石炭と水晶

小稲荷一照

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開戦

軍都 共和国協定千四百三十七年雷乃発声

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 五日間でデカート周辺を一気にめぐったことになったマイルズ保安官は全くその旅程の慌ただしさに目を回していたが、マジンとしてはそれでも正直体が足りないほどにもどかしく感じていた。
 帰ってきて軍に収める船荷を揃えるや、早々にロータル鉄工製の小銃と銃弾の試験をおこない、弾丸の物理的な性能を確認し構造を確認し、発射前後の薬莢や銃弾の構造について確認をした。
 材料と工具が足りない中、様々に技巧と工夫が凝らされた後装小銃の構造は一旦全てが完成したマスケットとこれから起こる変化の間で戸惑っているような機構構造ではあったが、ともかく今できることを費やしたことが読み取れるような精緻と粗野が入り混じった印象を与える。
 印象といえば、今まさにストーン商会が自力での調整洗練を苦心している蒸気圧機関のような雰囲気でもあり、誰もが今のままで満足はしていない事実を示すようでもあった。
 稚拙と言ってもいい薬莢の出来ではあったが、様々に職人の苦心の跡もみられ、それはひとまず心躍る想像を掻き立てるものであった。
 こちらも、それぞれに今出来る仕事を積み重ねた様子が感じられる繊細な職人の技が思われる造りだった。
 だが既に、現実の非常さは職人たち或いは工房主たちの情熱や努力或いは将来への展望や構想といったものを踏みにじるように戦争の形をなして共和国を襲っている。
 そしてこの後は、マジン自身がロータル鉄工から全てを引き剥がす側に立つ。
 あまり日頃、他人の世話を好まないマジンとしては当然に不本意な介入であるのだが、迫り来る帝国軍という刻限を刻む悪魔の爪が共和国を蝕んでいる事実と、図らずもそれに抗える可能性として悪魔を屠る勇者の剣としてマジンが選ばれたこと、選んだ相手がリザであったことがマジンの不本意ながらの介入の動機であり、既にその仕掛けは袋の口を閉じるだけという手はずもマジン自身が整えてしまった。


 ともかく、マジンは三日かけて銃弾を調べ、帰ってきた貨物車の運転手たちに労いを言いながら積み荷を揃え娘達へのおみやげを積むと、翌日には共に再び軍都に向かった。
 雪解けで却って道は荒れ、一日余計に遠回りをしつつ、四日かけてイモノエ将軍の二口を、更に二日かけ軍都にフェルト将軍の最後の一口をマリカムに届け、自身は軍都に残り空荷の貨物車を見送った。
 時計の針は共和国軍をそしてマジンの小銃納入をジリジリと苦しめていた。
 キトゥス・ホテルのセントーラは離れの宿泊を独断で延長していた。
 そのことは却ってマジンにとっては安心だった。
 はっきり言えば、マジンは完全に忘れていたわけで、聞けば太陽金貨で払ったほうが現金のやり取りが少ない有様であるようだが、今更細かなところを心配するよりは面倒よけのほうが重要だった。
「仕掛けの方は順調だろうか」
 今は書類がひとまず片付いた離れの様子は奇妙に落ち着いていた。
「特許の書類はひとまず二十一の自治体と軍とですべて受領していただけました。ロータル鉄工の視察の方は明後日です」
「リザは来ているのか」
「今月はおいでになっていません」
「軍からは何か言ってきたか」
「今のところはとくには」
「他になにかお前からボクに伝えることは」
「流石に少々疲れました。今日は早く寝ましょう」
 そう言ってセントーラはマジンの膝に腰を下ろした。
 翌日一日久しぶりにマジンはセントーラとともにベッドから出てこない怠惰な一日を送った。奇妙でもあり当たり前でもあるのだけど、ローゼンヘン館にいる間はお互いに忙しく、それどころでもない生活を送っていた。
