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20・愛おしいと思う気持ち
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「ミーシャ、これはどうしたらいいですか?」
差し出された洗濯済のシーツの両端をローリエに持たせた私は、少し離れてしっかりと両端を掴んだ。
「しっかり持っていてくださいね。 せ~の!」
ばふぅんっ!
小さめのシーツを力いっぱい広げ、何度もバブンバブンと広げるように風を通していく。
「きゃぁ!」
「わ、大丈夫ですか? お腹はぶつけていませんか!?」
耐えきれなくなったのか、シーツの端を離し、柔らかな夏草の上に膝をついてしまった女性の元に私は駆け寄った。
「ローリエ。」
「はい。」
夏草の上に四つん這いになってしまった彼女に大丈夫かと問うと、顔を上げたローリエは三角巾から飛び出した髪を耳にかけながら、にっこりと笑ってくれた。
「大丈夫ですわ、すこしびっくりしてバランスを崩してしまっただけですわ。 お腹もぶつけていませんから大丈夫ですよ。 それにしても、ミーシャは力持ちなんですのね。」
満面の笑みに、私もにっこりと笑い返す。
「そりゃぁ、力持ちにもなりますわ。 赤ちゃんを二人抱っこしていることもありますもの! ローリエもじきに、そうなりますわ。」
「まぁ、では、私も頑張りますわ。」
一緒にお茶を飲んだ日以降、ローリエはすこしずつ、部屋から出てくるようになった。
まずは日に2度のお菓子の時間のどちらか。 その両方を過ごせるようになったら、日に3度の食事のどこか、それを少しずつ増やしていった。
食事になったころからは、私や他の誰かが無理強いはしないまでも、お部屋まで迎えに行くようにして……ひと月もたった頃には、共に見習い修道女としての仕事をしながら、一日の大半を、養育棟で一緒に過ごすようになっていた。
そうして活動を始めると、彼女にとってもここは心落ち着く、穏やかな時間を過ごせる空間だったようだ。
シスター・サリアはもちろん、ダリアさん、マーナ、マーサ、シーナ。 そのみんなが、改めまして、ではなく、気兼ねなく彼女に優しく声をかけ、話を聞き、落ち着いて過ごせるように静かに見守ってくれた。
ただし、私に対しては皆が容赦なく、その仕事は身重の体には大変だから貴女がやりなさい、と、ビシバシと指導が入ったわけで、おかげでわたしも、『身重の人に対する気遣い』を実践できるほどに成長できたのだ。
嬉しいことは他にもある。
お部屋にこもっている間は、廃棄する方が多かった食事は、日増しに食べる量の方が増え始め、私と一緒に軽作業を始める頃には、出されたお皿は空っぽにできるようになっていた。
こけていた頬はふっくらし、青白かった顔色も良くなってきた。
そして、お腹はみるみる大きくなった。
見るたびに大きくなるお腹に、これ以上大きくなったら破裂するのでは!? と心配したくらいだ。
そんな大きくなったお腹の中の赤ちゃんは、あとひと月もすれば生まれてくるらしい。
何月何日に出てきますか? と産婆を務めるノーマさんに聞いたら、『そんなのものは、神様とおなかの赤ちゃんにしかわからないよ』と聞いて大笑いされたり、『今まで食べてなかった分、たっぷり2人分食べなきゃ!』と言ったら、そうではないと説明されたりと毎日が大変で、びっくりして、楽しかった。
ちなみに『2人分食べなきゃ』というのは、間違いらしい。
ローリエが今まで食べてなかったことは確かによろしくはないけれど、それはそれ。 これからどんどん赤ちゃんとお母さんの体に食べたものが蓄えられて行くから、際限なく食べたら、際限なく二人で大きくなり、これもまた、お産が困難になってしまう、と言われたのだ。
「難しいですわね、お腹の中で赤ちゃんを育てる、というのは……。」
広がったシーツを少し背伸びしてロープにかけて止めた私は、しっかりと木製の洗濯クリップで止める。
「本当ですわね……でも、こんなに心穏やかに過ごせるなんて、思いもしませんでしたわ。」
「ローリエ……よかったですわ。」
にこっと再び私は笑いながら、パンパン、と、テーブルの端に伸ばされたおむつを一度伸ばしてから干していく。
出来ることをできるだけ、と、言われているローリエは、今日は私のお洗濯の手伝いをしてくれている。
今は、大きな木の木陰に、椅子を置いて座っているローリエが干す前のおむつの皺を伸ばして用意してくれているので、それを私がロープに引っ掛けていくのだ。
「小さな肌着……。」
バビーの肌着を伸ばしながら、穏やかに笑うローリエに私も笑う。
「バビーは一番大きい子なのに、こうやって肌着だけ見るととっても小さいですわよね。 だって私たちのシュミーズの半分以下ですもの。」
「まぁ、では、夜会のドレスからは何枚分の肌着が出来るでしょうね。」
(ひらひらの布たっぷりのドレスから……? 赤ちゃんの肌着? 作る? あの派手な布から!?)
頭の中で想像して、2人でぷっと噴き出したところに、声がかかる。
「お嬢さ……いえ、ローリエ。 水分補給を……。」
「ありがとう、シモン。」
養育棟の方から、トレイに2杯のお茶を持ってきたシモンにお礼を言い、ローリエはそれを取った。
「ミーシャもどうぞ。 今日は暑いですから、こまめに水分補給をしなさいと皆さんが仰っていますので。」
「まぁ、ありがとう。 ちょうど喉が渇いていたところよ。」
カップを受け取った私は、そのまま一気に飲み干し、カップをトレイに返す。
本当に今日は暑い。
ふぅっと、額に浮かぶ汗を袖で拭った私は息を吐いて空を見た。
太陽がぎらぎら光っていて、午前中でこれはお昼からはもっと暑くなるだろう。 この国は比較的北の方にあるため、クーラー……とまではいかなくても、空気を循環させるためのサーキュレーターや扇風機はほしいと思う。
(モーターってどうやって作るのかしら? 風車があるんだらか、誰か考え付いてくれないかしらね。 そうしたら赤ちゃんも快適になって、汗疹とお別れできるのに……。)
汗疹は痒いし可哀想なのよねぇと、息を吐きつつローリエの方を見れば、少し顔をしかめ、お腹を押さえている。
「ローリエ! ……ど、どうかしました? まさか、お腹が痛い!? 大変! すぐ誰かを……。」
「あ、いえ。 ミーシャ、あの、違いますわ。」
うふふっと笑った彼女は、あいたたっ……とお腹を擦りながら、私を見た。
「ミーシャ……手を、貸してくださる?」
「手?」
手のひらを見せれば、にこっと笑ったローリエが私の手首を掴んで、先ほどまで押さえていた胸の下あたりと、ぐっとお腹が飛び出す境目のところに手を置いた。
「このまま、ちょっと待っててくださいませね。」
「……え? えぇ。」
よくわからないままにそのままお腹を触れていると。
「きゃ!」
「あ、痛っ!」
私の声と、ローリエの声が重なった。
それもそのはず。 突然、ぼこんっ! と、私の手の下のお腹が下からたたき上げるように動き、そのあとも、ぐにゃりぐにゃりと波打つ様に動いているのだ。
「な、な……。」
ややあって、動かなくなったお腹に当てるように掴まれていた手を離してくれたローリエは、咄嗟に自分の掌を表裏見返した私を見てくすくすと笑った。
「ミーシャ、そんなに吃驚しなくてもよろしいのに。」
「びっくりしますわ! 今のは何なんですの!?」
「赤ちゃんが思い切りミーシャの手を蹴り飛ばしたのですわ。」
「えぇ!?」
私はローリエのお腹の前にしゃがみこんで、そっとお腹を見る。
「お腹の中なのに、あんなに強く蹴りますの!? い、痛くないんですか?!」
「はい。 時折ですが、先ほどの様に骨のある所を蹴られると、とっても痛いです。 でも、それ以外のところでしたら痛くありませんのよ。 それどころか、あぁ、今日も元気だなぁとホッとします。」
にこにこと笑ったローリエは、触りたくても触れないように宙をふわふわしている私の両手を取って、お腹に当ててくれる。
「昨日、ノーマが教えてくれました。 こっちにあるのが背中、ここがお尻、先ほどのところが足。 頭は下にあるのですって。 赤ちゃんはお腹の中で、私たちとさかさまにぷかぷかと、羊水というものに浮いているんですって。」
こっちが背中で……こっちがお腹? と、私もそのまま触らせてもらうが、さっぱりわからない。 ノーマは、病院のエコーとかもないのにおなかの赤ちゃんの向きがよくわかるのね?
