10 / 54
Q1・ふさわしいものを選べ
欠勤連絡
しおりを挟む*
結局、あの日は仕事終わりに蜂須と会うこともなく、花房の姿も見かけなかった。話したいことは色々とあったのだが。オフィスのどこかにいたのかもしれないし、外出や帰宅をしたのかもしれない。約束も取り付けていないのだから仕方のないことで、ひとりで自転車を漕いで帰った。
それから一週間。何事もなく時は過ぎ。
例の爆破予告事件は、いつの間にか解決していた。犯人が親に付き添われて蜂須と面談したらしい。やはり脅迫はハッタリで、ここに爆発物を仕掛けるつもりなんてなかったとのこと。本当に反省している様子だったので、この件は流すことになった。入学辞退の期限は過ぎているし、受験をやり直すこともできないが、何事も本人次第だ。新しい環境で学びたいことを見つけられたらいいな、と思った。
俺もある程度はひとりでこなせるようになり、事務所の隅で黙々と作業を進めることが多くなった。アラクネではノマド的な仕事をしている人が多く、皆がデスクに縛られているわけではない。俺の近くにもノートパソコンで作業をしている人がちらほらいて、疎外感を覚えることはなかった。幹部メンバーがアドバイスやねぎらいの言葉を掛けてくれることもあり、人気YouTuberと普通に話せる環境にも慣れつつある。
そんなある日、俺は頭痛と共に目が覚めた。何のことはない、稀に発生する片頭痛だ。仕事はできなくもないが集中力が途切れそう、そんな塩梅。しばらく悩んだ末、欠勤を申し出ようと考えた。急ぎの作業を抱えているわけでもなく、アルバイトがひとりいないくらいで迷惑は掛からないだろう。
さすがの蜂須も病欠に対してまで給与を出すとは言わないはずだ。社長の金払いが良いので休みづらい――という逆転現象に苦笑しつつ、会社の電話番号にコールする。
他のスタッフたちは社内チャットで勤怠連絡を送っているが、俺は新人なのでまだ参加していない。何かあれば電話をするように言われている。いつもはすぐに途切れるコール音がやけに長く続き、怪訝に思った頃にようやく相手と繋がった。
「はい、蜂須です」
その瞬間、番号を間違えたことを察した。電話帳に登録してあるオフィスの番号を選んだはずだが、その下にあった蜂須の個人スマホにかけていたようだ。謝罪し、すぐにかけ直そうとしたが、もうひとつおかしなことに気付く。
「……花房さん?」
通話の相手は、花房藤乃の声を発していた。蜂須のスマホにかけた電話を花房がとったということだ。最初に思いついた可能性をぶつけてみる。
「花房さん、もう出勤してるんですか? 蜂須さんは近くにいらっしゃいますか?」
オフィスのデスクに蜂須のスマホが置き去られており、コール音を聞いた花房が代わりに出てくれた――そう考えるのが自然だ。彼女が近くにいるのなら構わないが、もし忘れたまま外出したのなら大変だ。とはいえ、仮にそうだったとしても俺には何もできないのだが。
花房はしばらく沈黙を続けた後、絞り出すように
「……友達」
と言った。一瞬意味が分からなかったが、悲しげな声色から意図を察する。面接の日、駐輪場で交わした言葉。俺たちは友達になろうと話したはずじゃないか。ずっと敬語で接していることに対し、悲哀を感じているのだろう。俺は慌てて口調を修正した。
「あ、そうだった……花房! 花房は、もう出勤してるのか? これ、蜂須さんのスマホに繋がってるよな。近くにいる?」
質問を繰り返すと、今度はちゃんと答えが返ってくる。しかしその内容はいまいち理解が追いつかないものだった。
「まだ家。瑠璃子さんは、シャワーしてる」
花房はまだ自宅。なるほど? 蜂須はシャワー……車を洗っているとか? 彼は少しだけ日本語が拙いから、こういう表現になったのか? あれ? どちらかの家に、ふたりで一緒にいるということ? 下の名前で呼んでいるのは、他のスタッフに対してもそうなので今さら気にならないが。
「ええと、シャワーというのは……何かを洗っているのかな」
車とか犬とか花の水やりであってくれ。気まずいから。わずかな希望を込めて問い掛けたが、花房の返答にあっさりと打ち砕かれる。
「何って、身体だよ。シャワーってそういうものじゃなかった?」
日本語間違えた? としょんぼりした声。いや、間違っていない。今回は特殊なケースだっただけで。あたふたと弁解していると、話し相手が急に入れ替わる気配を感じた。花房の手にしていたスマホがひょいと取り上げられたような。
「…………蜂須です」
今度は本物の蜂須だ。途中から話を聞いていたのか、俺と同じように気まずそうな声色をしている。いつも冷静沈着な彼女としては珍しい。小さく咳払いをしてから、こちらの要件を尋ねてくる。
