石炭と水晶

小稲荷一照

文字の大きさ
237 / 248
新生

ステア 共和国協定千四百四十七年

しおりを挟む
 マジンはリザが死んだ月、葬儀以外一切館から出なかった。
 およそセントーラとシェラルザードの二人はそれぞれに強力有能な家令で、書面や電話を使った様々な連絡に通じていて、朝と晩の短い業務連絡を除いて地下に篭もる主を妨げるようなことを許さなかった。
 数次に渡る整理をおこなってはいたものの組織が急激に膨張した結果としてしばしば社内で起こる衝突と迷走を事前事後に調整する彼女らは有能稀有な人材で、社主代行としての自覚を得たロゼッタを盛り立てて事業計画の進行を整理し続けていた。
 およそ彼女ら三人は仕事のやり方進め方は異なっていたが、責任ある人間を探し訪ね当てることに有能で、ゲリエ家の執事であるという押し出しの意味を会社に対して使うことに躊躇はなかったから、ときに社主秘書室に裁定或いは指導を望んだ事業部署が驚くような結論に至ることもあったが、ともかく社主を煩わせるまでもなく社用を達してみせていた。
 工房の周りはウェッソンとリチャーズで大方ことは足りていたし、聴聞の来客は施術中ということで追い返していた。
 出屋敷と狼虎庵はひっきりなしに来客があったが、そちらはヴィルレム・マレリウヌとヘルミナラ・ゴシュルが意外にも有能な客さばきを見せていて、大した言質も与えずに来客を納得させてお引き取りいただくことに成功していた。その手際はなかなかのもので、ロゼッタは二人を会社周りで使うよりも却ってよろしいということで二人を出屋敷に貼り付けて接客をおこなわせていた。確かにふたりとも雰囲気を調整するという意味では有能で、面倒くさい会議に連れて行くと便利な人材ではあったが、会社全体が緊急事態に緊張している今はそれほどに彼ら二人の出番はなかった。
 元老院の用事もおよそパトラクシェとジローナが御用聞きをできていたから、ひとつきふたつきで慌てるようなことも起きていなかった。元老院でも興味本位で或いは衷心からゲリエ卿の動向に探りが入ることは多かったが、すでに元老院でも馴染みの執事二人は巧みに切り抜けていた。
 第四堰堤の工事も完了し浄水施設の運転試験が実績を重ね始めたことはデカート元老院でも大きく明るいニュースであったから、それなりに次の段階を期待している元老も多かったが、ゲリエ卿の不幸について悼むのと同時に早く立ち直ってくれることを願うばかりでもあった。
 ここしばらくで家人の手に負えない人物といえば、ジェーヴィー教授くらいであったが既に故人であった。おもしろみのある人物で天才鬼才というべき有能でもあったが、そう云う人がそうであるように手のかかる人物であったことも事実で、彼の死を誰もが悼みもしたが、リザの死という大きな衝撃に醒めやらぬローゼンヘン館にいらぬ波風が立たないことに誰もが安堵したことも事実であった。
 マジンがリザの死を認めたのはどうあっても乾いてゆくリザの身体を見つめているうちにであった。およそ最初は見えるはずのなかった作り物の心臓が静かに脈動をしている光をこぼすようになってきたとき、マジンはリザの身体が命を支えられなくなったことを受け入れた。
 作り物の心臓はマジンの妻二人の命を貯めこんだおかげでようやくその機能を果たせるというように光を脈打たせて見せていた。
 あるはずもない光景として、心臓が干からびたリザの身体の中で生命を得たことに、マジンの感情は瞬間的に沸点に達した。
 マジンは数秒間絶叫した。
 その瞬間のことをマジンは連続的な出来事として記憶していない。
 尋ねられれば答えることができるくらいには状況は認識していた。
 だが、全く理性的な出来事とは思えない、完全に自我の限界に達していた。
 マジンは既に茶色く枯れ始めた死体の胸の大きな傷をめがけて、その奥のゆるく輝く心臓めがけて拳を振り下ろし棺をぶち破ると屍体を抱え上げ、ステアを浮かび上がらせた。
 説明を求められればそういう行動をとった。と云えるマジンは他にも様々おこなったが、その行動に道理を求めることは本人であっても不可能だった。
 マジンがやったことはステアにカシウス湖の浄水設備と動力設備の基礎工事に使った大深度施設用の重金属製の基礎材にちょっとした尾ビレを付けて重金属の槍として石鹸爆弾を合わせて四十グレノルあまり積み込み、エランゼン城塞の上空二リーグから降らせただけのことだった。
 軍都の連中が無理難題を吹っ掛けてくることを楽しみにした準備をしていたのは一種の冗談のようなものであったが、もちろん実施されれば冗談であるはずがない。
 吹き上がる砂礫や雪煙や木っ端ヒトや家畜の死骸その他様々なものが既に成層圏にあったステアの脇を突き抜けるようにして宙に舞った。
 一旦は瓦礫に埋まったエランゼン城塞は幾らかの瓦礫が巻き上げられ再び降り注ぎ、一気に千年の時を経たような有様になった。
 もちろん、結果はわかっていることだったが、マジンにとっては全く八つ当たりという、だけ、の事だった。
 復讐というにもバカバカしい。リザは責任と能力に従い部隊の人員の命を救うべく魔法を使い魔力を枯渇させた。戦争の一幕というだけにすぎない。
 死んだ者を生き返らせる手立てなぞあるはずもない。
 だから、行為に意味を求めるほうがどうかしている、ただの狂気の沙汰だった。


