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装甲歩兵旅団
ユーリ・セレール
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翌朝になってユーリは弟たちから昨晩のゲリエ卿一家の軽業の話を聞きアーシュラと一緒になって羨ましがったが、流石に淑女としての振る舞いをまるごと投げ捨てるのは憚られたらしくそこは自重した。
ユーリにとってはそれよりもうちょっと大事な話があって、ローゼンヘン館に押しかけてもいた。
彼女は市井の者たちの積み重ねた数年間をその大家としてのゲリエ卿に講評いただくつもりで乗り込んでいた。
文明を愉しむ趣味人の一梢であることを自認するユーリは、デカートにおける幾つかの文化交流に積極的な興味を抱いていて、彼女の立場の許す限り機会を作り私財も投じていた。
もちろん貧しい州国というわけでないデカートに於いて、彼女はさらに財産の上で恵まれた立場にあることは間違いなく、単に興味というよりは様々な人々との関係の上に築かれた必要という背景もある。
そういう中で音楽絵画彫刻建築などの芸術から工芸への移行の可能性を示す分野を支える人達に幾ばくかの力添えをする機会もあり、また職人職工に学究或いは商業への模索を必要と求める機会も生じていた。
端的に言えば自動車や鉄道電話電灯といったゲリエ卿が示した成果物とそこに至り更に先に至る様々は、多くの人達をこれまでとは違う形で互いを意識する社会変革を惹き起している。
そして、個人がこれまで扱うことを考えもしなかったような自動車という機械機構は、個人が意識できるおそらくは最も強力な完結した文明装置としてデカートに現れた。
いまだデカートの職人は自動車を完全な形で内製をすることは出来ていないけれども、この数年間で機関の外側の機械機構や機関についても一部を読み解き自らの知恵と想像を自動車に組み込むことに成功した。
是非ともその成果を披露したい。
と彼女は大仰に口上を述べたが、胸襟啓いて云えば、彼女のクーペにはデカートで作られた部品が幾らか組み込まれた独自の改造を施されていて、その感想を大家であるゲリエ卿に聞いてみたかった。
道具が使い方次第というのは一般論としてとどめを刺すことなのだが、それでも製造元の大元締めであるゲリエ氏にとってみれば相応の意見もあるんじゃなかろうか聞いてみたい、とそういう魂胆は前々からあった。
だが、社会常識として用事もない他所の家に押しかけて感想を求めるというのは淑女としていかがなものかという常識もある。それが友人の帰省にかこつけてやってくるというのは悪くない方便だった。
一周二リーグの森の小道の外側を囲うように作られた一周五リーグの環状の舗装路は、ここが既に私有地である、と云う警告でもあるわけだが、自動車を軽く走らせるにはちょうどいい距離でもあるし、道路整備の実験を兼ねて色々な地形を縫うようにして作られていて森から鉄道をくぐり山に入り森に降るという短い割には多彩な風景になっている。
直行している道を閉鎖しても迂回が簡単なような配慮もしてあり、私有地であるため閉鎖自体が簡単だった。
父親であるグレンセレール氏は商談のついでなどにこの道を見知っているのだが、ユーリはこの周回道路が完成した後にローゼンヘン館に赴いたのはこれが初めてだった。
誰も走らせないというわけではないのだが、ローゼンヘン館自体が人里離れた地であるし、ここにつくまでにたいてい満腹するまで運転することになるので、わざわざ他人の家に行って頭を下げてまで自動車を運転したいと思う者はあまり多くない。
せいぜい会社の人間が運転の研修の終段に他人に迷惑をかけないで長距離運転をする練習をするために三泊泊まりがけで走らせる、ということをするくらいだ。何箇所か舗装路から未舗装の区間に乗り入れられるところがあり、また数箇所道路整備用機材を待機させている基地がある。燃料基地もあり、研修ではまる三日三人の運転手が交代で延々と牽引貨物車を走らせるということをおこない、自分の運転体力の低下の兆候を覚える。
実態として鉄道保線区のある北街道においても各地人口地域集落拠点に向かうために伸びる支線はしばしば通行止めということもあり、共和国がひとつきで繋がれるようになった、と云っても結局は景気の良い題目と云われても仕方のない実情もある。
ローゼンヘン館の外周道路は、かなりはしゃいでも他人様に迷惑がかからず、事故を起こしても死ななければ自分で面倒が見られるというそういう道だった。
