イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第十章 王都編

暴動

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 イシュラヴァール王国とは暫し停戦状態だったアルナハブ王国より、ニケ王妃の使節がマルスのもとを訪れた。曰く、ダレイ王子の引き渡し依頼である。
「引き渡しも何も、勝手に人の土地に攻め込んできて、こちらはいい迷惑だ。勝手に引き取っていけ」
 マルスは不機嫌さを顕わにした。
「引き渡しは表向き。要はダレイ王子を帰国させるのに協力しろということでしょう。事実、あちらから見れば、我が国が取り締まれていない反政府勢力が、ダレイ王子の後ろ盾をしているという構図ですからな」
 シハーブがマルスをたしなめた。
「二個師団を向かわせて、奴を21ポイントから追い出せ。半月で決着をつけろ。それ以上は割けん」
 マルスは苦々しく言った。このところ思うように戦果が上がらないことが、苛立ちを強めていた。
 斯くして、陸軍大将イスマイルが陸軍第一・第三師団を率いて王都を出陣した。
 その一週間後。
 アルヴィラ砦から、カイヤーン率いる数百名の兵が夜陰に紛れて王都を目指した。
 更に数日後、王都防衛にあたっていた部隊が、王都から二日の場所に迫ったカイヤーン軍を発見した。
 国軍は五千の兵を出し、王都の南側に展開した。
 カイヤーン軍と国軍が衝突した一時間後。
 レーからおよそ二千名の武装集団が王都へと押し寄せた。
 シハーブはカイヤーン軍の防衛に当たっていた兵の半数を西街道へと向かわせたが、兵力が拮抗して戦況は膠着してしまった。
「馬鹿が!」
 マルスは自ら剣を手に軍部へと向かうと、愛馬に跨って檄を飛ばした。
「レーの暴徒など烏合の衆だ!仮にも国軍兵が、数が多いだけの敵に気圧されてどうする!」
 そのまま軍部に残っていた兵を従えて、マルスは門を飛び出した。スカイが近衛兵を引き連れてマルスに続く。
 だが、マルスは西街道へも、砂漠街道へもたどり着くことはできなかった。
 王宮と軍部に囲まれた広場には、民衆が押し寄せていたからだ。
「……なんだ……これは……?」

 ララ=アルサーシャの人口およそ十万人。
 その約一割が、スラムで生活している移民、貧民である。彼らは日常的に不条理な扱いを受け続け、不満を募らせていた。アルサーシャは豊かな街である。しかしスラム街の人々にとって、通りのすぐ向かい側に住む人々の豊かさは、自らの不遇を際立たせるものでしかなかった。
 加えて相次ぐ反乱軍討伐のために、徴税が厳しくなっていた。スラムだけではない、平均的な生活水準を保っている市民たちの間にも、小さな不満が蓄積されていった。都市に潜む反乱分子の摘発も、人心を荒ませていった。
 ひと月ほど前のことである。それらを煽動した、一人の男がいた。
「現国王は戦のことばかりに腐心して、民を顧みない。そもそも戦の原因はなにか?王が即位してから二十余年、異民族を弾圧し、周辺諸国との衝突を繰り返してきた結果ではないか。戦に勝つことが外交か?違う!平和を希求してこその名君ではないか。さあ、今こそしんに民衆のためを想う、清廉なる指導者を迎えるべき時だ。その手は血に汚れていず、その背に侵略された者たちの憎しみを背負っていない、新しい王が」
 男ははじめ、酔ったふりをして酒場で演説した。その場にいた酔客たちは大いに沸いた。ちょうど酒税が引き上げられたタイミングだったのだ。次に、女達で賑わう市場で演説した。まず物価の高騰に触れた後、戦場で倒れゆく名もなき兵士たちのくだりは、息子たちを兵隊に取られた母親たちの涙を誘った。
 男は精力的に活動した。毎日どこかの広場で、辻で、スラムのごみ溜めで、男は演説した。男の周りには人だかりができるようになった。
「見ろ。君たちはこのごみの山のように使い捨てられて、それでいいのか?安い賃金で使うだけ使って、いらなくなったら捨てる。スラム生まれだから?移民だから?娼婦の子だから?そんなのは関係ない。今、レーでは奴隷たちが解放され、仕事を見つけて人生を始めている。さあ、我々も立ち上がろう!」
「そうだそうだ!」
「いいぞ!言ってやれ!」
 熱くなった人々は、拳を振り上げて賛同した。
 市中警備兵がようやく男を危険視した時には、最初に男が酒場に現れてから既に半月が経ち、男の支持者は数え切れないほどに膨れ上がっていた。
「疫病と同じだ」
と、エディの見舞いに救護院を訪れた、市中警備兵の青年が言った。
「疫病?」
 エディは聞き返した。救護院にいると市中の情報はあまり入ってこない。
「ああそうさ。最初は一人、二人と感染する。その時は誰も、その病気が自分を襲うなんて思わない。だけどそれが百人、二百人と増えていくと、初めてみんな危機感を持つだろう。三軒向うの家の子供が罹った。学校の教師の弟が罹った。そうやって身近に感じて初めて、怖いと思う。だけどね、感染者が二人しかいなかった時には、疫病は広がらないんだ。それが二百人に感染したら、その二百人が十人ずつうつしていったら、次の日には二千人だ――二人が二十人にうつしたら、二十人を病院へ隔離すればいい。でも二千人を閉じ込めておくことはできない。そうなったら、もう、誰も疫病が広まるのを止められない。たとえ最初の感染者がもう治っていたとしても」
 思い詰めたように言い募る同僚に、エディは静かに聞いた。
「……つまり、最初に演説した男を捕らえても、みんなの心にはその演説が残っていて、広がっていくってこと?」
「ああそうだ。もう、誰にも止められない」
 彼はもう一度言った。

