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第二章・公差×交錯=神頼み
告白
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翌朝。眠い目をこすりながら出勤すると、マリアは既に到着していた。同じ時刻に退勤したにもかかわらず、しゃっきりとした顔だ。数時間ぶりの挨拶を交わし、俺は彼女を連れて撮影部屋に入った。
半分はスタジオ、半分は執務スペースになっている空間だ。適当な椅子を彼女に勧め、テレビの電源を入れた。『おはようテレビ』は朝の六時から始まる情報番組だ。蜂須が登場するタイミングは告知されていないが、番組自体が一時間で終わるので、さほど待たされることはないはず。
「天気予報が終わったあたりに来そうね」
スポーツと芸能ニュースのあとに天気予報のコーナーがある。それが終われば日替わりの特集が始まるので、外ロケと繋がる可能性が高かった。普段は目にしない時間帯の放送を新鮮に楽しみつつ、そのときを待つ。
そして、予想通りのタイミングでそれは映った。
「蜂須賀神社ですね」
二日前に訪れたばかりなので、ひと目で分かる。覚えのある社務所の隣に出演者が並んでいた。タレントや芸人に挟まれて立っている蜂須は、若干浮いている。ピンチヒッターだろうから無理もないのだが。
解説役として登場したのは神主だった。絵馬を使った企画について語り、出演者はそれに耳を傾けている。説明されるのはあくまでコンセプトや目標だけで、セットの構造などについては全く触れない。おそらく、構造について知っているのは委託先の会社のみで、神社の職員はノータッチなのだ。
「いよいよ幕の内側に入るわね……」
マリアが固唾をのむ。ついに蜂須たちはセットへ近づくことになった。ただ地上を歩き回るのではなく、工事現場の足場のような階段を上っていく。ヘルメットまで被って重々しい雰囲気だ。だが、こうでもしないと最下段の絵馬しか鑑賞することができず、絵面としても弱いだろう。
問題は、彼女がどのあたりにいるのか分からないということだ。
移動中の映像は、出演者の顔だけを映すハンディカメラに切り替えられていた。背景が見えない上、視聴者側の距離感覚も狂う。階段を何段上ったのか、どのくらいの高さにいるのか、こちらからは何ひとつ分からなかった。だから、マリアの絵馬が近いのかどうかも分からない。
俺たちの最大の目的は、蜂須自身の表情から読み取るしかなさそうだ。
「今のところ、特定の絵馬を注視するようなそぶりはありませんね」
「引きの映像になったときは、しっかりと背景にぼかしが掛けられているわね。生放送にしては上手くやっているわ。そのせいで、私の絵馬が映っていても気づけないのだけど……」
「あ、立ち止まったみたいです」
撮影クルーが歩みを止め、神主を取り囲むような配置になった。相変わらず背景は映さないまま、出演者の表情だけを舐めるように撮影している。大勢の力を合わせて大きな絵を完成させるということ。それが達成できれば、それぞれの願いもきっと成就するだろうということ。改めて企画の趣旨が説明されたのち、画面はスタジオの様子へと切り替わった。
「何か質問をしたい方はいますかー?」
MCの言葉を受け、スタジオにいるレギュラー陣の姿が映された。ゴールデンタイムのドラマに出演している女優や、大きなコンテストで優勝したばかりの芸人、受賞をきっかけにメディア露出の増えた小説家などが並んでいる。
その中のひとりが役者あがりのタレントなのだが、踏み込んだコメントをしがちなことで知られていた。マリアの視線が険しくなる。
――ロケ中、きっと蜂須さんはこう尋ねられるわね。
昨夜、話していたことが脳裏によみがえる。あのときの彼女も彼のことを思い浮かべていたはずだ。メンバーの中で、こんな質問をしそうな人はひとりしかいない。決して悪人ではないのだが、気になったことは何でも口にしてしまうタイプだ。はぐらかされて終わると分かっていても、何か爪痕を残そうとする。
「じゃあ、蜂須さんに訊いてみようかな」
やはり、彼は蜂須に目をつけた。ロケ地にいるゲストのうち、ひとり身なのは彼女だけだ。おそらく、都合のつかなくなったゲストも若い人だったのだろう。恋愛成就のご利益のある神社へ、既婚者だけでロケに行くというのも妙な話だから。
彼は一字一句、想像したままの質問を投げた。
「あなたには、恋愛成就をお願いしたいと思うような相手はいますか?」
今に始まったことではない。以前、恋愛映画の試写会に呼ばれた際も、映画の内容にこじつけてこんな質問をされていた。だから知っている。彼女がまともに答えるはずがないし、微笑みと共に流されていくだけだ、と。
だが、蜂須が口を開く前の一瞬。
何かがいつもと違う、と俺は感じた。
「それは、私に好きな人はいるのか、という意味ですよね」
ロケ地へと戻されたカメラは、彼女の顔を真正面から捉えていた。背後の絵馬が映り込まないほどに寄り、その表情を余すことなく記録している。ふと、視線が揺れるように動き、右手側の何かを注視した。そこには誰も立っていないはずなので、おそらく絵馬のひとつを見たのだと思う。
(まさか、マリアさんの絵馬を……?)
