石炭と水晶

小稲荷一照

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棄民の歌

ペラスアイレス収容所 共和国協定千四百四十二年

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 雪解けから初霜までが勝負と第四堰堤の遮水層工事がおこなわれていた。
 およそ一千五百万枚のタイルを敷き詰める計画の工事は重機も当然に使ったが、結局最後は二万人の労務者の手作業で詰めてゆく必要がある。
 とくに斜面の施工は百キュビットを超えると様々に急激に難しくなってゆく斜面に締結するスパイクを使って足場を築かれてもいたが、それでもやはり事故はたまに起きた。
 特殊なそして巨大な力を振るう土木用重機械を使った現場は、ときに戦列歩兵よりも過酷に神経をすり減らす。
 それはもちろん各員が死ぬつもりはなく殺すつもりはなく、死なないはずだと信じていてなお、それでも重大な事故が起きる現場だった。
 全てが苛烈な現場というわけではない。とはいえどこであってももはや暢気にしていられるというわけでもない。
 樹木の切り出し運び出しがとうに終わった堰堤内部の水槽部は、次第に白い化粧板に覆われ始めていた。
 渓谷の東側は全体に湧水が多くかなり厳重に湧水層自体に蓋がされた。
 ときにそれは一旦掘り返して樹脂を含んだセメントを詰めた土のうで塞いだ上から更に樹脂で固めるという念の入り様で、単に巨大な水瓶として使うつもりと考えていた労務者たちにとっては奇妙な工事でもあった。
 かなり高いところにある湧水も徹底して塞がれ、ときにそれは斜面の工事を一旦止めておこなわれることもあるほどに徹底していた。大小五十ほどもある堰堤内部の湧水について同じような遮水工事が行われつつ、堰堤内部の遮水層の工事は進められた。
 鉄橋工事は工事が始まった折から延々と続けられていて、先に千百キュビットの最高点の二本の鉄橋が完成した。それは吊橋と云うには重厚で十万グレノルの積載通過に堪えられる構造になっている。そこを工事の拠点として鉄橋工事は更に進められた。重機が通り抜けられる巨大な排水管を見た辺りからなんとなく誰もが感じていたことだが、鉄橋というよりは巨大な段違いの棚のようなそこに住まうネズミのような気分を味わっていた。
 冬になると一旦一万五千ほどの手作業の労務者が収容所に帰され、鉄橋に遮水壁を貼る工事が再開された。
 工事も三年ともなると労務者の特性や技量にも差が出てきて、様々に監督側も人選が楽になってくる。とくに冬場の中心である堰堤本体の基礎工事と表面の遮水層の工事は高所作業であることから本人の志願よりは実績を重視することで選定していた。
 様々なサボタージュが小規模におこなわれていないわけではないが、全体として感情の行き違いという程度の納得で収まる範疇で収まらないなら特別作業を充ててやることも一つだったしそれでダメなら、交代だった。
 監督側も労務者が現金ではないものの相応の報酬を受け取っているという感覚があり、ならばその責任を果たせと感じるようになっていた。
 そのことが必ずしも強制ではない。と考えてもいた。
 冬場の重機の運転は相応に慎重であるべきで、そういう人材が求められてもいたが、技能のあるものが合理的で冷静な人物というわけでもなく、重機の事故はその如何に問わず周囲を巻き込むことになる。そうでなくとも疲労の見えるものもいる。
 冬季は監督側が責任を取れる人材を優先的に選んだ。
 収容所でも鑑別所でも畑の収穫物はぼちぼち食べられるものができていて、手製の蒸留装置で怪しげな泥めいた酒を蒸留し、なかなかきつい酒を作るようになっていた。
 収容所の区割りはまだ解かれていなかったが、労務に出る者の数が増えたので人数の割り振りが様々に調整され入れ替わりがおこなわれていた。
 割り当てられた家が不満だと、取り壊して建てなおすということも見られるようになっていた。
 収容所の中では労務現場の購買が使えないことが不満だったが、一人が抱えられる範囲の荷物は許されていたから収容所の中でちょっとした大富豪気分を味わうことは労務者にとってはさほど難しいことではなかった。ただし火事が起きた時は話が別だった。火事の大きさを問わず私物の一切が没収される。放火犯は極刑だった。
 東区の蒸溜所は管理者の私物もろとも既に二度没収されていた。
 没収された品には発酵させるつもりだったクズイモが二ストンも含まれていて、ちょっとした騒ぎになったが、火事を起こせば逃げ場のない状況であることは明らかで、冗談ごとですまないことは収容者にもわかっていることだった。
 少なくとも放置して初期のような大量の死者が出るくらいならバカを始末してくれる方が、虜囚の身として同胞に対して絶対口にはできないが有りがたかった。