と思いながらつい、背中があるよ、と言われた場所を摩った。
「本当にこのお腹の中に、赤ちゃんがいますのね。」
「はい。」
お腹は、冷たいローリエの手に比べて随分と温かく感じた。
「不思議ですわ。 お腹の形が変わるまで、強く蹴ったりするのですね。」
ぼこん、ぐにゃん、と、お腹の形が変わって、私はまた、びっくりした。
「そうですわね。 実は昨日、お腹の中でずっと変な感じがしたので、ノーマに相談したのです。」
「変な感じ、ですか?」
「はい。 ぴく、ぴくっと、ずっとお腹の中で動いているんです。 何か悪いものではないかと不安で見ていただいたんです。 そうしたら……ふふ。 なんて言われたと思いますか?」
「な、何ですか?」
ローリエは、にこっと笑って教えてくれた。
「『それは赤ちゃんのしゃっくりだから、大丈夫よ』と。」
「しゃっくり? 赤ちゃんがですか?」
「えぇ。 お腹の中の赤ちゃんも、しゃっくりをしたり、指しゃぶりをしたりして、ミルクを飲む練習をしているそうなのです。」
(しゃっくりはお母さんの感じるお腹の中の変化だからわかるけど、何で指しゃぶりまでわかっているんだろう……この世界、まだ全身麻酔の安全性が確立してないんだから、帝王切開中じゃないわよね??)
はてな? となっている私をよそに、ローリエはふんわりと、柔らかい微笑みを浮かべた。
「そんな風に育ってくれていると解ると赤ちゃんが愛おしくて……私、早く会いたいと、初めて思いました。」
花が綻ぶように微笑んだローリエの微笑みがあまりにも幸せそうで、鼻の奥にツンとしたものを感じた私はその首元に(お腹をかばいながら)抱き着いた。
「えぇ、えぇ。 私も、早く会いたいですわ! ローリエの赤ちゃんに、とっても会ってみたいです!」
吃驚しただろうローリエは、私の背中を抱いてくれると、トントン、と、摩ってくれた。
「はい。 その時にはぜひ、抱っこしてあげてくださいね。」
「はい!」
私はぎゅうっと彼女を抱きしめた。
呻き声がする。
もう何度目かの、歯を食いしばり、悲鳴を耐えるような呻き声だ。
「まだ、かかるのでしょうか?」
「10分間隔になってからまだ10時間しかたっていないわ。 さっき聞いた話だと、まだ初産で年若いから、赤ちゃんを守っていた門が固くて開きにくいそうよ。 まだまだ時間がかかるわね。」
「……そんな、こんなにも辛そうなのに。」
私はローリエの部屋の前で、一緒に来てくれたシスター・サリアにそう言われて息を吐いた。
昨夜、食堂にて夕食を食べ始めて少し経った頃、急になんだかお腹が痛いと言い出したローリエに、ノーマは赤ちゃんが出たがり始めたのだろう、と、言った。
ローリエはシモン、ノーマと共に、痛みのない時間を見計らって寄宿棟の自分の部屋に帰って行った。
少しして一人、厨房に帰ってきたノーマは、どうやらローリエは朝から痛みは感じていたものの、我慢できるものだったため様子を見ていたらしい。 今見た限りでは、痛みも規則正しく来ているから、やはり出産が始まったようだ、と教えてくれた。
