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第五章 恋情編
噂
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「ねえ、陛下は最近、どなたをお呼びになっていらっしゃるの?」
後宮の姫たちの午後の茶会は、そこはかとなく不穏な空気が漂っていた。
マルスは遠征から帰って以来、後宮の姫を寝所に呼んでいなかった。
「あなたの姫様も?」
「うちもよ」
「なんでも、サラ=マナ様もしばらく呼ばれていらっしゃらないとか――」
女官たちが、姫君たちの目を盗んでは囁き交わす。姫君たちはおおっぴらに自身の近況を語りはしないが、自身の女官を通じて常に後宮内の情勢を探っている。勢い、女官たちは情報収集に余念がない。
「――ねえ、これは聞いた話なのですけれど……陛下は遠征先から、新しい姫君をお連れになったのではないかって」
「まあ……!」
「ではまさか、最近はその姫君をお呼びに?」
「そんなこと、あるのかしら?だって、これまでどんな新しい姫君がいらした時でも、陛下は平等にお呼びになっていたわ」
「そうよ、たとえ――」
女官は一旦辺りを伺ってから、声を潜めて続けた。
「――たとえなさらない日でも、必ず順番にお呼びになっていらしたわ」
「それはつまり――なさってらっしゃるということ?」
「……遠征から、毎晩?」
「その、新しい姫君と?」
「あのう、新しい姫君が本当にいらっしゃるかどうかは……わたくしも人づてに聞いただけですから……」
話が大きくなりそうで、最初の女官が慌てて口を挟んだ。
「そうよ。だって、誰も見ていないんでしょう?その、新しい姫君とやらを」
「まるで、幽霊――」
「いやだわ」
「そういえば、遠征の直前に離れに忍び込んで、お叱りを受けて幽閉された姫君がいるって」
「ああ!知ってるわ!確か――」
「しっ」
「……アトゥイー様よ」
中庭を囲む回廊を、アトゥイーとシュイユラーナが連れ立って渡っていくのを見送って、再び若い女官がおずおずと話し出した。
「――ねぇ、あの……陛下って、そもそもいつもなさってらっしゃるの?」
「え?」
「あのう……だから……その……わたくしのところの姫様とは、あまり……最後までは……」
若い女官は言いにくそうに続ける。
「まだ後宮に入られて日が浅いせいかとも思っていたのですけれど、もし新しい方と……その、なさるなら……姫様は気にされるだろうな、と思って」
「……」
聞いていた女官たちは、顔を見合わせる。
「……確かに、うちの姫様とも……あの、お子ができるようなことまでは、あまりなさっていらっしゃらないかしら……」
「ちょっと」
年嵩の女官が少しきつい語調でたしなめる。
「あまり滅多なことを言わないほうがいいわ……姫様方もぴりぴりしてらっしゃるし、一歩間違えたら不敬罪よ」
叱られた女官たちは、きまり悪そうに口をつぐんで、三々五々散っていった。
「……何やら、あまり穏やかではない噂話が飛び交っているようですね」
そう言うシュイユラーナの声は、いつもと同じく穏やかだ。
アトゥイーは困っていた。姫君たちの不安はもっともだろうと思う。が、マルスにやめてくれとも言い難い。第一、シュイユラーナはこの事態についてわかっているのか……。
ちらりと彼を見上げると、くすりと笑顔が帰ってきた。
「ご心配なさらず。誰にも言いませんから」
アトゥイーは赤面して俯いた。
「……知っていたのか」
「アトゥイー様のお立場も大変でしょう。心中お察ししますよ」
シュイユラーナはどこまでも優しい。その優しさに救われる。実際、こういうことになって後宮で過ごすのはいたたまれない気分だった。
「……姫君たちの気苦労が身に沁みて分かる……」
アトゥイーは深い溜め息をついた。
「陛下は、どうなさるおつもりなのでしょうね?」
シュイユラーナが首を傾げた。
「どう、とは?」
「つまり、アトゥイー様を正式に側室にお迎えになるとか」
