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第一章 過去
22話 衝動
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花火大会から1週間。
各々が理由のつかない感情を抱えたまま普段通りの生活を装っていた。嫉妬や不信感、愛するがゆえの憎悪。そういった醜い心に誰もが向き合えず、時間だけが過ぎていった。
「もしもし?」
うわずった声で里奈は言った。
「あっ、えっと、この前の花火大会の時はありがとうございました」
「え?」
豊は戸惑った。
「あの、助けて頂いて…」
「あー!あの時の!、あのあと電話なかったけど、大丈夫だった?」
「あっ、はい、お陰様で連絡が取れました」
「それはよかった」
「あの、それで、えっと、隆さんにもお礼を言わなきゃって思って…」
「あっ、そう言えば隆くん番号教えてなかったですよね」
「そ、そうなんです。だからその、番号をお教えて頂きたくて…」
豊は教えるのを迷ったが、隆と里奈はお互いの状況を知る事はないだろうと思い番号を伝えた。
「ありがとうございます。電話してみます」
その日夕方、里奈は隆に電話した。
「はい、もしもし?」
「隆さんですか?」
「はい、そうですが?」
「里奈です…」
「あー!里奈ちゃん!大丈夫だった?彼氏と会えた?」
「はい、お陰様で」
「それは良かったね!」
「隆さんに優しくして頂いて、すごく助かりました」
「俺は何も」
「いえ、何かお礼をしたいと思って」
「そんなの気にしなくていいってー」
「でも、それでは私の気持ちが…」
「うーん。そしたら…付き合ってくれない?」
「え?え?付き合う…?」
里奈は驚いて聞き返した。
「え?あー!違う!違う!付き合うってそういうことじゃないよー。何故だかわからないんだけど花火大会のあとから彼女が元気無くてね…。あまり会話もないんだ。それで、そっちに行った時、彼女が気に入った靴があってさ、それをプレゼントしようなかぁって。一人で行くのはちょっと心細いから、明日の休日に里奈ちゃんが付き合ってくれたらと思って」
必死に弁解する隆に里奈は笑って言った。
「フフフ、そうなんですね。ステキです…。
そういうことなら喜んで。でも、隆さん、遠くから来てたんでしょう?」
「うん。でも朝から行くから平気だよ」
「わかりました。私で良ければ一緒に」
「本当に?サンキュー!」
「じゃあ明日」
「はい、連絡待ってます!」
時間と場所を決めて電話を切った。
ガチャ!…バタン!
いつもより少し遅く律子が仕事から帰ってきた。
「律ちゃん、お帰り」
「ただいま、残業になって…。ごめん、すぐご飯作るから」
「うん…」
律子はそれ以上話さず夕飯を作り出した。
隆は野菜を切っている律子の横に並んだ。
「律ちゃん」
「ん?なに?」
「俺さ、明日仕事なんだ」
「わかった、朝ごはんも、ちゃんと作るから」
「あ、いや、そうじゃなくて。明日は律ちゃん休みでしょ?だから、ご飯はいいよ、ゆっくり休んで」
「でも…」
「本当に大丈夫だから」
「わかった。ありがとう」
あの日から、律子に笑顔がなくなった。
◇◇◇
「里奈、今日泊まれる?」
手作り弁当を食べながら涼一は言った。
「あー、ごめん。明日は朝から友達と買い物の約束してるから、泊まれないんだぁ」
「そっか…」
「ごめんね…」
「いや、いいんだ。ご馳走様」
「お粗末さまでした」
「じゃあ涼ちゃん、お昼からも頑張ってね」
「うん。里奈も」
涼一は元気のない里奈が気になっていた。
◇◇◇
次の朝。地元のショッピングモールで待ち合わせていた里奈は落ち着かない様子だった。
ピピピピー!ピピピピー!