 このひとつきで十数グレノルを軍都まで陸送するなぞ、百を超える人夫を帳面ひとつで左右させる大店でもなかなかに難しいことだったが、ひとまずそれは為せた。
 だが、全く終わっていない。
 そういう忙しさだった。
 しかしそれを十倍するのではなく百倍でもまだ足りない、そう思えば遥か遠い道半ばでもあるが、ひとまずは実験として手数の見当はついた。
 銃器生産を軌道に乗せるためには最低でも二百名が必要になる。
 小銃とその関連資材の搬送が今後順調に増えるとして、いずれ起きる交通往来の事故を防ごうと思えば、人員も貨物車も最低三十倍は欲しくなる。
「なるほど、なかなかにくだらなく楽しい遊びに巻き込んでくれたものだよ」
 セントーラの肌理を確かめるようにマジンは撫でさすりながら、口にしていた。
「リザ様ですか」
 セントーラはまくらに顔を埋めたままそう尋ねた。
「うん」
「ですが、頃合いだったとは思います。ご主人様の退屈しのぎにはなっているようですし、よろしいのではないでしょうか」
 顔を見せないままセントーラは笑った様子だった。
「頃合い。だったかな」
「人を雇うには良い頃合いだったと思います」
 セントーラは顔を上げて微笑んで言った。


 マジンは翌日も午後まではそうしてだらしなく過ごすつもりだったが、午前中に来客があった。
 ふたりはマルミス将軍麾下のバラホルム少佐とミルマ曹長と名乗った。
 二人は新型小銃の購入の件で来たという。納品は三ヶ月後になると告げると彼らはそのまま了承した。
 小銃を千丁と銃弾二百万発交換弾倉を二千づつ、軍都引き渡しで発注をかけて去っていった。
 昼にもう一件アリオン将軍麾下のロッドナー大佐とチェルチュウ中尉という二人が現れて、新型小銃二千丁と小銃弾四百万発を短銃身千本、交換弾倉を三千づつ発注をかけていったロッドナー大佐には手持ちの輸送力の限界からデカート引き渡しを求め説明し受け入れられた。
 何かあったか。
 そう思わせる印象の出来事だったが、夕刻柘榴石の会に赴いて理由がわかった。
 ワージン将軍の部隊が攻勢を開始して、初戦を優位に進めたという。詳細は分からないが、帝国軍の塹壕陣地の一翼の奪取に成功し、アタンズの攻囲の一部を崩したということらしい。
 二百丁の機関小銃を二丁の機関銃とともに攻勢準備のためのウモツの丘の上の陣地に届けたのはもう半月も前の事だった。
 マジンがローゼンヘン館を立つ以前にすでに進発していたらしいワージン将軍が、いつの時点で陣地についたかどうかは分かるはずもない。
 だが、連絡参謀というものが制限はあるものの即応的に情報のやり取りをできることは見ていたし、ワージン将軍はいくらかの機関車を手に入れていた。
 それで機関小銃を自分の幕営や輜重に先行する形で本隊に届けていれば、ひょっとすると本当にアタンズの解放ができるのかもしれない。
 しかし、遥か彼方の銃後の者としては可能か不可能かはなんとも言い難いところだった。
 ともかく誰か耳の早い口の軽い人々が明るい話題として、小さな戦勝を持ちだした、ということらしい。
 来援を待たないままの単独での攻勢の果敢に喝采をする声と、息切れからの自滅を心配する声とが概ね半々で、始まってしまったからにはワージン将軍に期待するしかないものの、決定的な勝利には疑問の声も多くあった。
 今日の会はおつきの三人は黒い毛織物のジャケットにスラックスの男装で臨んでいた。
 大きな花の蕾をかたどった貝入れをそれぞれ胸ポケットに挿している。
 三人とも元が美形でスタイルが良いので無駄に着飾らないでも髪だけ整えれば、会場に居並ぶ令夫人たちよりもよほど人目を引いた。
 年若いデナもひとつきで振る舞いが随分と落ち着いていた。
 ペラゴはセントーラを見留めると機嫌よく近づいてきた。
