強面な同級生は、俺の横顔が好きらしい

緑虫

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25 春香ちゃん

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 時折声を震わせながら、俺はずっとひとりで抱えていたものを日向に吐露した。

 日向は俺から一度も視線を逸らすことなく、俺の拳を優しく包みながら最後まで静かに聞いてくれた。

 全部話し終わった頃には、俺の顔は涙でグシャグシャ。だけど日向は、引いたり馬鹿にしたりといった態度は一度も見せなかった。それだけじゃない。心配そうに、だけどやっぱり睨みながら、俺の顔を覗き込むと言ってくれたんだ。

「井出……涙、拭こう? 腫れちゃうから」

 顔は怖いけど底抜けに優しい日向の言葉が嬉しすぎて、更に涙が溢れ出る。

「ぐす……っ、うん……」

 小さく頷くと、動きに合わせて涙が俺たちの手の上にボタタッと落ちていった。

「ああ……っ」

 日向が慌てた様子で辺りを見渡す。

「ティ、ティッシュ……ッ」

 机の上のティッシュを取ろうとして、俺の拳に重なっている手の存在を思い出したのか、逡巡する素振りを見せた。結局、手は離さないことに決めたらしい。拳を強めに握り直してから、自分のTシャツの裾で俺の頬や瞼をトントン拭き始めた。

「ひ、日向……? ごめん、迷惑――」

 折角着替えたのに、これじゃまた日向が濡れてしまう。だけど日向の手を掴んで止めようとしたら、逆に大きな手で握り返されてしまった。

 鋭い眼光を真っ直ぐ俺に向ける。迫力満点の眼差しに射抜かれたように、目を逸らせなくなった。

「迷惑なんてひとつもかけられてない。話してくれて、凄く嬉しい」
「――ッ」

 果てしない慈悲を見せる日向に、折角拭いてくれたというのに涙がまた溢れる。

「日向ぁ……っ」
「井出……」

 ちょっと困ったような表情になってしまった日向が、握っていた手をそっと離した。すると、静かに息を吸い込みながら、両手を俺の後ろに回して抱き寄せたじゃないか。う、うわ……っ、ハグされてる……!

「……俺のTシャツ、よく吸い取るから」
「ふは……っ、なんだよそれ……っ」

 日向の胸元に押し付けられた、涙にまみれた俺の顔。包み込む日向の存在が、温かい。強張っていた身体の力を抜くと、日向に身体を預けた。

 頑固な日向は、俺が抵抗しようがどうせ譲らない。そんなの、これまでの付き合いで分かっている。だから、抵抗の代わりに感謝の言葉を伝えることにしたんだ。

「……ありがと、日向」
「うん」

 弾力のある胸筋の奥から、トクトクトク、と随分と早い鼓動が響いてくる。日向はいつもドンと構えてるイメージだから、小動物みたいな心音が何だか意外だった。でも、安心する。ずっと聞いていたいと思った。

 俺を抱き締める日向の腕に、力がこめられる。俺の後頭部に、日向が頬をゆっくり押し当ててきた。……温かい。

 どこか安心できる低い落ち着いた声で、日向が囁く。

「俺は、中学の時のそいつらとは別人だから」
「……うん」

 涙がまた溢れてきた。

「俺は、井出といたい。金魚のフンだって言うなら、俺の方が井出の金魚のフンだ」
「そんなこと……!」

 ふ、と小さく笑う息が頭頂に吹きかかる。

「……俺は井出が思ってる以上にしつこいよ」
「へ」

 しつこいっていうか、強引なのはとっくに知ってるけど。

「井出と話せなくなった後も、二年近く井出の姿を目で追っていたくらいだから」
「へ」

 そんなに俺のことを――? 昼休みに絵を描くところを見せてもらっていただけの関係だったのに?

「だから、俺が井出のことを嫌になるとか考えられないから――安心して」
「ほ、本当か……?」

 日向の言葉に、伏せていた顔を上げていった。すぐ目の前には、ハッとさせられるほどに真剣な眼差しで俺を見下ろす日向の強面がある。

「本当。もうずっと拗らせてたから、井出がウザがっても離してやれないかも」
「ウザがるなんて、ないし」
「ならよかった」

 嬉しそうに細められた日向のキラキラした黒い瞳に、日向を見つめる俺の顔が映っていた。と、瞳の中の俺が、徐々に近付いてくる。

 ――え。どうして近付いてくるんだ?