「わっ!びっくりしたー!」
自分携帯の音に驚き、慌てて電話に出た。
「は、はい」
「里奈ちゃん?隆だけど」
「あっ隆さん、おはよございます!」
「おはよう。今どこ?」
私はモールの駐車場にいますよ。2階のいちばん端っこです」
「そっか、俺も今着いたからそっちに行くよ。
車で来てるの?」
「はい」
隆は里奈の隣に止めて降りてきた。
「里奈ちゃーん!隆が手を振ると里奈も会釈で応えた」
「一週間ぶりだねっ!」
「はい!隆さん、この前は有り難うございました」
里奈が深々と頭を下げると隆は慌てて言った。
「いや、いや、里奈ちゃん、そんなのいいから、堅苦しいのは無しだよ、それと…」
「はい?」
「ご飯食べない?朝から何も食べてないんだよね」
「ハハハ。わかりました、もうすぐお昼だし、ランチしましょう」
「本当に??ありがとう!」
そう言って隆は里奈を抱きしめた。。
「え!!」
突然抱きしめられた里奈は言葉を失い固まってしまった。
「あっ!ごめん!」
「い、いえ、大丈夫です…」
里奈は顔を赤らめて言った。
「じゃあ行こう」
「はい…」
モールのレストランに向かうエスカレーターを下りながら里奈は言った。
「隆さんいい匂いがしますね、香水着けてるんですか?」
「え?ああ、着けてるよ、彼女と同じなんだ」
「そうなんですねー!」
「ん?どうかした?」
「いえ、とてもいい匂いがしたから。彼女さんと同じ香水っていいですね!」
「そう?考えた事なかったなぁ」
「彼女さん、素敵な方なんでしょうね…。香水もセンス良いし」
「うん…そうかも。俺にはもったいない人だよ…」
「そんな事ないですよ!隆さんも素敵です!」
「ありがとう!里奈ちゃんもいい匂いがするね!」
エスカレーターの一つ下の段にいた隆が里奈に手招きをする。
「え?」
里奈が前屈みになって隆に視線を合わせた。
「え!!」
顔が触れるくらいの距離で隆は言った。
「ほら、すごーくいい匂いじゃん」
また里奈の顔が紅潮した。
「そんな…からかわないで下さい…」
里奈は困って泣きそうな顔をした。
「あ!ご、ごめん…そんなつもりじゃ…ごめんね」
里奈は頷いた。
モールのレストラン街は昼時で混み始めていた。
「里奈ちゃん何食べたい?」
「わたしは何でも大丈夫です。隆さんは?」
「うーん。俺もお腹空いてるから、何でもいけるかな」
「ハハハ、じゃあ、あそこにしましょう。ランチ美味しいんですよ!」
里奈はそう言ってイタリアンの店を指差した。
「おっ!いいねぇ、行こう!」
店内は混んでいて少し待ったが意外と早く座れた。
「すみません、サービスランチ2つ」
里奈が注文した。
「ここのパスタ美味しいんですよ!」
「そうなんだぁ、楽しみだねー。よく来るの?」
「彼と時々」
「へえ、彼氏はどんな人なの?」
「えーっと、同じ会社なんですよ、部署は違って、彼は営業、私は総務で。顔は前から知ってたんですけど話した事はなくて。そしたら、休みの日に偶然クリーニング屋さんであって、その時花火しませんか?って誘ったんです」
「え?里奈ちゃんから?」
「はい」
「積極的だね!」
「前からカッコいいなぁって思ってたから、チャンスだ!と思って」
「で、どうなったの?」
「それが、私が母と約束してたの忘れてて結局できなかったんです」
「そっかぁ、残念だったね」
「ええ。でも、それから暫くして居酒屋でまた会って一緒に飲んだんです。すごく楽しくて、つい飲み過ぎちゃって」
「そうなんだぁ」
「酔ってたのもあって、その勢いに任せて泊めてくださいって…そのまま朝まで一緒でした…」
「ほう!凄いな」
「じゃあさ、この前の花火は尚更残念だったね」
「そうなんです…」
「隆さんの彼女さんはどんな人なんですか?」
今度は里奈が訊ねた。
「学生時代のバイト仲間なんだけど、スッゲェ可愛くて、一目惚れだったんだぁ。もちろん彼氏がいてさ、なかなか振り向いてくれなくて」
「そうなんですね…」
「そしたら彼氏に振られちゃって、すごく傷ついて…辛そうにしてたんだぁ。俺はずっと想ってたんだけど…彼女は引きずってて、なかなか次の彼氏も作んなくて。俺も諦めて、彼女出来たんだけど…やっぱり諦めきれなくて。幸せになって欲しいって思ってたから、俺が絶対幸せにしてやるって決心して…。今までで一番緊張したけど、告白したんだ。知り合って8年近くかかっちゃったけど。で!いつも一緒に居たいから、今、同棲してる」
