イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第一章 砂漠編

5 追手

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 ファーリアは薄暗い部屋に居た。
 ひとつだけ置かれたランプの光は、部屋の隅の暗闇まで届かない。
 とんとん、と戸を叩く音がする。薄く戸を開いた瞬間、見知らぬ男二人が押し入ってきた。
 逃げる間もなく腕を捕まれ、ターバンを剥ぎ取られる。ファーリアの長い髪が流れ落ちる。
『驚いた、本当に女だぜ』
 男はあっという間にファーリアの上衣を剥いだ。ファーリアは服ごと男の手をすり抜けて逃れる。
『逃げたって無駄だぜ?大人しくすりゃ気持ちよくしてやるからさぁー』
『そうそう、痛い目見たくなけりゃ手間かけさせるんじゃないよ』
 二人は、逃げ回るファーリアを挟みうちにして、床に押し倒し、下衣をむしり取る。
 ファーリアは声が出なかった。ちょっとでも騒ぐと殴られてきた過去が、ファーリアに叫ぶという行為を選ばせない。事実、奴隷が叫んだところで誰にも助けてはもらえなかった。
 悲鳴の代わりに、脚を蹴り上げて必死で抵抗する。
『大人しくしろよ、すぐ済むからさぁ』
 蹴り上げた脚を掴まれて、男のそそり勃った股間を押し付けられた。
『あの踊り子が言ったとおりだ。こりゃ上玉だぜ』
『こいつを犯るだけで報酬もらえるんだ。いい話だぜぇ――』
「―――――っ…………!」
 肩で息をしながら、ファーリアは目覚めた。
(夢……)
 テントの外は、薄く夜が明けかけている。
 ユーリは相変わらず、少し離れた場所で馬と一緒に眠っていた。

 朝早く、谷を訪れる者があった。
「ユーリ!ユーリ・アトゥイー!」
「よう、ハッサ!」
 岩棚の上からユーリが返事をする。ファーリアが井戸で洗濯した衣類を、岩棚に広げて乾かしているところだった。
「近くに来ているのか?」
「熊の木の井戸でキャンプを張っている。今夜来いよ」
 ハッサは盃を傾ける仕草をした。ユーリより少し年嵩で、髭をたくわえている。愛嬌のある大きな眼が印象的だ。
「ああ……ちょっと連れがいるんだが」
「珍しいな。あの商人か?」
「いや、ジェイクじゃない」
 そこへ洗い上がった衣類を持ったファーリアが顔を出した。
「ユーリ、これも……」
 ファーリアは慌てて岩陰に隠れたが、ハッサは見逃さなかった。にやにやと意味ありげな笑みを浮かべてユーリの肩に腕を回す。
「なんだ、女か。気にするなよ、連れてきたらいい」
「あー、いや、そういう女じゃないんだが、行きがかり上――」
「まあまあ、どういうことでもいいから。とにかく今夜顔を出せ」
 そう言ってハッサは去っていった。

 その頃――。
 砂丘を往く数騎の影があった。
 紅いマントの兵士五名。そのうちの一人が、女を一人前に乗せている。
「おい、本当にこっちで合っているのか?」
「そんなの分かるわけないでしょう。ただ『朱岩の谷』に寄るって聞いたことがあるだけよ」
 女は不機嫌そうに答える。
 逃亡奴隷と一緒に居た男と知り合いだ、と言ったら、無理矢理捜索に同行させられた。お陰で踊り子仲間と引き離されてしまったダーナは、さすがに不安が隠せない。ここ二日ばかり、心当たりのある場所――ユーリとすれ違ったことのある場所を言わされては、しらみつぶしに回っているが、二人の姿はどこにもなかった。
「朱岩の谷」はだいぶ奥地で、各地を回っているダーナも行ったことがない。話に聞いたことがあるだけだ。
(そんなところまで行った上に万一見つからなくて、用済みだと砂漠に放り出されたら生きていけない……放り出されなくても、冷酷無比だというジャヤトリア辺境伯のもとへ連れて行かれたら、もっと恐ろしい――)
 なんとかユーリを見つけて、匿ってもらわなければ……とダーナは心に決めた。

