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第三章 王宮編
塔と姫君
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悪夢のような夜は、間もなく明けた。
市中警備兵だけでは火事の対応に間に合わず、夜の内に陸軍から応援が出された。市街へ出る街道の門はすべて閉ざされ、検問が行われた。
一方、国王暗殺未遂事件で後宮は上を下への大騒ぎになった。後宮には参事会から調査員が送り込まれ、近衛兵が警備――という名の監視に当たった。
アトゥイーは駆け付けた警備兵と共に、件の姫を塔へと引っ立てた。
罪人は監獄に繋がれるが、他国の捕虜は宮殿内の牢に、貴人は塔に籠められる。塔は後宮の正門を出てすぐのところにあった。塔の中は螺旋階段になっていて、上方に頑丈な鉄製の閂の下りた部屋がある。姫はそこに入れられ、マルスの命令どおりに両手と両足を鎖で繋がれた。
「……もう一生、後宮を出ることはないという気持ちで嫁いできたのに……皮肉ね。それともわたくしの一生はもう終わったも同然、ということなのかしら」
姫が、鈴の鳴るような可愛らしい声で、自嘲する。それが痛々しい。
刑吏がやってきて、アトゥイーと警備兵に、姫を押さえるよう指示する。二人が両側から姫の腕を掴むと、刑吏が姫の形の良い桜色の唇をこじ開ける。
「あ、あが、があう」
小さな口におよそ似つかわしくない鉄製の器具が差し込まれ、バチンと音を立てて舌を貫いた。
「あがぁあーーー」
悲鳴とともに姫の口から血泡が溢れ、アトゥイーは思わず顔を背けた。
不意に泣きたくなって、アトゥイーはきつく目を閉じて感情の波をやり過ごす。もう記憶の彼方に忘れ去っていた光景が、突如フラッシュバックした。
両腕と頭を押さえつけられ、口をこじ開けられる感覚。目を開けていられないほど眩しい光の中、たくさんの大きな手が自分に向かって伸びてくる。その時ファーリアは幼すぎて、何をされるのかわかっていなかった。ただ恐怖だけがあった。恐怖のあまり言葉にならない叫びを上げ続け、それが最後の言葉になった。激痛と、溢れ出す血液にパニックになり、失神した。目が覚めたらすべてが終わっていた。口枷を嵌められた口からは、家畜の鳴き声のような声しか出なかった。肩に焼印を押された時には、屠殺される仔牛のように吼えるしかなかった。
アトゥイーは指先でそっと自分の舌をなぞる。かつて口枷が嵌まっていた穴は、肉に埋もれて塞がりかけていた。
「アトゥイー」
アトゥイーがふらふらと塔から出てきたところに、エディが駆け寄ってきた。
「大丈夫?顔色が悪いけど」
「エディ」
アトゥイーはふらついた勢いで、エディの肩に手を置いた。
「ちょっと気分が悪いだけだ……すぐ治る」
二人は言葉少なに連れ立って歩く。
「……あの時、部屋へ帰れ、という陛下の声が聞こえたんだ……その時にわたしが姫を止めていたら、こんなことにはならずに済んだかもしれない」
「姫君、十六歳だって?」
アトゥイーは頷いた。
「でも、武器を隠し持っていたなら、それだけで大罪だよ。君のせいじゃない」
エディは慰めるように言った、
「……武器なんて大層なものじゃない。刃渡りはこんなだし」
アトゥイーは片手で短剣の短さを示してみせる。
「陛下を弑するなんて、本気で思ってなどいなかっただろうに」
陛下を慕う気持ちが思い余ってしまったのだろうと思うと、やりきれなかった。
「……かわいそうだね……」
エディはアトゥイーの気持ちに寄り添うように言った。
「外は……どんな感じ?」
気を取り直すように、アトゥイーが尋ねる。
「街も大騒ぎだよ。僕のいた治安部隊は今朝から総出で検問にかかっている」
騒乱に乗じて、盗難や略奪などの軽犯罪もちらほらと起こっていた。暗殺未遂事件に関しては戒厳令が敷かれていたが、噂は次々と波及していく。辺境の要衝が戦闘民族の襲撃を受けたことも、商人たちの口から広まっていった。言いようのない不安が王都を包んでいた。
「大丈夫だよ。すぐに犯人が捕まって、ぜんぶ元通りになるさ」
エディは明るく言った。
「じゃあ、僕、行かないと。アトゥイー、無理しないで休むんだよ!」