「すごーい!感動しますね」
「でも、何か違うんだよね…」
隆はを首を捻り考え込んだ。
「え?何がです?」
「う~ん。何だろう、前の彼氏が心の何処かに居ると言うか…。元彼って、凄い人だって思う…。別れて随分経つんだけどさ、今一緒に居る俺が勝てないなんて…。彼女は今が幸せだよって言ってくれるんだけど俺は正直不安で…」
里奈は涙ぐんで言った。
「隆さんにここまで想われて、彼女さんは幸せですよ、きっと…」
「そう思いたいけどね…」
その時、隆の携帯が鳴った。豊からだった。
「もしもし?」
「あっ、隆くんこの前はありがとう」
「こちらこそ。どうしたの?」
「はい。花火の時、隆くんと一緒に居た子からこの前連絡があって、隆くんの携帯番号教えたんですけど大丈夫だったかな?って思って」
「そうなんだね。うん、大丈夫だよ」
律子に今日は仕事だと言ってある。
豊には里奈と会っていることは言えなかった。
「よかった。お礼言いたいからって言ってたんで、連絡があるかも知れませんよ?」
「うん。わかった」
「じゃあ、また」
そう言って豊は電話を切った。
「さぁ、行こうか里奈ちゃん」
「はい!」
ランチを満喫した二人は席を立った。
◇◇◇
律子は9時に目覚めた。
「んん~、はぁ~」
あくびと背伸びを同時にする。久しぶりな気がした。独り暮らしの時は普通に出来た事が今は懐かしく思える。
「隆くん頑張ってるかな?」
トースターにロールパンをセットした。まだ、スタートボタンは押さない。フライパンをコンロにのせ冷蔵庫からベーコンと卵を取り出し火をつけた。
「はぁ」
美味しそうに焦げ目のついたベーコンエッグを食べながらブラックコーヒーを飲む。
(ブラックコーヒーか…ずっとブラックだったよね…)
律子は携帯のラ行を見た。
涼一の番号は別れてからも消さなかった。覚えているので消す意味がなかった。
(声が聞きたい…)
その衝動を抑えきれず深呼吸して涼一に電話をした。
コールが長く感じた。
「う~ん…もしもし?」
「!!」
涼一の声だ。起きたばかりのようだった。
「ご、ごめん、突然」
「ん?え?!律子?!」
「う、うん…」
「どうしたの?」
「ごめん、迷惑だよね…突然電話して…切るね」
「ちょっと待って!大丈夫だから」
「……」
律子は黙っていた。
「律子は大丈夫なの?同棲してるんでしょ?」
「うん、大丈夫…今居ないから…」
「そ、そっか」
沈黙が続く。律子が口を開いた。
「電話で話すのも久しぶりだね…」
「そうだね、何年ぶりかな?」
「うん。あ、この前大丈夫だった?彼女…」
「え?ああ、何とかね…」
律子は?
「うん、私も大丈夫だった」
「律子今何してるの?」
「今日休みだから家に居るよ」
「そっか。俺も休みなんだ」
「うん。彼女は?」
「今日は友達と買い物に行くって言ってたから彼女と会う予定はないよ。律子はどこか行くの?」
「ううん。私も予定ないよ。彼仕事だし」
「そっか…」
少し間が空いた。
「律子…」
「ん?」
「今から会わない?」
「え?」
「会いたいんだ」
涼一は衝動的に言った。
「う、うん…。今日なら…大丈夫だよ」
ふたりは待ち合わせの場所を決めて言った。
「じゃあ、あとで」
「うん」
電話を切って落ち着くまで時間がかかった。
「ふう」
大きく呼吸をして律子は立ち上がった。
シャワーを浴びて鏡の前に座った律子は鏡の中の自分を見つめた。いろんな感情が込み上げてくる。
背徳、嫉妬、猜疑…不変の愛を信じて、それに裏切られ、やっと手にした幸せさえも、幻のような…。
(私は何なの…)
涙が頬を伝う。
「……」
涙を拭いて化粧を始めた。
◇◇
涼一は冷蔵庫から水のペットボトルを取り出して飲み干した。着替えを済ませ足早に家を出た。
車はエアコンの修理が終わったばかりだった
エンジンを掛け、ギアを入れた。
「ふう…よし!」
迷いを断ち切るかのように涼一はアクセルを踏んだ。
互いに高速に乗り、途中の街のインターで降りた。待ち合わせたのは、わかりやすい駅前の駐車場だった。律子が着いたのは12時を少し過ぎた頃でまだ涼一は居なかった。初めて買った律子の車は古くなり、何度も買い替えを勧められたが、しなかった。律子が着いて15分程してから涼一が到着した。変わっていない律子の車で涼一は律子に気づいた。
