Arachne ~君のために垂らす蜘蛛の糸~

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Q2・差異の要因を説明せよ

閑話休題

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 後日、予告どおりマリアの経歴が公表された。

 公式サイト、および動画にて本人が詳細に説明をした。投稿ボタンを押す直前は緊張を顔に浮かべていた彼女だが、事が済んだ後はどこかすっきりとした様子だった。隠していただけで詐称ではない。どんなコメントや質問に対しても、一度たりとも「自分の大学生活」を匂わせて返答したことはなかったはずだ。だから案ずる必要はないと俺も思う。動画の中のマリアは、同じような境遇にいる方々の助けになりたい、という言葉を強く繰り返していた。

 ありがたいことに、好意的なコメントが多く寄せられた。受験勉強や進学を許されなかったという状況にありながら、あの知識量を保持しているのは凄いことだ。批判の隙もない。でも、これに甘んじてはいけないな、ということも感じる。

 マリアは運よく生き延びることができただけだ。才能を発揮できない場所で使いつぶされ、誰からも尊敬されないまま終わる可能性もあった。その可能性の方が高かった。無責任に前例をあげて応援するのではなく、根本的な問題に寄り添わなければ相談者の未来はない。アラクネの皆も、それは痛いほど理解していることだろう。

 とはいえ、今の俺にできるのは動画編集だけだ。ただのアルバイト。少なくとも五周年を迎える日までは雇われているだろうが、それから先のことは分からない。その頃には俺も別の場所から内定を貰っていたりして。貰えていたらいいな。大学四年生の夏。この時点で将来が決まっていないのは我ながら不真面目だと思うが、どうしても行動に移すことができないでいた。

「月長真梨、か……」

 今まで知らなかった彼女の本名を呟く。自室のベッドの上。組んだ膝の上にノートパソコンを置いてネットニュースを読んでいた。

 本名は既にバレていたよね、というコメントが散見される。本人の言っていた通りだ。だとすればその名前から素性を辿ろうとした者も少なからずいたはずで、それでも何ひとつ経歴が割れなかったことを踏まえると、いかに彼女が「無名の存在」として扱われてきたのかがよく分かる。

 間違いなく優秀なのに、彼女のことを誰も覚えていなかった。こんな美人がカウンターにいれば嫌でも記憶に残ると思うのだが、所詮人間は、相手の肩書によって差し出す脳のリソースを調節してしまうのだろう。蜂須に引き抜かれた後の彼女が、別人に見えるほどに生き生きと活動を始めた、というのもあるかもしれない。

 「マリア」はアラクネの幹部にして有能な社会科講師だが、「月長真梨」は何者でもなかった。しかしそれも今日から一変する。公式の名義を変更するわけではないらしいが、あの頃の彼女が少しでも救われたらいいな、と思いを馳せた。

 これを機に、受付スタッフ時代の彼女について言及するファンが現れるかもしれない。教壇に立っていたわけではないので生徒に応援されることもない――と彼女自身は思い込んでいるが、その努力と熱意は誰かの心を動かしたはずだ。きっと。

 マリアに関する記事をひとつ読むと、関連するものが次々と紹介される。ネット上の有名人には悪評もつきもので、閲覧数稼ぎの酷い見出しの記事も流れてきたが、それらを無視して好意的なものを探した。

 内容はともかく、宣材写真でもない無断転載の画像が多くて辟易とする。これがインターネットというものなので諦めてはいるが。動画から切り抜いてきたであろう、マリアのバストショットの数々。画像をクリックすれば記事へ飛べるようになっている。どこで止められても美しい容姿に感心しながらスクロールしていると、その中の一枚に見知らぬ男性の姿があることに気付いた。

 似た名前の人の記事が紛れ込んでしまったのか。風見と同程度の年恰好の、スーツ姿の男だ。興味本位からクリックしてみると、太字で記された見出しが目に飛び込んできた。

――月長雄太が語る、進学が困難な児童に対する真の支援とは。

 もしかして、と思った。風見と同じ年頃。月長という姓。そして、意志の強そうな目元がよく似ている。写真に添えられた肩書には「トウキ大学学生支援課職員」とあった。記事の冒頭では、彼自身もトウキ大の出身であることが記されている。

 彼が、マリアの兄なのか。投稿日を確認する。二日前だ。タッチの差でマリアの告白よりも早く、おそらくマリア自身もこの記事には気付いていない。独り立ちしてから兄と疎遠になったことは想像にたやすく、今どこで何をしているのか知らないのも無理はなかった。

