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問四・このときの感情を答えよ
模擬試験
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「――以上が、三日前にミズキさんとやり取りした内容です」
円卓を囲む椅子。ひとつ増えた席に俺は座っている。今までも近くで仕事をしていたとはいえ、最初から会議に参加するのは緊張した。しかしそうも言ってはいられない。今の議題の主役は俺だ。ミズキとのやり取りについて、正確に経緯と意見を述べる責務がある。
といっても、チャットルームのやり取りは全て目を通されているはずだ。俺が報告している間、口を挟む者はいなかった。美大を目指す場合はユカリノ美術大学をターゲットにすること。既にスケッチブック五冊分を描き溜めており、技術も意欲も十分にあるということ。それでいて美術系の就職は考えておらず、ただ絵を描く環境を求めているということ。両親の説得については進展がないこと。何もかも幹部メンバーには伝わっている。
「過去の作品は確認しましたので、新たに課題を出すことにしました。ユカリノ美術大学の実技試験は、二日に分けて四問が出題されます。全て会場でデッサンや作品づくりを行う形式です。五年分の過去問を取り寄せましたが、モチーフが異なるくらいで出題内容はほぼ変わりません。とりあえず同じように四回分の課題を出して、その結果を見せてもらおうかと」
「それで、三日前に最初の課題を出したのね」
過去問集を捲りながら蜂須が言った。フルカラーの冊子には、合格者の答案例が載っている。試験なのでモチーフは共通しているはずなのに、描き手によって重視する場所やタッチが異なるのが面白い。
「はい。第一問は鉛筆デッサンですね。こちらで構図を決めるとただの模写になってしまうので、モチーフは自身で用意するように伝えました。直線と曲線を組み合わせたものなら何でもいいから、身の回りにあるものを描いてほしい、と」
円卓の中央に置かれたタブレットには、ミズキの提出物が表示されている。積み上げられたティッシュケースは写真に倣っているが、リンゴの代わりにテニスボールが転がっていた。学校で借りてきたのだろうか。
明暗のメリハリがついた良い作品だ。
だが、ここで言及したいのは、作品の出来栄えそのものではない。
「試験本番での制限時間は、一問につき四時間です。でもミズキさんは、この作品を送ってくるのに三日かかりました」
「筆が遅すぎる……ということか?」
不安そうな顔で風見が言った。彼はフラットな立場ではなく、どちらかといえば美大への進学を応援しているようだ。デッサンがタブレットに表示された際も、しみじみと感嘆の声をあげていた。
そんな彼を安心させるべく、俺は言葉を続ける。
「いえ、逆なんです」
「逆?」
「ミズキさんはまだ、美大受験が確定したわけではありません。学校の定期試験や模試もおろそかにできない状況です。だから、デッサンの課題に三日かかるのは正しいことなんですよ。本来の勉強もこなした上で、隙間時間に好きな作業を進める――理性と計画性のある人だな、と感じました」
「理性、か。まあ確かにそうだな」
風見は納得したようだ。深く頷きながら俺の言葉を補強してくれた。
「自分は美大に入りたいと考えていて、相談した相手も『素質がある』と言ってくれた。しかも初めての課題だ。つい没頭して、数時間で仕上げかねない」
「そういうことです。課題を伝えたのは平日の夕方ですから。生活や睡眠をおろそかにしてまで描いているようなら、俺だって心配になります。アラクネに相談したせいで成績が落ちてしまった、なんて事態が起きたら申し訳ないですし」
ミズキの両親には了承を得た上でやり取りをしている。つまり、彼の成績が落ちればクレームが来るかもしれないということだ。今のところ、チャットルームを覗いている様子はないらしいが……。
「次の課題、もう出していたよね?」
花房の確認に俺は頷く。第一問の作品を受け取るのと同時に、第二問の課題を伝えていた。ひたすら過去問の通りに続けているだけだ。本当はもっと手の込んだ課題を与えてみたいのだが、いかんせん俺もこういったことに関しては素人だ。資料通りにしか進められない。
「ミズキさんは油絵学科志望ですので、第二問は着彩デッサンになります。試験本番ではカンバスに油絵具で描くのですが、さすがにそこまでは用意できないので、画用紙にアクリルガッシュで描いてもらうことにしました」
そんな話をしつつ、俺は複雑な思いになる。この提案をしたとき、ちょっとした問題が起きたのだ。すぐに解決できることではあったものの、胸の内にしこりが残るような出来事だった。花房たちもチャットの内容には目を通せるので、何が起きたのか知っているかもしれない。しかし誰も言及することはなく、今度は蜂須が話題を切り替えた。
「方針としては、どのように進めるつもり?」
俺は用意していた答えを返す。スケッチブックに目を通したときからずっと頭を捻り続けていた。会議の場で「分からない」とは言いたくないから。
「美大に進む目的について、もう一度詰めてみたいと思います」
「それに関しては『同じくらい熱中している人たちに囲まれて作品を作りたい』という回答をもらっていたのではなくて?」