 彼は一行を奥まった別室に案内すると今日はカーバイドランプだけではなく大きなプリズムや分光表やら宝石標本、硬度見本、水槽天秤などの本格的な宝石鑑定の道具を揃えていた。
 ペラゴは挨拶もそこそこに自身の成果を机の上に置き、改めるように告げると宝玉の鑑定をさせるように求めた。
 この場で確認するには一人では手の足りない量だった。
 債権と株券を改めるとロータル鉄工一億二千万株のうち六千八百万株と債権一億五千万タレル。
 バートン製鐵株式の五億五千万株の一億七千万株あまりと債権十二億五千万タレルがあった。
 他に八億タレルの現金。
「バートン製鐵の株式が単独議決には一億五百万株ほど足りないようですが」
 助手に手伝わせて権利書を確認し終えて、セントーラが言った。
「し、市場には今ない。高値につられて少しづつ出ているものがないわけではないが、バートン製鐵はもともと一族経営の企業だ。彼ら一族がそれぞれの家々で株式を保有している」
 ペラゴは手の中の宝石を抱えるようにして改めながら言った。
「どこか手放しそうな家はあるのか」
「バートン家はどこも手堅い商売をしている名家ですよ。そんなものがあるはずもない」
「そうしたら、ボクの頼んだ経営権には足りないということかな」
 状況を確認するようにマジンが口にする言葉に、とうとうペラゴは宝石から目を上げた。
「分家して久しくはあるから、家々で本家とは意見も違うでしょう。それに債権を集めさせたのはこういう事態を考えてのことでしょう。この短期間ではこれ以上の仕掛けは出来ません。手を抜いたつもりもない。無茶を言わんでください。それにゲリエさま、あなたの狙いはバートン製鐵本体ではなくてロータル鉄工のはずだ。そういう意味じゃ、私は完璧に仕事をして見せましたよ。バートン製鐵の経営権には足りなくても各種動議提出には十分足りるし、大バートンに次ぐ第二位の大株主だ。それから、両社が余計なことをできないくらいの噂話の火種は集めておきました。ちゃんとそっちの報告書も呼んでもらってから文句を言っていただきたい」
 ペラゴは余計なことを言って邪魔をするなを言わんばかりに言い切って、宝石の改めに向き直った。
「この帳簿だか台帳だかの写しの記号とその上の横線。一本二本三本と塗りつぶしがあるが、意味がわかっているのはあるのか」
「わかる訳ありませんよ。ただ納税のおりに税務署にそんなの見せたら、翌日のうちに事情確認と業務指導の査察が来るのは間違いないところでしょう。そんなのまともな商売で使っている台帳とはいえませんし、そんなのを何冊もとってある段でどうかしてますよ」
 ペラゴは目を上げないまま、他のことに集中したぼんやりとした声で答えた。
「こっちのアミザム衛生局ってのはなんだ。定期検疫立ち入り請求状。役所の立ち入り請求みたいだが。……説明してくれないか」
「こっちも今忙しいんです。お持ちになった石の鑑定がひどく難しい。海の中で星を探すような真剣作業をこんな大きな石でやっているところなんですから、少しは自分で考えていただきたい」
 いかにも気もそぞろと言った風に間延びした声でペラゴが応える。
「こっちはこっちで真剣勝負なんだ。お前の集めてきた有象無象の噂話の読み物はいい時間つぶしになったが、そんなんじゃ足りない。意味ありげにつけて寄越した、書類について説明しろって言ってるんだよ」
 マジンは書類を机の上に置くと瞬間腰を浮かせて、ペラゴが目にはめていた天眼鏡を書類の上に叩きつけるようにして音を響かせた。マジンは物陰の殺気に目を向ける。
 ペラゴは自身が眼鏡を奪われたことに一瞬気が付かなかったようで、片眼鏡を探して手元を探るが、やがて顔を上げた。
