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第一〇話 風吹くままに
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あくる日。
某らは僧侶らに歓待されて、石山寺の前を流れる川――瀬田川の近くで酒盛りをしていた。
「我は今日、出立しようと思っていたのだが」
「いえいえ! お構いなく! 判官殿のおかげで助かったのですから」
「しかし元はといえば我が寺にいたせいで賊が来た……」
「それでもお構いなく!」
遠慮がちな義平は押しが強い僧侶から清酒(日本酒)が入った朱漆塗りの杯を渡される。義平は嘆息し、グイッと清酒を口に含むと「美味だな」と、感想を漏らしていた。
「十郎殿もどうぞ」
刀をくれた黒衣の僧侶は酒が入った杯を渡してきたので某は遠慮なく受け取った。
「これは素晴らしい、だいぶ澄んでおる」
某は清酒の透明度に感嘆していた。
「なんせそれは僧坊酒なのですから」
「なるほど、それはまた大層なもの用意したようで」
僧坊酒は寺で作られた清酒で高級なものと知られておる。この透明度も納得だ。
確か平安京の官庁の内部機関である造酒司から酒造りの人材が流出し、寺で高級酒が作られたのが僧坊酒の始まりだとか。
「美味い! もう一杯!」
「いいですとも」
酒のおかわりを所望すると黒衣の僧侶は瓶子(口縁部が細く窄まっている酒器)を持ってきた。
「何回でもおかわりを申してください」
僧侶は某が持っている杯に酒を注ぐ。
「高級酒をたくさんもらってはそちらに損害があるのでは?」
「気にしない下さい、これは十郎殿に対する詫びでもありますから」
「詫び?」
某は眉をヘの字にしながら杯に入った酒をグビッと飲んで「かぁー! 美味い!」と、言うと僧侶が口を開く。
「実は刀を渡したあと敵陣に突っ込むふりをして逃げたかと思ったんですよ。それがまさか前線に出て敵を一手に引き受けるための作戦とは思わなくて……すみません!」
「あ、ああ、あの時か」
頭を下げる僧侶と動揺する某。
あれは本当に逃げるつもりだったのだが、しかも僧侶は都合良く解釈しておる。
よし、これに便乗しよう!
「仕方あるまい。きっと某の思惑に気づけるのは歴戦の武士だけであろう……このことは水に流そうではないか」
鼻高々に言ってみせた。
「さすが十郎殿、寛大でございます」
「ふっふっふ」
賞賛されることに気分が良くなっていた。
得意気な某を冷めた目で見ている義平がいるが気づかないふりをしとこうではないか。
――その日の晩。
「義平公、何用ですか?」
就寝しようとしていたところ義平に呼び止められ石山寺の縁側に連れられていた。
「我は明日、出立するがそちはどうするのかと思ってな。ここで修行を積んで僧侶にでもなるのか?」
「あ~そうですな」
今は歓待してくれてるとはいえ、ずっとここで暮らせるはずがないのだ。しかし、僧侶を目指して修行を積むのも面倒だ。
「平安京戻ろうかと……ただ平治の乱からそう時は立っておらんので、その辺をぶらぶらするつもりです。万が一、平家側に某の顔を覚えている者がいたらとっ捕まえられるのが落ちですから」
とりあえず、今思いついたことを言った。
「そうか、我は正直、父上が死んだ報を聞いて単独で清盛の首を掻っ切りに平安京に戻るつもりだった」
「え、義朝公は死んだのですか?」
「知らんのか、まぁ放浪していたなら無理もないな」
源氏の棟梁である源義朝が死んだということは、今目の前にいる人物こそが、源氏の棟梁ということになる。
「しかし、単独で京に行ったらそれこそ死ぬと思うのですが」
「それでもいいと思ってた。そちに会うまではな」
その言葉に某は首を傾げる。
「十郎、そちはどんな手段を使おうと、みっともなかろうと生きることにしがみついている、そうだろう?」
嫌なところを指摘された。
「ま、まぁ、そうですな……本当の武士のように正々堂々と戦って死にたくないですし」
「だが、そちは賊に勝った。武芸に秀でてなくても生きるということにしがみついて勝ちを得てる」
そんな大層なものではない。
しかし否定もできない、生きたいという一心は確かにあった。
つまり義平は某を見習って、
「あれですか、義平公も平家を忘れてひっそり暮らすということですか?」
「たわけ!」
「ひぃ!」
怒鳴られてしまった。
「なぜ一族の仇を忘れることができようか。我が言いたいのは無謀なまま平安京に行って殺されるのをやめにするということだ」
「ということは落ち延びて再起を図るという?」
「その通りだ。源氏と縁がある東国の豪族と合流し、数年は身を隠す」
悪源太と呼ばれる者にしては慎重な行動だ。
本音を言えば、こうして話せる仲になったのにむざむざ平安京に行って捕まってほしくはないという思いがあるので、これで良かったのかもしれない。
「義平公」
「ん?」
「また会えたら、酒でも飲みましょう」
「ふっ、次会うときは平家を滅ぼしているだろうな」
「その際は某に官位をくれるとか?」
冗談でそんなことを言ってみたが。
「それもいいだろう」
「ほ、本当ですか⁉︎」
「静かにしろ夜だぞ」
「うおおおおお!」
某は盛り上がって両拳を天に突き立てた。
「やかましいわ!」
義平には叱咤された模様。
こうして次の日、某と義平は石山寺を出立し、それぞれの道を歩むことになったのだ。
