石炭と水晶

小稲荷一照

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捕虜収容所

ストーン商会 共和国協定千四百三十九年

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 ストーン商会の石炭船の燃費は誉められたものではない。
 給炭機がなく石炭も微粉にしているわけではなく、船頭と釜炊きの相性もあって一言に量れる何かがあるわけではないが、河口からデカートまでの二百リーグあまりを上ってくると積み荷の三分の一あまりの石炭を消費していた。四胴船の四十グレノル余りの積荷をデカートまで運ぶのにおよそ十五グレノルの石炭を使う。
 下りはそれほどでもないが、上りは男が数人がかりで昼夜なく釜に火をくべて川を上っていた。
 それだけやって人が歩くのをやっと追い抜けるというものだった。
 尤も、河口部から広がるほとんど常に凪いでいて強い風のない泥海では多くの期待を寄せられていた。泥海は名に反して泥水の海というわけではないが、深く外海から入り込んだ入江で朝晩の陸風と干満の潮の動き以外の流れに期待できないことでその領域である巨大な入江から出ることはなかなかに困難な広がりを持っていた。幾つかの舟が入り込める川幅と水量をたたえた川がつながっていて、風土気候の違う産物をデカートまで届けていた。
 泥のように見える水中堆積物は細かな砂のような微生物の殻であることは様々な研究で昔から述べられていて、実際に水中にできるその泥のような偽物の海底と外の塩水更に川から流れ込む真水との三種類の層を好む多様な生物相が、豊かな海の幸を広大ではあっても無辺ではない泥海の沿岸に与えていた。特産の海漆喰は海の干満に散らされるスカロー側よりは奥の方のチョロスやパルージャの方が質が良くまた色艶も選べる。パルージャはまた泥海では広く鉄や石炭の交易でも知られていたから、船足に自信があり面倒を厭わない者たちは泥海を深く進んでいた。
 そう出来ない者たちにとっては泥海は日数と水路の読みにくい海だった。
 だが、今年になって、ストーン商会が懇意にしている船をそのまま、泥海の奥まで牽いてゆく送迎のサービスを始めた。
 それが、ストーン商会の機関船の最初の業務運行だった。
 煙突の左右にバッタの足のような蒸気圧機関を立てたストーン商会の機関船は大仰な仕掛けの割には大した速さではないが、それでも櫓船の殆どよりは遥かに早い乗り物だったし、それは疲れを知らないと云ってもいい距離を走れた。帆船のように食料と水が続く限りどこまでの足を伸ばせる、というわけではなかったが、それでも帆船にはない風に頼らない強さがあった。
 ストーン商会の一号線は船として大きくなかったこともあるが、船腹の殆どを機関と燃料である石炭とに占められていて、商船としてまっとうに荷を扱うことの難しい作りをしていた。
 しかしヨタの水壁を平常に登りきる帆も櫓も必要ない力強さはこれまでの船ではありえないものだった。現に洋行船としても小さくはありえない百グレノル積みの船を風も潮も無視して悠々と牽いてみせるだけの力があった。
 オゥロゥもプリマベラも川を下って出て来られない今、ストーン商会の機関船は泥海唯一の機関船であり、その力は実用として驚くべき価値と意味を持っていた。
 前後に伸ばし荷を積めるようにした二号船はたったの十人で泥海のザブバル川の出口パルージャからデカートまで五十グレノルの石炭と積み荷を積んで遡ってきた。石炭は上りの道すがら過半を焚いてしまったわけだが、そんなことは成果の大きさと比べれば大したことではない。
 船員一人頭で一グレノルの積荷を扱える、などということはこれまで誰も信じていないことだった。既にローゼンヘン館は先例を示していたが、例外的な悪魔の所業を引き合いに出すことを誰もが避けていた。第一彼らは泥海まで未だ至っていなかった。