「すみません、オフィスにかけたつもりだったのですが」
そう謝ってから病欠の連絡をしようとした。しかし、今のやり取りがあまりに気になって仕方がない。彼女は今から出勤だろうか。いや、オフィスで会ったからといって何を聞き出すつもりもないのだが。とはいえ、すっかり頭痛も吹き飛んでしまった。
「ちょっと伝えたいことがあったのですが、解決しました。お手数おかけして申し訳ありません。もうすぐ出社しますね」
「そう……。今日もよろしくお願いしますね」
短いやり取りの末、電話を切る。時刻は朝の八時。職場からさほど遠くない場所に住む社会人が、そろそろ家を出ようとする時間帯。蜂須はこれから出勤、花房はこれから就寝といったところか。
どうして同じ場所にいたのだろう。自宅に呼んだのだとすれば、なぜ客人を置いてシャワーなんて浴びていたのだろう。もしや特別な関係なのか? そうであったとしても、ふたりとも大人なので何の問題もない。しかしどこか歪な空気を感じてしまう。
オフィスに着くと既に蜂須の姿があった。控えめだが上品なメイクにグレーのスーツ。身なりはしっかり整えられていた。花房の家から来たのだとすれば、妥当な到着時間だ。あるいは彼女自身の家も近くにあるのか。そんな推測を巡らせたあと、もう考えるのはやめようと思った。俺は下世話な詮索をするためにここへ来たわけではない。
だが、彼女の方は何か言いたげにしている。俺が傍らを通り過ぎようとしたとき、スタッフとの話を中断してこちらを向いた。断りを入れてから話の輪を外れ、俺の後をついてくる。数歩で追いつかれて耳打ちをされた。
「本日の業務が終わったら、少しお時間をいただけるかしら」
ヤバい。呼び出しだ。しかし「考えるのはやめよう」と決めたばかりなので、なるべくフラットに捉えるよう努めた。例のことが理由だとは限らない。社長がアルバイトに話すことなんて、仕事についてだろう。きっと。
珍しく言葉に詰まりながら、彼女は耳打ちを続ける。
「ちょっと人前では話しづらいことなの。でも、今日の会議室は全て埋まっていて。私の執務室か、あなたさえ良ければ外で食事でもと思っているのだけれど……」
「外、がいいです」
思わず話の途中で返答した。蜂須の執務室といえば、すなわち社長室だ。そんなところで一対一の話をするのは緊張する。それなら外へ連れ出される方が気楽だ。昨今は上司との会食を嫌がる若者が多いと聞くし、最大限に気を遣いながら誘っているのだろう。柄にもなく不安そうな語気からその心理が伝わってくる。
しかし俺はあまり気にしないタイプだ。誰かと食事をするのは楽しい。偉い人に奢ってもらえるのならもっと嬉しい。そんな単純な思考回路で生きてきた。さすがに今回は困惑の方が勝つものの、拒絶するほどでもない。
「時間はあります。外でお話ししましょう」
返事を聞いて蜂須は少し安堵したようだ。ではまた後で、と交わしてそれぞれの仕事を始めた。
0
あなたにおすすめの小説
睿国怪奇伝〜オカルトマニアの皇妃様は怪異がお好き〜
猫とろ
キャラ文芸
大国。睿(えい)国。 先帝が急逝したため、二十五歳の若さで皇帝の玉座に座ることになった俊朗(ジュンラン)。
その妻も政略結婚で選ばれた幽麗(ユウリー)十八歳。 そんな二人は皇帝はリアリスト。皇妃はオカルトマニアだった。
まるで正反対の二人だが、お互いに政略結婚と割り切っている。
そんなとき、街にキョンシーが出たと言う噂が広がる。
「陛下キョンシーを捕まえたいです」
「幽麗。キョンシーの存在は俺は認めはしない」
幽麗の言葉を真っ向否定する俊朗帝。
だが、キョンシーだけではなく、街全体に何か怪しい怪異の噂が──。 俊朗帝と幽麗妃。二人は怪異を払う為に協力するが果たして……。
皇帝夫婦×中華ミステリーです!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
~後宮のやり直し巫女~私が本当の巫女ですが、謂れのない罪で処刑されたので後宮で人生をやり直すことにしました
深水えいな
キャラ文芸
明琳は国を統べる最高位の巫女、炎巫の候補となりながらも謂れのない罪で処刑されてしまう。死の淵で「お前が本物の炎巫だ。このままだと国が乱れる」と謎の美青年・天翼に言われ人生をやり直すことに。しかし巫女として四度人生をやり直すもののうまくいかず、次の人生では女官として後宮入りすることに。そこで待っていたのは後宮で巻き起こる怪事件と女性と見まごうばかりの美貌の宦官、誠羽で――今度の人生は、いつもと違う!?
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる