イシュラヴァール戦記

道化の桃

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第一章 乱世到来

悔恨

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 その日、一家はその村のそばで野営した。村には宿がなかったので、井戸で水だけ汲ませてもらった。その間、子供たち――兄のヌールと妹のファジュルは、村の子供達と無邪気に駆け回って遊んでいた。
 夕刻、村に別れを告げて、一家は少し離れた場所で野営した。そこは少し高台になっていて、灌木がまばらに生えていた。
 夜半、近付いてくるたくさんの馬の蹄の音で、ユーリとファーリアは目を覚ました。
 灌木の間から、村が盗賊団に襲われているのが見えた。
 盗賊団は百人ほど。対する村人は七~八十人といったところだが、大半は女と子供と年寄りだ。少ない農具を武器にして戦えたのは、二十人に満たなかっただろう。
「ユーリ、子供たちをお願い!」
 ファーリアはそう言い残して、剣を手に灌木の丘から飛び出していった。
「バカ!無茶な……!」
 ユーリが止めるのも聞かず、ファーリアは剣を振りかざして突進していった。
 背後から不意を突かれた形で、盗賊団の十人ほどがまずファーリアの剣の餌食になった。次の十人も、状況を理解する間もなく剣戟を浴びせられて、地面に転がった。
「逃げろ!向こうへ!逃げろ!」
 逃げ惑う村人たちを、ファーリアはユーリたちのいる方向へ誘導した。
 ユーリは小さなファジュルを背中に括り付け、馬に飛び乗った。村人たちの後ろを守りながら、できるだけ遠くへ彼らを逃がそうと試みる。
 だが、彼らは遊牧民ではなかった。生活の基盤だった村を離れるのに抵抗があるのか、村が見えなくなるほどは離れようとしない。しばらく進んでは立ち止まり、振り返っては遠巻きに村の様子を窺っている。
「逃げろ!後ろを気にするな!今は、少しでも先へ!」
 ユーリは叫びながら後悔していた。自分が戦うべきだった。人の心を動かすのは、元々ファーリアのほうが得意なのだ。ユーリはなかなか村人に切迫感が伝わらないことにもどかしさを感じながら、ひたすら叫んだ。
「逃げろ……っ!」
 その時だった。ユーリと村人たちの前方を遮る砂丘の陰から、更に八十騎ほどの騎馬が現れた。
「新手か!」
 ユーリは馬を駆けさせ、斬り込んでいった。
 最初の一団の残党も合流し、すぐに乱戦となった。
 そのさなか、ファーリアの叫び声が、ユーリの耳をつんざいた。
「ヌーーーールーーーっ!!!」
 その時、ユーリの目の前には敵と、逃げ惑う村人しかいなかった。だがその叫び声が何を意味しているのか、すぐに察した。ファーリアが目にしただろう光景が、見てもいないのにまざまざと浮かんでくる。
「……ハッ……!」
 恐怖がユーリの胸を締め付けた。
 怖い。
 振り返るのが。今まさに脳裏に浮かんだ幻影が、紛れもない現実となって突きつけられるのが、怖い。
「ヌール!ヌーール!ヌーーールっ!!」
 ファーリアの叫び声が続いている。いけない、とユーリは思った。いくらファーリアが強くても、あんなに取り乱していては、やられてしまう。
 ユーリはファーリアを探してぐるりと頭を巡らせた。その足元すらも、ふらふらと覚束ない。
「……ッ、ハァッ……ハァッ……」
 呼吸が速くなり、視界がぐるぐると回った。
(どこだ、ファーリア)
「ヌール!ヌール!」
 敵を剣で乱雑になぎ倒しながら、ファーリアの声のする方へ向かう。
「ファーリアっ!!」
「ヌール!」
 気がつくと、目の前にファーリアがいた。ユーリは剣を持っていない左手でファーリアを抱きかかえた。
「ヌールが!」
 ファーリアの指した方には――血に塗れた、見慣れた小さな身体が、ぐったりと横たわっていた。