何か手伝う事は? と聞いたが、いまのところは何もない。 みんな、いつも通り仕事をするのが一番だ、と言った。
知らせを受けてやってきた院長先生にもそう言われ、アニー、バビー、シンシアの寝かしつけをしたあと、夜勤めのマーナさんと交代して寄宿棟の自室に戻ったが……時折聞こえる呻き声に、私は何度も部屋を飛び出した。
そのたびに、隣の部屋のシスター・サリアも出てきて私を宥めてくれた。
そうして眠れぬままに過ごした一晩だったが、朝になってもまだ、赤ちゃんは生まれてこないらしい。
「おはよう、シスター・サリア、それにミーシャ。」
「「おはようございます、院長先生。」」
落ち着かず、なかなかローリエの部屋の前から動けない私の背中をポン、と叩いたのは院長先生だった。
「お産というものは、いつ始まるか、いつ終わるか、そんなものは神様と赤ちゃんにしかわかりません。 私たちに出来ることは、無事に生まれることを祈り、日々のお勤めをすることだけです。 大丈夫、生まれたらちゃんと伝えに行きますよ。」
にっこりと笑った院長先生に、頷くようにシスター・サリアが私の背を押した。
「……さ、ミーシャ。 仕事に行きましょう。 ここはノーマに任せておいて大丈夫。 それよりも、アニーたちが待ちくたびれているわよ?」
「……はい、シスター・サリア。」
私は部屋に戻り、支度をしてから、いつものように聖堂の掃除に向かったのだった。
差し出された洗濯済のシーツの両端をローリエに持たせた私は、少し離れてしっかりと両端を掴んだ。
「しっかり持っていてくださいね。 せ~の!」
ばふぅんっ!
小さめのシーツを力いっぱい広げ、何度もバブンバブンと広げるように風を通していく。
「きゃぁ!」
「わ、大丈夫ですか? お腹はぶつけていませんか!?」
耐えきれなくなったのか、シーツの端を離し、柔らかな夏草の上に膝をついてしまった女性の元に私は駆け寄った。
「ローリエ。」
「はい。」
夏草の上に四つん這いになってしまった彼女に大丈夫かと問うと、顔を上げたローリエは三角巾から飛び出した髪を耳にかけながら、にっこりと笑ってくれた。
「大丈夫ですわ、すこしびっくりしてバランスを崩してしまっただけですわ。 お腹もぶつけていませんから大丈夫ですよ。 それにしても、ミーシャは力持ちなんですのね。」
満面の笑みに、私もにっこりと笑い返す。
「そりゃぁ、力持ちにもなりますわ。 赤ちゃんを二人抱っこしていることもありますもの! ローリエもじきに、そうなりますわ。」
「まぁ、では、私も頑張りますわ。」
一緒にお茶を飲んだ日以降、ローリエはすこしずつ、部屋から出てくるようになった。
まずは日に2度のお菓子の時間のどちらか。 その両方を過ごせるようになったら、日に3度の食事のどこか、それを少しずつ増やしていった。
食事になったころからは、私や他の誰かが無理強いはしないまでも、お部屋まで迎えに行くようにして……ひと月もたった頃には、共に見習い修道女としての仕事をしながら、一日の大半を、養育棟で一緒に過ごすようになっていた。