律子は小さく手を振って車を降りた。運転席の窓を開けて涼一は言った。
「ごめんね、待った?」
「ううん、大丈夫だよ」
「ランチ行こうか?」
「うん」
「律子の車はここに置いて行こう」
「いいけど…涼一はいいの?私が隣に乗っても」
「うん。問題ない」
「わかった」
「涼一が運転するの久しぶりに見た」
助手席の律子は楽しそうに言った。ふたりだけの空間は今までの緊張が嘘のように消えていった。
「買ってからずいぶん経つよ。ついこの前までエアコンが壊れてて大変だったんだ。やっと修理したんだけどね。律子は今でもあれに乗ってるんだね」
「うん、古いんだけど、買い替える気にならなくて…」
「見た時すぐわかったよ」
「そうだよね、涼一を最初に乗せたんだから」
「あの時は迷惑かけたなぁ」
「本当だよー!雅君から連絡もらって、びっくりしたんだから!迎えに行ったら気絶してるし、雅君はただ謝るだけだし。でも…懐かしいね」
「うん、色々あったよなぁ」
「だね…涼一どこで働いてるの?」
「地元の商社に勤めてるよ。営業だから大変だけど、まぁ、頑張ってるよ」
「へえ!そーなんだ、涼一が営業ねぇ」
「ん?なんだよー」
「フフフ、別に」
律子はニヤけた。
「律子は?仕事」
「うん、あのままだよ、今も勤めてる」
「そうなんだね、歯科衛生士の夢が叶ったもんな」
「うん。私ね、涼一と別れてから仕事頑張ったんだよ」
「そっか…何かごめん」
「ううん、私がいけなかったの…涼一の事わかってあげれなかった…ごめん」
涼一は俯いてしまった律子に言った。
「律子、この話はやめよう」
ふたりは幹線道路を走り、通り沿いのレストランに入った。
「涼一何にする?」
「う~ん。久しぶりにステーキとか?」
「いいね、私もそれにするー」
ふたりはステーキのセットを注文した。
「ねぇ、涼一、雅君はどうしてるの?元気?」
「元気にしてるよ。家業の工務店継いで頑張ってる。最近はお互い忙しくてなかなか会う事はないけどね。彼女とも長いからそろそろ結婚するかもなー」
「へえ!そうなんだね、雅君は大工さんかぁ。みんな大人になったんだね」
「私も老けるはずだ」
「ハハハ…」
涼一は不敵に笑った。
「ん?ちょっと?!何よー!」
「あははは」
ふたりの会話は別れてからの時間を飛び越え、むかしのふたりに戻ったような錯覚を覚えた。
◇◇◇
「隆さん、どの靴ですか?」
「確か、この辺だったけど…あった!」
シルプルで履きやすそうなスニーカーだった。
「これ、私の彼も履いてるんですよ。シンプルなのにかわいいですよね!」
「え?本当に?人気あるんだなぁ。この前、彼女がこのスニーカーを見てて俺は勧めたんだけど、買わなかったんだ」
「え?」
「でしょ?同棲してる俺に気を使ってるんだと思う…」
「そうなんだぁ。だからプレゼントなんですね!素敵ー!」
「そういうこと。喜んでくれればいいけどさ」
「大丈夫ですよ!すみませーん、この靴プレゼント用の包装をお願いできますか?」
里奈は近くにいた店員に声をかけた。
「わかりました。サイズはいかがなさいますか?」
店員はすぐに対応してくれた。
「えっと、隆さん、彼女さんのサイズは?」
「24センチだよ」
「24センチですね、すぐにお包み致します」
「お願いします」
5分ほどたってバックヤードから店員が戻ってきた。
「ありがとうございました!」
店員は綺麗に包装した商品を誇らしげに渡し、深々と頭を下げた。
「里奈ちゃんありがとう、助かったよ、俺こういうの苦手で」
「フフフ、隆さんってかわいいとこあるんですね!」
「ん?そうかな…?ハハハ」
照れくさそうに隆は言った。
休日のショッピングモールは家族連れやカップル、部活帰りの学生達が楽しそうにはしゃいでいた。
「こうやってふたりで歩いてたら周りの人は勘違いするのかなぁ」
「え?」
「俺たちのこと」
「そ、そうかもですね…」
「里奈ちゃん、はい!」
隆は手を差し出した。
「え?」
「繋ごうよ、手」
「え?」
「どうせなら勘違いさせてやろう」
「フフッ、そうですね」
隆は笑顔で言った。
里奈も微笑んで隆と手を繋いだ。
◇◇◇
「お腹いっぱいだ!」