「ハッサとは同じ部族だ。語学に長けていて、旅人の案内人ガイドをしている。客にもよるが、異国の珍しい酒や食べ物を分けてもらうこともあるらしい」
 ユーリは荷をまとめながら言った。ファーリアは首を傾げる。
「彼と一緒に往くのか?」
「いや。だが奴がここに来たということは、ここに俺がいることが知られているということだ。あまり一処ひとところに長居すると追っ手にも見つかりやすくなるからな」
 馬一頭に乗せられるように荷をまとめると、ユーリは言った。
「今夜、ハッサのところで情報交換してくる。何か変わったことがあったら教えてもらえるし、客に塩も売れるかもしれん。……ファーリア、お前は」
「……わたしは行かないほうがいいか?」
「そうだな……まだ辺境伯が探し回っているかもしれんし、どこでどう噂になるかわからん」
「ではここで待っている」
「今夜は月も明るい。真夜中前には帰る。土産を持ってくるよ」
 そう言って、日が傾きかけた頃、ユーリは一人黒馬に乗って熊の木の井戸へと向かった。
 熊の木の井戸は朱岩の谷より一時間ほど東にある。
 涸れ谷を大きく半円を描いて迂回する街道同士を、近道で結ぶルートがある。遊牧民しか知らないそのルート沿いにある井戸が、熊の木の井戸だった。名前の由来は伝わっていない。
「ユーリ、よく来たな!」
 ハッサが笑顔で迎える。
 ハッサの客という初老の夫婦は、数名の使用人と共に自分たちのテントで夕食を始めていた。
「王都に嫁入りした娘に会いに行くんだと。金払いもいいし、今回は楽な旅だ」
「王都か……しばらく行ってないな」
「お前はまだ行かなくていいさ。情報なら俺が集めてくる」
「前王が斃れたんだったか?」
「そうだ。随分前に第三王子に位をお譲りになって、長く隠居されていたがな」
「影響は?」
「王は戦好きだ。即位直後はしょっちゅう戦争していた。ようやくここ数年は落ち着いていたんだが、前王の手綱が放れたとなれば」
「きな臭いな」
 二人は夕日を眺めながら水煙草を吸い、乳酒を酌み交わす。
「ときに今朝の彼女は恋人か?」
「いいや」
 ユーリは首を振った。
「本当に、そういうのじゃないんだ」
 何と説明しようかと視線を泳がせた時、夕日を横切っていく騎馬の一団が目に入った。沈みかけた太陽の光にシルエットを滲ませて、マントを翻しながら駆けていく。
 ユーリの脳裏を不吉な予感が掠めた。
「……あれは……」
 ハッサもユーリの視線を追う。
「おや、どこの兵士だろうな?こんな奥地ところまで」
「あの先には――」
 ユーリは立ち上がる。彼らが駆けていく先にあるのは――。
「……朱岩の谷に向かっている……」
「確かにな。ユーリ、お前何か心当たりがあるのか?」
 心当たりも何も、ファーリア。
 ユーリは傍らに置いたつるぎを取って駆け出した。
「待て、ユーリ!今目立つとまずい」
 ハッサがユーリの肩を掴んで引き止める。
「谷にはファーリアが」
 何故置いてきたのだろう。荷物ごとこちらに来ていれば。だが。
(この井戸が安全だとは言い切れなかった、あの時点では)
 そう言い聞かせながらも、二択で選んだ決断が裏目に出た悔しさに歯噛みする。
 ユーリはハッサの制止も聞かずに馬に飛び乗った。
「待て、ユーリ!俺も行く!」
 ハッサも自身の馬を引き出し、ユーリの後について駆けた。

 馬の駆けてくる音に気づいた時には、もう遅かった。岩壁の陰から確認すると、砂埃を上げて騎馬の一団が駆けてくる。あの速さではあっという間にここに着いてしまうだろう。
 ファーリアはすぐ近くにあった短剣を腰紐に挟んで、岩壁をよじ登った。
 岩棚の上に伏せて身を隠し、眼下の谷を窺う。
 蓮の紋章が染め抜かれた紅いマントの兵士が、五騎。
 谷に辿り着くとスピードを落とし、入り組んだ谷を注意深く調べている。
「荷物があったぞ!」
「近くにいるはずだ!探せ!」
 ファーリアは更に岩壁をよじ登り、谷の裏側を目指した。
(……夜になれば、ユーリが戻ってくる)
 そうすればきっとファーリアを守ろうとするだろう。だが。
(――兵士五人と、ユーリ一人……下手をしたら、ユーリの命は……)
 ファーリアは可能性について思考した。このままここに留まっていたら、確実にユーリと兵士たちの戦いは避けられない。兵士たちを退けて二人で逃げ切れるとしたら、それは奇跡でしかない。最悪、ユーリは命の危険にさらされ、ファーリアは連れ戻される。
 だからといって今、彼らにおとなしく捕まるのは――。
(絶対に、嫌だ)
 自分さえ居なければ、ユーリは何とでも言えるし、兵士もユーリを攻撃する理由はないだろう。
 ファーリアは岩壁に張り付いて、細い足場を辿る。なんとか兵士らが谷に入ってきた場所まで着くと、谷の外側に回り込んで下に降りる。
 そこに、一頭の馬が居た。
 馬の横には――。
「ダーナ……」
「あ、あんたは……!!」
 ダーナもファーリアに気付いて後退った。
 ファーリアは無言でダーナに飛びかかり、その場に組み伏せた。短剣を抜き放ち、喉元に突きつける。
「ひ……っ」
「あなたが彼らを連れてきたのか?」
「だって……あんたなんだろ?女奴隷が逃げてるって、みんな噂してる。あんた、ユーリを騙して利用して、どういうつもりさ?」
「……市場の宿で、男たちにわたしを襲わせたのも、あなたか」
 ダーナははっと目を見開いた後に、無言で顔を背けた。それが返事だった。
 ファーリアは剣を振り上げた。
『殺さなければならない時は、迷うな』
(……ユーリ)
 ダーナは銀色に光る刃の下でがたがたと震えている。
(今なら殺せる。だけど)
 ダーナの真意はファーリアにもなんとなくわかった。この娘はユーリと添いたいのだ。だからファーリアが邪魔なのだ。ただ、それだけ。
「……ユーリはここにはいない」
 ファーリアは、剣を下ろした。
「二度とわたしに関わるな。次は、殺す」
 ファーリアはそこにいた馬に飛び乗り、一目散に谷を離れた。