 襲撃からだいぶ遅れて、たまたま近くにいたという国軍兵が駆けつけてきた。
「ずらかれ!」
 訓練された国軍兵と争う気は、はなからなかったのだろう。盗賊団はあっけなく退却を始めた。
 混乱の中で、ユーリはヌールの姿を見失った。
「まてえええっ!ヌール!ヌールっ……!!」
 ファーリアが叫ぶ。
「ファーリア!俺たちも逃げるんだ!国軍に捕まる!」
 国軍とは関わりたくない。ユーリは盗賊団を追おうとするファーリアの腕を掴み、必死で止めた。
「放して!ヌール!ヌールが!」
「ファーリア、しっかりしろ!深追いしても、どうにもならない!」
 諦めろとは、もうヌールは死んだのだ、とは、言えなかった。信じたくないのはユーリも一緒だった。だが。
 あの血の量では助かるまい――そう思う自分もいた。
(この上、ファジュルまで失ったら)
 それだけは絶対に避けなければ。
「ヌールは残念だが、今はファジュルの安全が――」
「放して!あなたは……っ!」
 ファーリアはユーリの腕を振りほどいた。
「あなたは、ヌールがあなたの子じゃないから……!」
 ファーリアが、言ってしまった言葉を後悔したのが、ユーリにもわかった。
「……ファーリア、そんなことは」
 そんなことはない、と言いたかった。
 ではなぜ、馬に乗せなかったのか。
 ファジュルを背負って、ヌールを振り落とさずに戦える自信がなかったのか。
 ヌールは四歳だった。ファジュルに比べたらもうしっかりと走れたし、他の村の子供たちと一緒に逃げられると思った。逃げ切れると思った。事実、村の子供達の中にはヌールより小柄な子供もいた。だから。
(大丈夫だと、思った……?)
 言い訳ばかりが次々と浮かんでくる。だが果たして本当に、あれが最善の選択だったのか?
 そしてどんなに言い訳を並べても、失われた命が戻ることなどないのだ。
(大丈夫なわけがないじゃないか……!あんな小さな子が、あんな乱戦の中で!)
 ユーリもまた、かつてない後悔を味わっていた。
(俺は、俺は、ヌールを全力で守らなかった……?)
 そんなはずはない、とユーリは頭を振った。たとえ父親が違っても、血の繋がった娘であるファジュルと同じように愛し、同じように育ててきた。
(だが、そう思いたいだけじゃないのか?こうしてる間にも、ヌールから目を離した言い訳を並べ、自分を正当化して……)
 ユーリはぞくりとした。もし自分が自覚していないままに、命の重さに優劣をつけていたとしたら。
(俺は、本当は……?)
 ユーリは自問する。自問する毎に、自信を失う。
(本当は、ヌールを愛しているふりをしていたのではないか?違うと言い切れるのか?)
 ファーリアを愛したもうひとりの男――前王マルスが、ファーリアに宿した子を。
 王と同じ銀の髪を持つ、レグルス・ヌールを。
 本当は、憎んでいたのではないか。心の奥の闇の底で。

   *****

「……ファーリアは去っていった。ヌールを探すと言って。亡骸でもいい、もう一度この腕に抱きたいのだと」
 ユーリはなかなか減らない酒の水面を見つめて言った。
「俺は――止められなかった」
 ユーリは、ファジュルを連れて逃げるように村を離れた。村人は五十人ほどが生き延びて、悄然と村へ戻った。死者は十人に満たなかった。幾人かの子供や若い女が行方不明だった。恐らく攫われたのだろう。しばらくして国軍が去った後の村を訪れてもみたが、ヌールの遺体は見つからなかった。
「なんでファーリアを追わなかった?昔のお前だったら……」
 カイヤーンは、昔ユーリがファーリアを追って隣国にまで行ったのを覚えている。あの頃のユーリにとって、ファーリアはすべてだった。少なくともユーリと親しい友人たちは、皆そう思っていた。
「カイヤーン、昔とは違うよ」
 ユーリは自嘲するような笑みを浮かべて首を振った。
「俺まで戦ったら、ファジュルを守れない。それがわかってて、ファーリアは一人で行ったんだ。ファジュルには俺がいる。だが、ヌールを守れるのは――たとえもう死んでいたとしても――自分しかいないと」
「それは違うな、ユーリ」
 カイヤーンは力強く否定した。ぐい、と椀に残った酒を飲み干す。
「戦いに向き合わなければ、黙って待っていても平和は来ない。同じ悲劇が繰り返されるだけだ」
「カイヤーン……だが」
「ユーリ、『インドラの戦士』に来い。ファーリアの子供なら、喜んで面倒をみる。俺はお前を歓迎するぞ」
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