「ええ、ありがとう」
走り去っていくエディの後ろ姿を見送って、まだくらくらとする頭であてもなく歩いていると、いつの間にかあのジャスミンの庭に戻ってきていた。
市中警備兵だけでは火事の対応に間に合わず、夜の内に陸軍から応援が出された。市街へ出る街道の門はすべて閉ざされ、検問が行われた。
一方、国王暗殺未遂事件で後宮は上を下への大騒ぎになった。後宮には参事会から調査員が送り込まれ、近衛兵が警備――という名の監視に当たった。
アトゥイーは駆け付けた警備兵と共に、件の姫を塔へと引っ立てた。
罪人は監獄に繋がれるが、他国の捕虜は宮殿内の牢に、貴人は塔に籠められる。塔は後宮の正門を出てすぐのところにあった。塔の中は螺旋階段になっていて、上方に頑丈な鉄製の閂の下りた部屋がある。姫はそこに入れられ、マルスの命令どおりに両手と両足を鎖で繋がれた。
「……もう一生、後宮を出ることはないという気持ちで嫁いできたのに……皮肉ね。それともわたくしの一生はもう終わったも同然、ということなのかしら」
姫が、鈴の鳴るような可愛らしい声で、自嘲する。それが痛々しい。
刑吏がやってきて、アトゥイーと警備兵に、姫を押さえるよう指示する。二人が両側から姫の腕を掴むと、刑吏が姫の形の良い桜色の唇をこじ開ける。
「あ、あが、があう」
小さな口におよそ似つかわしくない鉄製の器具が差し込まれ、バチンと音を立てて舌を貫いた。
「あがぁあーーー」
悲鳴とともに姫の口から血泡が溢れ、アトゥイーは思わず顔を背けた。
不意に泣きたくなって、アトゥイーはきつく目を閉じて感情の波をやり過ごす。もう記憶の彼方に忘れ去っていた光景が、突如フラッシュバックした。
両腕と頭を押さえつけられ、口をこじ開けられる感覚。目を開けていられないほど眩しい光の中、たくさんの大きな手が自分に向かって伸びてくる。その時ファーリアは幼すぎて、何をされるのかわかっていなかった。ただ恐怖だけがあった。恐怖のあまり言葉にならない叫びを上げ続け、それが最後の言葉になった。激痛と、溢れ出す血液にパニックになり、失神した。目が覚めたらすべてが終わっていた。口枷を嵌められた口からは、家畜の鳴き声のような声しか出なかった。肩に焼印を押された時には、屠殺される仔牛のように吼えるしかなかった。
アトゥイーは指先でそっと自分の舌をなぞる。かつて口枷が嵌まっていた穴は、肉に埋もれて塞がりかけていた。
「アトゥイー」
アトゥイーがふらふらと塔から出てきたところに、エディが駆け寄ってきた。
「大丈夫?顔色が悪いけど」
「エディ」
アトゥイーはふらついた勢いで、エディの肩に手を置いた。
「ちょっと気分が悪いだけだ……すぐ治る」
二人は言葉少なに連れ立って歩く。
「……あの時、部屋へ帰れ、という陛下の声が聞こえたんだ……その時にわたしが姫を止めていたら、こんなことにはならずに済んだかもしれない」
「姫君、十六歳だって?」
アトゥイーは頷いた。
「でも、武器を隠し持っていたなら、それだけで大罪だよ。君のせいじゃない」
エディは慰めるように言った、
「……武器なんて大層なものじゃない。刃渡りはこんなだし」
アトゥイーは片手で短剣の短さを示してみせる。
「陛下を弑するなんて、本気で思ってなどいなかっただろうに」
陛下を慕う気持ちが思い余ってしまったのだろうと思うと、やりきれなかった。
「……かわいそうだね……」
エディはアトゥイーの気持ちに寄り添うように言った。
「外は……どんな感じ?」
気を取り直すように、アトゥイーが尋ねる。
「街も大騒ぎだよ。僕のいた治安部隊は今朝から総出で検問にかかっている」
騒乱に乗じて、盗難や略奪などの軽犯罪もちらほらと起こっていた。暗殺未遂事件に関しては戒厳令が敷かれていたが、噂は次々と波及していく。辺境の要衝が戦闘民族の襲撃を受けたことも、商人たちの口から広まっていった。言いようのない不安が王都を包んでいた。
「大丈夫だよ。すぐに犯人が捕まって、ぜんぶ元通りになるさ」
エディは明るく言った。
「じゃあ、僕、行かないと。アトゥイー、無理しないで休むんだよ!」
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