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5章 思い出 面影 おぶる罪
ごのに 面影
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咆哮。
その場に、新たに生まれた白狐の姿は、誰の目もくらむほど美しく、結界と雷雲に閉ざされた葦原の空へは高く高く響いた。
赤いかわら屋根、大穴の開いた梅郷屋では、結界の破壊と狐の咆哮で、皆その轟音で気をやっていた。
梅郷屋だけではない。
六花四郎兵衛が張り込んだ結界は強固でありこの程度では崩れはしなかったものの、そのために雷鳴咆哮衝撃は中で反響する形となり、妖力強く己が身が守れるたもの以外は皆、魂を抜かれたように気をやった。
そんなもの、両手ほどしかいなかったのだけれども。
がらがらりと、落ちた瓦礫の音が聞こえる中で、春霞は気も失わずにいたようでおそるおそる目を開けた。
飛び込んでくる光景は、それはひどい惨状だった。
瓦礫と遺骸、立つ青い光以外は何もない。
全てが一瞬で吹き飛ばされたのだろうとわかった。
しかし何故自分は大丈夫だったのか、その理由はすぐに気がついた。
「結界だ」 触れようとすれば、ばちり小さな雷を立てる結界。「さっきのは零に触れたせいじゃなかったんだ」
きっと、零が現れ、呪禁が吹き飛ばされた後からずっと貼られていたのだろう。
しかしこれを張っていたのが零ではないのなら、わずかな妖力もない自分の周りとそれから気をやっていた月狗舞、その二人を護るだけの結界を貼ることができたのは一体誰だろう…
「…親父殿…?」周りを見回すがやはり自分と月狗舞、そうして青い光に包まれた女御大しか姿は見えない。 それでは何に護られていたのか…と、頬に何かがすり抜けた「なに?」
目を、大きく開ける。
小さな小さな手のひらほどの黄金色の子狐が、きゅん、と、鳴いてぺろり、矢立を握る手を舐めた。
「お前…」そっと、矢立から離した手を近づけると、すりすりと身を寄せてくる「お前が…」
ふわふわと、二本の尻尾を揺らしながらこちらを見ていた子狐は、赤い目を空に向け、唸りを上げた。
つられ空を見る。
尾がいくつもに裂け広がる、燃え盛る炎のような純白の狐が、睨めつけるようにこちらを…女御大を見ていた。
がりがりと前の足で宙を蹴り、飛びかかるように身を構えている。
一つ、吼えて狐は青い光に包まれなんとかそこにいる御大に飛びかかった。
引きつった顔。
逃げ切れない。
何する間も無く自分に迫ってくる月闇夜のような大きな口と牙を見ているだけの女御大はただ一歩だけ、後ずさった。
それが、精一杯であった。
「おやめ!」飛び込んでくる黒い影があった。「おやめ、零」
がちり、大きな音がして、弾かれた白狐はくるくる、体を回転させて瓦礫の中に降り立った。
牙を剥き、唸りを上げる。
「姉上!」
「珠月見太夫!」
「零、おやめ」 静かに静かに、飛び込んできた影は語りかける。「今のうちに、いつもの粋なお前の姿にお戻り、それとも、この床の呪のせいで獣に理性をとって食われたか?」
それならば、と、胸元から懐剣を取り出す。
「母の、私の血をもって抑えてやろうな」
体制を整え、2度目、唸りを上げて飛びかかってくる白狐に、ではなく、己の腹に刃を向けた。
「いつものお前にお戻り」今まで呼ぶことのなかった、七夜につけた本当の名を呼ぶ「千木羽(ちぎはね)」