「――ペラゴさん。あなたが勤勉で有能なのは認める。だが、顧客に説明責任を果たされなければ商品の価値は激減する。とくにこういった情報はそうだ。すまないが私への授業料も込みだとご理解いただけないなら、この天眼鏡の代わりに手元の玉石を引き取らせてもらう。この書類はどういう意味を持ってわざわざ付けられたのだろうか」
 そう言いながらマジンはペラゴの片眼鏡の出来を確かめる。質素で使い込まれているが細工は丁寧で、何より音がするほどに叩きつけて歪が出ない精度と堅牢さを持った上等の眼鏡だった。
 ペラゴは口の中で言葉を探すようだったが、しぶしぶ年若い客に向き直った。
「お聞きになりたいのはそれだけですか」
 食事を邪魔された猫のような不機嫌さを声には出さず一瞬表情に浮かべ、ペラゴ氏が改めた。
「兵站本部給水局という部署に心当たりはありますか」
「いえ。ありません。他には」
「あなたがこの書類が重要だと思った理由についてお聞かせ願いたい」
「命令責任者の名前はあるけど、受け入れ責任者と執行者の署名が無いでしょう。役所の命令が発効されているのに実施されていないんですよ。それも何回も。ちょっとおかしいでしょう。命令している人が気づいているのかどうか知りませんけどね。内容で言えば、百人以上の奴隷を使っているところで定期的におこなわれる疫病対策の立入検査ですよ。アミザムで疫病が出たって話は聞いたことないんで、その程度には上手くやってるってことなんでしょうけどね」
 物分りの悪い子供に教えるような態度でペラゴは溜息をつくように言った。
「なにが理由だろう」
 マジンの問いかけに何かを探すような顔をしてからペラゴは口を開いた。
「普通に考えれば資産隠しでしょう。奴隷が申告よりも多いとか、増えてしまったとか、他にも何かあるかわかりませんが、まぁ考えようによっては企業経営そのものは上手くいっていたということかもしれません。実際設備投資ができるくらいには稼げていたわけですから」
 他の可能性を先に考えていたマジンにとっては大きな示唆だった。
「設備投資していたとして奴隷商以外から奴隷を売買することはできるのかな」
 マジンの問にペラゴは少し眉をひそめる。
「私としては由来や品質が怪しげな商品に興味はありませんが、そういう闇取引に興味がお有りですか」
「奴隷にはとくに興味が無い。だから全然知らなくてね」
 溜息をつくようにペラゴは凝っていた首を鳴らすようにして、マジンに向き直った。
「共和国協定で公定競売を経ない奴隷売買は禁止されています。ま、個人間で奴隷の遣り取りをすることはないわけでもありませんが、書類がないと財産権の確定ができないので脱走されても司法を頼れませんし、そういう所有権のない者を殺したことが表沙汰になれば、それこそ司法と行政が諸手を上げて、なんやかんやとカネを強請りに来ます。死体の始末も町中であればそれなりに手間がかかります。軍を相手に予算をめぐるような商売をしているなら、お役所は鵜の目鷹の目ですよ。面倒なものです」
 ペラゴは何かを諦めたような顔で言った。
「財産所有権のないものは公共財だからな。役場の椅子や机が自分の税金で買われたものだとしても無闇に壊していいわけではない」
 マジンの分別臭い言葉にペラゴは皮肉に笑う。
「ご質問はそれだけですか」
「質のいい奴隷を扱っている業者を教えてほしい」
 マジンの言葉にペラゴは手控えを引き寄せた。
「どういった質のものを扱う業者がよろしいですか、お連れの女性たちのような美術品であるとか、護衛に使えるような戦闘向けであるとか、様々な趣味のための玩具であるとか。専門業種ですので得手不得手があるようですが」
「工房向け、工作向けの奴隷。かな」
 ペラゴは眉をひそめ困った顔をする。
「工具、ですか。正直言いますとですな、そんな業者があれば私が教えていただきたいくらいです」
「それでも、といえば」