そうして活動を始めると、彼女にとってもここは心落ち着く、穏やかな時間を過ごせる空間だったようだ。
シスター・サリアはもちろん、ダリアさん、マーナ、マーサ、シーナ。 そのみんなが、改めまして、ではなく、気兼ねなく彼女に優しく声をかけ、話を聞き、落ち着いて過ごせるように静かに見守ってくれた。
ただし、私に対しては皆が容赦なく、その仕事は身重の体には大変だから貴女がやりなさい、と、ビシバシと指導が入ったわけで、おかげでわたしも、『身重の人に対する気遣い』を実践できるほどに成長できたのだ。
嬉しいことは他にもある。
お部屋にこもっている間は、廃棄する方が多かった食事は、日増しに食べる量の方が増え始め、私と一緒に軽作業を始める頃には、出されたお皿は空っぽにできるようになっていた。
こけていた頬はふっくらし、青白かった顔色も良くなってきた。
そして、お腹はみるみる大きくなった。
見るたびに大きくなるお腹に、これ以上大きくなったら破裂するのでは!? と心配したくらいだ。
そんな大きくなったお腹の中の赤ちゃんは、あとひと月もすれば生まれてくるらしい。
何月何日に出てきますか? と産婆を務めるノーマさんに聞いたら、『そんなのものは、神様とおなかの赤ちゃんにしかわからないよ』と聞いて大笑いされたり、『今まで食べてなかった分、たっぷり2人分食べなきゃ!』と言ったら、そうではないと説明されたりと毎日が大変で、びっくりして、楽しかった。
ちなみに『2人分食べなきゃ』というのは、間違いらしい。
ローリエが今まで食べてなかったことは確かによろしくはないけれど、それはそれ。 これからどんどん赤ちゃんとお母さんの体に食べたものが蓄えられて行くから、際限なく食べたら、際限なく二人で大きくなり、これもまた、お産が困難になってしまう、と言われたのだ。
「難しいですわね、お腹の中で赤ちゃんを育てる、というのは……。」
広がったシーツを少し背伸びしてロープにかけて止めた私は、しっかりと木製の洗濯クリップで止める。
「本当ですわね……でも、こんなに心穏やかに過ごせるなんて、思いもしませんでしたわ。」
「ローリエ……よかったですわ。」
にこっと再び私は笑いながら、パンパン、と、テーブルの端に伸ばされたおむつを一度伸ばしてから干していく。
出来ることをできるだけ、と、言われているローリエは、今日は私のお洗濯の手伝いをしてくれている。
今は、大きな木の木陰に、椅子を置いて座っているローリエが干す前のおむつの皺を伸ばして用意してくれているので、それを私がロープに引っ掛けていくのだ。
「小さな肌着……。」
バビーの肌着を伸ばしながら、穏やかに笑うローリエに私も笑う。
「バビーは一番大きい子なのに、こうやって肌着だけ見るととっても小さいですわよね。 だって私たちのシュミーズの半分以下ですもの。」
「まぁ、では、夜会のドレスからは何枚分の肌着が出来るでしょうね。」
(ひらひらの布たっぷりのドレスから……? 赤ちゃんの肌着? 作る? あの派手な布から!?)
