人当て鬼

貴美月カムイ

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新しい命と決意

新しい命と決意1

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 外は灼熱の真夏日だった。世界の全てが焼け焦げていきそうなほどの強く痛々しい光を浴びながら和夫は目を開けていられず数歩歩いたところで地面にへたり込んだ。若い男の声が聞こえる。
「窪田さん! 窪田さん! しっかりしてください! すいません! 救急車! 救急車呼んでください!」
 うっすらと目を開けると若い背広の男が窪田を抱きかかえていた。確か柏田と呼ばれた刑事だ。外には他にも警察の関係者が現場に来ている。
「立花さん。あなたも大丈夫ですか?」
 柏田は和夫の肩にそっと手をかけ、確認するように問いかけた。
「お家に、僕もお家に帰りたいです。すぐに帰りたい。帰りたいよお」
 和夫は迷子になった子供のように泣いてしまいそうだった。柏田が何かを言ってきているが、和夫は「帰りたい。お家に帰りたい」と繰り返すだけで会話にならなかった。
 そのまま和夫は柏田の車に乗せられる。後部座席に座っている和夫に柏田が気遣う。
「喉渇いてませんか? ぬるいお茶くらいしかありませんが、よろしければどうぞ」
 運転しながら後部座席へとペットボトルのお茶を差し出してくる。和夫は両手でお茶を取り、蓋を開けると赤子が哺乳瓶を咥えるようにして飲みだした。喉を伝うお茶のほのかな苦味と潤いが涙の出そうなほど嬉しい。ひと飲み、またひと飲みとしていくうちに、自然と涙が出ているのがわかった。柏田が後部座席をバックミラーで何度か確認する。和夫の涙がおさまったところで柏田が話し出す。
「今、お話しても大丈夫そうですか? もし精神的にきついようでしたら、おっしゃってください」
 和夫は柏田が妙に優しげに接してくれるなと感じた。以前何度か会った時には、もっときつく冷たい感じがあったのだが、今はその気配すらもまったく見せない。和夫は「はい。大丈夫です」と蚊の鳴くような弱々しい声を出して返事をした。
「今朝の段階で、妙な幻影を見る人が何人か申告してきて捜査員、鑑識ともども混乱しています。信じられないのですが……こういう言い方をするのは嫌なのですが、呪いにかかったとしか言いようがない。窪田さんもおかしくなってしまった。僕の家、青森にあって、イタコの家系でした。こういうことは家ではあまり珍しいことじゃなかった。でも僕には何もそれらしい能力みたいなのはなくて、母は狂ったようなふりをして人からお金を騙し取っているようにしか感じなかった。だから事件が起こった時、現実的に解明するために僕法医学の分野に進んだのですけど、両手が神経性の麻痺にかかってしまって、まったく動かなくなった時期があって、断念せざるをえなかった。今でも時々痺れが来たりするんです。それで、警官になりました。もうすでに出遅れのスタートですから、出世はあまり見込めないですけどね。事件を追って、現実的に解決するための犯罪捜査が、呪いだなんてふざけてますよね。なんだか不審がっていた昔に引き戻された気分です。立花さんも随分今回の事件でご苦労なされたようですね。立花さんはまだ無事なのですか?」
 和夫は何も言えずに柏田の話を聞いていた。「無事だ」と言うには、あまりにも理不尽な目に合わされている。急に昔話などされて、普通ならどう反応していいのか困るが今は久しぶりに人間らしい話を聞いているような安心感があった。何も答えられない和夫をバックミラーで見ながら柏田も察してそれ以上は何もしゃべらなかったが、和夫がふと気がついて「あ、紀之、小沢紀之は死んだんですか?」と聞くと「それはまだわかりません。DNA解析がまだなので断定はできません。病院の機材に付着していたものやアパートの中の小さな髪の毛などと今回の骨が一致すれば彼だとわかるのでしょうが……」と言ってから黙り込んで運転していた。和夫はうなだれながら言う。
「あいつ、あの、紀之、死んだとしてたら、きっと成仏してないんだと思います。木下翔子ってやつだってそうだし、何か心残りがあって、ずっと現世に残ってるんだと思うんです。友人として、紀之には成仏して欲しいと思ってるし、何かできることがあるならしてやりたい」
 柏田は「そうですね」としか答えなかった。本当は「幽霊」や「呪い」というような発想は抵抗があるのだろうと和夫は感じた。しかし信じるしかない事態が起きてジレンマとなっている。車の外がだんだんと暗くなってくる。柏田が「なんだか雲行きが怪しくなってきたな」と言い、続けた。
「僕も見ました。木下翔子の幻影を。でも僕に触れようとしたら彼女焼け付いて逃げていきました。どうしてだろう。母が僕に作ってくれたお守りのせいかな? ずっと持っているんです。母の形見として」
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