 もちろん、八つ当たりも狂気の沙汰も上空三リーグというところからおこなわれれば空前のものになる。
 長さでおよそ八キュビットほど直径二十五シリカほどの槍、というよりは長い針のような固く重たい金属索はひとまとめに空中に放り出されると、最初は互いにぶつかりながらガラガラとやがて重心と空気抵抗に従ってまっすぐ垂直に音の壁を突き破り帝国軍の新型小銃の弾丸と大差ない終末速度でエランゼン城塞に降り注いだ。およそ一本三十五パウンという重量の棒はしかし十万本あまりも降り注ぎ、次々とエランゼン城塞の石組みを突き崩した。
 陥落したエノクサ城を巡る作戦後の処置についてはそろそろ昼夜を分かたずという状況は帝国軍総司令部でも終わっていたが、日に幾度かの討議は必要になる。
 そのさなかの敵襲に会議場の幾人かが戦死をした。
 とは云え、鉄の矢菅で抜かれようと山をその城郭に組み込んだ城塞のすべてが撃ち抜けるはずもない。
 それはここ数年ですっかり慣れてしまった、エノクサ城への敵の恐怖爆撃を思わせるもので、とうとう共和国軍が新しい手管を整えエランゼン城塞の位置を掴んだかということでもあったが、それ自体は帝国軍も手を打ち直せばよいだけのことだった。
 敵の突然の攻撃を幸運にも生き残ったボウサイズ大将は恐怖し仰天もしたが、しかし冷静だった。
 突然の敵の攻撃に城塞が耐えた事実に安堵したエランゼン城塞の総司令官マリゥラボウサイズ大将が空に見たものは、夜空に光のない月のように見える奇妙に低い丸い雲だった。
 歴戦の経験から低く鈍い響きに再びの攻撃を察知したボウサイズ大将はとっさに伏せたが、無駄に終わった。
 続く強烈な閃光と熱波がボウサイズ大将の背中を焼き、熱で呻く大将を衝撃波が床から引き剥がした。
 というよりも、既に先行する攻撃であちこちに痛みのでていた城塞が押し寄せる高熱と衝撃波に耐えられなくなり、床ごと崩れボウサイズ大将を生き埋めにした。
 或いはエランゼン城塞に備蓄されていた幾つかの必殺兵器毒ガスの容器が矢菅と火炎の高圧とその後の急激な減圧に貫かれ灼かれ押しつぶされ撒き散らされていた。
 巨大なきのこ雲がステアの航路の後ろに大気の厚みを教えるように立ち上っていた。
 エランゼン峡谷内で爆発した爆弾はボロンを含んだ一種の粉石けんを直径およそ千五百キュビットの球状空間に撒き散らし、空中に投げ出された子弾の爆発で一斉に点火した。
 元来花火に着色する際に助燃剤として僅かに加える材料を、比率を無視して手持ちをほとんどつぎ込んだそれは、色や音を重視する花火よりもおよそ燃やすことに特化した材料で空気中の酸素だけでは不足する酸化剤も含まれていた。演劇舞台の吹雪のような石鹸の雲が一気に燃焼し、雲をかたどっていた空間は三千二百度ほどに加熱され、紙や木はもちろん鉄をも溶かす温度を瞬間に発生させた。
 固形の粉末燃料は一回目の爆発の段階でゆるやかに表面を溶かしてはいたが、十分な燃焼には至らなかった。
 幾らかは燃えたはずだが安定剤に使われていた石油燃料が蒸発することで温度を下げ酸素を奪ってもいた。
 だが、着火用の子弾の安定剤に使われていた液体燃料がそこここで撒き散らされ蒸発し、酸素を得た子弾が空気と反応して着火したことで爪を弾く音が響く間に城塞の大郭と大差ない大きさの火球が発生した。
 それは城の天守や物見に至るほどの低さまで降り注ぎ直接燃やすことはなかった。
 しかし城の見晴らしの良いところから見れば、空が一気に太陽に包まれたと変わらない光景になった。
 およそ四方の見張りについていたものは、天が燃えたその風景の全体でおよそ二三秒の間に一気に炎を上げて燃えた。