「三軒ほど目利きの奴隷商をお教えしますので、例えば、版画や彫金ができるとか轆轤が回せるとか何桁の暗算ができるとか、そういう細かい注文をしておいて入荷まちですな。時間があるなら見に行ってみるとよろしい」
「勉強になりました。ありがとう。助かります」
 マジンがそう言うとペラゴは軽く微笑んで、手元に書付を記し、マジンにすべらせる。
「いや、なに。若い人に教えることがあるのは年長としては誇らしいものです。満足なされたなら、私は作業に戻りたいのですが、よろしいですか」
 少し話をしているうちに落ち着いて余裕が出てきた表情でペラゴは言った。
「これはなかなかいい眼鏡だ。御国のものですか」
 そう言いながらマジンは取り上げた片眼鏡を差し出す。
「ま、古いものですが、なかなかに助けてくれる古女房のようなものです」
 ペラゴは大事そうに戻ってきた眼鏡を確かめるようにして目に嵌め宝石に向き直った。
「――互いに欲しいものは手に入ったと思います。よろしければお引取りを。――バズル、ご案内を」
 ペラゴがそう言うと先日も控えていた執事が部屋の奥から出てきて出口まで案内をした。
 ペラゴの教えてくれた奴隷商は三軒とも超高級品の奴隷を扱う店であるとセントーラは言った。
 奴隷と一口に云っても様々な格があり、共和国公定競売奴隷というものは、つまる所は身持ちのない者たちの年季奉公の人材派遣の様な性質のものだった。
 花街の女郎などがひとつの代表格で、単純作業の職工や鉱山や大規模な森林伐採或いは長期航海の船員などがある。
 一方で小作人や季節労働者が都市部で簡単に確保できることと、作物の流通輸送上の限界があり換金作物という概念が希薄な共和国では、農業に奴隷を導入するという発想は希薄だった。
 代わりに楽器演奏や絵画模写或いは似顔絵職人のような、一種の趣味性芸術性が経済性を上回るような技巧を持った者が生活を持ち崩し、奴隷として売られるということは儘あった。
 また、そういう採算の難しい芸術家が自身を売るということも多かった。そう云う創造性を必要とする奴隷はもちろん高価で貴重なモノである。
 ともあれひとまず、ロータル鉄工の件はひとまず袋と紐の準備はできた。


 翌日、既に一度訪れているセントーラを連れて、投資を検討している、という挨拶で工房の見学に行ったロータル鉄工はなかなかに苦境にあることを感じさせる労働条件であることが知れた。
 ふいごの音や槌の音に混じって鞭や悲鳴が聞こえてくるのは、実に古色蒼然たる工法だと見学をしていて感じた。
 鞭を振るっていたのが腕一番の職人だというのがまた泣かせる有様で、年の頃五つ六つの子供が火の粉の飛び散る中を台車を押してなにやら運んでいるのを見て、社長のお子さんですか、なかなかによく働く子供だ、と言ってみると社長は皮肉もわからずにマジンの勘違いを笑ってみせた。
 子供のうちから労働を日常にするというのは、世のために良いことではあると思うが、学習の足りない子供に一翼であれ軍備を任せるというのは、国難を預かるべき軍事関連企業の態度としては些か無責任にすぎる、とマジンには感じられた。
 ともあれ、状況は確認できたが、ここに機械を持ち込むのは遠すぎ狭すぎる。
 蒸気圧機関による機械工具と温度調整できる計量坩堝くらいを持ち込めば立て直せるかと思ったが、まずは大規模な設備整理人員整理による動線の設定から始めないとならないだろうほどに工房の内部は混沌としていた。
 あたかも狂った王が心血を注いだ迷宮の如き曲輪を連ねたかのような複雑に入り組んだ作業動線は、段階的な生産力の増強のための投資の結果であろうが、計画的な配置とは言いがたいものであった。
 見学用の工房はタダビトばかりが目について亜人は僅かであったが、見学が許されなかった工房がどうなっているかは推して知るべしとしか言いようがなかった。
 これでは手に入れても、即座な立て直しが出来ない。
 そう言わざるを得なかった。
