Arachne ~君のために垂らす蜘蛛の糸~

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Q1・ふさわしいものを選べ

幹部集合

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   *

 オフィスの階段を駆け上がる。二階。看板の掲示された扉。株式会社アラクネの事務所に飛び込むと、俺は息を切らしながら叫んだ。

「大変です! ここに爆破予告が……」

 スタッフたちはいつも通り出社している。フレックス制なので全員ではないが、昨日見たのと同じくらいの人数がいるようだ。パソコンを操作したり資料を読んだりと各々の仕事をこなしているが、電話の音が一切聞こえないのが妙だった。

「存じ上げていますよ」

 フロアの奥から声がする。視線を向けると、オープンな会議スペースの椅子に蜂須が腰掛けていた。他にも数人が円卓を囲んでいるようだが、この位置からはよく見えない。カウンターの外側で目を凝らしていると、彼女に手招きをされた。

 そうか、俺はもうスタッフだから入ってもいいのだ。

 カウンターの脇を通って奥へと進む。そこには蜂須をはじめ、アラクネ幹部の五名が勢ぞろいしていた。蜂須、風見、蝶野、マリア、花房。夜型だと話していた花房がいることに驚いた。現在は朝の八時だ。一般的な会社の業務が始まる時刻よりも早い。

 まずは、起き抜けに視聴した不穏な動画について話さなければ。素性を隠した男がアラクネのオフィスに爆弾を仕掛けると宣言している。日時については予告がなかったので、いつ襲撃されてもおかしくない。蜂須は既に知っているようだが、対策までは練れていないはずだ。

 いまだ動悸が収まらない俺とは反対に、彼女はいたって冷静だった。

「朝から電話が鳴り止まないわ。ご心配いただけるのはありがたい話ですが、業務が進まないので回線を切らせてもらったの」

 だから電話の音が聞こえないのか。アラクネはただの企業ではなく、配信活動も行っている。そのため、ファンの数も桁違いだ。好きな演者の属する会社に爆破予告があったとなれば、じっとしていられないのも無理はない。
 かくいう俺も、じっとしていられなかった人間のひとりなのだから。

「あの件については、今から話し合うつもりです」
「こういうときって、会社はお休みにするものじゃないんですか? 薬品もいっぱい取り揃えてあって、けっこうガチな感じでしたよ」

 立ち尽くしたまま訴える。責めているわけではない。ただ、自分を雇ってくれた会社に被害が及ぶことを見過ごせなかった。スタッフが傷つけば取り返しがつかない。明らかにいたずらだと分かる爆破予告であっても、仕掛けられた側は営業を停止しなければならないのが世の常だ。悔しいが、それが現実というもの。

「ごめんなさいね。不安だったら、今日は帰ってもいいわ」

 蜂須は両手を合わせて言った。この人のことだ、時給は出すつもりなのだろう。あなたの落ち度ではなく犯人のせいだから、という言葉が手に取るように分かる。ここで帰れば丸儲けになるが、あいにくそこまで終わっちゃいない。帰りませんよ、と首を振った。しかし慌てて家を飛び出したので、本来の出勤時刻にはまだ少しある。仕事を教えてくれるスタッフの姿も見えず、何もすることがなかった。

「ここにいてもいいですか?」

 会議スペースの全容が見える、それでいて邪魔にならないような位置の椅子を指して尋ねた。蜂須も、他の四人も頷く。普段からオープンな環境で会議をしているので、近くで見られても気にならないのだろう。俺はキャスター付きの椅子を引き寄せると、壁際で大人しく腰掛けた。

「うちには監視カメラがある」

 俺の方を振り返り、風見が言った。その指先は足元――つまり床の下にある一階を示していた。

「階段の手前に設置してあって、顔認証システムが導入されている。怪しい者が来たら、こっちで警報が鳴るようにしてあるんだ。うちのプログラマがやってくれた。だから心配することないさ」

 社員の中にプログラマもいるのか。事務所には裏口があるし、階段の手前で不審者が分かれば逃げきることができそうだ。しかしそれは、不審者の顔が分かっている場合しか機能しないのでは。

「あの男は素性が分かりませんし、カメラに登録もできませんよね。初めて来る人に対しては対処しようがないんじゃないですか? 面接の日の俺だって、普通にここまで上がってこれましたし」

 そして、正式にスタッフになってからも、何かに顔を登録した覚えはない。写真のたぐいも渡していない。データ上は部外者と区別がつかないはずだが、あっさりと入室できているのが現状だ。

「そうね。このシステムは、顔の分からない相手には無意味だわ」

 蜂須が首を振る。しかし慌てた様子でもなかった。私怨でターゲットを選ぶくせに自分の素性は明かさない、そんな卑怯な犯人に対して、何か策でもあるのだろうか。

「逆に考えれば、顔さえ分かれば排除できるということなの。ここは鉄筋コンクリート造りなので、建物の外に爆弾を置いたくらいでは二階まで影響しないわ。中に入れさえしなければ大丈夫よ」

 確かに、あの動画を踏まえると爆発の規模は大きくないだろう。ごく普通の若い男のようだし、映っているテーブルも椅子も安っぽい。壁ごとぶち抜くような爆薬なんて作れないはずだ。中に入れさえしなければ大丈夫、その言葉には一理あるが……。

「どうやって、奴の顔を調べるんです?」

 当然の疑問を俺は告げた。相手も捨て身ではないらしく、声を加工したり景色の分からない部屋で撮影したりと工夫している。警察に突き出して解析すれば何か分かるかもしれないが、それでは遅い。オフィスの営業を止めない以上、俺たちは現在進行形で危険に晒されているのだから。

 蜂須は俺の顔を正面から見詰めた。黒い双眸がこちらを向き、ばちんと視線が交わる。しかしすぐには何も告げず、ふう、と息を吐いてから円卓の中央へ向き直った。不思議なものだが、その様子を見ているだけで、過剰な焦燥が消えていくのを感じた。

 このときになってようやく、出勤時間が噛み合わないはずの花房がここにいる理由に思い至った。彼は呼び出されたのだ。降ってわいた緊急事態に対応するため、大切なスタッフたちを守るために。それが幹部というものだ。

「顔の分からない犯人を特定する方法、ね――」

 蜂須は部下たちの顔をひとりずつ見る。女王に仕える騎士のような表情をしているマリア。宣戦布告を寄越した犯人に対する嘲笑を浮かべる風見。つまらなさそうだが、何かを考えているようにも見える蝶野。人形無表情で、じっと蜂須を見据えている花房。それぞれ反応は異なるが、誰ひとりとして無様にうろたえてはいない。もしかして、こういったことは初めてではないのか。

 こんな状況で考えるべきことではないが、ファンタジィ小説で読んだ軍議のシーンを思い出した。つまり、何だか、カッコいい。

「それを今から話し合うのよ」

 そう告げて、蜂須はスカートから伸びる脚を優雅に組んだ。

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