 そしてその炎によって窒息した。
 高温の衝撃波が通過するだけで人の肌は一気に焼け乾き、油の染みた焚付のように火が付き、熱さや痛みを感じる前に炎に包まれ、吹き消されてていた。
 幸運な幾らかの者たちは熱の痛みと自ら上げる炎を眺めながら、その後の弾き飛ばされるような衝撃によって炎を吹き消され生き残っていた。
 だが、爆弾の実際の効果は巨大な火球の炎の大きさ、熱の強さではなかった。
 空を太陽の十倍ほどに印象の上で一万倍ほども焦がしたとして、一呼吸に足らないほどのほんの僅かな時間では兵や立木は燃やせても城塞は燃やせない。
 しかし立木を瞬間的に燃やすほどの温度の空気が衝撃波とともに谷を駆け抜けた結果として、山肌を加熱し水分が融解蒸発という相変化により連鎖的な膨張をおこない雪崩崖崩れを誘発し、更にその雪煙が一気に空気の温度を奪った結果として衝撃波の後方に巨大な真空を作り、その中心に向けて猛烈な突風――もはや突風というよりは風の津波雪崩を燃焼中心に向かって引き起こした。
 冷却器付きの巨大な蒸気圧機関となった渓谷は、青白く空気の色を意識させるほどのその槌をその出口にあたるエランゼン城塞に叩きつけ爆発させ巨大なきのこ雲を作った。
 細い矢菅は耐えられたエランゼン城塞も、続く高熱によって一瞬発火しその後の衝撃波で押され真空によって引かれた湿度を持った空気の槌に打ち晒され、と大きな波に揺さぶられ、熱波による火災は自分が燃えていることに気が付きつつまだ生きている者が驚く間に酸欠によって吹き消えたが、数秒の真空とその後一分ほどの峡谷から吹き付ける瓦礫を交えた爆風によって大方の者達は意識を失い、瓦礫に埋もれた。
 空からの突然の槍襖を耐えたエランゼン城塞も、その後およそ一分間横殴りに食らった地獄の嵐を思わせる突風に爆砕され空に舞った。
 自ら引き起こした地上の出来事に高度三リーグの位置にいる五百キュビットを超えるステアの巨体が大きな波に煽られたように動揺して傾いた。
 細かく船体にあたる砂塵にマジンが思わず二酸化炭素分圧を下げて船体を上空に逃がしたほどである。
 渓谷の内側は逃げ場ないままに駆け抜けた衝撃波とその後の余波によっておよそ十五リーグにわたって大規模な雪崩を発端とする土砂崩れが起こり、鉄道を運行していた龍や輜重の多くも飲まれた。
 爆発の熱波というよりも厚みを持った嵐のような砂塵によって、地表の多くは常の雪崩とは全く異なる向きで崩れたために冬の備えはすでに実績のあった帝国軍の龍鉄道も多くは備えもろともに土砂に埋もれることになった。
 モワール城塞がエランゼン城塞よりも運が良かったのは渓谷が細く入り組んでいたために爆弾が渓谷に入り込めず、十分な燃料が渓谷の内側を満たす前に爆発をしたからだった。
 だがそれでもはるか上空から落ちた二発の爆弾がモワール城塞の帝国側経路を閉塞するには十分で、モワール城塞は多くの郭と砲が火薬を失い人を失った。
 モワール城塞が陥落の憂き目に合わなかったのは、ステアの攻撃は全く単に八つ当たりじみた通り魔の犯行であって、組織的に後方を狙った軍事的行動ではなかったからでもある。
 モワール城塞に二発の爆弾が落ちたのは、ジューム藩王国に爆弾を落とすことの理不尽さにようやくマジンのなけなしの理性が金切り声を上げたからに過ぎない。
 奇襲的に同日三発も大型爆弾を投下するのであれば、戦略的には個人的にも或いは共和国軍にとってももっと遥かに有意義な使い方がいくらもあったが、マジンの中ではある意味で成果と結果はどうでもよい攻撃ということで自分で区切りになる何かを見に行った、という意味しかなかった。