 第四堰堤の工事とは別に様々な地域で捕虜労務者は所外労務についていた。
 はっきり言えばとくにもはや亡命の話を口にする者もいなかったのだが、それでもときたま祖国の実情と帰れる可能性を考えた話の流れで、亡命という選択肢も仲間内の話には出てきた。
 軍人は当然に大方の植民者も犯罪とは縁もなく、なにやら自分の知らないところで故国を離れ荒野に送られ、ここでこうしていることに不満や憤りがないわけではない。
 それは皇帝陛下御自らの御聖断御威光の下におこなわれたことになっていた。
 おこなわれたことになってはいたが、帝国の広さ深さを考えれば、何かの間違い奸臣の企みであると考える者もいたし、実際に何かの沙汰に巻き込まれたと考える者達もいた。
 多くの場合、それは誰かが死んだとか天候が回復しないで作業ができないとか、そういう鬱屈した何かを原因にポツポツと誰かの口から沸き立つ泡のように出てくるものだったが、大抵は一過性のものだった。
 だが秋口におこなわれた監督側からの今回の申し出は、これまでのものとは全く違っていた。
 帝国臣民の身分のまま、ローゼンヘン工業の正規雇用者にならないか、という云わば社員登用の申し出だった。
 労務に付いた記録のある七万人ほどのデカート収監者の内、技術的に向上著しく水準以上の技能能力を認めた者達一万人に正規雇用の申し出があった。
 戦争中のことであり、共和国の制度上捕虜という身分を消すことはできないが、最低限ローゼンヘン工業の社員としてデカート州内に社宅を設け、持ち運べる範囲の私物の所有が許可され、自由な外出も許される。
 管理上長期休暇は許されないが、休暇中も給与を払い、戦争終了或いは他の事由で捕虜の身分が解かれれば私物私財についてそのまま所有を認め、またその後の生活身分についても一旦の相談後退職或いはそのままの勤務を続けられるようにする。
 むろん共和国内、デカート州内各法律、社内規定或いは人事管理を逸脱した行動をとった場合には処断する。
 これは、つまり戦時下に捕縛された捕虜としてではなく、交戦国籍の外国籍労働者として扱うという申し出だった。
 三年という労働時間と集中した環境で幾割かの者がひどく技術の習熟が早かったという事実はあったし、当人たちにも向き不向きの実感があった。
 これにはローゼンヘン工業の人材確保という側面があったのは事実だが、より多くは共和国がデカートにより多くの捕虜の収容を依頼してきたことが原因でもあった。
 デカートの元老が直接管理していた四千名ほどの捕虜は多くは私有の直接荘園で働いていたが、三年のうちに脱走が絶えず、二千名ほどが行方不明になっていた。毎年全ての元老が十人逃している勘定になる。
 多くは脱走だが幾らかは理由怪しげで、更に幾らかは脱走の事実が判明しているにもかかわらず手配書が発行されていないなど、デカートの元老たちの管理能力に疑いを持たざるをえないが、ともかく事実として既に半数が脱走をしていた。
 元老の無能をなじる気持ちはともかく、司法行政としてはローゼンヘン工業に協力を要請してきた。
 戦場帰りの人員を多少抱えたとはいえ周辺で数万、州内で数千の捕虜の闊歩を許すとなると、司法当局も行政当局も相応の体制で挑む必要があり、実際にその努力をしていた。
 脱柵者は帝国臣民の当然の権利として自由な耕作地を求めて行動していたり、単に何事かが気に入らないからという理由だったり様々で、ともかくも犯罪そのものが目的でないものが多かったが、犯罪に手を染めたものも多かった。
