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Q1・ふさわしいものを選べ
お墓参り
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翌朝。悶々と考え続けた夜とは反対に、よく晴れた休日となった。
部屋から出るのが面倒だったが、どうしても済ませなければならない用事ができた。レポート作成中のパソコンが故障したのだ。大学四年生。とっている講義は少ないが、まだ学生の身。これをどうにかしなければ卒業できない。ガジェットバッグにノートパソコンを詰め込み、電車を使って電気街へ向かう。
無事にデータを救出してもらい、本体は修理に出した。一からやり直すことも覚悟していたので、まずまずの結果に心が浮き立つ。パソコンは大学で借りられるし、データさえあれば何とかなるはずだ。軽くなった荷物を抱え、俺は駅の構内を歩いた。
そのときだ。見知った顔が数メートル先を横切ったのは。
「花房!」
反射的に追いかけた。このところずっと、胸のうちに居座っている相手だったから。オフの日に声を掛けるのは迷惑かな、という考えは後から浮かんだ。既に彼は振り返っており、こちらを視認している。遠くからでも目立つ派手な金髪。銀の瞳孔。黒いスプリングコート。紛れもなく花房だ。彼は立ち止まり、人の動きの少ない場所で俺を待ってくれていた。
よかった。避けられてはいない。
近づくにつれ、彼の姿がしっかりと視認できるようになる。コートの中には白いTシャツを着ており、足元はいつも通りのジーンズにアンクルブーツだった。ただ、片手に携えたものが異彩を放っている。花束だ。白い紙に包まれた花束が、華奢な身体の脇に見え隠れしていた。
これが春の花々を集めたブーケなら、今からデートだろうかと穏やかな気持ちになったはずだ。話を続けることもなく、どうか楽しんでと別れるだけの常識はある。しかし目に留まったのは真っ白な菊の花で。あとは黄色い菊、カーネーション、名前は分からないけれど紫のドライフラワーみたいなやつ。どう見ても仏花だ。お供えするための花。
「ええと……お墓参り?」
視線を落としながら尋ねた。デートなら邪魔はできないが、墓参りだとしても俺のとるべき行動は同じだ。撤退一択。きっと両親に会いに行くのだと思った。親子水入らずの時間を邪魔するわけにはいかない。
花房は相変わらずの無表情で頷くと、しばらく黙って俺の顔を見ていた。やがて薄い唇が開き、「来る?」の二文字だけを紡ぐ。
「いいのか? 俺がついて行っても」
驚きながら確認すると、彼はまた頷いた。そのまま返事も聞かずに歩き出すので、慌てて後を追いかける。用は済んだことだし荷物は軽い。そうしろと神に囁かれているかのようなタイミングだった。
「ちなみに、両親ではないよ」
俺が追い付いて隣に並んだとき、彼はこともなげに言った。
「お彼岸は過ぎたし、命日もこの時期じゃないから」
宗教に国籍は関係ない。アメリカで生まれ育ち、両親の遺骨と共に渡日した彼だが、仏教式の墓参りには慣れているようだった。ホームに滑り込んできた電車にふたりで乗り込んだ。
これから電車を乗り継いで霊園へと向かうらしい。車窓の景色は次第に緑豊かになっていく。懐かしい田園風景。東京にだって田舎はある。降り立った駅のベンチに並んで腰かけていると、友人と遊びに出かけているような錯覚に陥った。まるで、これから川で魚釣りでもするかのような。
「あの日は、傷つけるようなことを言ってごめん」
ついに切り出すことができた。花房はこちらを向き、不思議そうな顔をする。ほんのわずかに首が傾いただけだが、俺にも感情が読み取れるようになってきた。彼は怒っていない。でも、だからといって俺が謝らなくていい理由にはならない。
「食事の帰り、ふたりで星空を見ていたとき。俺は余計な自虐をした。日本で生まれて、日本語を浴びて育って、言葉には困っていないはずなのに。君のことをバイリンガルと決めつけて、一方的に羨んでいた……」
あのときの花房は、きっと混乱していたのだろう。上手く表現できないもどかしさを抱えながら、それなのに友人は「自信を持て」と言う。確かに、日常会話に不自由はない。英語を教えることもできる。それでもいざ、自分の意見をまとめようとすると、日本語でも英語でもクリアな思考はできなくて。
ネットで調べたことを伝えるつもりはない。君みたいな人は多い、などと言っても無神経なだけだ。ただ、俺は君を理解したい。話はそこからだ。たった二行のプロフィールで知った気になるようなことは、もうないように心がける。そういったことをいくつもの文章に分けて訥々と伝えた。
話を聞き終えた後、花房はふわりと笑う。明確に表情が変わるわけではないが、俺には既にそう見えていた。なかなか来ない乗り継ぎ電車を待ちながら、彼はゆっくりと語り始めた。
「ソラが指でフレームを作って景色を見ていたとき、これなら自分も表現できるかもと思った。何かを見て自分が感じたこと、そのまま伝えることができるかな、って」
つまり現状の彼は「伝えることができない」のだ。自分の考えを、相手の使う言葉に翻訳しなければならない。しっくり来る語彙が見つからなければ、ニュアンスを変えてでも別の表現を探す。そんな作業を会う人すべてに対して繰り返している。それが花房の日常だ。