とん
それはとても静かだった。
唸りも、悲鳴も、全ての音が消えた。
懐剣は、滑るように珠月見本人の肉と内臓を貫いた。
ただただそれだけ。
懐剣を引き抜いた拍子に飛び出した血液が、くるりくるり、飛びかかってくる白狐を飲み込むと、小さなまぁるい白い玉になり、飛びかかっていた勢いそのままに、それはまるで、母に抱き着く子のように、赤く花咲いた珠月見の手の中に収まった。
それだけ。
ただそれだけの、一瞬の出来事。
「ようやっと」白玉をぎゅっと、生まれたばかりの赤子を抱くように受け止め、頬寄せ抱きしめた珠月見は瓦礫に向かって身を倒しながらも、幸せを噛みしめるように微笑んだ。「ようやっと、可愛いお前を抱くことができた…」
「姉上…」女御大はしっかと両手を広げ、その身を抱え込んだ。「姉上!」
溢れる血を抑えるように、開いた手で腹を抑える。
受け止められた珠月見は女御大を見て微笑んだ。
「千木囃(ちぎはや)…」何年、何百年と呼ぶことができなかった妹の名を青ざめる唇で紡いだ。「千木囃…なんと愚かなことをしたものよ…」
「愚かな…?」血を抑える手に力を込めた。「姉上が…姉様が私を愚かと…愚かと申されますか?それでは貴方はどうなのですか!」
ぼろりぼろり、落ちる涙が白粉の崩れた珠月見の頬に滴り落ちた。
遠くから、数え歌が聞こえる。
鞠をつく音。それからお手玉、おままごと。
柔らかく優しい記憶の糸の先…あれはいつの夢だったのか。
黄昏時。
綺麗な茜の空の下、姉とやった化け合いこ。
かさかさと乾いた音を立てる、落ちた朽ち葉のうえで、一等、綺麗に色づいて落ちた葉を探してはちょこんと頭に載せる。
目の前で、茜色に染まったよく笑う、美しく才知にあふれた大好きな姉。
自慢の姉だった。
私はとても優秀で、一族の誉れよ、流石の血筋よと褒め称えられる存在で。
対して姉は味噌っかす。
どれほど才知に溢れ、美しく生まれても、妖力がなければ味噌っかす。
誉れ高き一族の中でもずば抜けて、類を見ないほど味噌っかすだったから、妖力比べでは、いつもわたしにはもちろん、誰にも、年若い子供にも勝てなかったし、それを遠巻きに品定めするように見ていた大人達の視線は針のようにするどくて、姉はよく泣いていて、わたしはよく慰めていた。
自分たちが生まれた一族は、この日の元でも由緒正しい、古くは神々の系図に連なる誇り高き一族で、自分が生を受けた家はその中でも長の側近、周囲からも一目置かれる、一族の中でも大変、大層血筋のおよろしい素晴らしい家だった。
そんな中での味噌っかす。
毎日容赦なく父母祖父母たちからの叱咤激励、年を追うごとに増える落胆の小言に身を細くし、そんな姿を憐れみ、蔑み、嘲笑う他の一族野党からの視線に耐えながら姉は生きていた。
そんな辛い生活の中、一族の森にとても厄介な客がやってきた。
神聖である里の森に迷い込み、長く歩いていたのだろう、疲弊し切った顔をした大男は、よりにもよって我が屋敷の目の前に当たる、大塚、稲荷の社の大鳥居の足元に腰を下ろした。
芦毛の馬をいたわるように撫ぜ愛でるその人間は、縹の合わせが良く似合う美丈夫であった。
あぁ、美しかったのは、絹か、公達か。
恋に落ちたのは、私だった。
私はその公達の優しい笑顔と、笙の笛のように澄み渡る声に恋をした。
彼と添いたい、彼の視線の先にありたいと願った。
しかし周りは許さない。
あんな者と、我ら気高き一族が!
