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第七章 愛執編
憔悴
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シハーブが自邸に戻ると、西棟の入り口にあるベンチに横になってスカイがうたた寝していた。
無理もない、とシハーブは思った。ここ二晩ばかり、眠れない夜が続いている。マルスはファーリアと共に部屋に籠もったきりだ。事が事だけに、配下の者に任せるわけにもいかず、マルスとスカイが交替で様子を伺っていた。朝晩、食事だけは次の間に用意していたが、水差しの水の他には手がつけられていなかった。
寝室の手前まで来ると、丁度、ガウン姿のマルスがゆらりと廊下に出てきたところだった。
「マルス様……」
「……シハー……」
マルスは掠れた声で言いかけて、その場に膝を折った。
「マルス様!」
シハーブが駆け寄って支える。マルスはそのまま床に座り込んだ。
顔が青白い。
「……どうしたら良いのだ……」
シハーブは生まれて初めてマルスの弱音を聞いた。故ヤスミン妃が亡くなったときですら、消沈こそしていたが、こうまで取り乱すことなどなかったのだ。
「どんなに抱いても、苛んでも、怒りが収まらぬ……憎くて憎くて、ずたずたにしてやりたい」
マルスは両手で顔を覆った。
「なのに、あれを傷つけるのが苦しい……あれが苦しむ顔を見ると、胸が痛む――心臓が、締め付けられるように」
怒りに駆られて、ファーリアを殺してしまうのが、怖い。
が、それを言うのはさすがに思いとどまった。腹心の友とはいえ、王が恐怖を口にしてはならない。
「シハーブ……私は、どうすれば良い……?」
王の顔は憔悴しきっていた。頬はこけ、肌は艶をなくし、銀の髪は乱れ果てて光を失っている。爛々と見開いた両目に狂気の欠片を見て、シハーブは戦慄した。
「マルス様――マルス様に斬れないのであれば、俺があの女を斬ります」
シハーブは寝所の扉に手を掛けた。
マルスに恨まれてもいい。マルスが元の光輝溢れる王に戻るなら。そう、シハーブは覚悟していた。
「――だめだ――!シハーブ」
マルスは手にしていた剣を抜いた。その切っ先が正しくシハーブの喉元に突きつけられる。
「――!」
「やめろ……頼む、私にはお前が必要なんだ」
シハーブはごくりと生唾を飲んだ。
「――俺……ですか」
シハーブは一歩下がった。扉に掛けた手を離す。
マルスはファーリアのためならシハーブすら斬り捨てる、と言ったのだ。
シハーブを斬りたくない。
だからやめろ、と。
シハーブは瞑目した。
「……アルナハブでの状況報告からは、アトゥイー……いえ、ファーリアは、反乱軍の間諜ではないというのが結論です。亡命中の第五王子ヤーシャール殿下も、彼女の勇気を称賛すると」
「……そうか……」
マルスは剣を収め、力無く言った。
実際、ファーリアが間諜かどうかなどもはやどうでも良かった。問題は。
「……ユーリ・アトゥイーとは、何者だ」
「砂漠の黒鷹――」
「知っている。そうではなくて」
「反乱軍の首謀者の一人」
「知っている」
「……遊牧民の……」
「そんなことはどうでもいい!その男はファーリアのなんだと聞いている!」
シハーブは黙した。恐らくは恋人――とは思うが、全ては推測でしかない。ファーリアの過去は謎ばかりで、確かなことなどほとんどなかった。
「僕が調べましょうか」
いつからいたのか、シハーブの背後にはスカイが立っていた。
「あてがあるのか?」
シハーブが尋ねると、スカイは疲れた顔で小さく笑んだ。
「ちょっとした噂を耳にしたんですよね。士官学校の生徒からですけど」
無理もない、とシハーブは思った。ここ二晩ばかり、眠れない夜が続いている。マルスはファーリアと共に部屋に籠もったきりだ。事が事だけに、配下の者に任せるわけにもいかず、マルスとスカイが交替で様子を伺っていた。朝晩、食事だけは次の間に用意していたが、水差しの水の他には手がつけられていなかった。
寝室の手前まで来ると、丁度、ガウン姿のマルスがゆらりと廊下に出てきたところだった。
「マルス様……」
「……シハー……」
マルスは掠れた声で言いかけて、その場に膝を折った。
「マルス様!」
シハーブが駆け寄って支える。マルスはそのまま床に座り込んだ。
顔が青白い。
「……どうしたら良いのだ……」
シハーブは生まれて初めてマルスの弱音を聞いた。故ヤスミン妃が亡くなったときですら、消沈こそしていたが、こうまで取り乱すことなどなかったのだ。
「どんなに抱いても、苛んでも、怒りが収まらぬ……憎くて憎くて、ずたずたにしてやりたい」
マルスは両手で顔を覆った。
「なのに、あれを傷つけるのが苦しい……あれが苦しむ顔を見ると、胸が痛む――心臓が、締め付けられるように」
怒りに駆られて、ファーリアを殺してしまうのが、怖い。
が、それを言うのはさすがに思いとどまった。腹心の友とはいえ、王が恐怖を口にしてはならない。
「シハーブ……私は、どうすれば良い……?」
王の顔は憔悴しきっていた。頬はこけ、肌は艶をなくし、銀の髪は乱れ果てて光を失っている。爛々と見開いた両目に狂気の欠片を見て、シハーブは戦慄した。
「マルス様――マルス様に斬れないのであれば、俺があの女を斬ります」
シハーブは寝所の扉に手を掛けた。
マルスに恨まれてもいい。マルスが元の光輝溢れる王に戻るなら。そう、シハーブは覚悟していた。
「――だめだ――!シハーブ」
マルスは手にしていた剣を抜いた。その切っ先が正しくシハーブの喉元に突きつけられる。
「――!」
「やめろ……頼む、私にはお前が必要なんだ」
シハーブはごくりと生唾を飲んだ。
「――俺……ですか」
シハーブは一歩下がった。扉に掛けた手を離す。
マルスはファーリアのためならシハーブすら斬り捨てる、と言ったのだ。
シハーブを斬りたくない。
だからやめろ、と。
シハーブは瞑目した。
「……アルナハブでの状況報告からは、アトゥイー……いえ、ファーリアは、反乱軍の間諜ではないというのが結論です。亡命中の第五王子ヤーシャール殿下も、彼女の勇気を称賛すると」
「……そうか……」
マルスは剣を収め、力無く言った。
実際、ファーリアが間諜かどうかなどもはやどうでも良かった。問題は。
「……ユーリ・アトゥイーとは、何者だ」
「砂漠の黒鷹――」
「知っている。そうではなくて」
「反乱軍の首謀者の一人」
「知っている」
「……遊牧民の……」
「そんなことはどうでもいい!その男はファーリアのなんだと聞いている!」
シハーブは黙した。恐らくは恋人――とは思うが、全ては推測でしかない。ファーリアの過去は謎ばかりで、確かなことなどほとんどなかった。
「僕が調べましょうか」
いつからいたのか、シハーブの背後にはスカイが立っていた。
「あてがあるのか?」
シハーブが尋ねると、スカイは疲れた顔で小さく笑んだ。
「ちょっとした噂を耳にしたんですよね。士官学校の生徒からですけど」
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