39 / 55
第四章・飛翔の正しいフォームとは
準備
しおりを挟む*
会議スペースを出て、茜の元に戻る。彼女はひとりでもさくさくと作業を進めており、どうしても確認の必要な部分だけがメモ用紙にまとめられていた。
「今日は長かったっすね」
エディタ画面から視線を外し、そう話す。手元のノートパソコンはアラクネが貸与したものだが、茜しか使っていないので私物のような状態だった。天板にはきらきらと光るステッカーが見える。星形の枠にファンシーな字体で「Have Fun!!」と記されていた。備品の管理をしているスタッフに許可をとり、彼女が貼ったものだ。
楽しもう、か。無責任だが力強い言葉だ。
「ごめん。明日、急に仕事が入ったんだ」
俺が話すと、彼女は驚いた顔をした。無理もない。今までも這般の都合で出社できない日はあったが、これほど急に決まるのは久しぶりだ。またひとりで作業してもらわなければならない。
「いきなりっすね。どこに行くんですか?」
「都内の雑居ビルだよ。オフィスには寄らずに現地集合するつもり」
そこまで話したとき、これは明かしてもいい情報なのか不安になった。会場の場所は公式サイトにも載っていない。とはいえ、オープンな会議スペースで話していたわけだし、アラクネの中なら問題ないだろう。本気の秘匿情報であれば、蜂須の態度も変わってくるはずだ。
「なんか、文学賞のイベントのゲストだって聞こえましたけど」
ほら、既にここまで伝わっている。じゃあ隠す必要もないか。
「その通りだけど、何だかおかしな賞なんだよね。覆面作家限定の新人賞で」
「覆面作家ですか。実は受賞者に知り合いがいたとしても気づけませんね」
賞の名前を訊かれるかと思ったが、茜はそれ以上触れてこなかった。各々の作業に集中する時間が始まる。彼女に任せられる仕事も増えて、俺は随分と楽ができるようになった。映像編集担当から国語講師へ。そろそろ完全に切り替わることができるかもしれない。
(あ、でも茜さんは受験があるのか)
厳密には「受験をするか迷っている」という段階だが。今は七月。夏休みが始まったばかり。受験をするつもりなら、アルバイトどころではなくなる頃だ。しかし彼女は辞める気配がない。いや、辞めることができない。ここでどれだけ稼げるか、が今後の選択に関わってくるのだから。
(去年まではアテがあった、って話していたけど……何のことなんだろう)
進学の意思はあるし、費用面さえクリアできれば受験したいと言っていた。そして実際に、去年まではアテがあったらしい。順当に考えれば収入のことなのだろうが、親の稼ぎを「アテ」と呼ぶような子ではないと思うし……。考えれば考えるほどわけが分からなくなってくる。
「先輩」
不意に鋭い声で呼ばれ、我に返った。茜の大きな瞳がこちらを向いている。
「な、何かな」
「集中してないでしょ。さっきから同じ行ばっかり読んでますよ」
俺の手元を指さし、小さく笑う。全く言い逃れのできない指摘だった。そこにあるのはプリントアウトされた小説――覆面作家大賞の受賞作たちだ。どれも短編作品であり、公式サイトで全文公開されている。そういった指令を受けたわけではないが、ゲストが未読というのもまずいと思って読み始めたのだ。
「明日のお仕事の予習っすか」
「そうだけど、確かに集中力が途切れているな……。ちょっと場所を変えるよ。オフィスの中にはいるから、何かあったら声をかけてね」
そう言って席を立った。少し休憩しつつ、集中できる場所を探そう。茜は軽く右手を上げると、豪華な指先をミラーボールのごとくひらひらと振った。
0
あなたにおすすめの小説
女帝の遺志(第二部)-篠崎沙也加と女子プロレスラーたちの物語
kazu106
大衆娯楽
勢いを増す、ブレバリーズ女子部と、直美。
率いる沙也加は、自信の夢であった帝プロマット参戦を直美に託し、本格的に動き出す。
一方、不振にあえぐ男子部にあって唯一、気を吐こうとする修平。
己を見つめ直すために、女子部への入部を決意する。
が、そこでは現実を知らされ、苦難の道を歩むことになる。
志桜里らの励ましを受けつつ、ひたすら練習をつづける。
遂に直美の帝プロ参戦が、現実なものとなる。
その壮行試合、沙也加はなんと、直美の相手に修平を選んだのであった。
しかし同時に、ブレバリーズには暗い影もまた、歩み寄って来ていた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる