雪の約束──眠れない傷痕・みんなの場合スピンオフ・医師編──

カシューナッツ

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雪の約束──眠れない傷痕・みんなの番外編

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「孝明、おはよう。雪だよ、外真っ白!」
嬉しそうに和也は笑う。向精神薬や安定剤にも大分慣れ──佐伯の診察にも感謝している──言葉の発音も本人にも他人にも気にならなくなった。
和也には秘密裏につてをたどって例の手術を調べた。ミスも何もない、胸部大動脈瘤の破裂後の手術。俺は手術の概要を診て思う
「これは……無理だ」
それが俺の結論だった。和也がここまで悩む理由がわからない。心を病むまで、まるで罪悪感が形になって和也を襲うよう影を落とすことなどなにもないのに。
「考え事?ミルク珈琲淹れたよ。寒いからリビングで一服したら?」
「ああ。和也。後から一緒に散歩にいこう?」
「う、うん」
と言い、おはようのキスにしては少し濃い口づけをして、いつものように換気扇の下で冷蔵庫に軽くもたれ一服した。
白の厚地のマグカップに熱いミルク珈琲。俺が胃が悪いのを知っているからだ。
「孝明」
目の前にスプーンを出されると反射的に口を開けてしまうのは何故だろう。
「ん、んまい。何これ、プリン?」
「うん。レンジでつくるの。試してみた。美味しい?」
「もっとくれ」
おやつの時間にね。そう言うと、ダイニングテーブルにいつも通りの、手料理が並ぶ。『いただきます』と手を合わせ、丁寧に作られた料理に箸をのばしながら
「昨日は賑やかだったな」
「ああ、佐伯くんのパートナーの彼、相模くん、可愛い子だったね。最初インターンに見えたよ。佐伯くん自体、若く見えるし。楽しかった。お祝いできて良かった」
「和也も、若く見えるよ。年取るのやめたみたいに。それにしても、相手は初恋の君か。良かった。佐伯がぞっこんだな。でも相模はそこまでではないな。不安が見える」
そうかなぁ、と言って和也は瓜の奈良漬けに箸を伸ばす。
「大学時代の僕を見た気がしたよ。あの子は自分に自信がないんじゃないかな。臆病なモモンガみたい。目が大きくて、可愛いね。でも佐伯くんのことは好きなはずだよ。ただ、あの子は中々人をテリトリーに入れなさそう。僕たちはいれてもらえたみたいだね。何か最初孝明にツンツンしてたけど孝明何かしたの?」
奈良漬けのポリポリと良い音が響く。雪は、やまずに風がないせいか真っ直ぐに降り積もる。
佐伯が俺のことを好きだったこと、俺のせいで飛び降りたことは、相模には口止めしてある。
「あいつの入院中きついこと言ったの相模は知ってたからな。それにしても、佐伯、優しい顔で相模のこと見てたな。でも酒飲んでて、相模の肩に手ぇ置いただけで鬼みたいな目で俺のこと睨むんだぜ。でも、浮気じゃない浮気されたって相模言ってたな。インターンと」
長芋の千切りに醤油と酢をかけた小鉢に和也は箸をつけながら、
「浮気じゃない浮気された?何それ?」
大きな薄い茶色の目が俺の目を覗く。俺は綺麗な目玉焼きの半熟の黄身を割り、醤油をかける。
「身体だけ。心はやってない、とさ」
「ふうん。指輪の前?後?」
「前」
「後だったら、僕は家出する。孝明にあげた思い出のレシピノート、シュレッダーにかけてやる。当分ビジネスホテル暮らし。前だったら暫く口きかない。相模くん、どうしたんだろ」
まず無いが、俺は絶対しない。泣きながら怒りに震える和也は、絶対に見たくない。それに、悲しいし、正直怖い。
半熟卵が、トロリと白身に溶けたところを頂く。ついでご飯。
「佐伯曰く、最初の一日目で和解。でも、約一ヶ月夜はナシだって。あと、交代制の朝御飯が一ヶ月佐伯担当。でも朝昼って普通通りなのに夜中同じベッドで背を向けられて、ずっと声を殺して泣いてたって。これが一番きつかったって。泣いてる理由が自分なのは、全てを拒否されても仕方がないことだからな。『触らないで』って言われてたけど、無理やり抱き締めて、謝って、許してもらえたって。でも『この先同じ事があったら、多分光宏さんは心が揺らいでる。そうしたら俺はあなたを許さない。イギリスの大学へ研究員として日本から出て行きます。あなたに一生残る傷をつけてから』とさ」
「相模くん、きっと泣きながら言うんだろうね。ずっと、一緒にいてほしいな、あの二人………」
俺は昔を思い出していた。
『もう……殺してよ……孝明』
と眠りながら泣いて譫言を言う和也を前にした時だ。まざまざとよみがえる。和也の悲しそうな顔、声、それに、それに、俺は浮気なんかまだ可愛いものじゃないこと和也にしてきた……。
俺は箸を置いて、俯く。両頬を和也の両手に挟まれ上を向かされる。和也の目が怖い。視線をそらす。
「孝明、こっち向いて?」
「……嫌だ。嫌だ。怖いんだ。和也が怖い」
否定されたくない。捨てられるのが怖い。
「孝明。大丈夫。捨てられると思ってる?ずっと、この家で君を待っているよ」
「また和也が消えてしまったら……?虫が良すぎる話だけれど、今、幸せなんだ。それでも和也を傷つけた──痛めつけた事実は消えない………消えない」
和也はテーブル越しに触れるだけのキスをした。
「孝明、僕を見て、思い出さないで。僕はいい。いいんだ。だから孝明も、もう、苦しまないで良いから。たくさん孝明から色んなものを貰った。この病気は君のせいじゃない。あの人を僕が殺したから……。主治医の佐伯くんが『違う。孝明のせいだ』ってそう言ったら『それでもいい』って言えるよ。君が好きだから、それでいいんだ。いけないこと?」
「………」
目頭が熱くなる。
「今日は、お豆腐と葱のおすまし。孝明、好きでしょう?ほら、泣かないで。冷えちゃうよ。食べよう?ね?」
そう言い和也は笑う。和也は優しい母親みたいだ。俺は甘やかされている子供みたいだ。
─────────────────── 
静かに雪は降る。
俺はお茶を淹れる。茘枝紅茶を佐伯から貰った。ライチの香りがするお茶。
和也は『君のお茶を淹れる手が好きだ』と言う。大きくて、節くれてるけど、優しい手をしていると。温かい、命を救う手だと。
和也は俺以上に俺のことを知っている。好きな花。苦手な色。好きな数字。苦手な季節。スケジュール。うなじの小さな二つの、ほくろ。無意識の癖まで。知っている。
「美味しい、良い匂いだった。ごちそうさま」
「暖まったし、外行くか?」
「雪中行軍だね。ナポレオン?」
スニーカーをはいて、外へ出る。真っ白だ。汚いものも、綺麗に染める。隠す。
暫くはしゃいで雪を掛け合ったりしていた。こんなに、積もったのはいつぶりだろう?
今日が休みで本当に良かった。
じゃれあうように遊ぶ。柔らかい雪玉をぶつけあう。
和也が投げた雪玉が俺の薄いカーキのダウンコートにぶつかり雪玉がほどけるように消える。
不思議な光景だった。
まだ午前中なのに、遠くにうっすら見える道路は、明かりをつけた車がチェーンのように並び、街灯がつき時間の感覚が解らない。午後四時と言っても信じてしまいそうだ。
「だめだ、もう、苦しい」
「体力ないね。年かな?」
「多分煙草。やめようかな」
俺は息をきらせながら、何とか会話する。
和也は悪戯をするように、俺の頬に口づける。
和也はニコりと微笑みながら
『ちょっとまってて』
と言い、近くの自動販売機で、温かいココアとカフェオレを買ってきた。
ベンチの雪を払い手を繋いで、俺はゆっくり温かい缶のカフェオレを飲みながら話始める。
「和也。お前の最後の手術を調べたよ」
「……うん」
「お前は悪くないよ」
和也は首を振る。
「あれは、無理だよ。執刀医が誰でも無理だよ。お前は二割っていったけど、あれでは………」
和也は下を向いて、俺の手を握る強さを弱めた。
「声が嗄れて、ものが飲み込みづらい……反回神経麻痺や食道圧迫の症状があった。僕は確信してた。胸部大動脈瘤だって。そして、願った。早く死んでって。破裂してって。願い通りに、なった。立派な…人殺しだよ。知っていたんだから。知っていて、黙ってた」
静かに、静かに和也は泣いていた。
この雪と同じだ。音もなく、静かに。
口許に自虐の笑みを浮かべて。
不謹慎だが、綺麗だ。
「全部知りながら和也といる俺は共犯者?それに、あの頃の俺に死んでほしいと思わなかったのか?」
