠鏡を弄んでいたミソニアンが尋ねた。
「別だ。分かりやすくいえば水と砂で母材を削る強烈な水鉄砲みたいなヤスリと、光の散乱を利用して表面の状態を確認する計測器だ。計測器の方は計算がややこしいけど、計算尺をアルジェンとアウルムに作らせたからまぁだいたい使えるはずだ。他に双眼鏡を応用した光学測量器を作った。見通しで使わないと意味が無いからアレだが、今やってる船小屋までの測量は巻き尺を使う必要がなくなるからかなり楽になる」
 マジンの答えはその場にいた殆どの家人には意味がわからなかったけれど、何やらスゴいものらしいということだけは伝わった。
「で、説明のないこれはなにに使うもんなんですか。俺らの前に出すってことは工具ってわけじゃないんでしょ。単眼の遠眼鏡にしちゃ変な感じですが。あとツヤのある紙みたいな絵みたいな奴」
 長辺半キュビットほどの長方形のジュラルミンの筐体からつきだした望遠鏡のようなレンズが付いているがつきだした長さは百シリカほどで、レンズの径に比べて印象短い。
 マキンズの言葉にマジンがニヤリとした。
「アルジェン。説明してやれ」
 普段こういう場であまり声を出さないアルジェンに目が集まった。
「これは謄写版の一種で、仮に光画機という装置。簡単に言うと、写真箱のように光を入れると箱のなかに像ができる。光に感応する硝酸銀を基剤にした薬剤をセルロイドの膜の上に塗ったものを入れておくと、光のあたったところの銀が暗く焼けるから、薬剤を反応しない様に変化させて現像し、今度はそれを原盤に影絵のように、絵を結びたい紙に影を落とす。そういう仕組み。で、これが実験の成果。ここにある光画機は三号機」
 ところどころ単語がわからない一同はアルジェンの説明にピンとこないままに説明のたびに指先で示された幾つかのものを眺める。
 なにがどうなっているかは分からないが、なにをするものであるかは見当はついた。
 だが、それがなにを意味するのかわかった者は少なかった。
 光画機の脇に日付と時間と他にいくらかの書き込みがある四半キュビットほどの紙片があった。
 紙はどう考えても光画機よりも大きかったが、その像は謄写版を使ったものにしては細かなところまではっきり線が入っていて、絵描きが描いたとはとても思えない人の手によらないブレのない細かさがあった。
「これはすべて、アルジェン様が描かれたので」
 山からの風景や屋敷の玄関、工房などの陰影の写実は人の筆の限界を遥かに超えていた。
 絵描きとして写実の限界を感じていたロークが衝撃を受けたように口にした。
 彼自身、写真箱を使い謄写版技師として写真家を名乗ってもいた。
 だが、その彼にして眼の前の成果物を上回る写真を描くことは難しい。
「私は場所と相手を選んで機械を操作しただけ。誰が描いたというよりは、機構と反応で仕組みとしてなるべくしてなった成果。うちには父様の工房で薬剤を作れるし水が使える地下室があるから割と扱いやすい。あと、レンズが色々あったから組み合わせで色々やれた」
「アルジェン様。使い方を教えていただいてよろしいですか」
 ロークがひどく真剣な様子でアルジェンに求めた。
「簡単。父様、いいよね」
「もちろん、いいよ。たくさん使ってもらって、意見がほしい。売り物になるようなら、売り方も考えて欲しい」
 軽い様子でマジンが言うのにロークは仰天した。
「これが売り物にならないなどということはありません。もしこれが売れるほど作れるというなら、世の謄写版職人、写真箱に張り付いて急いた仕事をしている職人共がどれだけ求めることか。少なくとも新聞出版が大きく変わるのは間違いないでしょう」
 ロークの脳裏にはすでに様々な光景が渦巻いているようだった。
「これがいいものなのは間違いないが色々問題も多い。とくに他所で扱うに際してはね」
 マジンの言葉にアルジェンも頷いたが、ロークは自分の夢想に浸っているようであった。
 電灯の灯りがない世界では均質な設計通りの光を求めることは全く難しいという点が一つの壁になっていた。
「で、眼鏡の話、マジで売るつもりがあるなら、町とかで話すとかミストブルあたりに口利きしとくのがいいんすかね。役場や銀行の連中でメガネかけてるの多いし、保安官も目がどうのという話は前からしてますけど」
 忘れないうちに自分が分かるところの話を進めたいとジュールが尋ねた。
「検査にウチまで出向けるなら、割り引いてやるって伝えてくれ。片目半金貨両目で一ダカートでいいだろ。出張しろというなら倍だ。検眼自体は部屋が整っていればすぐだが、他所でやると準備が面倒くさい」
「そりゃ、安いのか高いのかわからんですな」
 ジュールが如何にも大雑把な値付けに驚く。
「だいぶ安いですね。出来合いの眼鏡で片目で金貨で三枚。合わせて作るなら片目で五枚、合うか遭わないかはその時次第ってのが相場ですよ」
 リチャーズがレンズを組み合わせて作った検眼用の眼鏡をかけて光画を眺めて見ていたベーンツが言った。
「――この間に合わせって眼鏡でも私の買った眼鏡よりは随分目にあっているから、わざわざ作ってくれなくてもこれでいいですよ」
 言うに事欠いて校正したレンズの価値を理解していない口調でベーンツが言うのに笑えなかったが、ベーンツのもともとかけていた眼鏡の出来を見れば言いたいことはリチャーズにもよく分かった。
「検査自体はウチでやるとして、出来上がりは狼虎庵で受け取ってもらえばいいだろ」
「まぁ、うちらもこういうことがなければだれかいますからね。……そういやウェッソンのとっつあんのメガネもお手製かい」
 マジンが気楽そうに言うのに、ペロドナーもレンズの一枚を翳して眺めながら応え尋ねた。
 ウェッソンの目元を覆うような丸眼鏡は跳ね上げた黒いレンズがついておりちょっと凝った仕掛けになっていた。
「なかなかいいだろ。炉を覗くのに最近星が散ったままになっていることが多くなったからな。眩しさよけにわざとマゼモノを増やしたレンズも準備した。日除けに使うのも悪く無いと旦那と話しているところだ」
 得意気にいうウェッソンに一同は様々な反応を示したが、三十路を過ぎた連中はそれなりに自分の目に疑いを持っていて、なんとなく一回は検眼をおこなってみようという雰囲気になっていた。
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