さてと、どこに行くとするか。
何も決めておらんが風吹くままに旅をするのもまた、趣があっていいのかもしれない。
某らは僧侶らに歓待されて、石山寺の前を流れる川――瀬田川の近くで酒盛りをしていた。
「我は今日、出立しようと思っていたのだが」
「いえいえ! お構いなく! 判官殿のおかげで助かったのですから」
「しかし元はといえば我が寺にいたせいで賊が来た……」
「それでもお構いなく!」
遠慮がちな義平は押しが強い僧侶から清酒(日本酒)が入った朱漆塗りの杯を渡される。義平は嘆息し、グイッと清酒を口に含むと「美味だな」と、感想を漏らしていた。
「十郎殿もどうぞ」
刀をくれた黒衣の僧侶は酒が入った杯を渡してきたので某は遠慮なく受け取った。
「これは素晴らしい、だいぶ澄んでおる」
某は清酒の透明度に感嘆していた。
「なんせそれは僧坊酒なのですから」
「なるほど、それはまた大層なもの用意したようで」
僧坊酒は寺で作られた清酒で高級なものと知られておる。この透明度も納得だ。
確か平安京の官庁の内部機関である造酒司から酒造りの人材が流出し、寺で高級酒が作られたのが僧坊酒の始まりだとか。
「美味い! もう一杯!」
「いいですとも」
酒のおかわりを所望すると黒衣の僧侶は瓶子(口縁部が細く窄まっている酒器)を持ってきた。
「何回でもおかわりを申してください」
僧侶は某が持っている杯に酒を注ぐ。
「高級酒をたくさんもらってはそちらに損害があるのでは?」
「気にしない下さい、これは十郎殿に対する詫びでもありますから」
「詫び?」
某は眉をヘの字にしながら杯に入った酒をグビッと飲んで「かぁー! 美味い!」と、言うと僧侶が口を開く。
「実は刀を渡したあと敵陣に突っ込むふりをして逃げたかと思ったんですよ。それがまさか前線に出て敵を一手に引き受けるための作戦とは思わなくて……すみません!」
「あ、ああ、あの時か」
頭を下げる僧侶と動揺する某。
あれは本当に逃げるつもりだったのだが、しかも僧侶は都合良く解釈しておる。
よし、これに便乗しよう!
「仕方あるまい。きっと某の思惑に気づけるのは歴戦の武士だけであろう……このことは水に流そうではないか」
鼻高々に言ってみせた。
「さすが十郎殿、寛大でございます」
「ふっふっふ」
賞賛されることに気分が良くなっていた。
得意気な某を冷めた目で見ている義平がいるが気づかないふりをしとこうではないか。
――その日の晩。
「義平公、何用ですか?」
就寝しようとしていたところ義平に呼び止められ石山寺の縁側に連れられていた。
「我は明日、出立するがそちはどうするのかと思ってな。ここで修行を積んで僧侶にでもなるのか?」
「あ~そうですな」
今は歓待してくれてるとはいえ、ずっとここで暮らせるはずがないのだ。しかし、僧侶を目指して修行を積むのも面倒だ。
「平安京戻ろうかと……ただ平治の乱からそう時は立っておらんので、その辺をぶらぶらするつもりです。万が一、平家側に某の顔を覚えている者がいたらとっ捕まえられるのが落ちですから」
とりあえず、今思いついたことを言った。
「そうか、我は正直、父上が死んだ報を聞いて単独で清盛の首を掻っ切りに平安京に戻るつもりだった」
「え、義朝公は死んだのですか?」
「知らんのか、まぁ放浪していたなら無理もないな」
源氏の棟梁である源義朝が死んだということは、今目の前にいる人物こそが、源氏の棟梁ということになる。
「しかし、単独で京に行ったらそれこそ死ぬと思うのですが」
「それでもいいと思ってた。そちに会うまではな」
その言葉に某は首を傾げる。
「十郎、そちはどんな手段を使おうと、みっともなかろうと生きることにしがみついている、そうだろう?」
嫌なところを指摘された。
「ま、まぁ、そうですな……本当の武士のように正々堂々と戦って死にたくないですし」
「だが、そちは賊に勝った。武芸に秀でてなくても生きるということにしがみついて勝ちを得てる」
そんな大層なものではない。
しかし否定もできない、生きたいという一心は確かにあった。
つまり義平は某を見習って、
「あれですか、義平公も平家を忘れてひっそり暮らすということですか?」
「たわけ!」
「ひぃ!」
怒鳴られてしまった。
「なぜ一族の仇を忘れることができようか。我が言いたいのは無謀なまま平安京に行って殺されるのをやめにするということだ」
「ということは落ち延びて再起を図るという?」
「その通りだ。源氏と縁がある東国の豪族と合流し、数年は身を隠す」
悪源太と呼ばれる者にしては慎重な行動だ。
本音を言えば、こうして話せる仲になったのにむざむざ平安京に行って捕まってほしくはないという思いがあるので、これで良かったのかもしれない。
「義平公」
「ん?」
「また会えたら、酒でも飲みましょう」
「ふっ、次会うときは平家を滅ぼしているだろうな」
「その際は某に官位をくれるとか?」
冗談でそんなことを言ってみたが。
「それもいいだろう」
「ほ、本当ですか⁉︎」
「静かにしろ夜だぞ」
「うおおおおお!」
某は盛り上がって両拳を天に突き立てた。
「やかましいわ!」
義平には叱咤された模様。
こうして次の日、某と義平は石山寺を出立し、それぞれの道を歩むことになったのだ。
さてと、どこに行くとするか。
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