「なんだ、これは――!?」
 反乱軍の兵士でも、町のならず者でもない。銃や剣で武装もしていない。
 ただの、そのへんにいる商店の親父や、お針子の中年女や、年端も行かない子供、腰の曲がった老人などが、手に手に棍棒や工具やほうきなどを持って、そこに詰めかけていた。見るからに弱そうな暴徒たちの、その瞳だけは、狂気じみた怒りに燃えている。
「そなたら――どういうつもりだ?」
 マルスには全く見当がつかなかった。想像もしていなかった。まさか王都が、豊かで美しいララ=アルサーシャの住民が、このような憤りに満ちた眼を自分に向けるとは。
「陛下――宮殿へお戻りください!!」
 スカイが叫んだ。マルスは呆然と群衆を見つめたまま動かない。群衆の最前列にいた一人が叫んだ。
「――国王だ!」
 わあっ、と人混みが波打った。
「陛下!はやく……!」
 焦れたスカイが、マルスの馬の手綱を引いた。押し寄せる人々から間一髪逃れて、門の中へと駆け込む。
「治安部隊、全員出動――!!」
 陸軍の指揮官が命令した。
「閃光弾と催涙剤で鎮圧しろ!相手の獲物はほとんどが棒きれだ!犠牲者を出すな!」
 スカイも叫びながら馬を降り、マルスをひとまず安全な建物の中に引っ張り込もうとした。
 だが、マルスはスカイの手を振り払った。
「陛下――!?」
 マルスは軍部を出て宮殿へと馬を走らせた。
 政庁の前で馬から飛び降りると、足早に玉座のある参議会議場へと向かう。怒りがマルスを青白く発光させていた。
「アリー宰相!」
「お待ち申し上げておりました、マルス=ミカ・ナミル・ジュディード・イシュラヴァール国王陛下。この事態の責任をどう取られるおつもりか?」
 玉座の前に立ちふさがっていたアリー宰相が、朗々と述べ立てた。
「砂漠地帯の各ポイントは戦闘民族どもに奪われ、レーは海賊と奴隷にいいようにされ、挙げ句アルナハブ王国からは軽んじられ。もはや国をお治めになるお力は尽きましたか?」
「貴様――何を」
 一歩、詰め寄ったマルスに、宰相の左右と議場の周囲を取り囲んだ兵士たちが槍先を向けた。
「貴様ら……正気か」
 マルスは自分を囲んだ兵士たちを見回した。
「そうか……貴様が毒蠍か、アリー宰相」
「なんのことだか。さあ陛下、摂政位の設置と、王子への譲位を、ここにお認めください」
 中央の長卓の上には、王冠と王笏が置いてあった。
「王子だと?どの王子だ?摂政とは貴様のことか」
「誰がそのようなことを申しましたか、陛下。すべてはイシュラヴァール王家存続のためでございます。正当なる王家の血筋を引き継いた、バハル王子とその後見――アトラス=スィン・ジュディード・シャレム殿に」
「……アトラス……ジュディード……?」
 アリー宰相が一歩、身を引いた。
 その背後の玉座にいたのは、第二王子のバハル。そしてその傍らには、見たことのない男が立っていた。
「バハル、そなたは母と離宮にいたはずではないか」
 バハルの母は、王都を追放されたサラ=マナである。
 バハルは答えなかった。代わりに傍らの男が口を開いた。
「俺を覚えていないのか、マルス=ミカ・ナミル」
 マルスは男を睨みつけた。怒りがコントロールできず、先程からバチバチと静電気を放っている。
「アトラス……貴様、シャレム族の生き残りか」
「そうだ。王族の縁戚にありながら、貴様が滅ぼした一族のな」
 男は碧い碧い眼で、憎々しげにマルスを睨み返した。
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