「……死んでほしいと、思っていたよ。そして、何故だろうね。同じくらい愛していたんだ。何の見返りもない、苦しい生活をしながらも、いつか、いつか、昔みたいにっていう希望が捨てられなくて。……今は幸せ。ねぇ、孝明」
「なんだ?」
努めて優しく訊く。
「愛してるよ。君だけだよ」
カランとココアの空き缶をゴミ箱に放り、
泣きながら、楽しそうに雪原と化した公園を和也は子供のように駆けていく。白く降りが強まった雪に和也の薄いベージュのコートが霞む。俺は怖くなる。
全速力で追いかけ、後ろから和也を抱き締める。
「俺を置いていかないでくれ。消えてしまいそうで怖い」
「消えないよ、僕はもう孝明を置いて、何処にもいかない」
軽く振り向く。少しだけ見えた穏やかな表情。綺麗だと思った。微笑みながら消えてしまいそうに見える。
「孝明……あの人を引き摺る理由は、『医者』として知識がありながら、知りながら近づく死を願い続けたことだね。僕が何もしらなかったらここまでの苦しみはなくて、ただ、絶望からの解放を喜べた」
「もう、いい。いいんだよ。終わったことだ。いいんだ。それに…俺のところに和也が戻ってきてくれた。もし、その人…が死ななければ、お前はここにいない。待つ三年間は、長かった。お前の地獄には……敵わないけどな。こんな、俺の所へ、あんな仕打ちをした奴のところへ戻って来てくれて……ありがとう」
和也は俺の手を握りしめ言った。
「君のところが僕の帰る場所。最初の恋人。最後の家族」
俺は和也を抱き締める。和也は俺の手を握る力を強める。
「くるしいよ。どうしたの?孝明」
笑いながら、泣きながら和也は言う。声で解る。潤んだ声。
「暫く、こうさせてくれ。頼むから」
「うん。孝明、温かいね。背中ポカポカ。でも、雪の降りが強いよ?あ、足跡まできえてる。早く帰らないと」
「足跡が消えても、ちゃんと正しいところへ帰れる。もう、間違わない。和也は?」
「大丈夫。ちゃんと、帰れる。まず、一緒に帰る人がいる。だから、手を離さないで。やっとまた繋いだこの手を、離さないで………」
手を繋いで帰る。小さめな細く白い手が、俺の手に絡む。
エレベーターでキスをした。寒いところに居たのに和也の息は熱かった。深く口づけると、ココアとカフェオレが混じった。自分の家の階になんてつかなければいい。和也の細い腕が、首筋に絡む。
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夜、やんだ雪に反射する夜景を見ながら、眠る和也を眺める。口づけの痕を残さずにはいられない白い胸元。久々に和也を抱いた。症状がでてから悪い思い出を思い出させたくなくてなるべく抱くのを控えていた。でも、あの声、軽く前がはだけたガウン。仰向けに横になり、手を、孝明の方へ葉のように伸ばす。
『孝明………して』
 優しく誘う声に吸い寄せられる。昔と、変わらない。花が、うちひしがれていた花が綺麗に蘇るようだった。朝露に濡れて、香り立つ。花粉を散らされ、受粉する。孝明はさしずめ、甘い香りに誘われた冴えない蜂かと心の中で苦笑する。花と戯れ、花の声をきく。
『僕、生きてて良かった』
『孝明に会えて良かった』
『今日、本当に……やっと苦しかったことが終わった気がした』
『孝明、今年の夏、湖にいこう?佐伯くんと、相模くんも誘って』
『孝明、僕を見つけてくれて、ありがとう』。
『僕、生きてて良かった』
『孝明に会えて良かった』
優しく笑うこの花ほど、胸を苦しくさせ涙を流させるものを知らない。
愛しくて、愛しくて、たまらない。
行為の最中、和也は「名前を呼んで」と涙を零しながら繰り返した。
何回も、繰り返した。その度に和也は『孝明』と繰り返す。お互いの名前が、記号のように部屋に散らばる。
散らばる名前を繋ぎ止めるように、その度に「愛してるよ」という。
俺は和也の茶色い髪を撫でる
和也は『僕にとってはずっと君だけ』小さくそう言い眠りについた。
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昔と違って激しい抱きかたはしなくなった。
そう言えば、ふと、この前のパーティーを思い出す。祝いに酒も回った頃、

『浮気のペナルティ、一ヶ月夜はナシって、相模は思いきったこと言うな』
と言ったら
『後悔してます』
と俯いた。
『どうして?』
と訊くと、暫く沈黙があった。
『………次の日、歩けなく…なって。病院休みました。本当一ヶ月分って感じで……。は、激しくて、ずっと朝まで……気持ちは良いんですけれど身体がつらくて。光宏さんずっと、謝ってましたけど。病院休んでくれて』
『あいつの謝るってどんな感じ?』
『あの時は朝「あなたには限度と言うものがないんですか!」』
と言ったら
「すまない、夢中で……」
と。光宏さんがしょんぼりして。夜中、あんな艶っぽい表情する人とは思えない感じでした。
「僕は『もうやだ』とも『もうやめて』とも『もうだめ』とも言いました。光宏さん、ひどいよ」

と。僕が言ったら、

「ごめん。ごめんな。もう、無理なんかさせないから。だから、もうしないなんて言わないでくれ。嫌いになったりしないでくれ」
とか言ってました。年上の方に言うのもなんですが、腹立たしかったけれど可愛らしくて──僕の、全てなんです。あのひとがいる世界が僕のいる世界なんです』

酔った相模は饒舌で、暫くすると和也とパスタの話で盛り上がったりしていた。
二人とも料理は絶品だ。相模は、ロールキャベツののトマトソース煮込みを一品料理で持ち寄りで作って持ってきた。

「あ、これキャベツ刺してとめるの爪楊枝じゃなくて、パスタなんです」
「へー、んじゃ気にしないで食べれるね」
「そのまま食べれますし、安全かなとおもって。ケーキ綺麗ですね。何処のお店ですか?」
「お恥ずかしながら、僕なんだ。お菓子づくり好きで………」
「うっわー綺麗ですね!イチゴにかかった粉砂糖なんて、ほんとプロです!美味しそう」

『可愛いだろ。あの子が、俺の全てだ。煙草吸いたいんだけど、禁煙か?』
『ベランダで吸うか。相模が浮気じゃない浮気されたって、話してたぞ。あんまり泣かせるなよ』
俺がボソッとそう言うと、

『仕方なかった。明彦には悪いと思ってた。でも、明彦を傷つけて、うまく謝れなくて。ごめんとか、すまないとか。俺は、恋愛経験が、ないから。馬鹿みたいにただ謝るしかできなくて。抱き締めてキスしたら頬を張られた。
「傷つけて、ごめん。でも、愛してるんだよ」って言った自分が無意識に号泣していて言葉につまった時、明彦が、「光宏さん、もう泣かないで。僕はもう平気だから」て、泣きながら笑ったとき、笑顔が、悲しくて綺麗で、失えないって思ったな。愛しているんだ──』

俺は、佐伯の銀のライターを借りて煙草に火をつける。佐伯は悠々と煙を吸い込み遠くを見つめる。

『なぁ、佐伯』
『何だ?』
『今、幸せだよな?』
佐伯は、俺を見て幸せそうに笑う。
『ああ。幸せだよ。今までは欲しがるばかりだった。子供みたいにね。明彦にはあげたい。何でも。まあ、甘やかされてるのは結局俺だけどね』

ベランダのガラスを軽くノックし、相模が顔を覗かせた。

『光宏さん、早川さん、内緒話?』
『ああ。内緒話だ。煙草吸いに来たのか?』
『いえ、和也さんがケーキ切ろうって──』
───────────────────
「あいつも、幸せ見つけたんだな……」
新婚さんは、今日の三日間の短い休みを取っている。月火水、と。
「……どうしたの?孝明。眠れないの?」
「ああ、和也の寝顔見てた。可愛いな」
そう言い俺は和也の鼻をきゅっと摘まむ。ぬくみを感じた。ぎゅっと瞑られた睫毛の長さは人形みたいだ。
「一回起きて、プリン食べる?」
「ああ、食べたいな」
「深夜にプリンは太るかな?孝明は温かい方が好き?今、冷やしたのしかないんだけど」   
「今日食べたの温かかったから、冷たいの食べてみたいな。あのさ、和也」
「何?」
「太った俺は嫌?」
「健康的ならいいよ。孝明が太ったら……可愛いかも。犬から熊みたいになるのかな」
果たして可愛いのか解らないけれど、俺は真夜中、熊になるかもしれないと思いつつプリンを食べている。食のコントロールは和也だから、まぁ、熊になることは、そうないだろう。
昔から思っていた白い兎みたいな恋人は可愛らしさは昔のまま、でも、もう何からも怯えるように身体を震わすことなく、朗らかに笑っている。
「美味しいな」
「どうしたの?しみじみと」
「いや、幸せだなって、思って───」





────────みんなの番外編【終】
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