 実際上の指揮権はフェルト将軍に預けたまま、しかし名目上統帥権は失わずそれゆえに戦陣にとどまっているワージン将軍は手持ちの電探車からの報告で大きな何かがかなり高い位置を西から戦場を無視するように東、おそらくはエランゼン城塞あたりに向かい抜けていったという報告を受けていた。
 距離が遠かったが、気球や空騎兵よりはよほど大きく明瞭な反応で、動きは空気兵よりやや早いかというほどの金属製の何かだと思われた。
 操作に不慣れな者の気の迷いということはありえず、電算機車でも同様の反応であったから何かが空にいることは間違いなかったが、何者かというところは定かではなかった。
 だがワージン将軍にはこういった手合を決めつけるに都合の良い相手がすぐに思い当たった。
 中部軍団のイモノエ将軍にどう伝えたものか迷った挙句に、エランゼン城塞周辺を監視中の部隊に拠点警備の警戒を求む、とだけ伝えた。
 イモノエ将軍はワージン将軍がまた何か試すつもりかと思っていた。
 ワージン将軍はしばしば北側の山地の間道を探っていて、およそうまくいってはいないのだが、軍事的な意味を考えれば、例えば狼煙を見つけてやることの意味はある。
 要請の内容からして具体的な、なにか、があるわけではないが、エランゼン城塞近辺の土地で拠点警備をしている前方配置の部隊の幾つかに近日周辺の監視を厳に改めよ、と冬場には少々厳しい命令をしたのは遠乗りや訓練と云うには少々厳しい雪山を歩かされている兵隊の努力を想像したからであった。
 旧共和国軍司令部跡地である一八二高地からエランゼン城塞を見下ろせる位置に共和国軍が進出していたのは、今は冬で大きく下がりようがなかったからでもあったが、勝ち取ったはずの土地から理由もなしに下がりにくい戦意の問題もあってエランゼン城塞を攻めるでもなく見張っていた。本部からの命令は、大本営の公式発表ではエランゼン城塞を包囲していることになっている彼らからすれば後方にあたる帝国軍の行動の可能性をも感じさせる内容であったから、まだ醒めやらぬ冬の長い夜の明け方に沸き起こった遠雷の如き爆発の轟音をそれなりの数の兵隊が聞きとがめ、まさかの帝国軍の冬季攻勢かと跳ね起きるように配置につき、襲われたのが自分の陣地でないことに胸をなでおろし、当直のカナリアに戦場の様子を確認し、なにやら時ならぬ突風の行方に見慣れぬキノコ雲が立ち上っていることに気がついた。
 中部軍団ではすぐさまにエランゼン城塞を制圧すべきか、という会議が半日遅れとは云え昼のうちに開かれ、さらに半日遅れ日没に至らない夕刻のうちには北部軍団のフェルト将軍に先行する旨の連絡を発し、イモノエ将軍は現地にいた部隊に斥候偵察を命じた。
 魔導士達による連絡網に欠けはなく、友軍の予定外の戦闘被害は起きていなかったが、冬期作戦のことで占領を念頭に置いた威力偵察をおこなうほどの確信も余力も共和国軍にはなかった。だが、エランゼン城塞がなにごとかの事件で一部でも破砕されているなら、冬場の補給連絡の面倒を嫌って一旦は下げた装甲歩兵旅団を投入する意味はある。