喧喧囂囂、怒号鳴り響く中でも私の決意は変わらない。その人の視界に入るために、変化の術を使い娘の格好をして、そのものに会いに行くようになっていた。
一度だけ、姉と口論になっているところを見られたこともあった。姉はすぐに何処かに逃げて言ってしまったけれど、それでも、私はあの人と添い遂げたくて必死だった。
回りものが反対すれば反対するほどに。
だが、実はわずかに気づいていたのだ。
彼は姉を見ていた。
私とあってはくれていたけれど、それが姉に会うためだったと…そうしてそれは、周りのものたちも気づいたのだ。
私が父からの頼まれごとで一月、里を離れている間に。たったそれだけの間に。
里に帰った時、私の周りでは何もかもが変わってしまっていた。
姉の部屋に入った途端に、何があったのかを読み解き、悟った。
「一族の長になろう者を堕とす気か! 姉のお前が、恋慕を断ち切れ」
味噌っかすでもこれしきのこと出来るであろう。いや、これを負って味噌っかすから脱せよ! 周りの者たちは姉に詰め寄り追い詰め、責めたてた。
この時、ちろり、と、舌なめずりしたのは誰だったであろう。
そんな悪意にも気が付かないまま、姉は初めて、ずっとずっと欲しがっていた一族からの誉れを貰うためにそこへ向かった。
年老いただけでえらいとされるものたちに指南された通り、足を怪我したふりをし、大きな木の下でうずくまる姉に、公達はすぐに気づき、手を差し出した。
その手を取り、顔を上げた瞬間、手に持っていた小さな呪刀をするりと落とした。
姉は、あぁ、姉も、その公達に恋をした。
そうして、恋慕を断ち切るどころか郷を出奔した。
男と、手と手をとって、逃げてった。
笑っていたのは姉を味噌っかすと嘲笑い、蔑み、そうしてそうして、妹が好いた優男に焦がれて逃げるか誉を取るか、賭けをしていた親戚縁者…やはりただのみそっかす、しかしまぁ厄介払いができたじゃないかと、黄金の粒を数えながら笑っていた。
当初は必死に追っ手をだし、探していた父母も、ただ外聞を気にしていただけだったようで、噂が消えるとすぐ、初めからいなかった子よと追っ手を出すのをやめた。
焦がれたあの人と、大好きな姉を一気に失う。
恨む間も無く失った。
そんな、心に決着付かぬまま、取り残されたのは私だけ。
人の世に行き来満月の晩にはこっそり二人を探して人世へ向かい、見つかっては引きずり連れ戻され、父母祖父母に折檻された。
一族を担うものが情けない、みっともないと嘆かれた。
それでもなお、大好きだった姉を、かの人を探した。
本当に、大好きだったのだ 二人とも。
なのに、なのに、姉の行方はようとしてしれぬまま、祖父母がなくなり、父が隠居して…
残された私は、好いてもいない一族の男が婿に入る形で結婚させられ、一族の頭首になった。
好いてはいなかったが嫌いでもなかったその男はとても優しい番いで、家主としての責務に追われながらもその人との生活を大切にしながら、それでも姉達を思っていた。
ついた役職が重く、満月の晩ごとに姉を探すことはできなくなったがそれでも、姉達を忘れることはできず、今では二人、心穏やかに幸せに過ごしているだろうかと、遠く思いをはせることが多くなった。
あの日までは。
夫は別の女と情を通じていた。そうして、家血筋が良く、ただただ妖力が強いだけの間抜けで無様な女よと私を笑った。そればかりか、やはり味噌っかすはただの味噌っかす、姉妹揃って愚か者よと言ってのけた。
あぁ、私は…怒りで目の前が真っ赤になったのだけは覚えている。
気がついたら、血の海の中に一人立っていた。
姉(わたし)を罵る声
姉(わたし)の無様さを笑う顔
姉(私を)を陥れた者達ををけして許しはしない。
私は、私の大好きな姉を探して、その前にひれ伏させ、皆に謝らせるのだと…我が身を振り返ることなく必死に姉を探した。
大好きな大好きな、私の大切な姉。
それからの長い年月、ようやく影のものがそのゆきえをしれたと言ってきた。
葦原の遊女に成り下がって道中を踏んでいると聞いた。
そんなことはない、 ありはしないと下妖に化けて大江戸へ葦原へとそっと忍び込んだ。
嘘だと、姉はそんなことはしない、そんなところまで堕ちてはいないと信じていたのに。
追い求めていた姉は、下品で華美な仲ノ町で、得意げなすまし顔で道中を踏んでいた。
私の気持ちなど、何一つ知らないで!