道路そのものは完全四車線でほとんどの区間で道路そのものと同じ広さの未舗装の路肩があり、その外側には鉄の柵と衝立が仕切りをしている。山間部は路肩が狭くなっているが、道路に大まかな路面状況の表示があり、基準速度が示されている。
基準速度は機械の設計上の保証のような数字ではあるけれど、路面状態や天候或いは運転手の状態によって下向きに圧力のかかる数字で、基本的に危ないところにしか描かれていない。
速度そのものよりも余裕の単位のようなものだった。
そういうところをグレンは商談に訪れたついでに幾度か走り、実は二度ほど車をダメにしている。
商家の当主が危ない遊びに興じているというのは大問題で、グレンは様々に自重を求められているわけだが、それはそれとしてユーリは父のその話を聞いて羨ましく思っていた。
そういうわけで、ユーリはとうとうその周回路をマジンを助手席に乗せて走ってみせることになった。
ユーリのクーペの機関はイイトコドリと呼ばれている古い燃料規格の機関を高熱価の新燃料で動かす改造を施されていた。高圧縮比のシリンダーとピストンに高圧のポンプで軽油燃料を使う。そのために幾らかの調整を施している。
彼女の熱圧縮機関は更にデカートの自動車職人の手によって独自の改造を施されていて、元来左右の気筒列で同径の過給器の片方を貨物車の使っている大径大容量の過給器にひとつ付け替え、大小二つの過給器を並列につけている。
また、加給圧でバイパスする経路を二つの吸気系の間に設けていた。
過給器の径の調整のために吸気管の膨らみと長さが左右列で異なるために二つの系で過給圧特性が変わり、アクセルの踏み戻しによって起こる過給器の減圧や加圧までのタイミングをずらすことになる。
より大きな吸気系によって高圧の過給圧と出力特性の山を増やすことでより、なめらかな過給とより大きな伸びを狙ったものだ。
出力の山を増やすことで操作の勘がだいぶ変わることを除けば、およその狙いとしては外れておらず、市販されているクーペよりゆうに二回り最高出力は大きく、なめらかな操作を心がければ扱いにくいというほどのこともない。
そして、その個性というべき出力特性はローゼンヘン工業の協力で水圧軸力計と回転数から出力を割り出す出力試験で測られ確かめられていた。
デカートの自動車職人組合はとうとうに独自の構想を機械の個性として示すことに乗り出し相応に成果を得た、ということである。
軽くした車体に大出力の機関。これはこれでありだなと思わせる乗り味の自動車だった。
ふたつの出力の山がアクセル開度や回転数ではなくその時間積分で出てくることによって、山の位置がしばしば変わるのが操作の上でわかりにくいが、大胆な操作と機械の挙動を待つ時間を心がければふたつの山が谷間を作らないようにすることはできるし、奥行きのある乗り味だということもできる。
ただそうするためにはクラッチを自分で操作して機関の負荷を適当に調整つつ加減速する必要もあった。
機械式変速機の変速比と機関の回転計の動きと車速とを睨みながら、車体の姿勢に必要な加減速をおこなう、というのは自動車が無断階変速機で機械的におこなってくれていたことで、それを運転手がわざわざおこなうというのはなかなか皮肉ですらあり、ウェイドはなんでまたわざわざと姉に文句を言ったことだった。
なんでまたというのは、自分で直接扱えるほうが楽しいじゃない、というだけにすぎないのだが、姉と弟の間には隔たりがあった。
ウェイドは脚は二本しかないのにペダルが三つある機械を父と姉がなぜありがたがって喜ぶのか全く理解ができなかった。
いい年した姉が自分に手を上げるのにしょうがなく付き合って運転を習得したが、道具として使えるのはわかるが納得がいくものでもない。
正直に言えばマジンの内心にも同じ感想はあった。
だが、操作の自由度が高いということは面倒であると同時にやれることも多いということであったし、二回踏んだら制御をやめる、とかそういう裏ワザじみた操作をおこなわないですむことは逆に健全であるようにも思えた。
来年は電磁気的な機械変速機や機械作動機を考えてもいたが、操作という意味でどう落とし込むかはもうちょっと考える必要もあった。
機械制御はたしかに便利なのだが例外処理は常にあり、それをどういう風に表現するか、どう復帰するか、ということが常に問題になる。
なにを例外とするか、ということは操作者運転者が例外を熟知している必要もあって、機械制御を高度化してゆくと、運転者が例外を理解できないという状況を作る。
それは実はかなり危険なことでもあった。
そういう意味で、三つペダルの機械式変速機は例外を手前に最初から見えるように置くことで操縦者の操作の面倒を増やしつつも一定の人気を博しているはずだった。
もちろん二本の足で三つのペダルというのはある意味で不自然でもあったから、そこは好みで、ということでもある。
