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第二章 落日のエクバターナ
疑心
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ヌールーーレグルスの本当の父親はマルスだ。血を分けた子、といえば、レグルスもそれにあたる。
「ヌールを……その血の争いの沼に引き込むのか。使えないバハルを玉座から引きずり降ろして、代わりにヌールにバセルの補佐をさせる気か」
「では逆に聞くが、お前はどうしたいのだ?ひとりの遊牧民として砂に埋れて暮らすのが、それほど価値があるのか。所詮は権力者の手のひらの上で、生きて死ぬだけの人生に」
「俺たちはただ、争い合うより穏やかに暮らしたいだけだ」
「先の反乱でこの国を戦場にしておきながら、図々しい戯言を言うな」
ユーリは反論できず、床を睨んだ。マルスの言うとおりだ。権力から離れ、砂漠で暮らしていても、争いは避けられない。
「ファーリアとレグルスを、私は一旦は諦めた。そなたに託し、幸福を願った。私はそなたの力を知っている。肉体と精神の強さを知っている。ファーリアが命をかけてそなたを愛したことも」
強く美しい砂漠の男。一国の王として君臨した者ですら嫉妬する。
「私はあの日、玉座とファーリアを同時に失った。だが、そなたがファーリアを手放すなら、私は再び王となり、ファーリアを手に入れる」
マルスはユーリの漆黒の瞳を真っ直ぐに見据えて言った。
「よく覚えておけ、砂漠の黒鷹ユーリ・アトゥイー。次はない。私はもう、二度と彼女を放したりしない」
「……それでも」
ユーリはファーリアを思い浮かべていた。灼熱の砂漠で出会った日の、怯えた瞳。エクバターナの人混みの中から、ユーリめがけて駆けてきた姿。ファジュルを抱いた笑顔。
「それでもいい……俺はあいつが好きでたまらないが、あいつが悲しむのはもっと耐えられない」
その時にわかに廊下が騒がしくなり、スカイがやはり砂まみれの部下を引き連れて飛び込んできた。
「エクバターナをバセル様の軍が占拠しました!ニケ女王は幽閉されたと!」
マルスの顔色が変わった。
「ーーダレイ王子を!」
マルスが言い終わる前に、事を察したスカイは部屋を飛び出していた。マルス側の裏切りは、ダレイとの決裂を意味する。
「……バセル……血迷ったか」
マルスは頭の中で組み上げられた作戦が崩れていくのを感じた。ニケ女王とは同盟を結ぶはずだった。
「なぜ占拠など……本当にバセルの考えなのか?……それとも……」
それとも、誰かに唆されたか。
マルスはバセルと共にエクバターナへ送り込んだ顔ぶれを思い描いた。
(唆したとしたら、一体誰が?)
しかし更に小一時間後、北からの伝令が新たな情報をもたらした。
「テビウス沖でリアラベルデ海軍とイシュラヴァール新王――バハル様の軍勢が衝突!」
「なん……だと……?」
マルスはそこでようやく思い至った。報せのタイミングが良すぎたのが、かえって疑念を確信に変えた。
「そういうことか……!」
敵もまた、動いているのだ。
砂漠の砂の中を這い進む蠍のように。
アルナハブ王国のニケ女王が獄中で自害したという報せは、その二日後に届いた。
兵の数ではマルス軍が圧倒している。二日前、ダレイに報せが届くのとほぼ同時に動いたスカイの部下たちによって、ダレイの身柄は体の良い軟禁状態に置かれていた。
「畜生が!」
ダレイは壁を殴りつけた。
――殿下は、短気なところさえ抑えていただければ良き指導者になれると、女王陛下は仰せでしたよーー
あの無表情な使者の言葉だけが、ダレイの心の中で繰り返される。
「くそ!出ていけ!貴様らの顔など見たくもない!!」
マルス側のはからいで、身の回りの世話をするよう命じられた小姓たちを、ダレイは部屋から追い出した。廊下に見張りがいるのはわかっている。状況次第では人質にされるだろう。
「だから耄碌したって言ったんだ……畜生……母上……」
イシュラヴァール前王との同盟など、信じてはいけなかったのだ。前王は獰猛な砂漠の銀豹。隙を見せたら、喰われる。
その時、誰もいないはずの室内で視界の端がゆらりと揺れた。
「誰だ!」
ダレイは咄嗟に剣を抜いた。が、窓辺にかけられたカーテンの影から姿を表した男は、両手を上げ、丸腰だった。
「言ったでしょう。あなたの真の味方などいないんですよ、この国には。疑う心を忘れては、いいようにされるだけーー騙し返すくらいの気概がなければ、到底目的は果たされない」
薄笑いを浮かべる男に、ダレイは見覚えがあった。
「貴様……確か」
「シャイルです、王子。言ったでしょう、イシュラヴァールと組むなら、新王と前王、どちらに賭けるべきか……と」
「ああ、お前の予言通り、前王はどうやら母との同盟を破ったらしい」
「で、王子はここで黙って泣き寝入りですかい?」
「……口に気をつけろ」
ダレイは苛立ちを露わにして言った。
「おっと、すみません。俺が言いたいのは、前王にやられっぱなしでいいのかってことですよ。王子、あんたは偉すぎて聞かされてないかもしれませんがね……どうやらエクバターナを占拠したのは、前王の指示じゃなかったらしい」
「……つまり、前王は裏切っていないーー?」
ダレイはマルスの言動を思い起こした。確かに、こんなにすぐ露見するような嘘をつくような人物には見えなかった。
ーーしかし一体、自分に何をさせたいのだろう、このシャイルという男は。
「王子、そこに付け入る隙があるんですよ。前王はあなたに対して後ろめたいはずだ。このまま前王に取り入って距離を縮め、機が熟したら新王に売るーー高値でね」
「ヌールを……その血の争いの沼に引き込むのか。使えないバハルを玉座から引きずり降ろして、代わりにヌールにバセルの補佐をさせる気か」
「では逆に聞くが、お前はどうしたいのだ?ひとりの遊牧民として砂に埋れて暮らすのが、それほど価値があるのか。所詮は権力者の手のひらの上で、生きて死ぬだけの人生に」
「俺たちはただ、争い合うより穏やかに暮らしたいだけだ」
「先の反乱でこの国を戦場にしておきながら、図々しい戯言を言うな」
ユーリは反論できず、床を睨んだ。マルスの言うとおりだ。権力から離れ、砂漠で暮らしていても、争いは避けられない。
「ファーリアとレグルスを、私は一旦は諦めた。そなたに託し、幸福を願った。私はそなたの力を知っている。肉体と精神の強さを知っている。ファーリアが命をかけてそなたを愛したことも」
強く美しい砂漠の男。一国の王として君臨した者ですら嫉妬する。
「私はあの日、玉座とファーリアを同時に失った。だが、そなたがファーリアを手放すなら、私は再び王となり、ファーリアを手に入れる」
マルスはユーリの漆黒の瞳を真っ直ぐに見据えて言った。
「よく覚えておけ、砂漠の黒鷹ユーリ・アトゥイー。次はない。私はもう、二度と彼女を放したりしない」
「……それでも」
ユーリはファーリアを思い浮かべていた。灼熱の砂漠で出会った日の、怯えた瞳。エクバターナの人混みの中から、ユーリめがけて駆けてきた姿。ファジュルを抱いた笑顔。
「それでもいい……俺はあいつが好きでたまらないが、あいつが悲しむのはもっと耐えられない」
その時にわかに廊下が騒がしくなり、スカイがやはり砂まみれの部下を引き連れて飛び込んできた。
「エクバターナをバセル様の軍が占拠しました!ニケ女王は幽閉されたと!」
マルスの顔色が変わった。
「ーーダレイ王子を!」
マルスが言い終わる前に、事を察したスカイは部屋を飛び出していた。マルス側の裏切りは、ダレイとの決裂を意味する。
「……バセル……血迷ったか」
マルスは頭の中で組み上げられた作戦が崩れていくのを感じた。ニケ女王とは同盟を結ぶはずだった。
「なぜ占拠など……本当にバセルの考えなのか?……それとも……」
それとも、誰かに唆されたか。
マルスはバセルと共にエクバターナへ送り込んだ顔ぶれを思い描いた。
(唆したとしたら、一体誰が?)
しかし更に小一時間後、北からの伝令が新たな情報をもたらした。
「テビウス沖でリアラベルデ海軍とイシュラヴァール新王――バハル様の軍勢が衝突!」
「なん……だと……?」
マルスはそこでようやく思い至った。報せのタイミングが良すぎたのが、かえって疑念を確信に変えた。
「そういうことか……!」
敵もまた、動いているのだ。
砂漠の砂の中を這い進む蠍のように。
アルナハブ王国のニケ女王が獄中で自害したという報せは、その二日後に届いた。
兵の数ではマルス軍が圧倒している。二日前、ダレイに報せが届くのとほぼ同時に動いたスカイの部下たちによって、ダレイの身柄は体の良い軟禁状態に置かれていた。
「畜生が!」
ダレイは壁を殴りつけた。
――殿下は、短気なところさえ抑えていただければ良き指導者になれると、女王陛下は仰せでしたよーー
あの無表情な使者の言葉だけが、ダレイの心の中で繰り返される。
「くそ!出ていけ!貴様らの顔など見たくもない!!」
マルス側のはからいで、身の回りの世話をするよう命じられた小姓たちを、ダレイは部屋から追い出した。廊下に見張りがいるのはわかっている。状況次第では人質にされるだろう。
「だから耄碌したって言ったんだ……畜生……母上……」
イシュラヴァール前王との同盟など、信じてはいけなかったのだ。前王は獰猛な砂漠の銀豹。隙を見せたら、喰われる。
その時、誰もいないはずの室内で視界の端がゆらりと揺れた。
「誰だ!」
ダレイは咄嗟に剣を抜いた。が、窓辺にかけられたカーテンの影から姿を表した男は、両手を上げ、丸腰だった。
「言ったでしょう。あなたの真の味方などいないんですよ、この国には。疑う心を忘れては、いいようにされるだけーー騙し返すくらいの気概がなければ、到底目的は果たされない」
薄笑いを浮かべる男に、ダレイは見覚えがあった。
「貴様……確か」
「シャイルです、王子。言ったでしょう、イシュラヴァールと組むなら、新王と前王、どちらに賭けるべきか……と」
「ああ、お前の予言通り、前王はどうやら母との同盟を破ったらしい」
「で、王子はここで黙って泣き寝入りですかい?」
「……口に気をつけろ」
ダレイは苛立ちを露わにして言った。
「おっと、すみません。俺が言いたいのは、前王にやられっぱなしでいいのかってことですよ。王子、あんたは偉すぎて聞かされてないかもしれませんがね……どうやらエクバターナを占拠したのは、前王の指示じゃなかったらしい」
「……つまり、前王は裏切っていないーー?」
ダレイはマルスの言動を思い起こした。確かに、こんなにすぐ露見するような嘘をつくような人物には見えなかった。
ーーしかし一体、自分に何をさせたいのだろう、このシャイルという男は。
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