金色の回向〖完結〗

華周夏

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金色の回向〖第28話〗

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「深山先生が可哀想よ。虹子がいきなり腕の中で死んじゃったら、おかしくなるわ」

「あのひとは、あの夏、まだ私を好きじゃなかった。だから、勝手が言える。我儘が言える」

──俺は多分笑いながら泣いているような虹子さんを思った。

嬉しそうに、幸せそうに、記憶の中でしか手に入らない深山の父の幻を抱き続ける虹子さんを思って、つらくなって、そこから走って逃げようとした。

でも俺は、白黒のエンドロールで、終わりを迎える深山の父と、未来を失いここを去る虹子さんの話を知りたかった。
何か、俺が知らない深山の父の秘密の匂いがした。

「あの頃を思い返すね。幸せだった。理恵の家での家事の特訓は終わって、気儘に好きな料理を作るのは趣味になった。家庭菜園を作ったりして。一度だけあのひとを家に招いたことがあったの」

 空いた窓の隙間から偶々見えたのは、夢を見るような、虹子さんだった。

「緊張する私を不思議そうにする深山先生に、せわしなく葡萄のゼリーをご馳走したの。緊張して震えないように注意した。先生は喜んでくれて嬉しかった。
帰り際、玄関で言われたの。あのひとはキスをしたあと、いつも通りまるく微笑みながら言ったの。
今でも覚えてる。『僕はこれから長く君のそばにはいられない。そんな気がするんだよ。君の幸せに僕がいられないのが哀しい。今度また生物準備室に来て。お礼するよ。大したものはあげられないけど』って。あの人はまた、まるく微笑みながら、『カルメ焼き、作ろうか。うまく膨らませるの、結構上手なんだ』と言っていたわ」

 虹子さんは、深山の父に会いに、始業式が始まり、いつも通り学校が始まっても、放課後には生物準備室に通う毎日。

偶々深山の父がカルメ焼を焼いた。カルメ焼きは膨らみ続け、虹子さんはニコニコしながら上手にカルメ焼を膨らませる深山の父の無神経さに腹が立ったと言っていた。

クラスメイトから深山の父と俺の母親が『禁断の愛』と、秘密裏にもてはやされていたからだったらしい。

「そんなとき、膨らむカルメ焼きを指差し得意気に、深山先生は『すごい?』と表情を崩して、自慢気に私を見たの。
私は、可愛らしいといつもなら思えた。
なのに、苛々して可愛げのない、嫌な私が顔を出して言ったの『よく膨らんでますね、カルメ焼き。女性のお腹を膨らませるのもお上手だそうですね。よりによって私の親友に手を出しますか』そう私は冷めた目で先生を真っ直ぐ見てそう言った。
軽蔑を滲ませたタチの悪い嫉妬だった。恥ずかしいね。あんなに仲の良い親友が、先生一人のせいで、ギクシャクして」

 声を落とす虹子さんに、母は笑う。

「知らなかったんだから仕方ないよ。『真実』を伝えなかったのは私のエゴだね。あくまで『深山先生と………社会的認知されている子を産もう』ということが私の使命かと思っていたから。誰にも、虹子には、得に言えなかった」

「………先生は、理恵のお父さんに散々飲まされて、泥酔して何にも覚えていないと前に言っていたの。
けれど私はただの言い訳だと思った。アルコールが入った男ほど信じられないものになるから。テレビでも本でも言ってる。
実際手にかけた男もそうだった。けれど、後から知ったのは理恵のお父さんが、勝手に子供の父親を『深山先生しかいない』と決めつけたことだったのよね。『泥酔して家に泊まった若い男、それが証拠だ』ってね。いきなり理不尽に責任を押しつけられた形なのに深山先生は、すんなり『責任を取りましょう』と理恵と婚約した。
どうしてなのか、気になってた。本当に先生の子供なのか、違うのか………あのころの私にはずっとそれしか頭になかったわ」 
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