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Q3・それは何通りある?
胡蝶の夢
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鉛筆を走らせる音が、背後から聞こえる。
俺は屋上に立っていた。周囲を取り囲む柵に肘をつき、上半身を預けている。高い場所なので眺めは良いが、三時間も経てばさすがに飽きた。正面にはレンガ造りの時計台がある。長針がゆっくりと動くのを目で追うことしかできない。
デッサンのモデルになるのは想像以上に大変だった。当たり前だが、むやみに動くことができない。モッズコートの裾から冷気がもぐり込んできても、じっと耐えるしかなかった。でも、体調は悪くないしまだまだいける。後ろ向きだから表情に気を遣う必要がないのも助かった。
自身を描いてもらうのは初めての経験だ。今までそんな機会はなかった。高校の美術の講義ではプロのモデルさんが呼ばれていたっけ。本人に見せたら噴き出されそうなものしか描けなかったが。先生のコネで呼べたというだけで、俺自身はただの高校生だった。
そんなことを思い返しながら、また何分か経った頃。俺はあることに気付いた。時計の針が戻っているのだ。たしか、一度はちゃんと進んでいる。長針が一周するのをこの目で見た。だが、さっきもあの位置に短針があったように感じる。
どうしたものだろう。どれだけ待っても同じ時刻に戻されてしまうのだ。これでは一向に作業が終わらず、いつまでも解放されない――そう考えたとき、背後から控えめに肩を叩かれた。
なんだ、それはそれとして絵は完成するのか。
スケッチブックに描かれているのは、俺の後ろ姿。顔が分からないから想像で補完して、なかなか好青年に見えなくもない。背景の時計台はそこにあるものと同じ。描き始めたときも、描き終えたときも、ずっとこの時刻。
俺の記憶に残っているのは「今」だけだから。この文字盤の、この針の配置だけだから。夢に見るときは強制的にこの時刻になるということか。
そう、これは夢だ。俺の記憶をもとに作られた、都合の良い光景。描き手の男が俺にスケッチブックを見せている。リングを軸に折り畳まれた画用紙の束。鉛筆で緻密に描かれた俺の姿がそこにあって。指で示しながら解説をしてくれているが、頭に入ってこない。他に気になる部分があったのだ。
ついに俺は、視線を外して彼の顔を見た。
(蝶野さん……なわけ、ないか)
黒髪。野暮ったい丸眼鏡。平均的な身長と体格。蝶野と同じ姿をしているが、蝶野であるはずがない。彼はここにいない。アラクネに入るまで、個人的に関わったことなどないはずだ。頭を振ってイメージを払おうとする。
(そんなことより、絵を――)
モデルを務めた人間に、完成したものを見せる。当然のことだ。俺だって見たいと思っていた。楽しみにしていた。だが、いざ彼が近寄ってきたとき、目を引かれたのはそちらの絵ではなかったのだ。
スケッチブックの裏側。ひとつ前に描かれた絵。
そこから目を放せなくなった俺が、男の無垢な瞳に映っていた。
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