一見技術的な退歩も、自動車の普及という問題を真剣に検討した結果でもある。
扁円回転体斜板変速機はそのややこしい名前にも似て、部品の寿命管理や修理整備後の組立と調整に面倒が多かった。
機械式多軸多段変速機は構造複雑ではあっても組み立てながら状況が目で追える作業上の特徴があり部品の消耗欠損の視認がしやすい。部品規格の切り替えに合わせて自動車変速機の主力を期待されていた。
また軸出力の上ではそうであることを望まれた歯車機構の大方がそうであるようにどちらも大差ないが、寿命の迎え方が大きく違った。
操作や構造の単純な機械が必ずしも作りやすく維持しやすいというわけではない。
機械式多軸多段変速機はより広汎に大出力の機関向けの変速機として期待され、自動車に組み込まれている。
もちろん各地工房での整備を前提としていて、当然に各地の自主生産品も割り込むことから、様々な問題も多いが、最大の顧客である共和国軍の事情を大きく慮ったものであることは言うまでもない。
彼女の自動車の部品も多くが自主生産品であったが、必ずしも自動車職人の手作りというわけではなく、むしろ重要な機構については内製を諦め、ローゼンヘン工業自動車部に特注品をねじ込んでいたり、或いは他用途機械の部品リストの中から、必要な流用可能そうな仕様にあった部品を探し集めたりしていた。
もちろん、手軽で安い買い物というわけではない。
そういうややこしい機械を好むだけあって、ユーリの運転はなかなか鋭いメリハリの効いた元気の良いものだった。隣に乗っていて乗り心地の良いもの、というわけにはゆかなかったが、自動車の運転を楽しんでいる、という風は伝わるもので、なんともいえない貪欲な雰囲気でもあった。
唇を尖らかせた自慢気な笑顔はお手並み拝見ということらしい。
機械である自動車を早く走らせるコツは当たり前の話を並べれば、平均速度を高くする、というところと、できるだけ通過経路を短く、ということになる。
競争であればまた別の話が増えてくるのだが、往来の完全にない道であれば危険は路面にもともとあるものだけだし、できるだけ距離を短くというのは幾何的な問題ということになる。
幾何的な問題と物理的な問題とを自動車の性能の範囲で解く、ということになる。
機械の性能が明らかであれば一見簡単な問題だが、機械の性能の特性の極限を読み解くということが実はひどく難しい。ことにユーリの改造クーペのような明瞭な個性を押し立てた機械の場合には状況と個性とを両立させた操作を求められる。
機械の限界ということは破綻の僅か手前ということで、その性能がどこまで線形でどこから非線形であるかというだけでなく非線形を乗り越えた先があるのかないのかという問題でもある。
予測困難な非線形な性能領域であっても破綻しないなら壊れないならそれは機械の性能といえる。もちろん自動車という機械がそこまで付き合いが良い機械かどうかはまた別のことで、予測困難な状態に陥るということは制御困難ということでもあるが、ときにそういう例外動作を組み合わせることで定常的な運転を上回る性能を作ることも運転者の技量となる。
わざと脱輪させた路外の未整地の路面を使って車輪の摩擦を減らし、急激にトルクを掛けつつハンドル操作で路外の後輪の摩擦を失わせ車輪を横に流し、前輪に制動をかけ荷重を増やし急旋回を起こしつつ、ブレーキとアクセルを調整して完全な迷走状態を避ける。とすることも自動車の機械性能のうちだった。
助手席に座ったユーリはブレーキもかからないまま路肩にはみ出してゆく運転に混乱をしたまま、いきなり横向きに流されてゆく視界に大騒ぎをしていた。
軽自動車で荒れた道を走るときにはよく起こる現象だったが、四輪に動力が分配される乗用自動車ではまっすぐ走っている限りそれほど起こるものではなく、わざと引き起こすことは比較的難しいように作られていた。
彼女自身荒野を走るときにはしばしば陥る現象だったが、街道を走る上で危険な行為という認識の感覚があった。
相応に車輪の向きに通ることで車は曲がるのだが、駆動輪はそれぞれに共に等しく転がろうとする。バラバラに駆動するということは、まっすぐ車が進まないということだったから、元来機構的にそうあることが求められる。
後輪だけをロックして前後左右の摩擦力を等しくし、後輪に方向を失わせる一方で前輪に向きを与えることで後輪を流すことは荒れ地では簡単で、後輪のロックを解いて抵抗の小さな向きタイヤの前後方向に路面の速度に合わせて動力を伝え摩擦を復帰させる、ということもそれほど難しくないわけだが、いま起こったそれはその応用とはいえユーリにはなにが起こったのか殆どわからないままの自然な出来事だった。