「絵やデザインは遠回りだと言われて、ちょっと残念だった。でもソラのせいじゃない。世界はそういうものだから。自分はまだまだ勉強しなくちゃならない」
人間は、言葉を知ってしまったから。それは翼のようでもあり、足枷でもあり。生きていくのに必須なくせに、ただ生きているだけじゃ習得できないこともある。だが、何事にも遅すぎるということはなくて。
「追いつきたいな、君に。そしたらもっと自由に話せるかな」
花房がそう言ったとき、春のホームに電車が到着した。
そういえばどの駅まで乗るのか聞いていない。誰をお参りするのか知らない。両親ではない以上、名前を告げられても俺には分からないだろう。時刻表に空白の目立つこの地域で、迷子にでもなったら厄介だ。花房の後に続いて電車に乗り込む。
今度は何のわだかまりもなくお喋りすることができた。川沿いに植えられている桜並木が綺麗だ。半分だけ開いた窓から、白い花弁が舞い込んでくる。
「ここ、降りるよ」
指示に従って電車を降りると、小高い丘が正面にあった。これから山登りをするのだろうか。少し不安になったが、ここまで来て引き下がれない。舐めるなよ、現役大学生の体力を――なんて、虚勢を張って歩き出す。
足を踏み入れてみると木陰や木漏れ日が心地よく、思ったよりも快適だ。夏場じゃないという要素も大きい。春の爽やかな風に背を押されながら、俺たちは曲がりくねった道をてくてくと進んだ。
頂上にあったのは、もちろん霊園だ。想像よりもずっと立派で眺めが良い。花房はある墓石の前に立つと、振り返って手招きした。ここが目的の場所なのか。彫り込まれている文字を見て、彼の先祖代々が眠っているのだと分かった。
両親の墓参りではない、とは聞いた。しかし彼の親族にあたる人物は他にもいる。去年病死したという従兄弟に挨拶をするため、彼はここまで来たのだ。今日が命日なのだろうか。いや、それではあの祖母や次男夫婦と遭遇してしまう可能性がある。
「命日は昨日なんだ。一日だけずらしてお参りすることにした」
花を手向けながら、花房が答えを告げた。だから墓石はぴかぴかに輝いているのか。たった一日前に家族が来たばかりだから。線香をあげ、手を合わせる花房にならって俺も合掌する。顔も知らない相手の生涯に思いを馳せた。
「自分も、従兄弟のことはよく知らない」
やがて花房はぽつりと呟いた。それもそうだろう。花房はアメリカ。従兄弟は日本。歳はさほど離れていないと思うが、育った場所が全く違う。
「よく知らないけれど、亡くなったことはとても残念に思う。何だか自分のことのように悲しい。もっとやりたいことがあっただろうな、って」
こんなに深く想っているのに、彼は人目を避けて墓参りをしなければならないのか。次男一家からの依頼に対して、まだ答えを決めあぐねているから。答えが出れば一緒に墓参りができる。受け入れたとしても、断ったとしても。焦って決めることではないと思いつつ、このままでいいのだろうかという気がしてきた。
とはいえ、部外者の俺にできることは何も――
「あ、あのさ……」
考えに反して、口が勝手に動いていた。どうした俺。部外者にできることはないと思ったばかりじゃないのか。しかし取り消すわけにはいかない。花房の視線がまっすぐこちらを向き、次の言葉を待っている。
「花房は、実際に歌舞伎を観たことある?」
俺はあった。小学生の頃、校外学習で。まだ子供だったので記憶はおぼろげだが、それでも「凄いものを観た」という記憶が焼き付いている。開演直前まで大騒ぎしていたクラスメイトたちが、拍子木の音と共に息をのんだ。あの瞬間の緊張を、花房は体験したことがあるのだろうか。
「配信や動画だけなら。現地で観たことは一度もない。NYにいた頃はもちろん、日本に来てからも……」
梨園へのスカウトを受けたとき、彼だって歌舞伎を観に行こうと思ったはずだ。蜂須を通じて招待されたこともあったかもしれない。だが、花房は関係者と鉢合わせるわけにはいかなかった。実際に劇場に行って歌舞伎を観るという行為を、本能的に避けてしまうのも無理はない。さすがに舞台上の役者からは見つからないだろうが、祖母と、花房家の者と出くわしてしまったらどうしよう――そんな不安は尽きないはず。
でも、案外と大丈夫なのではないか。いくら花房が目立つ容姿だとしても、予告もなく訪れた彼を見つけ出すことは至難の業だ。漫画やアニメを原作とした演目も多く、若者たちで席が埋まる日もあるらしいのだ。その中に紛れていれば見つかりっこない。彼だって本当は行きたいだろう。実際にあの場へ足を踏み入れて、自身の将来について考えたいだろう。
「行こうよ、ふたりで。歌舞伎を観に行こう」
思わず花房の手を取り、そう意気込んだ。彼は一瞬だけ呆けたような顔をしたが、すぐにこくりと頷く。嬉しい。彼が一歩を踏み出してくれたことが。ひとりでは勇気を出せずにいたことを、ふたりならできると思えるような友人になれたことが。
「じゃあ、次の休みに行こう。絶対!」
「うん、約束する。誘ってくれてありがとう」
線香の煙が空へと吸い込まれていく。立派な墓石の前で、派手な若者たちが次の休日の約束をしている。この奇妙な光景を、唐突な展開を、草葉の陰の青年はどう思いながら眺めているかな、なんて考えてみた。
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