 千タレル未満の安い生死不問の指名手配が山のように共和国中を駆け巡っていた。しかしまた、デカート当局と軍のものは光画印刷によってとくに出来が良く、あちこちで捕まっていた。
 更に三万の捕虜の受け入れを共和国軍からは要請されていたが、既に七万を超える捕虜を預かっているという事実を背景に一万まで減らして、受け入れを来年まで先延ばしにした。
 だが実のところ、デカート州の収容所の管理能力はほとんどローゼンヘン工業の収容所運営能力に関わっていた。
 適度な労務とその報酬の実感を金銭によらないまま労務者に与えるという収容所管理方法は現状共和国の誰もなしていない方法で、実態として安定した成績をあげていた。
 通算で千名ほどの死者も労務制度整備後の七万超という収容者数を考えれば多いとはいえなかった。
 共和国の勝利に終わる公算が高まり始めると、次第に捕虜はそのまま身代金としての価値を増してくる。デカートがというかデンジュウル大議員が人口の二割ほどにまでせまる捕虜を受け入れているのは、単純に彼自身の気分というよりは勝利に公算を見出した戦後を睨んでのことであった。
 とはいえ、国交が全く怪しげで民間の努力というよりは個々人の気まぐれによって成り立っている帝国と共和国の間の交流が戦争捕虜のような話題を扱えるかどうかは、今次戦争開始から丸五年を経た今、まったくもって不確かというのもバカバカしい種類の話題になっていた。
捕虜の存在がどれほど治安に関わるかという問題を考えれば、デカート州の対応はやや神経質だという判断もあった。
 どこで犯罪を犯そうがどこで生業を立てようが全く気にしない州もあった。
 幾つもの州で、捕虜収容所と称して荒野の真ん中に破れた柵を立てそこで解き放つ州もあるくらいだった。ミョルナもそういった州の一つだった。
 むろん彼らの生死は誰も知らない。
 どちらが良いかというのは先々のこととして、自由な自治裁量が共和国の骨頂でもあった。
 声をかけられた一万人のうち、七千名が社員採用に応じた。
 応じた七千名はデカート政庁で外国人労働者登録をおこない、デカートやヴィンゼのローゼンヘン工業の社宅に割り当てられ制服身分証給与口座帳などを渡された。
 帝国出身者の多くは亜人が職場にいることに驚いていたが、ここが共和国であれば当然でもあった。
 デカート市内やヴィンゼもローゼンヘン工業の敷地ではとくに武装もいらず、一方で禁止もされていなかったが、士官出身者以外はとくに武装をすることもなかった。士官の装具の拳銃の火薬は長い収容所生活で湿気たり張り付いたりして怪しくなっているはずだった。それは金属薬莢であっても同じようなことで暴発がこわければいっそ銃に詰めないほうが良い種類のものであったが、多くの帝国軍士官は身分証代わりに腰に挿していた。
 ローゼンヘン工業の制服は体型による男女差があるだけでどこかの事務屋か葬儀屋かという簡素なデザインに襟章の記号と名前のアップリケで部門部署がわかるようになっていた。階級がわからない以外は軍隊と同じで誰もが同じ服装だった。
 そういう服に角やらしっぽやらをはみ出させ苦労して靴をあてがっている連中を見るのは御伽の国のようだが、これから戦争が終わるまでここが彼らの職場だった。
 デカートは長閑で小綺麗な街だが豊かな清潔感という意味ではローゼンヘン工業の敷地のほうが一段上で、ローゼンヘン工業というものの立場が新人社員となった帝国出身者たちにも垣間見えた。
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