さすが蜂須だ。最初にやり取りした内容について、一字一句違わずに覚えている。確かにミズキはそのように主張していた。動機としては十分だと思う。だが、親に反対されている以上、俺たちだけが納得しても意味がないのだ。
「模試の結果や課題への姿勢を鑑みると、メイカ大やハンノ大への進学も期待できる状態なんです。極端な話、美術を学ぶのは社会人になってからでもいいのかも……という気もします」
「ミズキさんの返事によっては、あなたも親御さんの側につく可能性がある、ということかしら」
「本人が納得できるように説明はします。だから、敵とか味方とかの話ではないのですが……。やっぱり大切じゃないですか。就職するにあたって、どんな大学を出たのかということは」
蜂須なら分かってくれると思い、語気を強めた。
かつて彼女の置かれた環境は、ひたすら大学をランク付けして高みを目指すものだった。学びたい内容に合わせて志望校を選ぶわけではない。今まで費やしてきたコストに応じて「ここなら納得できる」というジャッジが下されるだけ。そして彼女は失敗し、大衆に責められ、一時は引退すら決めた。
敷かれたレールを外れるということが、いかに恐ろしいことか。
もちろん、相応の覚悟があるのならば構わない。応援したいと思う。だからこそもう一度、目的を確かめておきたかった。メイカ大やハンノ大に現役合格できる権利を手放すのは、やはり惜しい気がする。
俺の意図が通じたのか、蜂須は重々しく頷く。
「……そうね。成績は申し分ないものね」
先日、大手予備校の実施する全国模試があった。こちらからは言及しなかったが、ミズキはその結果を送信してくれた。氏名や高校名は黒塗りされ、どこの誰であるのかは分からない。メイカ大がB判定、ハンノ大がA判定。数学がやや苦手で国語が得意。二年生の時点でこの成績なら、もっと上だって目指せる。本当は、大学に対して上とか下とか言いたくはないが。でも、そういう基準があることは事実だ。
「これ、もっと広範囲を見ることはできないのか?」
風見がタブレットを操作しながら言った。画像一覧にあるサムネイルをタップし、模試の結果を表示している。彼の言葉の通り、大部分がトリミングされているので詳細が分かりづらかった。
「個人情報を隠すためじゃない?」
横から覗き込みながら蝶野が呟く。この会議において、ほぼ初めての発言だった。彼はよく喋るときと聞き役に徹するときの差が大きい。どちらの場合でも、最後には的を射た助言をしたりするので、ちゃんと話は聞いているようなのだが。
風見は蝶野の方を向いて言った。
「だとしても隠しすぎじゃないか? 洋々堂の模試なら、この下に各分野の正答率と平均点がグラフで載っているはずなんだ。もう少し広く収めてくれたら分析もしやすいんだが。これでは点数と判定結果しか分からない」
ごく限られた範囲を見ただけなのに、その全体図をすっかり把握している。風見自身、何度も受けた模試なのだろう。紙面のどこに何の情報が載っているのか、頭に叩き込まれている様子だった。一方の蝶野は何も知らないらしく、そんなことまで分かるんだね、などと暢気に返している。
「あの、もう一度送るようにお願いしましょうか」
俺は口を挟んだ。黒塗りの部分が増えるので手間はかかるが、不可能ではない。アラクネの講師が詳細を知りたがっていると伝えれば、ミズキも拒まないはずだ。
だが、風見より先に蝶野が首を振った。
「いいよ、別に。ミズキくんの担当はソラくんなんだし。カッちゃんの言うことなんて聞かなくていいって」
「その言い方はないだろ。俺はただ、情報は多い方がいいと思って――」
「点数と判定結果が分かれば十分じゃん。苦手な数学の成績を上げたい、っていう相談でもないんだし」
まあ、蝶野の言い分も一理ある。必要なのは各科目の詳細な分析ではない。話しているうちに風見も納得したのか、主導権を俺へと返してくれた。
「すまない、鳥辺野くん。余計なことを言ったな」
「いえ、意見を求めたのは俺の方ですから。でも今回は、わざわざ再送してもらうことでもないかと」
「ああ、それでいい。詳細を知りたいのは、どちらかといえば絵の才能の方だろう。次の提出が楽しみだな」
楽しみ、か。風見の言葉が胸裏に引っ掛かる。俺としては、ぼんやりとした不安の方が大きかった。ただ過去問の通りに課題を出して、順番に作品が送られてきて。俺なんかに正確な判断ができるのか? 素質があることは分かる。本気で取り組んでいることも伝わってくる。それでも結論を出せないのが、人生というものだ。
「……来週、また報告します」
そんな言葉しか返せなかった。これが最後の議題だったので会議は終わりだ。蜂須が解散を告げると、それぞれが席を立って自身の仕事へと向かう。俺もノートパソコンを手に立ち上がった。
去り際に円卓の方を振り返ると、まだ座っている人物が目に留まる。
「蝶野さん、移動しないんですか?」
両肘をつき、手の甲に顎を乗せて虚空を見詰めている男がひとり。他の者なら体調の心配をするのだが、彼はしばしばこういった姿を見せるので判断が難しかった。疲れている様子ではなさそうだ。ただ、じっとしているだけ。俺の声掛けには視線すら向けず、右手をあげてゆらりと振った。
後ろ髪を引かれる思いを抱えつつも、蝶野を置いて会議スペースを後にした。
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