頭の中で想像して、2人でぷっと噴き出したところに、声がかかる。
「お嬢さ……いえ、ローリエ。 水分補給を……。」
「ありがとう、シモン。」
養育棟の方から、トレイに2杯のお茶を持ってきたシモンにお礼を言い、ローリエはそれを取った。
「ミーシャもどうぞ。 今日は暑いですから、こまめに水分補給をしなさいと皆さんが仰っていますので。」
「まぁ、ありがとう。 ちょうど喉が渇いていたところよ。」
カップを受け取った私は、そのまま一気に飲み干し、カップをトレイに返す。
本当に今日は暑い。
ふぅっと、額に浮かぶ汗を袖で拭った私は息を吐いて空を見た。
太陽がぎらぎら光っていて、午前中でこれはお昼からはもっと暑くなるだろう。 この国は比較的北の方にあるため、クーラー……とまではいかなくても、空気を循環させるためのサーキュレーターや扇風機はほしいと思う。
(モーターってどうやって作るのかしら? 風車があるんだらか、誰か考え付いてくれないかしらね。 そうしたら赤ちゃんも快適になって、汗疹とお別れできるのに……。)
汗疹は痒いし可哀想なのよねぇと、息を吐きつつローリエの方を見れば、少し顔をしかめ、お腹を押さえている。
「ローリエ! ……ど、どうかしました? まさか、お腹が痛い!? 大変! すぐ誰かを……。」
「あ、いえ。 ミーシャ、あの、違いますわ。」
うふふっと笑った彼女は、あいたたっ……とお腹を擦りながら、私を見た。
「ミーシャ……手を、貸してくださる?」
「手?」
手のひらを見せれば、にこっと笑ったローリエが私の手首を掴んで、先ほどまで押さえていた胸の下あたりと、ぐっとお腹が飛び出す境目のところに手を置いた。
「このまま、ちょっと待っててくださいませね。」
「……え? えぇ。」
よくわからないままにそのままお腹を触れていると。
「きゃ!」
「あ、痛っ!」
私の声と、ローリエの声が重なった。
それもそのはず。 突然、ぼこんっ! と、私の手の下のお腹が下からたたき上げるように動き、そのあとも、ぐにゃりぐにゃりと波打つ様に動いているのだ。
「な、な……。」
ややあって、動かなくなったお腹に当てるように掴まれていた手を離してくれたローリエは、咄嗟に自分の掌を表裏見返した私を見てくすくすと笑った。
「ミーシャ、そんなに吃驚しなくてもよろしいのに。」
「びっくりしますわ! 今のは何なんですの!?」
「赤ちゃんが思い切りミーシャの手を蹴り飛ばしたのですわ。」
「えぇ!?」
私はローリエのお腹の前にしゃがみこんで、そっとお腹を見る。
「お腹の中なのに、あんなに強く蹴りますの!? い、痛くないんですか?!」
「はい。 時折ですが、先ほどの様に骨のある所を蹴られると、とっても痛いです。 でも、それ以外のところでしたら痛くありませんのよ。 それどころか、あぁ、今日も元気だなぁとホッとします。」
にこにこと笑ったローリエは、触りたくても触れないように宙をふわふわしている私の両手を取って、お腹に当ててくれる。
「昨日、ノーマが教えてくれました。 こっちにあるのが背中、ここがお尻、先ほどのところが足。 頭は下にあるのですって。 赤ちゃんはお腹の中で、私たちとさかさまにぷかぷかと、羊水というものに浮いているんですって。」
こっちが背中で……こっちがお腹? と、私もそのまま触らせてもらうが、さっぱりわからない。 ノーマは、病院のエコーとかもないのにおなかの赤ちゃんの向きがよくわかるのね?
と思いながらつい、背中があるよ、と言われた場所を摩った。
「本当にこのお腹の中に、赤ちゃんがいますのね。」
「はい。」
お腹は、冷たいローリエの手に比べて随分と温かく感じた。
「不思議ですわ。 お腹の形が変わるまで、強く蹴ったりするのですね。」
ぼこん、ぐにゃん、と、お腹の形が変わって、私はまた、びっくりした。
「そうですわね。 実は昨日、お腹の中でずっと変な感じがしたので、ノーマに相談したのです。」
「変な感じ、ですか?」
「はい。 ぴく、ぴくっと、ずっとお腹の中で動いているんです。 何か悪いものではないかと不安で見ていただいたんです。 そうしたら……ふふ。 なんて言われたと思いますか?」
「な、何ですか?」
ローリエは、にこっと笑って教えてくれた。
「『それは赤ちゃんのしゃっくりだから、大丈夫よ』と。」
「しゃっくり? 赤ちゃんがですか?」
「えぇ。 お腹の中の赤ちゃんも、しゃっくりをしたり、指しゃぶりをしたりして、ミルクを飲む練習をしているそうなのです。」
(しゃっくりはお母さんの感じるお腹の中の変化だからわかるけど、何で指しゃぶりまでわかっているんだろう……この世界、まだ全身麻酔の安全性が確立してないんだから、帝王切開中じゃないわよね??)
はてな? となっている私をよそに、ローリエはふんわりと、柔らかい微笑みを浮かべた。
「そんな風に育ってくれていると解ると赤ちゃんが愛おしくて……私、早く会いたいと、初めて思いました。」
花が綻ぶように微笑んだローリエの微笑みがあまりにも幸せそうで、鼻の奥にツンとしたものを感じた私はその首元に(お腹をかばいながら)抱き着いた。
「えぇ、えぇ。 私も、早く会いたいですわ! ローリエの赤ちゃんに、とっても会ってみたいです!」
吃驚しただろうローリエは、私の背中を抱いてくれると、トントン、と、摩ってくれた。
「はい。 その時にはぜひ、抱っこしてあげてくださいね。」
「はい!」
私はぎゅうっと彼女を抱きしめた。
呻き声がする。
もう何度目かの、歯を食いしばり、悲鳴を耐えるような呻き声だ。
「まだ、かかるのでしょうか?」
「10分間隔になってからまだ10時間しかたっていないわ。 さっき聞いた話だと、まだ初産で年若いから、赤ちゃんを守っていた門が固くて開きにくいそうよ。 まだまだ時間がかかるわね。」
「……そんな、こんなにも辛そうなのに。」
私はローリエの部屋の前で、一緒に来てくれたシスター・サリアにそう言われて息を吐いた。
昨夜、食堂にて夕食を食べ始めて少し経った頃、急になんだかお腹が痛いと言い出したローリエに、ノーマは赤ちゃんが出たがり始めたのだろう、と、言った。
ローリエはシモン、ノーマと共に、痛みのない時間を見計らって寄宿棟の自分の部屋に帰って行った。
少しして一人、厨房に帰ってきたノーマは、どうやらローリエは朝から痛みは感じていたものの、我慢できるものだったため様子を見ていたらしい。 今見た限りでは、痛みも規則正しく来ているから、やはり出産が始まったようだ、と教えてくれた。
何か手伝う事は? と聞いたが、いまのところは何もない。 みんな、いつも通り仕事をするのが一番だ、と言った。
知らせを受けてやってきた院長先生にもそう言われ、アニー、バビー、シンシアの寝かしつけをしたあと、夜勤めのマーナさんと交代して寄宿棟の自室に戻ったが……時折聞こえる呻き声に、私は何度も部屋を飛び出した。
そのたびに、隣の部屋のシスター・サリアも出てきて私を宥めてくれた。
そうして眠れぬままに過ごした一晩だったが、朝になってもまだ、赤ちゃんは生まれてこないらしい。
「おはよう、シスター・サリア、それにミーシャ。」
「「おはようございます、院長先生。」」
落ち着かず、なかなかローリエの部屋の前から動けない私の背中をポン、と叩いたのは院長先生だった。
「お産というものは、いつ始まるか、いつ終わるか、そんなものは神様と赤ちゃんにしかわかりません。 私たちに出来ることは、無事に生まれることを祈り、日々のお勤めをすることだけです。 大丈夫、生まれたらちゃんと伝えに行きますよ。」
にっこりと笑った院長先生に、頷くようにシスター・サリアが私の背を押した。
「……さ、ミーシャ。 仕事に行きましょう。 ここはノーマに任せておいて大丈夫。 それよりも、アニーたちが待ちくたびれているわよ?」
「……はい、シスター・サリア。」
私は部屋に戻り、支度をしてから、いつものように聖堂の掃除に向かったのだった。
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そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。
さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。
しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。
それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。
だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。
そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
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