溢れ出る殺意を押し込めるのに必死になっていた中で、冷やかしの客達からたあいもない噂を耳にした。
あの、太夫の後行く新造は、何やら目も疑うほどに太夫から大切にされていて、実は太夫の子ではないのかと。
あぁならば奪い取ってやろうと思った。
可愛らしい顔の、姉にはちっとも似ていないものの、あの人と姉の子ならば。
私が初めて好いた男と大好きだった姉の子だから…心底堕ちてしまうその前に救い出してやらなければ。
大切なもの、愛しているもの、あの、美しかった姉が戻ってこないのならば…
そして、私の力を全て使って、新造を手に入れる手はずを整えて葦原へ結界を張り、誰にも気づかれることなく、私は、あの幸せだった時間を取り戻すために…
あの、化け比べをして遊んだ時間を取り戻すために…
なのに、そのはずだったのに…
「千木囃…会えてよかったわ」
追い求めた姉は、白玉に包み込んだ化け物を愛おしそうに抱きしめて、私の腕の中で目を伏せた。
その場に、新たに生まれた白狐の姿は、誰の目もくらむほど美しく、結界と雷雲に閉ざされた葦原の空へは高く高く響いた。
赤いかわら屋根、大穴の開いた梅郷屋では、結界の破壊と狐の咆哮で、皆その轟音で気をやっていた。
梅郷屋だけではない。
六花四郎兵衛が張り込んだ結界は強固でありこの程度では崩れはしなかったものの、そのために雷鳴咆哮衝撃は中で反響する形となり、妖力強く己が身が守れるたもの以外は皆、魂を抜かれたように気をやった。
そんなもの、両手ほどしかいなかったのだけれども。
がらがらりと、落ちた瓦礫の音が聞こえる中で、春霞は気も失わずにいたようでおそるおそる目を開けた。
飛び込んでくる光景は、それはひどい惨状だった。
瓦礫と遺骸、立つ青い光以外は何もない。
全てが一瞬で吹き飛ばされたのだろうとわかった。
しかし何故自分は大丈夫だったのか、その理由はすぐに気がついた。
「結界だ」 触れようとすれば、ばちり小さな雷を立てる結界。「さっきのは零に触れたせいじゃなかったんだ」
きっと、零が現れ、呪禁が吹き飛ばされた後からずっと貼られていたのだろう。
しかしこれを張っていたのが零ではないのなら、わずかな妖力もない自分の周りとそれから気をやっていた月狗舞、その二人を護るだけの結界を貼ることができたのは一体誰だろう…
「…親父殿…?」周りを見回すがやはり自分と月狗舞、そうして青い光に包まれた女御大しか姿は見えない。 それでは何に護られていたのか…と、頬に何かがすり抜けた「なに?」
目を、大きく開ける。
小さな小さな手のひらほどの黄金色の子狐が、きゅん、と、鳴いてぺろり、矢立を握る手を舐めた。
「お前…」そっと、矢立から離した手を近づけると、すりすりと身を寄せてくる「お前が…」
ふわふわと、二本の尻尾を揺らしながらこちらを見ていた子狐は、赤い目を空に向け、唸りを上げた。
つられ空を見る。
尾がいくつもに裂け広がる、燃え盛る炎のような純白の狐が、睨めつけるようにこちらを…女御大を見ていた。
がりがりと前の足で宙を蹴り、飛びかかるように身を構えている。
一つ、吼えて狐は青い光に包まれなんとかそこにいる御大に飛びかかった。
引きつった顔。
逃げ切れない。
何する間も無く自分に迫ってくる月闇夜のような大きな口と牙を見ているだけの女御大はただ一歩だけ、後ずさった。
それが、精一杯であった。
「おやめ!」飛び込んでくる黒い影があった。「おやめ、零」
がちり、大きな音がして、弾かれた白狐はくるくる、体を回転させて瓦礫の中に降り立った。
牙を剥き、唸りを上げる。
「姉上!」
「珠月見太夫!」
「零、おやめ」 静かに静かに、飛び込んできた影は語りかける。「今のうちに、いつもの粋なお前の姿にお戻り、それとも、この床の呪のせいで獣に理性をとって食われたか?」