「……まさか!そんな、わたしなんか」
アトゥイーは慌てて否定した。そんなことを望むどころか、想像すらしたことがなかった。
「でも、気紛れにつまみ食いして飽きたら打ち捨てるようなお方では……」
「シュイユラーナ、言い方……!」
「あ、失礼致しました。下世話な話題だったので、つい育ちの悪さが出ましたね」
「……もう……とにかく、わたしに矛先が向く前に、異動願いでも出そうかな……」
シュイユラーナはまた首を傾げた。
「陛下がそれをお望みだとは思えないですけれどねぇ……」
「少なくともシハーブ様やスカイは望むはずだ」
「それ、彼らに言うんですか?陛下が節操なくて困りますって」
「ちょっ……、だから、言い方っ!」
アトゥイーはまた赤面する。
「もう!わざと言っているだろう!」
「怒らないでください。でも、私はアトゥイー様がいなくなったら寂しいですけどね」
アトゥイーは、はた、と顔を上げた。
(そうか。後宮付きでなくなれば、シュイユラーナと会うこともなくなるのか)
同じ奴隷出身ということで、一方的にだが親近感のようなものを抱いていた。それが伝わったのか、単に彼の性分なのかは不明だが、シュイユラーナとの間には職分を超えた友情のようなものが芽生えていた。友人の少ないアトゥイーには、それは貴重な存在だった。
「……それは、わたしも寂しい」
ぽつりと言ったアトゥイーに、シュイユラーナは穏やかな笑顔を向けた。
「……アトゥイー様。私は、アトゥイー様のお気持ちも大切にされた方が良いかと思いますよ。アトゥイー様は本当に、陛下のお傍にいたくないのですか?」
アトゥイーはどきりとした。
「アトゥイー様が陛下をお好きなら、寵を受けることに何も遠慮などなさることはないと、私は思いますよ」
「わたしが……陛下を……?」
――そんなことは、考えていなかった。いや、考えないようにしていた。何も期待してはいけないと、気持ちに蓋をしていた。それほどまでに国王という立場は、雲の上の存在だった。
「好きとか、嫌いとか……そういう次元の話ではない――」
「陛下はきっと、ほんとうに純粋に、アトゥイー様がお好きなのでは?でなければ普通、こんな無茶はなさいません」
後宮の姫たちの午後の茶会は、そこはかとなく不穏な空気が漂っていた。
マルスは遠征から帰って以来、後宮の姫を寝所に呼んでいなかった。
「あなたの姫様も?」
「うちもよ」
「なんでも、サラ=マナ様もしばらく呼ばれていらっしゃらないとか――」
女官たちが、姫君たちの目を盗んでは囁き交わす。姫君たちはおおっぴらに自身の近況を語りはしないが、自身の女官を通じて常に後宮内の情勢を探っている。勢い、女官たちは情報収集に余念がない。
「――ねえ、これは聞いた話なのですけれど……陛下は遠征先から、新しい姫君をお連れになったのではないかって」
「まあ……!」
「ではまさか、最近はその姫君をお呼びに?」
「そんなこと、あるのかしら?だって、これまでどんな新しい姫君がいらした時でも、陛下は平等にお呼びになっていたわ」
「そうよ、たとえ――」
女官は一旦辺りを伺ってから、声を潜めて続けた。
「――たとえなさらない日でも、必ず順番にお呼びになっていらしたわ」
「それはつまり――なさってらっしゃるということ?」
「……遠征から、毎晩?」
「その、新しい姫君と?」
「あのう、新しい姫君が本当にいらっしゃるかどうかは……わたくしも人づてに聞いただけですから……」
話が大きくなりそうで、最初の女官が慌てて口を挟んだ。
「そうよ。だって、誰も見ていないんでしょう?その、新しい姫君とやらを」
「まるで、幽霊――」
「いやだわ」
「そういえば、遠征の直前に離れに忍び込んで、お叱りを受けて幽閉された姫君がいるって」
「ああ!知ってるわ!確か――」
「しっ」
「……アトゥイー様よ」
中庭を囲む回廊を、アトゥイーとシュイユラーナが連れ立って渡っていくのを見送って、再び若い女官がおずおずと話し出した。