 一気に事をなすに十分な仕掛けができた今、敢えて協力を求めることは却って事を荒立てることになりそうだった。
「公定奴隷市場の追跡ってのは可能なんだろうか」
 マジンは帳簿を眺めながらセントーラに尋ねてみた。
「ロータル鉄工の奴隷の始末についてですか」
 セントーラが帰りの荷物をまとめながら確認した。
「ああ。まぁそれもあるんだが、この台帳の記号が、奴隷の管理台帳なんじゃないかと思ってね。死亡とか、正規販売とか譲渡とか闇販売とかそういう意味なんじゃないかと想像していた。追跡できると連中の口に拳をねじ込めるかと思ってね」
 軽く説明をしながらマジンが言うのにセントーラは怪訝な顔をした。
「一部でも売った先が分かれば或いは可能ですが、そちらは時間が足りないのでは。それに本筋に逆行します。相手が噛み付いてきたときに舌を引っこ抜くための拳として準備していたはずです。ここしばらくの様子を聞くに政治絡みで経営が混乱しているようなので、株式を使っての正攻法のほうが面倒が少ないと思いますが」
 セントーラが言ったことは全く正論だった。
「全くそうなんだが、我が家には人手が少ない。遠隔地で信用できるとなるとお前くらいしかいない」
 マジンは当初、ロータル鉄工に設備上技術上のテコ入れをすれば、経営陣はそのまま引き継がせてもよいかと考えていたのだが、全く構想が甘かったことを知って苦った顔のままでセントーラに言った。
「その件ですが、買収と経営は全く別の手管が必要になります。……最後は結局カネをどれだけ積めるかということなのですが、ともかくその途中の部分は私はあまり得意な分野ではありません」
 セントーラは全く冷静に言ってみせた。
「それはわかっている。会計士と弁護士。奴隷がいるなら衛生士も最低ふたりづつ社内と社外に雇う必要があるな。社長をどうするか。工場長と兼ねてウェッソンにやらせるのもいいが、見た感じだとウェッソンに任せるのも気の毒な感じもしてきた。手早く手堅くヒトを募る方法はしっているか」
 マジンの言葉にセントーラは軽く考えて口を開いた。
「おそらく、銀行に融資とともに人材の紹介を頼むと大喜びで揃えてくれて、当座の一組はすぐ見つかるでしょう。その後は適当に取り込んでゆくのが良いでしょうか。いずれ大きく為替の扱える銀行両替商は必要になります。そうでなくとも、軍票はともかく現金で扱うには些か危険な額と頻度になっています。ご主人様がいないと取引できないでは話になりませんし、ご主人様が出向けば金が動くとなれば目をつけられかねません。ただ、銀行との信用の問題もありますし、一朝飛び込みでうまくゆくかはわかりません。信用よりも信頼の問題もあります。あとは……、或いは州の公館で募るのもよろしいかと」
 セントーラの言葉にマジンは少し考えた。
「銀行か。アレもヒトを縛るのを商売にしている職業だな。鞭と枷の代わりにカネと欲得を使っているが。そうなると先にデカートかな。地元に産業ができるのは悪い気がしないだろう。……銀行の件は、軍との取引を本格化するつもりなら、それでも必要になるな。なにか考えてみよう。とはいえ、今すぐに金が必要というわけでもないし、ロータル鉄工に乗り込むほうが先かな」
「ロータル鉄工の件がお釣りを貰う形での物々交換で決着したのは様々に好都合だったといえます。株式組合を通じて名義の書き換えの必要がありますが、まとめておきますか」
「ロータル鉄工のテコ入れは後回しにしたほうが良さそうだ。とわかれば、連中が騒げないようにできればいいだけだから、定例の株主総会の日にちに間に合わせてまとめればいい。そちらはあわてないでいい。とも言っていられないのか。屋敷にいるうちの連中の名前に散らして受け取りも中央銀行の為替でいい。住所も軍都の公館留にしておこう。中央銀行に大きめの口座を用意しておくのはいいな。とりあえず、帰りの挨拶がてら軍都のデカート州公館で会計士と税理士、弁護士、弁理士くらいはこっちのヒトを紹介してもらうか。デカートで探す人材よりもよその土地の事情に通じているだろう」