それならば、と、胸元から懐剣を取り出す。
「母の、私の血をもって抑えてやろうな」
体制を整え、2度目、唸りを上げて飛びかかってくる白狐に、ではなく、己の腹に刃を向けた。
「いつものお前にお戻り」今まで呼ぶことのなかった、七夜につけた本当の名を呼ぶ「千木羽(ちぎはね)」
とん
それはとても静かだった。
唸りも、悲鳴も、全ての音が消えた。
懐剣は、滑るように珠月見本人の肉と内臓を貫いた。
ただただそれだけ。
懐剣を引き抜いた拍子に飛び出した血液が、くるりくるり、飛びかかってくる白狐を飲み込むと、小さなまぁるい白い玉になり、飛びかかっていた勢いそのままに、それはまるで、母に抱き着く子のように、赤く花咲いた珠月見の手の中に収まった。
それだけ。
ただそれだけの、一瞬の出来事。
「ようやっと」白玉をぎゅっと、生まれたばかりの赤子を抱くように受け止め、頬寄せ抱きしめた珠月見は瓦礫に向かって身を倒しながらも、幸せを噛みしめるように微笑んだ。「ようやっと、可愛いお前を抱くことができた…」
「姉上…」女御大はしっかと両手を広げ、その身を抱え込んだ。「姉上!」
溢れる血を抑えるように、開いた手で腹を抑える。
受け止められた珠月見は女御大を見て微笑んだ。
「千木囃(ちぎはや)…」何年、何百年と呼ぶことができなかった妹の名を青ざめる唇で紡いだ。「千木囃…なんと愚かなことをしたものよ…」
「愚かな…?」血を抑える手に力を込めた。「姉上が…姉様が私を愚かと…愚かと申されますか?それでは貴方はどうなのですか!」
ぼろりぼろり、落ちる涙が白粉の崩れた珠月見の頬に滴り落ちた。
遠くから、数え歌が聞こえる。
鞠をつく音。それからお手玉、おままごと。
柔らかく優しい記憶の糸の先…あれはいつの夢だったのか。
黄昏時。
綺麗な茜の空の下、姉とやった化け合いこ。
かさかさと乾いた音を立てる、落ちた朽ち葉のうえで、一等、綺麗に色づいて落ちた葉を探してはちょこんと頭に載せる。
目の前で、茜色に染まったよく笑う、美しく才知にあふれた大好きな姉。
自慢の姉だった。
私はとても優秀で、一族の誉れよ、流石の血筋よと褒め称えられる存在で。
対して姉は味噌っかす。
どれほど才知に溢れ、美しく生まれても、妖力がなければ味噌っかす。
誉れ高き一族の中でもずば抜けて、類を見ないほど味噌っかすだったから、妖力比べでは、いつもわたしにはもちろん、誰にも、年若い子供にも勝てなかったし、それを遠巻きに品定めするように見ていた大人達の視線は針のようにするどくて、姉はよく泣いていて、わたしはよく慰めていた。
自分たちが生まれた一族は、この日の元でも由緒正しい、古くは神々の系図に連なる誇り高き一族で、自分が生を受けた家はその中でも長の側近、周囲からも一目置かれる、一族の中でも大変、大層血筋のおよろしい素晴らしい家だった。
そんな中での味噌っかす。
毎日容赦なく父母祖父母たちからの叱咤激励、年を追うごとに増える落胆の小言に身を細くし、そんな姿を憐れみ、蔑み、嘲笑う他の一族野党からの視線に耐えながら姉は生きていた。
そんな辛い生活の中、一族の森にとても厄介な客がやってきた。
神聖である里の森に迷い込み、長く歩いていたのだろう、疲弊し切った顔をした大男は、よりにもよって我が屋敷の目の前に当たる、大塚、稲荷の社の大鳥居の足元に腰を下ろした。
芦毛の馬をいたわるように撫ぜ愛でるその人間は、縹の合わせが良く似合う美丈夫であった。
あぁ、美しかったのは、絹か、公達か。
恋に落ちたのは、私だった。
私はその公達の優しい笑顔と、笙の笛のように澄み渡る声に恋をした。
彼と添いたい、彼の視線の先にありたいと願った。
しかし周りは許さない。
あんな者と、我ら気高き一族が!