 誰もゲリエ卿やローゼンヘン工業を直接に謗るようなことはしなかったが、一部の例外を除いて積極的に認め関わろうともしなかったし、マジン自身が多忙を理由に極めて消極的だった。
 実際に小銃事業を立ち上げるにあたっては軍都との往来を含め、ひとなみならぬ忙しさを極めていたから当然でもあったし、それ以前はほぼ完全にひとりで工房を切り回していたから、カネを積まれて注文を受けたとしていつでも返事ができるほどに暇というわけではなかった。
 今ようやくに多少人員に余裕ができてきていたが、機関車はともかく機関船の注文は未だに受け付けていなかった。
 ストーン商会の石炭船は基本的にそれぞれ二基づつのピストンポンプを動作させる往復式の蒸気圧機関を複数並べた噴流式の推進構造になっている。
 速力の調整という意味では困難もおおいが、反面水中の漂流物に対して機械を晒すところが少なく、吐水量がそのまま推力となり推進効率自体も悪く無い。
 基本構造も陸上で使っている組み上げポンプと同じで整備も簡素におこなえた。
 炉釜とそれを中心にした装置の配置があまり小さくできず、細かな速度調整も難しかったから、旧来のデカート港を含む運河での運行は難しかったが、ザブバル川本流に直接口を開くデカート新港の水路は広く取られていて、最後の十数キュビットを細かく気にする必要がないとなれば船足が多少扱いにくくとも、そこはある程度目を潰れた。更に泥海の港は様々な理由でザブバル川の港よりも大きく作られていた。
 機関船は石炭の積み込み量が舟の足の長さで、全くわかりやすく積み荷と船腹を分けることになっていて、上り下りで積み荷の量が大きく違うことが悩みの種ではあったが、ほとんどの櫓船で起こる人足の多さからくる面倒の粗方が起こらないという点を考えれば、欠点があろうと面倒があろうとそんなものは業突く張りの愚痴に過ぎなかった。
 ストーン商会の一号船は煙突一本の一基の蒸気圧機関が左右のポンプを交互に組み上げていたが、すぐに一本の煙突が左右二基の二筒式蒸気圧機関で四基のポンプを動かすようになった。
 濾しただけの川の水を直接沸かしている炉釜も機関もすぐに水の中の様々がウロコのように張り付いたが、元々それほどに目を詰めて作られていないこともあって今のところは大した問題ではなかった。詰まった管は叩きぬいて交換すればいいだけの事だった。
 しかし製作に携わった職人たちが現状の機関に満足していたわけではない。
 電灯線が動力として引かれたことで用済みになった冷凍庫の動力として使われていた回転式蒸気圧機関の構造の検分を始めた職人たちはその構造の精緻さに目を見張っていた。
 渡された往復式機関の設計や構造とは全く異なる機構についても侮りとは思わなかった。
 そもそも外見からして全く異なっていた上に用途が異なっていた。
 連続的な力を取り出すのに回転運動円運動は合理的ではあったが、デカートには子供が回すコマより早く回せる回転体を造る術はまだない。固く歪まない軸も軸を重心としてその周りに均等に羽を配することも難しかったから、水車も風車も余り勢い良く回すことはできなかった。
 冒険的な設計の機械は世の中に幾度か出てきたが、その度に過ぎたるは及ばざるが如し、という市井の賢者の物笑いの種になっていた。
 ある意味で理想の手本である機械の各部がなにをやっているかという説明は、それまで冷凍庫の保守管理をおこなっていた者達の説明と、実際に動いている様子で十分に理解ができたが、どうやったら作れるか、という職人たちの根本的な疑問に直接答えを得ることは難しかった。
 そういう疑問がデカートの職人たちに広がっていたところで、ローゼンヘン工業が三千人以上の雇用の募集をおこなった。
 チンピラや盗人も含めて多くの怪しげな者達が飛びつくように応募した。当然にカネになる新奇なお宝目当ての者が多かったが、今のところ雇われになってまで中を探っても簡単に持ち出せるような物で財を成した盗人はいなかった。
