イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第三章 王宮編

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 宮殿は、正面の門から入ってすぐの一帯は中央政庁と呼ばれ、「儀式の間」「謁見の間」「中央議会」などの豪華絢爛な大広間が、巨大な中庭を取り囲むように配置されている。その奥には、国王の執務室や参謀本部、会議室、会食場のある第一政庁と、元老院、参議会、会計院、庶務院などの建物が立ち並ぶ第二政庁があり、それらの周辺に広がる広大な庭園に、裁判所、図書館、音楽堂、宝物殿、書庫などの建物が点在している。
 その更に奥へとアトゥイーは連れて行かれた。宮殿には最初にスカイ達に出会った日と、エディと共に辞令を受けた日に来ただけで、今回の入院では救護院から出なかった。こんなに奥まで入ったことはない。
 三人は広い庭園の奥、ひときわ大きな建物へと入っていった。そこは高い塀に囲まれ、もはやそれひとつが城と言っていいほど広い。塀には物見櫓があり、警備も厳重だ。白と金の巨大な門をくぐると、一気に生活の臭いが漂う。
 そこは後宮――国王の居城だった。
「ここだよ、アトゥイー」
 そう言って、スカイは美しく磨きこまれたドアのひとつを開けた。
 新しい部屋には、宿舎にあった荷物が運び込まれていた。と言っても、少しの衣類と本、そして支給された武器のみである。だが何より、アトゥイーはその部屋の内装に驚いた。
 部屋の広さは宿舎の個室の倍……いや、三倍はあった。美しい刺繍が施された、分厚いカーテンで仕切られた向こう側には、シンプルだが重厚な木枠に分厚いマットが敷かれた寝台がある。こんな立派な寝台は、辺境伯の屋敷で主一家が使っていたものしか見たことがない。床には絨毯が敷かれ、壁には大きな姿見がはめ込まれている。窓はない。
「……この部屋を、わたし一人で?」
 かつて娼館で与えられた部屋よりも広い。何故いきなりこんな高待遇を受けるのか、アトゥイーは首をひねった。
「もちろん。でも、実際ここで眠る暇は、あんまりないかもね」
 スカイが意味ありげに言う。
「……どういうこと?」
「それはな――」
 シハーブが部屋の奥にある、もう一つの扉を開けた。
 そこは大理石の敷かれたホールになっていた。ホールの奥の金色に飾られた扉を指して、シハーブは言った。
「あそこが陛下の寝所だからだ」
「君の新しい『持ち場』だよ」
 スカイがアトゥイーの肩に手を置いて言った。
 そこに長髪の男が現れて、片膝をついて会釈した。
「アトゥイー、紹介する。シュイユラーナだ」
 シュイユラーナはどこか優しげな雰囲気を持つ、線の細い男だった。その仕草は指の先まで優美で、目の動きには控えめな気配りがあった。薄い金色の長髪は丁寧に手入れされて、美しい艶を放っている。そして二の腕には、「シュイユラーナ」と書かれた小さな焼き印があった。
 一瞬、アトゥイーは、この男とどこかで会ったことがあるような、不思議な感覚に陥った。
「ここから先は、僕らは入れないから、シュイユラーナに案内してもらって。彼は君付きの奴隷だから、ここの生活でわからないことがあったらなんでも聞くと良い」
 アトゥイーはどきりとした。思わず自分の肩を抱く。
「奴……隷……?」
「そうだ。後宮には、王族と、手術を受けた奴隷以外、男は入れないからな」
「ここなら君も安心でしょ」
 スカイがアトゥイーに囁く。
「ここでの仕事内容は彼に説明してもらって。たぶん昼くらいまで眠いと思うから、近衛兵の訓練には明日の午後から来てくれたらいいよ。じゃ、僕らはこのへんで」
 二人は入ってきた方の扉から出ていき、部屋にはアトゥイーとシュイユラーナだけが残された。
「……ええと……」
「まず、お茶でも召し上がりますか?」
 状況についていけないアトゥイーを安心させるように、シュイユラーナが微笑んだ。 