内側の前輪だけ土留の溝に預けることで前内輪のモーメントを弱め、車輪の肩の段差をつかい重心姿勢を変えることで自動車の直進性を弱め合わせて遠心力に抗うというのも路面状況を利用した機械の性能といえる。
軽自動車と乗用自動車の挙動の安定の差は一般には車重のためと考えられることが多かったが、もうちょっと高級な旋回運転中の四輪の車輪の荷重と摩擦と運動経路の連携という問題であることは、すでに自動車を研究する研究者たちの手で学志館で論文が出されている。後輪のみを駆動する軽自動車と原則として四輪全てを駆動輪とする乗用車では、旋回を含む加減速に関わる挙動はそれぞれ違う。
四輪車の旋回は四つの車輪の運動がバラけ玉突きのような現象が起こることでおこなわれ、四つの運動を合成した全体の重心として、車軸の回転進行方向の合成ではない運動の釣り合いが発生する。ということだった。
そして乗用車や貨物車には車輪の運動量がバラけないような差動機が組み込まれている。ユーリのクーペにももちろん組み込まれている。それは確実に地面を捉え力を無駄なく大地に伝えるための機構ではあるのだが、潜在的には四つの車輪がそれぞれ別の動きと経路を通る必要のある、車が曲がる、ということを拒否する機構でもある。
だがそれをうまく躱すことでマジンは性能の限界に達することなく、新たな最短距離と高めの平均速度を維持して周回してみせた。
軽量化を目論んだユーリの車体は機関出力に比して各部の剛性にかけていて、それは全体の鈍さにつながっているようにマジンには感じられた。そのせいでトルクをかけると腕の距離の都合で前輪と後輪のフレームに僅かな歪が生まれ、それが後輪の挙動を乱す。四輪駆動のまま差動機も省いていないユーリのクーペが肩を揺するドタ足のような加速をおこなうのは、必ずしも機関の大出力や出力特性のせいばかりではなかった。模式的にはプロペラシャフトによって車体の前後が僅かに拗じられサスペンションだけではなくシャシーそのものが歪を起こし揺り戻しているはずだった。
だが速度と駆動力を組み合わせてその挙動の乱れをある程度に制御することで、後輪荷重を抜いて前輪の操舵と駆動を強調することで、後輪の挙動を無視した食い込むような旋回が可能になる。
軽自動車はこの操作挙動を前提にした構造になっていて、それが軽自動車と旅客自動車の運転挙動の決定的な差異になる。軽自動車は極めて旋回に有利な構造をしていて前輪を軸に旋回をしてみせることができる者はかなり多いし、それによって問題が起きることを防ぐために前輪の腕の強化部品が他社他工房でも作られている。
ソラとユエは軽自動車の運転では似たことを体重の移動で日常的におこなっていた。後席に乗っている人間の技量が影響するというのは競技用のそりに近い運転感覚といえる。
四輪駆動車でわざわざ計算して設定するとかなり大変なことをユーリのクーペは自然におこなっていた。もちろん十年もこんな乗り方をしていたら、車体にはクセの付いた歪が残り、まっすぐ止まることも出来ない状態になるだろうが、それはその時の話だった。
マジンはぼんやりとした反射で、普段走っている自分の好みの周回経路を走ってみたわけだが、ふと同じ経路を真似しようとしたグレン氏が自走できない状態に陥ったことを思い出した。グレン氏はもちろんここにきた時点で最初から悪い遊びをする準備と心構えでいて、車から放り出されても大丈夫な装具を用意していたが、ユーリはそうではなかったし、大事な車を潰して平然としていられるかどうかは、また別だった。
しまったなぁ、と思ったらやはり親子だった。
ユーリは運転を変わると、たった今示されたコースどりを真似し始めた。
運転中に集中しだすと何やら口の中でつぶやいて唱えているのもグレン氏に似ている。
どちらの運転がどうという種類のものでもないが、ふたりともなかなか負けず嫌いで朝から乗り出したわけだが、お昼の時間を示しても戻ってこないのでマキンズがよもや事故かと迎えに来た。
公休日とは云えローゼンヘン館にそういうものが関係あるはずもなく、午後からは書類仕事で、ユーリの相手はグルコとウェイドに任せることにした。
ボーリトンとヴィルとヘルミの三人に周回路上の基地に待機させておけば、およそことは足りる。三人とも自動車の運転訓練でさんざん周回路を巡っていて、危なさそうなところはわかっているはずだし、今度はユーリにも助手席に付き合わされる二人にも装具のたぐいを貸してあるから、車体の軽量化をどこまでやっているのかわからないが、仰向けにひっくり返らなければ死なないはずだ。