「――ねぇ、あの……陛下って、そもそもいつもなさってらっしゃるの?」
「え?」
「あのう……だから……その……わたくしのところの姫様とは、あまり……最後までは……」
若い女官は言いにくそうに続ける。
「まだ後宮に入られて日が浅いせいかとも思っていたのですけれど、もし新しい方と……その、なさるなら……姫様は気にされるだろうな、と思って」
「……」
聞いていた女官たちは、顔を見合わせる。
「……確かに、うちの姫様とも……あの、お子ができるようなことまでは、あまりなさっていらっしゃらないかしら……」
「ちょっと」
年嵩の女官が少しきつい語調でたしなめる。
「あまり滅多なことを言わないほうがいいわ……姫様方もぴりぴりしてらっしゃるし、一歩間違えたら不敬罪よ」
叱られた女官たちは、きまり悪そうに口をつぐんで、三々五々散っていった。
「……何やら、あまり穏やかではない噂話が飛び交っているようですね」
そう言うシュイユラーナの声は、いつもと同じく穏やかだ。
アトゥイーは困っていた。姫君たちの不安はもっともだろうと思う。が、マルスにやめてくれとも言い難い。第一、シュイユラーナはこの事態についてわかっているのか……。
ちらりと彼を見上げると、くすりと笑顔が帰ってきた。
「ご心配なさらず。誰にも言いませんから」
アトゥイーは赤面して俯いた。
「……知っていたのか」
「アトゥイー様のお立場も大変でしょう。心中お察ししますよ」
シュイユラーナはどこまでも優しい。その優しさに救われる。実際、こういうことになって後宮で過ごすのはいたたまれない気分だった。
「……姫君たちの気苦労が身に沁みて分かる……」
アトゥイーは深い溜め息をついた。
「陛下は、どうなさるおつもりなのでしょうね?」
シュイユラーナが首を傾げた。
「どう、とは?」
「つまり、アトゥイー様を正式に側室にお迎えになるとか」
「……まさか!そんな、わたしなんか」
アトゥイーは慌てて否定した。そんなことを望むどころか、想像すらしたことがなかった。
「でも、気紛れにつまみ食いして飽きたら打ち捨てるようなお方では……」
「シュイユラーナ、言い方……!」
「あ、失礼致しました。下世話な話題だったので、つい育ちの悪さが出ましたね」
「……もう……とにかく、わたしに矛先が向く前に、異動願いでも出そうかな……」
シュイユラーナはまた首を傾げた。
「陛下がそれをお望みだとは思えないですけれどねぇ……」
「少なくともシハーブ様やスカイは望むはずだ」
「それ、彼らに言うんですか?陛下が節操なくて困りますって」
「ちょっ……、だから、言い方っ!」
アトゥイーはまた赤面する。
「もう!わざと言っているだろう!」
「怒らないでください。でも、私はアトゥイー様がいなくなったら寂しいですけどね」
アトゥイーは、はた、と顔を上げた。
(そうか。後宮付きでなくなれば、シュイユラーナと会うこともなくなるのか)
同じ奴隷出身ということで、一方的にだが親近感のようなものを抱いていた。それが伝わったのか、単に彼の性分なのかは不明だが、シュイユラーナとの間には職分を超えた友情のようなものが芽生えていた。友人の少ないアトゥイーには、それは貴重な存在だった。
「……それは、わたしも寂しい」
ぽつりと言ったアトゥイーに、シュイユラーナは穏やかな笑顔を向けた。
「……アトゥイー様。私は、アトゥイー様のお気持ちも大切にされた方が良いかと思いますよ。アトゥイー様は本当に、陛下のお傍にいたくないのですか?」
アトゥイーはどきりとした。
「アトゥイー様が陛下をお好きなら、寵を受けることに何も遠慮などなさることはないと、私は思いますよ」
「わたしが……陛下を……?」
――そんなことは、考えていなかった。いや、考えないようにしていた。何も期待してはいけないと、気持ちに蓋をしていた。それほどまでに国王という立場は、雲の上の存在だった。
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