 ユーリとハッサが谷に着いた時には、空には星が瞬き始めていた。
「ファーリア……!」
 丁度、谷から出てきた兵士たちが周辺に馬を走らせているところだった。
 馬に乗った兵士の一人が、ユーリたちの元へ駆けてくる。
「奴隷女と共にいたというのはお前か」
「……知らん」
「じゃあこれは何だ」
 兵士はファーリアが最初に着ていた腰巻きを見せた。
「……っ!」
 今朝洗って、荷の中にしまったはずだった。ユーリは思わず手を伸ばしたが、兵士が避けたので、ユーリの指先はくうを掻いた。
「あれはジャヤトリア辺境伯の奴隷だ。知っていたか?」
「知るか。たまたま行き倒れていたのを拾ったんだ。砂漠では拾った物は拾い主の物だ」
「確かにな。だが礼金を払えば取り戻せる」
 兵士は言葉を切って、意味ありげな笑みを口の端に浮かべた。
「あの女を抱いたか?」
「そんなこと……できるかっ……!」
 ユーリは吐き出すように言った。
「ふ。命拾いしたな。あれに手を出した兵士は一物いちもつを斬り落とされた挙句に、馬に犯されて死んだぞ」
 ユーリは胸が悪くなった。横で黙って聞いていたハッサも嫌な顔をしている。
「とにかく女は逃げた。馬を一頭盗んでな。追跡はこちらでする。あれはもうお前の物ではない、ここまでで手を引け。でなければ奴隷を盗んだ罪で捕らえるぞ」
 兵士はそう言い残して、ほかの兵たちと共に砂漠へと消えていった。
 せっかくまとめたユーリの荷物は、中を荒らされて散乱していた。
 ユーリは黙って荷物をまとめ直す。兵士との会話から事情を察したハッサもまた、黙りこくっていた。
「ユーリ……」
 不意に呼ばれて振り向くと、そこにはダーナが立っていた。
「……なぜ、お前が……?」
「あ……あ……ユーリ、ごめんなさい……あたし……」
「まさか……お前が奴等を!?」
 ユーリは激昂した。
「ああ、ごめんなさい!ごめんなさい!ユーリ」
 泣きながら謝るダーナに、ユーリは怒りを露わにして詰め寄った。
「お前のせいで、あいつは――!」
「アトゥイー、待て、おい!」
 ハッサが慌てて止めに入る。
「ごめんなさい――」
 わああ、とダーナが泣き崩れる。
 ユーリは泣き続けるダーナに背を向けた。
 ダーナばかりのせいではない。人目につけば遅かれ早かれ起きていた事態だ。そう頭では分かっている。それでも今は、許す気にはなれない。
 ユーリは岩棚に登った。一人になりたかった。
 ふと視線を落とすと、岩の上に何か描かれている。
 それは笑った横顔がふたつ、向かい合って接吻している絵だった。
「……ファーリア?」
 ファーリアは文字が読めなかった。
(そうか、字を書けないから……)
 拙い線を指でなぞる。描かれた二人は子供の描いた絵のようににこにこ笑っていた。
(笑顔なんて、見せなかったくせに)
 いつの間にか、ハッサが岩棚に登ってきていた。
「……ユーリ、俺は客のところに帰るよ」
「五日だ」
 ユーリはぽつりと言った。
「……え?」
「五日しか、いなかった、あいつは」
 ユーリとファーリアが出会ってから、たった五日。
「俺は……なんで、迷った……畜生!」
 嫁にこいと。考えなかったわけじゃなかった。
 何故、言えなかった。
 一生、守ると。
 だからここに。
 ――ずっとそばにいろと、何故。
(もし次に生きて逢えたら……絶対、放さない)
 あの疵だらけの背中を抱きしめて、彼女の傷が癒えるまで何度でも愛するのに。
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