操舵と軸負荷とアクセルブレーキの釣り合いで四輪の荷重分布を操作するというのは一見ややこしい操作なのだが、非線形領域に入ったことは少し運転に慣れてくるとわかることで、その対処も二三台車を潰せば身につくものだった。できれば自走できないほどに潰さないで欲しいと願うばかりだった。
ユーリにとってはそれよりもうちょっと大事な話があって、ローゼンヘン館に押しかけてもいた。
彼女は市井の者たちの積み重ねた数年間をその大家としてのゲリエ卿に講評いただくつもりで乗り込んでいた。
文明を愉しむ趣味人の一梢であることを自認するユーリは、デカートにおける幾つかの文化交流に積極的な興味を抱いていて、彼女の立場の許す限り機会を作り私財も投じていた。
もちろん貧しい州国というわけでないデカートに於いて、彼女はさらに財産の上で恵まれた立場にあることは間違いなく、単に興味というよりは様々な人々との関係の上に築かれた必要という背景もある。
そういう中で音楽絵画彫刻建築などの芸術から工芸への移行の可能性を示す分野を支える人達に幾ばくかの力添えをする機会もあり、また職人職工に学究或いは商業への模索を必要と求める機会も生じていた。
端的に言えば自動車や鉄道電話電灯といったゲリエ卿が示した成果物とそこに至り更に先に至る様々は、多くの人達をこれまでとは違う形で互いを意識する社会変革を惹き起している。
そして、個人がこれまで扱うことを考えもしなかったような自動車という機械機構は、個人が意識できるおそらくは最も強力な完結した文明装置としてデカートに現れた。
いまだデカートの職人は自動車を完全な形で内製をすることは出来ていないけれども、この数年間で機関の外側の機械機構や機関についても一部を読み解き自らの知恵と想像を自動車に組み込むことに成功した。
是非ともその成果を披露したい。
と彼女は大仰に口上を述べたが、胸襟啓いて云えば、彼女のクーペにはデカートで作られた部品が幾らか組み込まれた独自の改造を施されていて、その感想を大家であるゲリエ卿に聞いてみたかった。
道具が使い方次第というのは一般論としてとどめを刺すことなのだが、それでも製造元の大元締めであるゲリエ氏にとってみれば相応の意見もあるんじゃなかろうか聞いてみたい、とそういう魂胆は前々からあった。
だが、社会常識として用事もない他所の家に押しかけて感想を求めるというのは淑女としていかがなものかという常識もある。それが友人の帰省にかこつけてやってくるというのは悪くない方便だった。
一周二リーグの森の小道の外側を囲うように作られた一周五リーグの環状の舗装路は、ここが既に私有地である、と云う警告でもあるわけだが、自動車を軽く走らせるにはちょうどいい距離でもあるし、道路整備の実験を兼ねて色々な地形を縫うようにして作られていて森から鉄道をくぐり山に入り森に降るという短い割には多彩な風景になっている。
直行している道を閉鎖しても迂回が簡単なような配慮もしてあり、私有地であるため閉鎖自体が簡単だった。
父親であるグレンセレール氏は商談のついでなどにこの道を見知っているのだが、ユーリはこの周回道路が完成した後にローゼンヘン館に赴いたのはこれが初めてだった。
誰も走らせないというわけではないのだが、ローゼンヘン館自体が人里離れた地であるし、ここにつくまでにたいてい満腹するまで運転することになるので、わざわざ他人の家に行って頭を下げてまで自動車を運転したいと思う者はあまり多くない。
せいぜい会社の人間が運転の研修の終段に他人に迷惑をかけないで長距離運転をする練習をするために三泊泊まりがけで走らせる、ということをするくらいだ。何箇所か舗装路から未舗装の区間に乗り入れられるところがあり、また数箇所道路整備用機材を待機させている基地がある。燃料基地もあり、研修ではまる三日三人の運転手が交代で延々と牽引貨物車を走らせるということをおこない、自分の運転体力の低下の兆候を覚える。
実態として鉄道保線区のある北街道においても各地人口地域集落拠点に向かうために伸びる支線はしばしば通行止めということもあり、共和国がひとつきで繋がれるようになった、と云っても結局は景気の良い題目と云われても仕方のない実情もある。
ローゼンヘン館の外周道路は、かなりはしゃいでも他人様に迷惑がかからず、事故を起こしても死ななければ自分で面倒が見られるというそういう道だった。
道路そのものは完全四車線でほとんどの区間で道路そのものと同じ広さの未舗装の路肩があり、その外側には鉄の柵と衝立が仕切りをしている。山間部は路肩が狭くなっているが、道路に大まかな路面状況の表示があり、基準速度が示されている。
基準速度は機械の設計上の保証のような数字ではあるけれど、路面状態や天候或いは運転手の状態によって下向きに圧力のかかる数字で、基本的に危ないところにしか描かれていない。