 翌日から軍都撤収の準備にかかることになった。


 大本営では戦争がようやく動き出したように事態が進んでいる様子だった。
 もともと動いていたところにマジンが飛び込んだのかもしれない。
 一旦帰郷の挨拶に大本営の幾つかの部署を巡っていると、また一組の軍人が現れた。
 ミノア将軍麾下のプッフテル中佐とワシモルー少佐だった。
 彼らは小銃八百丁と弾薬四百万発と弾倉を千六百づつ、機関銃百丁と銃弾百万発を求めた。
 機関銃の生産は現在行っていないこと、機関小銃も納品が半年先にデカート引き渡しになると伝えると明らかに慌てたようになった。
 デカートでの引き渡しは秋の頭ということだが、輜重の移動を待っていれば、戦場につくのは冬になってしまう。
 輜重の予備は調達できるが、倍の輜重を回したところで倍も早くなるわけではない。
 六十日が五十日になることの意味は重大だが、それが半年先の話であればその間になにが起こるか分からないことは、戦場の軍人であれば意識もしている。
 今のところ小銃の方はなんとかなる数に収まっているが、弾薬が既に輸送能力の限界に達していることを告げた。
 ひとつきで百八十万発あまり。
 拡大の予定はあるが現状での輸送力の上限は既に幾度かの往復で見えていた。
 急ぎであればマルミス・アリオン両将軍と注文の調整をしてもらえないかとマジンは述べた。
 言いながら兵站本部という奴等が本当のところなにをしているのか全く疑わしく感じられた。そして、そういう組織だからこその今の共和国軍の苦境があるのだと思い直した。
 マジン自身は全く完璧に戦争に貢献している自負はあるが、同時に全く完全な形で横車を押している自覚もあった。
 プッフテル中佐は渋い顔をしたが、彼ら自身が出遅れを既に自覚しているらしく、発注をかけて引き下がった。
 改めて挨拶に回った兵站本部の購買課ではあちこちの部隊から機関小銃の問い合わせが来ているということで、予算化が進み次第発注をかけるので部隊独自の取引は一旦留保して欲しい、ということだった。
 軽口混じりに戦況について訪ねてみたが、案の定はぐらかされてしまった。
 その場で兵站部給水局について尋ねてみると建物の中にそんな部署はない、と云う返事があった。
 兵站本部の外に兵站部があるのかと確かめてみたが、軍令本部内にも憲兵本部内にも参謀本部内にも兵站部という部署はなかった。
「ああ。わかった。給水局ってのは外局ですね。参謀本部の測量課や憲兵の民財課なんかと連携して国内の水源調査をおこなっている部局です。兵站本部内に部屋はありませんが、配送室に郵便受けと経理課に机があるようです」
 組織便覧を探してくれていた購買課員が教えてくれた。
 外局室じゃないのか、と誰かがつぶやいた。
 なぜ経理課という気はしたが、部屋が与えられてないような状態であれば、机もどこにあっても良いようなもので部屋か机かの綱引きの結果として存在するだけなのだろう。
 ともかく部署として存在することだけわかれば、まずは聞くべきことは聞いたと言わざるを得ない。それに尋ねたことさえどうでも良い雑談のはずだ。


 デカートの州公館は共和国議事堂にほど近いところに建っていた。
 それは概ね軍都の中心ということであったが、生活の便という意味ではあまり都合の良い土地ではなく、周辺には公園と他所の公館があるだけのような土地だった。とはいえ軍都は広がりを持つような種類の町ではなく、公館には故郷の商店の支店が入り馬車の便は良かったので、生活に困るというほどではない。国民学校から少し遠いということぐらいだ。
