金色の回向〖完結〗

華周夏

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金色の回向〖第1話〗

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 この辺では見かけない、垢抜けた格好をしている。それが第一印象だった。明るいモスグリーンのVネックのTシャツの色とか、たくしあげたジーンズの丈とか色とか。しかもそれが雑誌でしか見ない少し珍しい海外のブランドだったとか。川に裸足で入っているところも。右足首の銀色のアンクレットとか言う、名前だけは知っているアクセサリー。けれど、つけた女性を初めて見た。水面にゆらゆら揺れた銀色は、何処か頼りない感じがした。自分とは住む世界が違う『外』の人だと、こんなぼんやりしたものでも、解る。
 木葉が触れあう音の風が吹き、蝉時雨が、矢のように降るこの村には、明度が高い鮮やかなアクリル絵の具のような彼女は、不釣り合いだ。似合わない。

 閉鎖的なこの山の中の村じゃ、短く切り揃えられて、頼りない桜貝のような爪を磨いてあるだけで、年寄りに『遊び人』と言われてしまう。彼女くらいの年の人や、『学生』を卒業した女性は、見合いをさせられる。旦那の三歩後ろを歩き、家を守るのが当たり前。この村は遅れている。女房と畳は新しい方が良いなんて言う親父ジジイ達。俺はああはなりたくない。

 遊んでいいのは若い子のみ。若気の至りで許される。そしてその若い子は、例えば一緒に乗り合いバスで高校へ行くクラスメイトの女子なんかは、綺麗な素顔に赤い口紅を引いただけの潔い化粧に本当は憧れるくせに、回し読みした雑誌のコピーみたいな化粧をし、彼女を『ババア』とか言う。俺は、その子らしい化粧をする子が好きだ。まず『皆と同じ』って気味が悪い。まあ同じだからいいのか。

 年齢って何だろう。何の意味があり、何の意味を持たせるのか。俺には解らない。けれど、出会ったばかりの女性の家に上がる直前まで、その女性の名前を聞き忘れていた俺は、ただ単に年齢なんて関係ない、溢れる好奇心だけの、礼儀知らずの若造だった。

 彼女と初めて会ったのは、つまらない数学の授業を抜け出して、腹が減ったから木苺でも食べながら暇潰しに魚でも取るかと、川に行った時だった。この時期は鮎が出る。解禁もされた。攩網たもあみを持って川に行くと、女の人がいた。様子から見るとやはり鮎捕りだ。つやつやの黒く長い髪を簪のようなもので一つに纏めていた。焼けていない白い肌が、若い顔を更に若く見せていた。皺もない。同級生の佐原が、少し前に息巻いて、

「何だか東京から女の人が学校の近くに引っ越してきたんだって! 東京で司書やってたって。あの子は訳ありだってお袋言ってたんだけどよ、司書だぞ、司書。村の図書館来んのかなあ。お前の死んだ父ちゃんとも同じ大学だったらしいって聞いたぞ。天下のT大だぜ!」

 予想とは随分違う人が来たなと思った。『色気有り余る都会の出来る女の人』を想像していたが、そうではないみたいだ。期待はずれだな。そう思い、早々に立ち去ろうとしたけれど、魚を取る彼女の網使いがあまりにも下手くそで、見ていられなった。スニーカーのまま川に入り肩を叩く。彼女は驚いたように目を軽く見開き、俺を見つめ言葉をつまらせた。俺は、彼女を近くで見て、綺麗な人だと思った。はっきりした二重。整えられた眉。化粧っ気ない顔に赤い口紅。一つに纏められた、長い黒い髪がつやつやしている。

「ちょっとごめん、攩いい?」

 と言い、俺はざぶざぶと川に分け入り、素早く攩網を使い、鮎を三匹捕った。そこまではいいものの、繋ぐ言葉が見つからない。こんなとき、スマートな大人だったら、と思う。

「この鮎は美味しいよ。俺が捕ったから。傷がなくて元気なまま。あと裸足、気をつけて」

 照れ臭くて視線を泳がせる。彼女は笑った。ほっとした。本当に嬉しそうだったからだ。たかが鮎だけでこんなに喜んで貰えるとは思わなかった。最初値踏みをするように彼女を見ていた自分が恥ずかしい。

「鮎は素早いのね。ありがとう。あのね、手作りのお菓子があるの。元気な鮎を捕ってくれたお礼。食べに来ない?」

 西瓜の匂いがする初夏の魚は、何食わぬ顔をして、三匹バケツでぐるりぐるり、悠々と泳いでいる。山奥で出会った都会の美女は、淡く笑いながら俺を誘う。
 
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