速度そのものよりも余裕の単位のようなものだった。
そういうところをグレンは商談に訪れたついでに幾度か走り、実は二度ほど車をダメにしている。
商家の当主が危ない遊びに興じているというのは大問題で、グレンは様々に自重を求められているわけだが、それはそれとしてユーリは父のその話を聞いて羨ましく思っていた。
そういうわけで、ユーリはとうとうその周回路をマジンを助手席に乗せて走ってみせることになった。
ユーリのクーペの機関はイイトコドリと呼ばれている古い燃料規格の機関を高熱価の新燃料で動かす改造を施されていた。高圧縮比のシリンダーとピストンに高圧のポンプで軽油燃料を使う。そのために幾らかの調整を施している。
彼女の熱圧縮機関は更にデカートの自動車職人の手によって独自の改造を施されていて、元来左右の気筒列で同径の過給器の片方を貨物車の使っている大径大容量の過給器にひとつ付け替え、大小二つの過給器を並列につけている。
また、加給圧でバイパスする経路を二つの吸気系の間に設けていた。
過給器の径の調整のために吸気管の膨らみと長さが左右列で異なるために二つの系で過給圧特性が変わり、アクセルの踏み戻しによって起こる過給器の減圧や加圧までのタイミングをずらすことになる。
より大きな吸気系によって高圧の過給圧と出力特性の山を増やすことでより、なめらかな過給とより大きな伸びを狙ったものだ。
出力の山を増やすことで操作の勘がだいぶ変わることを除けば、およその狙いとしては外れておらず、市販されているクーペよりゆうに二回り最高出力は大きく、なめらかな操作を心がければ扱いにくいというほどのこともない。
そして、その個性というべき出力特性はローゼンヘン工業の協力で水圧軸力計と回転数から出力を割り出す出力試験で測られ確かめられていた。
デカートの自動車職人組合はとうとうに独自の構想を機械の個性として示すことに乗り出し相応に成果を得た、ということである。
軽くした車体に大出力の機関。これはこれでありだなと思わせる乗り味の自動車だった。
ふたつの出力の山がアクセル開度や回転数ではなくその時間積分で出てくることによって、山の位置がしばしば変わるのが操作の上でわかりにくいが、大胆な操作と機械の挙動を待つ時間を心がければふたつの山が谷間を作らないようにすることはできるし、奥行きのある乗り味だということもできる。
ただそうするためにはクラッチを自分で操作して機関の負荷を適当に調整つつ加減速する必要もあった。
機械式変速機の変速比と機関の回転計の動きと車速とを睨みながら、車体の姿勢に必要な加減速をおこなう、というのは自動車が無断階変速機で機械的におこなってくれていたことで、それを運転手がわざわざおこなうというのはなかなか皮肉ですらあり、ウェイドはなんでまたわざわざと姉に文句を言ったことだった。
なんでまたというのは、自分で直接扱えるほうが楽しいじゃない、というだけにすぎないのだが、姉と弟の間には隔たりがあった。
ウェイドは脚は二本しかないのにペダルが三つある機械を父と姉がなぜありがたがって喜ぶのか全く理解ができなかった。
いい年した姉が自分に手を上げるのにしょうがなく付き合って運転を習得したが、道具として使えるのはわかるが納得がいくものでもない。
正直に言えばマジンの内心にも同じ感想はあった。
だが、操作の自由度が高いということは面倒であると同時にやれることも多いということであったし、二回踏んだら制御をやめる、とかそういう裏ワザじみた操作をおこなわないですむことは逆に健全であるようにも思えた。
来年は電磁気的な機械変速機や機械作動機を考えてもいたが、操作という意味でどう落とし込むかはもうちょっと考える必要もあった。
機械制御はたしかに便利なのだが例外処理は常にあり、それをどういう風に表現するか、どう復帰するか、ということが常に問題になる。
なにを例外とするか、ということは操作者運転者が例外を熟知している必要もあって、機械制御を高度化してゆくと、運転者が例外を理解できないという状況を作る。
それは実はかなり危険なことでもあった。
そういう意味で、三つペダルの機械式変速機は例外を手前に最初から見えるように置くことで操縦者の操作の面倒を増やしつつも一定の人気を博しているはずだった。
もちろん二本の足で三つのペダルというのはある意味で不自然でもあったから、そこは好みで、ということでもある。
一見技術的な退歩も、自動車の普及という問題を真剣に検討した結果でもある。
扁円回転体斜板変速機はそのややこしい名前にも似て、部品の寿命管理や修理整備後の組立と調整に面倒が多かった。