 帰郷の挨拶に顔を出すとデカートの領事はここしばらくでセントーラとはすっかり顔なじみになっていた。ひどく気易い雰囲気で幾人かの複数の自治州の認定資格を持っている事務員を紹介してくれる約束を交わした。
 弁護士、税理士、会計士、弁理士、衛生士と、それぞれこの公館の建物内に事務所を構えていて、領事が紹介状を準備してくれたおかげでその日のうちに話を通すことが出来た。
 それぞれふたりづつ仕事があるなら土地はどこでもいいという連中を一ヶ月半のうちにローゼンヘン館に送り込むように頼み、連絡先としてデカートの春風荘を伝えておいた。
 軍都の書士事務所の人々はヴィンゼがどこにあるのか知らないような人々ばかりだったが、もっぱら他人事を商売として扱うような人々らしく実に気軽に応じてくれた。ともかく田舎のことだから、馬に乗れることと野営ができ銃が扱えるくらいは最低限必要だと改めて念押しだけして引き上げた。
 ひとつき半のうちに春風荘に着けば取って返す形でロータル鉄工の株主総会に乗り込める手はずだったし、そのつもりでいたが、何の事はない最初からそう手配しておけばセントーラはとうの昔に引き上げても良かったのではないかと今更ながらにマジンは思った。
 だが新しく雇った人間がセントーラほど信用信頼できる能力人格を持っているかは別だった。
 中央銀行で新口座開設に百万ダカート分の大金貨が詰まった行李を持ち込んだのは、そういう些末な手抜かりの後悔をバカバカしさで押し流すのにちょうどいい悪ふざけだったはずだ。
 マジンが両手にぶら下げていた鉄枠と樫の木で補強された鞄を持ち上げようとして、銀行員が腰を傷めたのを眺めた辺りで、自分の間抜けさ加減から目をそらし気が紛れたのは間違いない。
 ローゼンヘン工業の名前を派手に売り込むためのパフォーマンスとしてはちょっと素っ気なく唐突な内容だった。


 突然現れた孫のような年齢の男に頭を下げるのが仕事と割り切っているプロの銀行家は、エイザリー・ラモンという名の副頭取であった。
 ラモンは予約もなしに巨額の現金を持ち込んだ来客に素性を聞き出すべく様々な言葉の探りを入れ、この歳若い客がデカートの製氷庫の建築家であることを突き止めた。
 デカートというあまり軍都と関連のない名前ばかりが知られるような土地で、ラモンがここ最近の話題として知っていることといえば、夏でも氷が手に入るようになったらしい、という羨ましいのかどうなのかよくわからない些細な話題くらいしかなかったのだが、そこに上手く客が乗ってくれたというそれだけだった。
 しかし、ともかく目の前の若者が紹介状もなしに巨額の現金を持って現れたことの理由の一端を引っ掛けることが出来た。
 成り行きとしてゲリエ氏は公印を持って現れ、デカート州ヴィンゼという聞いたこともない地名を住所地として一億タレルをローゼンヘン工業の名前で預け、もう片手の一億タレルを自分と四人の娘の名前で預けた。
 銀行家であれば一億二億という金額は巨額ではあるが珍しいものではない。
 だが、それを無造作に扱う若者の存在というものに警戒をしないとすれば、それは金を商う銀行家として資質が疑われる。
 ラモンがゲリエ氏の金の出所について、それなりの納得を得たのは口座開設から三日後の事だった。
 どうやら軍がアタンズの一時的な解囲に成功したらしい。という話の裏を探っている文脈で軍の師団が新型小銃を組織だって運用したという。
 その銃の出処がデカートであるらしい。
 デカートの氷室を建てたと云う若者と新型小銃。
 身形作法は良かったものの風籟の体と変わらぬ気軽さで巨額の現金と纏まった額の軍票為替を持って現れたことは、相応に納得ゆくものであった。
 その後パラパラとその推測を裏付ける情報が舞い込んできた。
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