 兄の方も、インタビューの中で妹に触れる様子はない。ただ、それはネガティブな理由からではなく、マリア自身を尊重した結果のように思えた。

 雄太が語るのは、高校生以下の児童を対象とした計画の数々だった。親の経済力にかかわらず、子供を直接援助できるシステムだとか。女子に勉強は不要という意識を払拭するための働きかけだとか。学費のみならず、受験勉強にかかる費用も含めてまかなえる奨学金。親と揉めたときに子供が駆け込むことのできる相談場所の設立――などなど。

 もし全て実現できたなら、マリアのように無念な過去に囚われる者はいなくなる。まるで彼女に対する罪滅ぼしのような内容ばかりだった。

 ここで妹の存在を明かしてしまえば、ダシに使ったと思われかねない。だから一切触れていないのだろう。表向きはきっぱりと切り離した上で、それでもずっと彼女のことを考えていたのだ。

 こうやって関連記事として出てきた以上、いつかマリアも兄の活動を把握するだろう。よりを戻すかどうかは本人次第だが、ほんの少しでも想いが伝われば嬉しい。他人のくせに生意気だが、そんなことを考えてしまった。

 これを読み終えたら就寝しよう――そう思いつつ、ずるずると活字を追ってしまうのが悪い癖だ。画面を閉じる直前、また別の記事が目に留まってしまった。見出しが長いため、半分ほどしか表示されていない。

〈アラクネのマリアの経歴が公表されたわけですが……〉

 後半には何が書かれているのだろう。文体から正式なネットニュースではないことを察したものの、つい吸い込まれるようにカーソルを合わせた。

〈アラクネのマリアの経歴が公表されたわけですが、社長の方はどうなんです?〉

 てっきりマリアについて語る記事だと思っていただけに、蜂須が名指しされたことに驚いた。しかし、よく考えてみればありそうな流れだ。蜂須も経歴を非公開にしているのだから、マリアが公表したのなら彼女も……と詮索したがる人間が現れてもおかしくはない。

 どこかの掲示板に書き込まれた匿名の会話を、抜き取って記事の体裁にまとめたもの。正確な情報など含まれておらず、読むに値しないことは分かっている。しかしあからさまな誹謗中傷でもなさそうなので、ざっくりと目を通してみることにした。世間から抱かれている印象を知ることも必要だ、などともっともらしい理由をつけながら。

〈社長も高卒だったりするんかね。だからマリアのことを右腕にしているとか〉
〈だとすれば立派だと思うけど。でも、頭の良さはマリアの方がずっと上だよな。蜂須が数学以外をすらすら解いているの見たことないぞ〉
〈あれはマリアがおかしいだけ。あいつ何でもできるじゃん〉
〈俺、高校生だけど、マリアさんと同じ大学に行きたくて調べてたんだよな。そもそも高卒だから見つかるはずもなかったのか〉
〈じゃあ今度は蜂須の出身大学を調べな。あの人、大卒ではあると明言してたぞ〉

「そうなんだ」

 思わず声に出して呟いた。てっきり、マリアと同じように徹底的に隠しているのかと。正式に公表はしていないものの、何かの折に話したのだろう。しかし大学名までは誰も知らないらしく、勝手な推測が次々と交わされていた。

〈トウキ大かケイト大だったら公表するだろ。他がそうなんだから〉
〈まあ、メイカ大くらいまでだったら全然アリだよな。本人はコンプレックスに感じるかもしれないが〉
〈言えないってことはそれより下か?〉
〈高校も分からないんだよな。誰か卒アルとか持ってねえのかよ〉
〈そもそも蜂須瑠璃子が本名なのかすら怪しい。どう調べても何も引っ掛からん〉

(ああ、嫌だな。詮索ばっかり)

 メイカ大も立派な難関大学だ。学びの場に上も下もない。勝手にアリだナシだと評するなんて、失礼にもほどがある。とはいえ、周囲がそういう価値観を押し付けるので迂闊に公表できない、というのはよくある話だ。俺の旧友にも、自分としては十分な結果を出したのに、「これでは誰にも話せない」と親に泣かれた奴がいた。かくいう俺も――

 いかんいかん。良くないことを思い出してしまった。本人にその気がないのなら、どうかこのまま隠し通せることを願おう。現時点で高校すら割れていないということは、蜂須の方が何枚も上手なのだろう。どんな大学の出身であろうと、あの人の頭の良さは俺にも伝わっている。彼女を信じていれば、アラクネは安泰だ。

 本人が聞けば「それは買い被りよ」と苦笑するだろうか。しかしこのときの俺は本当に信じていたのだ。また季節がひとつ進んだ頃、アラクネで起きる大きな事件のことなど知る由もなく……。


〈Q3・差異の要因を説明せよ 終〉
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