分からない。これだけでは、何の確証も持てない。蜂須の視線はすぐに正面へと戻り、ゆっくりと瞬きをした。漆黒の双眸に射抜かれる。まるで、画面の向こう側からこちらまで光を届けるかのように。
そして彼女は、質問に答えた。
「……います」
「えっ」
思わず漏れたのは、どちらの声だったのか。俺もマリアも、呆然とテレビを眺めることしかできなかった。おそらくスタジオの面々も固まっていたと思う。画面に映っているのは蜂須だけなので、他の者の様子など知る由もないが。
「私にも、想いを寄せるお相手はいますよ」
まるでドラマのワンシーンのように。静謐に、美しく、気高く、そんな言葉が告げられる。驚きの展開だったのに、誰も騒ぐ者はいなかった。テレビの中でも、部屋の中でも。
その言葉を最後に、蜂須賀神社との中継は終わった。
翌朝。眠い目をこすりながら出勤すると、マリアは既に到着していた。同じ時刻に退勤したにもかかわらず、しゃっきりとした顔だ。数時間ぶりの挨拶を交わし、俺は彼女を連れて撮影部屋に入った。
半分はスタジオ、半分は執務スペースになっている空間だ。適当な椅子を彼女に勧め、テレビの電源を入れた。『おはようテレビ』は朝の六時から始まる情報番組だ。蜂須が登場するタイミングは告知されていないが、番組自体が一時間で終わるので、さほど待たされることはないはず。
「天気予報が終わったあたりに来そうね」
スポーツと芸能ニュースのあとに天気予報のコーナーがある。それが終われば日替わりの特集が始まるので、外ロケと繋がる可能性が高かった。普段は目にしない時間帯の放送を新鮮に楽しみつつ、そのときを待つ。
そして、予想通りのタイミングでそれは映った。
「蜂須賀神社ですね」
二日前に訪れたばかりなので、ひと目で分かる。覚えのある社務所の隣に出演者が並んでいた。タレントや芸人に挟まれて立っている蜂須は、若干浮いている。ピンチヒッターだろうから無理もないのだが。
解説役として登場したのは神主だった。絵馬を使った企画について語り、出演者はそれに耳を傾けている。説明されるのはあくまでコンセプトや目標だけで、セットの構造などについては全く触れない。おそらく、構造について知っているのは委託先の会社のみで、神社の職員はノータッチなのだ。
「いよいよ幕の内側に入るわね……」
マリアが固唾をのむ。ついに蜂須たちはセットへ近づくことになった。ただ地上を歩き回るのではなく、工事現場の足場のような階段を上っていく。ヘルメットまで被って重々しい雰囲気だ。だが、こうでもしないと最下段の絵馬しか鑑賞することができず、絵面としても弱いだろう。
問題は、彼女がどのあたりにいるのか分からないということだ。
移動中の映像は、出演者の顔だけを映すハンディカメラに切り替えられていた。背景が見えない上、視聴者側の距離感覚も狂う。階段を何段上ったのか、どのくらいの高さにいるのか、こちらからは何ひとつ分からなかった。だから、マリアの絵馬が近いのかどうかも分からない。
俺たちの最大の目的は、蜂須自身の表情から読み取るしかなさそうだ。
「今のところ、特定の絵馬を注視するようなそぶりはありませんね」
「引きの映像になったときは、しっかりと背景にぼかしが掛けられているわね。生放送にしては上手くやっているわ。そのせいで、私の絵馬が映っていても気づけないのだけど……」
「あ、立ち止まったみたいです」
撮影クルーが歩みを止め、神主を取り囲むような配置になった。相変わらず背景は映さないまま、出演者の表情だけを舐めるように撮影している。大勢の力を合わせて大きな絵を完成させるということ。それが達成できれば、それぞれの願いもきっと成就するだろうということ。改めて企画の趣旨が説明されたのち、画面はスタジオの様子へと切り替わった。
「何か質問をしたい方はいますかー?」
MCの言葉を受け、スタジオにいるレギュラー陣の姿が映された。ゴールデンタイムのドラマに出演している女優や、大きなコンテストで優勝したばかりの芸人、受賞をきっかけにメディア露出の増えた小説家などが並んでいる。
その中のひとりが役者あがりのタレントなのだが、踏み込んだコメントをしがちなことで知られていた。マリアの視線が険しくなる。
――ロケ中、きっと蜂須さんはこう尋ねられるわね。
昨夜、話していたことが脳裏によみがえる。あのときの彼女も彼のことを思い浮かべていたはずだ。メンバーの中で、こんな質問をしそうな人はひとりしかいない。決して悪人ではないのだが、気になったことは何でも口にしてしまうタイプだ。はぐらかされて終わると分かっていても、何か爪痕を残そうとする。
「じゃあ、蜂須さんに訊いてみようかな」
やはり、彼は蜂須に目をつけた。ロケ地にいるゲストのうち、ひとり身なのは彼女だけだ。おそらく、都合のつかなくなったゲストも若い人だったのだろう。恋愛成就のご利益のある神社へ、既婚者だけでロケに行くというのも妙な話だから。
彼は一字一句、想像したままの質問を投げた。
「あなたには、恋愛成就をお願いしたいと思うような相手はいますか?」
今に始まったことではない。以前、恋愛映画の試写会に呼ばれた際も、映画の内容にこじつけてこんな質問をされていた。だから知っている。彼女がまともに答えるはずがないし、微笑みと共に流されていくだけだ、と。
だが、蜂須が口を開く前の一瞬。
何かがいつもと違う、と俺は感じた。
「それは、私に好きな人はいるのか、という意味ですよね」
ロケ地へと戻されたカメラは、彼女の顔を真正面から捉えていた。背後の絵馬が映り込まないほどに寄り、その表情を余すことなく記録している。ふと、視線が揺れるように動き、右手側の何かを注視した。そこには誰も立っていないはずなので、おそらく絵馬のひとつを見たのだと思う。
(まさか、マリアさんの絵馬を……?)
分からない。これだけでは、何の確証も持てない。蜂須の視線はすぐに正面へと戻り、ゆっくりと瞬きをした。漆黒の双眸に射抜かれる。まるで、画面の向こう側からこちらまで光を届けるかのように。
そして彼女は、質問に答えた。
「……います」
「えっ」
思わず漏れたのは、どちらの声だったのか。俺もマリアも、呆然とテレビを眺めることしかできなかった。おそらくスタジオの面々も固まっていたと思う。画面に映っているのは蜂須だけなので、他の者の様子など知る由もないが。
「私にも、想いを寄せるお相手はいますよ」
まるでドラマのワンシーンのように。静謐に、美しく、気高く、そんな言葉が告げられる。驚きの展開だったのに、誰も騒ぐ者はいなかった。テレビの中でも、部屋の中でも。
その言葉を最後に、蜂須賀神社との中継は終わった。
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