機械式多軸多段変速機は構造複雑ではあっても組み立てながら状況が目で追える作業上の特徴があり部品の消耗欠損の視認がしやすい。部品規格の切り替えに合わせて自動車変速機の主力を期待されていた。
また軸出力の上ではそうであることを望まれた歯車機構の大方がそうであるようにどちらも大差ないが、寿命の迎え方が大きく違った。
操作や構造の単純な機械が必ずしも作りやすく維持しやすいというわけではない。
機械式多軸多段変速機はより広汎に大出力の機関向けの変速機として期待され、自動車に組み込まれている。
もちろん各地工房での整備を前提としていて、当然に各地の自主生産品も割り込むことから、様々な問題も多いが、最大の顧客である共和国軍の事情を大きく慮ったものであることは言うまでもない。
彼女の自動車の部品も多くが自主生産品であったが、必ずしも自動車職人の手作りというわけではなく、むしろ重要な機構については内製を諦め、ローゼンヘン工業自動車部に特注品をねじ込んでいたり、或いは他用途機械の部品リストの中から、必要な流用可能そうな仕様にあった部品を探し集めたりしていた。
もちろん、手軽で安い買い物というわけではない。
そういうややこしい機械を好むだけあって、ユーリの運転はなかなか鋭いメリハリの効いた元気の良いものだった。隣に乗っていて乗り心地の良いもの、というわけにはゆかなかったが、自動車の運転を楽しんでいる、という風は伝わるもので、なんともいえない貪欲な雰囲気でもあった。
唇を尖らかせた自慢気な笑顔はお手並み拝見ということらしい。
機械である自動車を早く走らせるコツは当たり前の話を並べれば、平均速度を高くする、というところと、できるだけ通過経路を短く、ということになる。
競争であればまた別の話が増えてくるのだが、往来の完全にない道であれば危険は路面にもともとあるものだけだし、できるだけ距離を短くというのは幾何的な問題ということになる。
幾何的な問題と物理的な問題とを自動車の性能の範囲で解く、ということになる。
機械の性能が明らかであれば一見簡単な問題だが、機械の性能の特性の極限を読み解くということが実はひどく難しい。ことにユーリの改造クーペのような明瞭な個性を押し立てた機械の場合には状況と個性とを両立させた操作を求められる。
機械の限界ということは破綻の僅か手前ということで、その性能がどこまで線形でどこから非線形であるかというだけでなく非線形を乗り越えた先があるのかないのかという問題でもある。
予測困難な非線形な性能領域であっても破綻しないなら壊れないならそれは機械の性能といえる。もちろん自動車という機械がそこまで付き合いが良い機械かどうかはまた別のことで、予測困難な状態に陥るということは制御困難ということでもあるが、ときにそういう例外動作を組み合わせることで定常的な運転を上回る性能を作ることも運転者の技量となる。
わざと脱輪させた路外の未整地の路面を使って車輪の摩擦を減らし、急激にトルクを掛けつつハンドル操作で路外の後輪の摩擦を失わせ車輪を横に流し、前輪に制動をかけ荷重を増やし急旋回を起こしつつ、ブレーキとアクセルを調整して完全な迷走状態を避ける。とすることも自動車の機械性能のうちだった。
助手席に座ったユーリはブレーキもかからないまま路肩にはみ出してゆく運転に混乱をしたまま、いきなり横向きに流されてゆく視界に大騒ぎをしていた。
軽自動車で荒れた道を走るときにはよく起こる現象だったが、四輪に動力が分配される乗用自動車ではまっすぐ走っている限りそれほど起こるものではなく、わざと引き起こすことは比較的難しいように作られていた。
彼女自身荒野を走るときにはしばしば陥る現象だったが、街道を走る上で危険な行為という認識の感覚があった。
相応に車輪の向きに通ることで車は曲がるのだが、駆動輪はそれぞれに共に等しく転がろうとする。バラバラに駆動するということは、まっすぐ車が進まないということだったから、元来機構的にそうあることが求められる。
後輪だけをロックして前後左右の摩擦力を等しくし、後輪に方向を失わせる一方で前輪に向きを与えることで後輪を流すことは荒れ地では簡単で、後輪のロックを解いて抵抗の小さな向きタイヤの前後方向に路面の速度に合わせて動力を伝え摩擦を復帰させる、ということもそれほど難しくないわけだが、いま起こったそれはその応用とはいえユーリにはなにが起こったのか殆どわからないままの自然な出来事だった。
内側の前輪だけ土留の溝に預けることで前内輪のモーメントを弱め、車輪の肩の段差をつかい重心姿勢を変えることで自動車の直進性を弱め合わせて遠心力に抗うというのも路面状況を利用した機械の性能といえる。