「ひな……?」

 互いの吐息が混ざり合うほどの距離まで顔が近付いた、次の瞬間。

 ドタドタドタ、と勢いよく階段を駆け上る足音が聞こえてきた。

 俺と日向はビクッ! と反応すると、慌てて離れる。直後、日向の部屋のドアがバン! と開いた。

「ただいま! お兄ちゃん帰ってるの!?」
 
 ひょこっと顔を覗かせたのは、春香ちゃんだった。走ってきたのか、小さな顔は赤く火照り、息が上がっている。

 あれ、なんで春香ちゃんがいるんだ――と一瞬脳みそがバグり、たった今この瞬間まで、この家には春香ちゃんも住んでいるんだということすら頭から抜け落ちていたことに気付かされた。どんだけ馬鹿なんだよ、俺。

 家に上がる前はあれほど気にしていたのに、家の中に入ってからは一瞬たりと思い出さなかったことに唖然とする。

 だ、だって、日向が俺のパンツを剥こうとしたり、日向が俺の横顔ばっかり書いていたり、日向が俺のことを好きだって言ってくれたり、日向が、日向が――。

 ドアに背中を向けていた日向が、顔を顰めながら振り返った。

「春香。だからノックもなしにいきなり開けるなっていつも」
「あ、やっぱりいるじゃん! 玄関の鍵が開いてるのに靴がないからどういうこと――って、あれ? 井出先輩がいる」

 でかい日向の影に隠れる形になっていた俺の存在に、春香ちゃんがようやく気付いたらしい。ていうか春香ちゃん、部室で会う時と印象が全く違うな。素だとこんな元気な感じなんだ。この間部室の前で日向といる時もちょっと思ったけど、意外すぎる。人というのは本当に分からないもんだなあ。

「あ、お邪魔してま――」

 へらりと笑いながら手を振った次の瞬間、春香ちゃんが両手を頬に当ててムンクの叫びみたいな顔で叫んだじゃないか。

「って井出先輩!? どうしたんですかその顔!」
「へ? あ、ああっ!?」

 しまった、まだ涙の跡が残ってた!? 慌てて指で擦ろうとしたら、日向が俺の手をパッと掴んで止める。

 ギン! と鋭く俺を睨みながら、首を横に振る日向。

「擦ったら駄目。痛くなるかもしれない」
「え、でも……」

 もう春香ちゃんに対する恋心は薄れているとはいえ、そもそも春香ちゃんは俺の部活の後輩だ。後輩女子に泣いていた格好悪いところなんて見られたら、布団に潜り込んで出たくなくなるレベルのダメージを受けること必須じゃないか。

 すると、春香ちゃんがドスドスと大きな足音を立てて駆け寄ってきた。日向の逞しい肩を、小さな手で掴んで前後に揺らす。え、ええっ!?

「ちょっとお兄ちゃん!? 井出先輩を泣かせるようなことしたの!? 白状しなさいよ!」

 ひ、ひええ。ガチギレ風な春香ちゃんの眉間には、日向と同じような皺が刻まれていた。……兄妹の血を色濃く感じる。

「いや、俺は――」

 日向が目を白黒させながら答えようとしたけど、春香ちゃんの勢いは止まらない。

「じゃあ何で泣いてたの!? 井出先輩は優しい人なんだから、酷いことしたら私が許さないんだから!」

 ふん! と荒々しい鼻息を吹いた春香ちゃんは、俺が勝手に抱いていた幻想――可愛くて大人しくて優しくて守ってあげたい感じ、からは大分かけ離れていた。……いや、春香ちゃんは悪くないよ? 俺が勝手にそう感じてただけだしね?

「いや、でも……」

 日向が、「困ったなあ」とばかりにチラチラ俺を見る。ここでようやく、俺は「あ」と気付いた。

 日向は、俺のトラウマを勝手にペラペラと春香ちゃんに喋っちゃいけないと思ってくれているんだ。だけどそれを伝えないと、春香ちゃんは誤解したままだ。それで困り果てているんだろう。

 だから俺は、春香ちゃんに笑顔を向けて言った。

「あの、ごめんっ! ちょっと嫌なことがあってさ、それを日向に聞いてもらってる間に泣けてきちゃって!」
「へ? あ、そうなんですか? お兄ちゃんが何かしたとかじゃなくて?」

 何かは色々されてるけど、ここでは言えない。あーんとか、パンツとか、あれやこれや……。

「うん、日向はちっとも悪くないよ! むしろ優しすぎて怖いくらいだし!」
「井出……!」

 蕩けたような笑みを浮かべた日向を見た瞬間、春香ちゃんは唐突にピシッと立って敬礼した。え、どうした? 突然。

「勘違いしてすみませんでした! 問題ないなら結構です! 是非このまま仲を深めていって下さい!」
「え、春香ちゃん? 急になに……」
「お邪魔しました! あ、お兄ちゃん、次から戸締まりはしっかりね!」
「悪かった。ちゃんとする」
「じゃ!」

 春香ちゃんは逃げるように部屋から出ていくと、パタン! と勢いよくドアを閉めた。

 残されたのは、呆れたような顔で春香ちゃんが去っていった方を眺めている日向と、訳が分かっていない俺の二人。

 ……なにこれ?

 暫くの間、言葉が出てこなかった。
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