 シュイユラーナによれば、後宮には現在、二名の側室、更に二十二人の姫がいるという。正妃はだいぶ前に亡くなっているらしい。
「過去、最も多いときで、二百人の姫君がいたとか。女官や宦官も合わせると千人近くがこの後宮にいたことになります。今の国王陛下のお世継ぎがお生まれになってからは、姫君たちの数は年々減っています」
 後宮は見事に女ばかりだった。案内される先々で、男装のアトゥイーに好奇の目が向けられる。その様子を見たシュイユラーナが気を回したのか、
「女性のお召し物もありますよ。お召し替えされますか?」
と尋ねた。
「いや、わたしはこのままでいい」
 ここ数ヶ月で着慣れた軍服に身を包んでいるのは、安心感があった。万が一にも、肌を見られたくはない。
 そこここで談笑したり、退屈そうに刺繍や読書をしたりと、思い思いに過ごす姫君たちは、皆ひらひらと美しい衣類を纏っていた。女官たちはひと目でそうと分かる、姫たちよりは簡素な衣類だったが、やはり華やかな色で染められている。色とりどりの薄衣があちこちでひらめく様は、まるで蝶々か熱帯魚の群れを思わせた。
 国王の夜伽のために、この広い後宮で長い昼間を過ごす女たち。そこに流れる気怠い空気は、どこか娼館の中庭の風景に似ていた。
 女性に比べて圧倒的に少ないが、後宮には男性もいた。
「主に警備兵ですね。宦官が特定の姫に仕えることも、姫君が宦官を使役することも禁じられています」
 アトゥイーは首を傾げた。禁止事項は分かったが意図が掴めない。シュイユラーナはそれを察してか、柔らかい口調のまま続けた。
「かつて、宦官を使って権力を持った女性が多くいたそうですよ。これが不思議と、姫君と女官のような女同士の繋がりでは、バランスが大きく崩れることはないそうです。女性とは面白いですね」
「はぁ……」
 アトゥイーは曖昧に頷いた。男女の関係についてそういうふうに考えたことはなかった。自分が権力を得るために男を利用するなど、想像したこともなかった。
「では、シュイユラーナ、あなたも警備兵なのか?」
「ああ……まあ、そうですね。表向きは」
「表向き?」
 シュイユラーナはアトゥイーを見て、ふわりと微笑んだ。
「私は、陛下の影武者ですから」
 そうか、とアトゥイーは合点がいった。誰かに似ている、と思っていたが、シュイユラーナは王に似ているのだ。あまりに控えめに振る舞うので最初気付かなかったが、色素の薄い長髪や端正な顔立ち、均整の取れた体躯は、王のそれによく似ていた。遠目で見たら恐らく本人と見紛うだろう。
「子供の頃は旅芸人の一座にいたのですが、その後売られて、主人が何人か変わって……五年ほど前に、こちらの宮殿に拾われたのです。幸運にも、陛下に似ていると言われて」
 シュイユラーナはそう言って、遠くを見るような目をした。その表情に、アトゥイーの胸がずきんと傷んだ。
(この男は――)
 影武者ということは、いつ暗殺の危険に晒されるかわからない。それでもそれを幸運と言う。
 アトゥイーは苦い思いで、シュイユラーナの端正な横顔を見つめた。
 主人が何度か変わったと言った。そこで受けた扱いは、後宮に入るための手術を受け、あまつさえ命を危険に晒すよりも酷いものだったのだろうか――。その美しい横顔を苦痛に歪めて、どんな奉仕をさせられたのだろう。
「――幸運だな、わたしも」
 ふと、アトゥイーは呟いた。それを聞いて、シュイユラーナはまたふわりと微笑んだ。

「アトゥイー様」
 夜、部屋で休んでいると、扉の外で女官の声がした。様、をつけて呼ばれるなど初めてで、アトゥイーはなんとなく恐縮しながら扉を開けた。
「陛下がお帰りです。こちらへ」
 ランプを手に、さらさらと衣擦れの音をさせて廊下を先導する女官の後をついてゆく。
 ホールに着くと、既に大勢の女官たちが集まっていた。
 ふいに小さな風が起き、やがてカッカッと切れのある足音が近付いてきた。女官たちが一斉に頭を垂れる。
 アトゥイーも周囲に倣う。その前を、ほんの少しだけ冷たい風が過ぎてゆく。
 昼間、シュイユラーナが彼に似ている、と思った。
 だが、その本人を目の前にして、二人が全く違うことに――美しさも強さも格も品も、全てにおいて完璧である彼とは何人も比ぶべくもないということに、否応なく気付かされる。彼の、その圧倒的な存在感に。
 彼は、光を纏ってそこにいた。
 王は宦官に何事か指示すると、くるりと振り返る。
「アトゥイー」
 王は破顔し、手招いた。
「はい」
 進み出たアトゥイーの耳元に唇を寄せ、彼は言った。
「漸く私の元に来たな。待ちくたびれたぞ」
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