イシュラヴァール放浪記

道化の桃

文字の大きさ
149 / 230
第九章 海賊編

奴隷市★

しおりを挟む
 レーの港は快晴だった。
 まるで家畜のようだ――と思ったのは、何年前のことだっただろう。
 手足を鎖に繋がれた奴隷と、そのすぐ横に立つ商人は、同じ人間のはずなのに、なぜだかどうしても違う種類の生き物に見えてしまう。それは彼らを縛る鎖のせいか、それとも彼らが唯一与えられている粗末な衣類のせいか。かつてこの奴隷市で娼館に売られたファーリアは、その薄っぺらな服さえ剥ぎ取られ、丸裸で競りにかけられた。
 奴隷とそれ以外の人間の一番の違いは、その眼だ。競売にかけられる前に、奴隷たちは何日も何日も自由を奪われて過ごす。反抗する者は容赦なく殴られ、反抗しないよう、女も子供も徹底的に躾けられる。そうやって一方的に加えられる暴力に耐えているうちに、彼らの眼から光が失われていく。怯えと諦め以外の感情を失っていく。何列にも繋がれた奴隷たちは皆一様にうつむき、その瞳は何も映していない。晴れ渡った空も、陽光にきらめく海面も、市場に並んだ色とりどりの果実も。
(あの時には、気付かなかった……)
 それは自らも鎖に繋がれていたからだ。怯えた眼をして。
 あの家畜のような奴隷は、わたし自身だ――。
 カナンは軽い吐き気をもよおして、口元を押さえた。
「大丈夫か、カナン」
 カナンの顔色が青白いのを心配して、イランが囁いた。
 顔色、といっても目元しか見えない。二人はターバンで頭と顔を覆って、仲間たちと共に市場に潜入していた。タリムから奪った船は港から少し離れた場所に停泊させているが、カモフラージュのために船名や帆の色を変えている。
「大丈夫だ。行こう」
 込み上げてきた胃液を飲み込み、数回深呼吸をして、カナンは自分を取り戻した。
(向き合わなきゃ――)
 思い出すたびに目を背けたくなるような過去に。
 そして自分の中に見つけた醜い優越感にも。
(……奴隷も王族も、同じ人間なのに。奴隷であることは、恥ずべきことでもなんでもないのに)
 彼らの瞳も、鎖から解き放たれれば再び輝きを取り戻すはずなのだから。

 遡ること数時間前。早朝のことである。
「一見、異変は見当たらないな。警備の数も普段通りだし、商人たちの動きもいつもと変わらない」
 望遠鏡で港の様子を観察していたカナルが言った。ボートで偵察に出た仲間も、特に変わった様子はないようだと報告してきた。
 昨夜逃げたタリムが警備兵や競りの主催に告発していたら、襲撃計画は終わりだ。レーに入港した途端、カナンたちは一網打尽に捕らえられるだろう。
「予定通り作戦開始する。何か異変があったら即、撤退だ」
 しばらく考えた後で、イランはそう決断した。
「俺たちの目的は今回の競売を潰すだけじゃない。できればレーをまるごとぶん取って、奴隷解放の拠点にする。となれば、遅かれ早かれ本格的な戦闘は避けられない。もしタリムが喋っていたとして、半日も経っていない。その間にできる対応なんてたかが知れている。時間が経てば警戒が更に厳しくなるだけだ。今日、王都が兵を出す前に攻め取ってしまおう」
「おう!」

   *****

 レダは五人兄弟の一番上だった。
 職人だった父親は、仕事の帰りに飲んだくれて川に落ちて死んだ。ろくに蓄えもなかったために、一家はすぐに困窮した。派手な顔立ちの母親は、稼ぎの少ない内職仕事をやめて、夜に働くようになった。母親が美しいから、男たちがたくさんお金を払うのだとレダは思った。それは小さな羨望だった。レダは母親の血を継いで、美しい顔だとよく言われた。いつか自分も母のように、たくさんの男から好かれる女になるのだと、密かに思った。
 しかし「その日」はレダの予想よりも遥かに早くやってきた。レダが十四歳になった日、母親はレダに学校を辞めさせた。家に帰ったレダを待っていたのは、見知らぬ男たちだった。
 レダは、それでも少し信じていた。きっとこれから母親のように、毎晩きれいな服で着飾って、お金持ちの男たちにちやほやされるのだと。やがて別の男たちに引き渡され、船に乗せられて、生まれ育った故郷を離れた。船の上で襤褸布を接ぎ合わせたような粗末な衣類に着替えさせられ、手足を鎖で繋がれて、ようやく気がついた。――男たちは奴隷商人で、ここは奴隷船だということを。
 船には何十人もの奴隷がいた。皆ひと言も発しないまま、生気のない目をレダに投げて寄越した。レダはぞっとして、船倉の隅に膝を抱えて座った。彼らが恐ろしかったのではない。彼らと同じ生気のない目に、そのうち自分もなるのかと思うと、おぞましさに震えた。
 何週間も船に揺られてようやく着いた港は、大勢の奴隷と商人たち、買い付けに来た客でごった返していた。レダはそこで数人の少女たちと共に、奴隷たちから引き離された。
「お前らはこっちだ」
 レダたちは大きなテントに入れられた。そこが若い女奴隷ばかりを売り買いする場所だということに、レダはすぐに勘付いた。
(うまくいけば、金持ちで優しい旦那に買ってもらえるかもしれない)
 レダは小さな希望を抱いたが、現実はそう甘くはなかった。
 奴隷商人二人に壇上に引き出され、襤褸布の服を剥ぎ取られる。
「いやーっ!!」
 声を上げた途端、頬を強く張られて床に倒れた。
「きゃあ!」
 倒れたレダを奴隷商人が乱暴に立ち上がらせ、下に着ていた薄いシャツを剥ぎ取った。
「やぁっ……」
 母親譲りの豊満な乳房が露わになる。レダは反射的に両手で胸を隠そうとしたが、奴隷商人はそれを許さない。レダの両手を背後で締め上げる。細い腰に不釣り合いなほど大きな乳房が揺れて、観客がどよめいた。
 奴隷商人がレダの髪を掴んで、レダは正面を向かされた。
「ひ……っ……」
 たくさんの顔が、レダに集中していた。その身体に。
 奴隷商人が腰布も取り去り、レダを後ろ向きにして、丸い尻を見せつけるように撫で回した。
「ひぃ……っ……く、ひっ…………ひぃっ……」
 嫌悪感と恥辱が極限に達し、レダはその場にしゃがみこみかけた。奴隷商人が髪の毛を掴んで乱暴に引っ張ったので、レダは震える足でなんとか踏みとどまった。流れる涙を拭くことすら許されずに、レダの全身は衆目に晒された。
 再び正面を向かされたとき、レダにはもう自分を舐めるように見つめる人々の顔を見る勇気はなかった。唯一残された小さな自由を行使して、両眼をかたく閉じたレダの耳に、ひときわよく通る声が響いた。
「全員、動くな!」
 歓声が止んだ。
 レダは恐る恐る目を開いた。
(何……?)
 ターバンで覆面し、銃やナイフで武装した一団が、バラバラとテントの中に駆け込んできた。彼らはあっという間に会場を包囲した。前後に二箇所ある入口は覆面が二人ずつ固めている。
「動くな」
 首領らしい女が、もう一度言った。
「我々は『カナン自由民』だ。抵抗しなければ危害は加えない」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...