軽自動車と乗用自動車の挙動の安定の差は一般には車重のためと考えられることが多かったが、もうちょっと高級な旋回運転中の四輪の車輪の荷重と摩擦と運動経路の連携という問題であることは、すでに自動車を研究する研究者たちの手で学志館で論文が出されている。後輪のみを駆動する軽自動車と原則として四輪全てを駆動輪とする乗用車では、旋回を含む加減速に関わる挙動はそれぞれ違う。
四輪車の旋回は四つの車輪の運動がバラけ玉突きのような現象が起こることでおこなわれ、四つの運動を合成した全体の重心として、車軸の回転進行方向の合成ではない運動の釣り合いが発生する。ということだった。
そして乗用車や貨物車には車輪の運動量がバラけないような差動機が組み込まれている。ユーリのクーペにももちろん組み込まれている。それは確実に地面を捉え力を無駄なく大地に伝えるための機構ではあるのだが、潜在的には四つの車輪がそれぞれ別の動きと経路を通る必要のある、車が曲がる、ということを拒否する機構でもある。
だがそれをうまく躱すことでマジンは性能の限界に達することなく、新たな最短距離と高めの平均速度を維持して周回してみせた。
軽量化を目論んだユーリの車体は機関出力に比して各部の剛性にかけていて、それは全体の鈍さにつながっているようにマジンには感じられた。そのせいでトルクをかけると腕の距離の都合で前輪と後輪のフレームに僅かな歪が生まれ、それが後輪の挙動を乱す。四輪駆動のまま差動機も省いていないユーリのクーペが肩を揺するドタ足のような加速をおこなうのは、必ずしも機関の大出力や出力特性のせいばかりではなかった。模式的にはプロペラシャフトによって車体の前後が僅かに拗じられサスペンションだけではなくシャシーそのものが歪を起こし揺り戻しているはずだった。
だが速度と駆動力を組み合わせてその挙動の乱れをある程度に制御することで、後輪荷重を抜いて前輪の操舵と駆動を強調することで、後輪の挙動を無視した食い込むような旋回が可能になる。
軽自動車はこの操作挙動を前提にした構造になっていて、それが軽自動車と旅客自動車の運転挙動の決定的な差異になる。軽自動車は極めて旋回に有利な構造をしていて前輪を軸に旋回をしてみせることができる者はかなり多いし、それによって問題が起きることを防ぐために前輪の腕の強化部品が他社他工房でも作られている。
ソラとユエは軽自動車の運転では似たことを体重の移動で日常的におこなっていた。後席に乗っている人間の技量が影響するというのは競技用のそりに近い運転感覚といえる。
四輪駆動車でわざわざ計算して設定するとかなり大変なことをユーリのクーペは自然におこなっていた。もちろん十年もこんな乗り方をしていたら、車体にはクセの付いた歪が残り、まっすぐ止まることも出来ない状態になるだろうが、それはその時の話だった。
マジンはぼんやりとした反射で、普段走っている自分の好みの周回経路を走ってみたわけだが、ふと同じ経路を真似しようとしたグレン氏が自走できない状態に陥ったことを思い出した。グレン氏はもちろんここにきた時点で最初から悪い遊びをする準備と心構えでいて、車から放り出されても大丈夫な装具を用意していたが、ユーリはそうではなかったし、大事な車を潰して平然としていられるかどうかは、また別だった。
しまったなぁ、と思ったらやはり親子だった。
ユーリは運転を変わると、たった今示されたコースどりを真似し始めた。
運転中に集中しだすと何やら口の中でつぶやいて唱えているのもグレン氏に似ている。
どちらの運転がどうという種類のものでもないが、ふたりともなかなか負けず嫌いで朝から乗り出したわけだが、お昼の時間を示しても戻ってこないのでマキンズがよもや事故かと迎えに来た。
公休日とは云えローゼンヘン館にそういうものが関係あるはずもなく、午後からは書類仕事で、ユーリの相手はグルコとウェイドに任せることにした。
ボーリトンとヴィルとヘルミの三人に周回路上の基地に待機させておけば、およそことは足りる。三人とも自動車の運転訓練でさんざん周回路を巡っていて、危なさそうなところはわかっているはずだし、今度はユーリにも助手席に付き合わされる二人にも装具のたぐいを貸してあるから、車体の軽量化をどこまでやっているのかわからないが、仰向けにひっくり返らなければ死なないはずだ。
操舵と軸負荷とアクセルブレーキの釣り合いで四輪の荷重分布を操作するというのは一見ややこしい操作なのだが、非線形領域に入ったことは少し運転に慣れてくるとわかることで、その対処も二三台車を潰せば身につくものだった。できれば自走できないほどに潰さないで欲しいと願うばかりだった。
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