 そういう中で予てからの疑問と好奇心を満たすべく、幾人もの職工職人がローゼンヘン工業の雇用人員募集に応募した。金銭的には余りパッとしない内容だったが、そこは正直どうでも良かった。
 潜り込んだ職人や徒弟たちは、どうやらここは自分たちの知っているところとは別の国であるらしいということに、すぐに気が付いていた。
 技を盗んでやろうと飛び込んだ職場は、新米でも棒杭にも劣るクズ扱いされることはなかったが、職人の積んだ研鑽を必要とするような職場でもなかった。
 まるで修道会か何かかのような日々の積み重ねが、淡々となにかの部品を作っていた。
 実際に部品を作って吐き出しているのは重たげな鉄の塊の工作機械で、職人たちはそこから吐き出される部品の整理や偶に調子を崩した機械の世話が主な仕事だった。
 ただひたすら為すべきことを為す。
 暇になれば掃除をする。
 片付けをする。
 手を洗う。
 身繕いをする。
 風呂に入って頭と顔を洗う。
 食事をする。
 静かに寝る。
 それは職人の姿だろうか。と当然に疑問に首をひねるような風景だった。
 だが、機械が挟んでズルリと滑る間に、なんでもない無垢な鉄の丸棒をネジに変え、その頭に綺麗な面を立てたボルトに仕立てる様を見れば、それが歌をうたう合いの手のような調子でしゃんしゃんとカゴに溜まってゆく光景を見れば、少なくともネジ職人という商売の意味するところが吹き飛ぶ程の変化をすることは明らかだった。
 物を組み立てているところは、もっと奇妙だった。整然と並んだ部品置き場から順番に部品を取り上げ、図面の記号が示すとおりに並べ、据え付けてゆくだけで機械が組み上がっていた。
 それは全く積み木細工のような有様で、職人の太く毅い腕よりは女子供の細く柔らかな指のほうが有用で、圧縮熱機関の組み立ての職人頭は余り歳のいっていなさそうな亜人の女、見た目通りなら少女だった。
 そういうところで腕の差が生まれないかというとそういうわけではなく、部品をつまみ上げ一瞬でそれを嫌い別のものをつまみスルリと組み上げ不良を弾いたり、或いは公差の相性をその場で巡り合わせてスレもガタもないような機械を組み上げたり、という純然たる組み立ての職工の技はあった。
 露天の飴細工のように機械を作る、というと伝わるだろうか。
 それは石と火に向き合い、見えないものに形を与えるという職人の技ではなかった。
 当然でもある。
 ローゼンヘン工業の本質は単に機関小銃と小銃弾を軍都に向けて確実に届けるための装置設備を造るための組織だった。
 結婚の求愛のための家や花壇と大差ない法螺話の書割の背景で、そのための膨大な部品を作っていた。
 それぞれの製品はより大きな機構のための部品に過ぎず、そうであるなら難しく眉をひそめるような作り方をすべきではなかった。
 そういう小難しいことに眉をひそめるのは社主の責任であり楽しみであった。
 ストーン商会から送り込まれた職人たちは、元の職場の者達と酒場で飲み交わしながら今いる職場についてあらん限りの説明を試みたが、つまりは全くとんでもない勘違いをしているのではないかという気分を、元の職場の同僚と分かち合うのが精一杯であった。
 別段それはストーン商会の意を受けて送り込まれた者達だけの違和感ではない。
 およそデカートの工房から商売敵のなにやらを盗んで来いと云われたものたち全てに通じる奇妙な認識だった。
 少なくともローゼンヘン工業はデカートの商会や職人たちとは全く別の理屈で動いている組織であった。人別や技量を全く気にすることなく、マジンの趣味や勘で配置された人員は相応に噛み合い或いは噛み合わぬままにローゼンヘン工業を支え動かしていた。
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