 既に土地単位での抗戦を念頭に置いた帝国軍は夏冬関係ない小規模ながら対応しにくい戦闘を共和国軍に強要していた。局地的な戦闘においては帝国軍のニンニクソースと通称されるマスタードガスを連想させる樽状の爆発物には共和国軍は神経質になっていて、その実際の有無にかかわらず、これまでのような優勢な火力を活かした無造作な制圧をおこないにくく、地の利を帝国軍にあたえていた。
 共和国軍はゆるやかに後方を遮断して帝国軍に増援のない形になってはいたし、リザール城塞の陥落は帝国に切り札を切らせたという意味で重要ではあったが、共和国軍の勝利を約したというほど気楽な戦況でもなかった。
 だが仮にエランゼン城塞が何らかの破壊的な事件に巻き込まれたのであれば、それは中短期的な戦区内の帝国軍の来援がなくなるということでもあって、その事自体は確認する必要があった。
 エランゼン城塞の崩壊を偵察部隊が報告をしてきたのは、丸二日後の事だった。その頃には前方の部隊は独断で城塞の占拠に及んでいて、その報告は本部からの命令と行き違いになっていたが、魔導士の連絡で前線の幾つかの聯隊が独断で進出を定めたことを既に本部は把握していた。
 エランゼン城塞は人の気配がなくなっていた。もちろん巨城と言うにふさわしい威容でもあったから全く生存者がいないわけではなかったが、二千ばかりで乗り込んだ共和国軍将兵の見たものは崩れ果てた城郭主要部と飛び散り爆発した様々な瓦礫のわりにひどくさっぱりとした空気感だった。
 斥候の報告に誘引としては大掛かりではあるが、城塞ひとつを囮に潰してみせるなら乗ってやろう、と少し張り切った気分で乗り込んだ大隊長マリシテール少佐は何かこれは戦場とは異なる気味の悪さを感じていた。
 助けを求められ向かったものの間に合わなかった、焼き討ちにあった集落のような、胸騒ぎにも似た敗北感がマリシテール少佐の胸中を襲った。
 別段、同情する謂れもない、いずれは落とすべき敵の城塞であるわけだが、リザール城塞陥落の時に感じた高揚感はあまりなかった。
 ニンニクソースを自らたんまり楽しんで死んだと思しき男女の死体も、それはそれで自業自得と思いもしたが、既にニンニク臭はなくなっていた。
 マリシテール少佐は視界を制限し邪魔くさい防毒面をつけないですむことにホッとしたが、本部からの部隊長は戦地占領に挑んでは防毒面を着用すること、という訓令には違反していた。
 実のところ、幾らかの帝国軍のニンニクソース――マスタードガスは残っていた。エランゼン城塞にはかなり大量のマスタードガスの容器があり、多くはひしゃげ穴が空き中身が漏れだし吸いだされていたが、タール状の液体は瓦礫に埋もれた僅かな生存者の救出を難しくしていた。前方配置されていたマリシテール少佐の部隊には優先的に防毒面と被服の予備が与えられていたが、瓦礫に埋もれた人々を救うには二千の兵でできることには限界も多く、冬の寒さは幸運な僅かな生存者以外を容赦なく殺した。
 マリシテール少佐のエランゼン城塞占領から二日遅れて装甲歩兵旅団の機械化工兵が瓦礫の撤去を始めた頃には周辺含め三十万を僅かに割る数のほとんどの帝国兵は死んでいたが、それでも城塞全体でおよそ一万三千人ほどが生存していて城塞でなにが起こったか、知る限りのことを話し始めた。