喧喧囂囂、怒号鳴り響く中でも私の決意は変わらない。その人の視界に入るために、変化の術を使い娘の格好をして、そのものに会いに行くようになっていた。
一度だけ、姉と口論になっているところを見られたこともあった。姉はすぐに何処かに逃げて言ってしまったけれど、それでも、私はあの人と添い遂げたくて必死だった。
回りものが反対すれば反対するほどに。
だが、実はわずかに気づいていたのだ。
彼は姉を見ていた。
私とあってはくれていたけれど、それが姉に会うためだったと…そうしてそれは、周りのものたちも気づいたのだ。
私が父からの頼まれごとで一月、里を離れている間に。たったそれだけの間に。
里に帰った時、私の周りでは何もかもが変わってしまっていた。
姉の部屋に入った途端に、何があったのかを読み解き、悟った。
「一族の長になろう者を堕とす気か! 姉のお前が、恋慕を断ち切れ」
味噌っかすでもこれしきのこと出来るであろう。いや、これを負って味噌っかすから脱せよ! 周りの者たちは姉に詰め寄り追い詰め、責めたてた。
この時、ちろり、と、舌なめずりしたのは誰だったであろう。
そんな悪意にも気が付かないまま、姉は初めて、ずっとずっと欲しがっていた一族からの誉れを貰うためにそこへ向かった。
年老いただけでえらいとされるものたちに指南された通り、足を怪我したふりをし、大きな木の下でうずくまる姉に、公達はすぐに気づき、手を差し出した。
その手を取り、顔を上げた瞬間、手に持っていた小さな呪刀をするりと落とした。
姉は、あぁ、姉も、その公達に恋をした。
そうして、恋慕を断ち切るどころか郷を出奔した。
男と、手と手をとって、逃げてった。
笑っていたのは姉を味噌っかすと嘲笑い、蔑み、そうしてそうして、妹が好いた優男に焦がれて逃げるか誉を取るか、賭けをしていた親戚縁者…やはりただのみそっかす、しかしまぁ厄介払いができたじゃないかと、黄金の粒を数えながら笑っていた。
当初は必死に追っ手をだし、探していた父母も、ただ外聞を気にしていただけだったようで、噂が消えるとすぐ、初めからいなかった子よと追っ手を出すのをやめた。
焦がれたあの人と、大好きな姉を一気に失う。
恨む間も無く失った。
そんな、心に決着付かぬまま、取り残されたのは私だけ。
人の世に行き来満月の晩にはこっそり二人を探して人世へ向かい、見つかっては引きずり連れ戻され、父母祖父母に折檻された。
一族を担うものが情けない、みっともないと嘆かれた。
それでもなお、大好きだった姉を、かの人を探した。
本当に、大好きだったのだ 二人とも。
なのに、なのに、姉の行方はようとしてしれぬまま、祖父母がなくなり、父が隠居して…
残された私は、好いてもいない一族の男が婿に入る形で結婚させられ、一族の頭首になった。
好いてはいなかったが嫌いでもなかったその男はとても優しい番いで、家主としての責務に追われながらもその人との生活を大切にしながら、それでも姉達を思っていた。
ついた役職が重く、満月の晩ごとに姉を探すことはできなくなったがそれでも、姉達を忘れることはできず、今では二人、心穏やかに幸せに過ごしているだろうかと、遠く思いをはせることが多くなった。
あの日までは。
夫は別の女と情を通じていた。そうして、家血筋が良く、ただただ妖力が強いだけの間抜けで無様な女よと私を笑った。そればかりか、やはり味噌っかすはただの味噌っかす、姉妹揃って愚か者よと言ってのけた。
あぁ、私は…怒りで目の前が真っ赤になったのだけは覚えている。
気がついたら、血の海の中に一人立っていた。
姉(わたし)を罵る声
姉(わたし)の無様さを笑う顔
姉(私を)を陥れた者達ををけして許しはしない。
私は、私の大好きな姉を探して、その前にひれ伏させ、皆に謝らせるのだと…我が身を振り返ることなく必死に姉を探した。
大好きな大好きな、私の大切な姉。
それからの長い年月、ようやく影のものがそのゆきえをしれたと言ってきた。
葦原の遊女に成り下がって道中を踏んでいると聞いた。
そんなことはない、 ありはしないと下妖に化けて大江戸へ葦原へとそっと忍び込んだ。
嘘だと、姉はそんなことはしない、そんなところまで堕ちてはいないと信じていたのに。
追い求めていた姉は、下品で華美な仲ノ町で、得意げなすまし顔で道中を踏んでいた。
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溢れ出る殺意を押し込めるのに必死になっていた中で、冷やかしの客達からたあいもない噂を耳にした。
あの、太夫の後行く新造は、何やら目も疑うほどに太夫から大切にされていて、実は太夫の子ではないのかと。
あぁならば奪い取ってやろうと思った。
可愛らしい顔の、姉にはちっとも似ていないものの、あの人と姉の子ならば。
私が初めて好いた男と大好きだった姉の子だから…心底堕ちてしまうその前に救い出してやらなければ。
大切なもの、愛しているもの、あの、美しかった姉が戻ってこないのならば…
そして、私の力を全て使って、新造を手に入れる手はずを整えて葦原へ結界を張り、誰にも気づかれることなく、私は、あの幸せだった時間を取り戻すために…
あの、化け比べをして遊んだ時間を取り戻すために…
なのに、そのはずだったのに…
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これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
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