 モワール城塞は被害の規模は小さくなかったが、後方の往還道への決定的な被害を免れたことと、機械化程度の低い南部軍団が冬期の徹底攻勢を軍事的常識から見合わせたために陥落を免れた。
 エランゼン城塞のキノコ雲とは違い多少開けたところで爆発したモワール城塞の二発は微妙な時間差と位置のせいで爆発とその後の爆風による衝撃はエランゼン城塞のそれに比べ完全なものではなかったが、ちょうど兵隊が起きだして夜番との交代の時間にあたったことが兵員の直接の死を多くしていた。
 とは云え予め徹甲弾による構造にゆらぎを作らなかったこと、渓谷全体を破壊出来るだけの位置に爆弾が落着しなかったこと、そして何より、偏執狂じみたアンドロウメルダ伯爵中将のモワール城塞の建造への意志が、モワール城塞の機能を守っていた。
 帝国軍にとっては単なる物資中継所程度に考えられていたモワール城塞を、アンドロ伯爵中将は大小八つの天守を構え、それぞれに最低二つが援護可能な位置にあるという、実に頑強無比の大要塞に仕立てていたし、それぞれの連絡のために複雑だが堅牢な地下道地下水道を備えていた。
 全くその執念ともいうべき周到な投資によってもなお敵の攻撃によって八つの天守は全て大方の機能を失ったが、一方でアンドロ伯爵中将もゴッヘル少将も全く偶然の産物ではあったが命を永らえていた。
 疑いと自信の狭間にあったアンドロ伯爵は渾身の出来と考えていたモワール城塞の有様に絶望に似た感情を抱いていたが、歴戦のゴッヘル少将は圧倒的なまでの敵の破壊と実にその威力によってモワール城塞の機能の半分を失ったことは認めたものの、大方二十万の兵員のうちまだ十五万が戦える、という事実を示しアンドロ伯爵を鼓舞した。
 内情を云えば多くのけが人と必ずしも兵隊というわけでない人々を加えた十五万で、もともと四十万ほどもいたモワール城塞の過半数が失われたということでもあったが、狼狽え絶望する間に、まだうめき声の響くモワール城塞を掘り起こし後方への連絡をつける、という重大な使命を示されればアンドロ伯爵は血の気を引かそうが足元がふらついていようが自分の出来ることをやる人物でもあった。
 一日何度か自分のおこなっている書類仕事の意味に理解が及び、胃の中を吐き戻したとして、アンドロ伯爵の脳髄は全く冴えに冴えて、モワール城塞の瓦礫に閉じ込められていた六万あまりのまだ命ある人々を救い出し、後方本領への連絡をつけることに成功していた。
 モワール城塞の前方は既に攻勢を諦めた状態であったことで、毒を使った遅滞撃滅戦術を目的とした毒薬の原液の配備を拒否したことで閉じ込められたままに死ぬ人々は随分と少なかった。
 その間、共和国軍は小規模な攻勢をかけてはいたが、思いのほか抵抗厳しい城塞に攻略は諦めていた。
 直接兵を預かるゴッヘル少将は、兵の数はともかくこれまで城を支えていた大砲の多くが城郭の様々とともに失われたことに焦りを感じていた。
 引き込んで撃滅すべきか、これまでと違ってどこまで回廊が使えるかわからないモワール城塞の現状に、焦りを感じてもいたが、全くの杞憂だった。
 普段使いとしては遠回りで明かりもないために使いにくい地下回廊は全くの無傷で天守を失った郭との連絡はその暗闇を経由することで瓦礫の面倒なく往来ができていた。
 そして置き場もなく邪魔者扱いされていた様々な物資の予備は長大な地下回廊に放置されていた。およそ型遅れや数の揃わない半端ものであったが、備蓄された予備としては十分で、瓦礫に埋もれ自らも瓦礫になった新型よりは使いやすく面倒もなかった。
 その中には大砲三千と砲弾五百万発が含まれていた。
 ゴッヘル少将は気弱な軍政家であるアンドロ伯爵の才幹を改めて見なおしていた。


しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

蒼穹の裏方

Flight_kj
SF
日本海軍のエンジンを中心とする航空技術開発のやり直し 未来の知識を有する主人公が、海軍機の開発のメッカ、空技廠でエンジンを中心として、武装や防弾にも口出しして航空機の開発をやり直す。性能の良いエンジンができれば、必然的に航空機も優れた機体となる。加えて、日本が遅れていた電子機器も知識を生かして開発を加速してゆく。それらを利用して如何に海軍は戦ってゆくのか?未来の知識を基にして、どのような戦いが可能になるのか?航空機に関連する開発を中心とした物語。カクヨムにも投稿しています。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

強制ハーレムな世界で元囚人の彼は今日もマイペースです。

きゅりおす
SF
ハーレム主人公は元囚人?!ハーレム風SFアクション開幕! 突如として男性の殆どが消滅する事件が発生。 そんな人口ピラミッド崩壊な世界で女子生徒が待ち望んでいる中、現れる男子生徒、ハーレムの予感(?) 異色すぎる主人公が周りを巻き込みこの世界を駆ける!

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...