涼一は運転席に座りお腹をさすりながら言った。
「アハハッ!さすがにあの量は多いでしょう
美味しかったけどね!」
「律子、どこ行こうか?俺この辺わからないんだよね」
「私も。普段来ないから」
それなりに栄えてはいるが、ふたりの興味を引くようなものはなかった。
「うーん。どうするかな」
小さな声で律子は言った。
「ねぇ涼一、海…行かない?」
「うん、そうだね…行こう」
この町にも海があった。30分程走れば海岸沿いに着く。
「海も懐かしいね…」
律子は寂しそうに言った。初めてキスをしたのも、別れ話をしたのも海だった。色んな思いが律子の胸を締め付ける。
途中コンビニに立ち寄った。
「飲み物買って来るよ。いつものでいい?」
「うん。ありがとう」
律子は微笑んで言った。
付き合っていた頃、ふたりはコーヒーをよく飲みに行った。そのうち律子も涼一と同じブラックコーヒーを飲むようになり、涼一は律子に「いつものでいい?」と聞いてから注文していた。
(覚えてたんだぁ…)
「はい、どうぞ」
涼一は助手席の窓からブラックコーヒーを手渡した。
「ありがとう。昔は飲めなかったんだよね。ブラック」
「そうだっけ?」
「うん。最初は苦くてさ、でも涼一が飲んでるから、頑張ったんだぁ。涼一が唯一大人に見えたもんね!」
「なんだよそれー」
ふたりは顔を見合わせて笑った。
◇◇◇
「里奈ちゃんゲームセンター行かない?」
「行きたーい!」
2階にあるゲームセンターに向かった。数台あるクレーンゲーム機の前で隆は腕組みをした。
クマのぬいぐるみを凝視している。
「取れそう?」
里奈が言った。
「うーん。どうかな?」
隆は100円を入れ、ボタンを押した。音楽が流れてクレーンが動き出した。
「ここだ!」
パッと手を離すとクレーンはぬいぐるみに向かって下がった。ぬいぐるみは少し持ち上がったが、するりと滑り落ちた。
「あー!残念!もう一回!」
隆が100円をポケットから出そうとした時、里奈が財布から100円を出して投入した。
「私がやります!」
里奈は真剣な顔つきでボタンを押した。
クレーンは微妙な振動に耐えぬいぐるみを持ち上げている。
「もう少し!頑張れ!よし!よし!行けー!」
隆が懸命に応援した。
「やったー!」
商品出口にクマが落ちてきた。
「里奈ちゃん凄い!プロじゃん!」
隆は里奈を抱きしめ喜んだ。
「え?!」
「あっごめん!またやっちゃった!」
隆は焦ったが里奈は顔を真っ赤にして言った。
「だ、大丈夫…です…」
商品出口からぬいぐるみを取り出した里奈は隆に言った。
「隆さん、はい、これ」
「え?俺に?」
「いえ。彼女さんに」
「いいの?」
「はい」
「里奈ちゃんありがとう!そうだ!里奈ちゃんプリクラ撮ろうよー」
「え?」
里奈は戸惑っていた。
「嫌?」
「そ、そんな事ないですけど…」
「じゃあ行こう!」
「はい…」
里奈は断らなかった。
(プリクラだけなら…いいよね…)
プリクラコーナーにもいろいろな機種があり隆が迷っている。
「どれがいいのかな?」
「これがいいんじゃないですか?」
「そう?じゃあこれにしよう!」
設定は里奈に任した。
「隆さん!始まりますよ」
ハイチーズ! カシャ!
隆は変顔をして里奈を笑わせた。
「隆さんおもしろーい!」
最後の一枚は全身を撮るらしい
少し後ろに退がる。
ハイチーズ!
その瞬間、隆は里奈をを抱きしめて唇にキスをした。
「キャ!」
里奈は隆を押し離れた。
「ご、ごめん…」
里奈は唇を押さえた。目から大粒の涙が頬を伝う。
「隆さん…何で?彼女さんが居るのに…」
「ごめん、俺どうかしてるね…里奈ちゃ…」
!!
今度は里奈が隆にキスをした。
完成したプリクラは恋人同士の様なふたりが写っていた。
◇◇◇
「うわっ!人多いな…」
海岸沿いを走りながら涼一は言った。海水浴客で砂浜は溢れている。
「水着持ってくればよかったぁ」
律子は口を尖らせて拗ねた。
「そのまま入ったら?」
涼一が揶揄う。
「ブーッ!下着透けちゃうじゃん!」
「ハハハ…だよね」
律子は涼しげな水色のワンピースにサンダルを履いていた。
「髪伸ばしたんだね」
風に靡く律子の綺麗な髪はさざ波のように揺れている。
「え?ああ、変えてみようかなぁって…似合ってる?」
「ああ。似合ってるよ」
「もーう、気持ちが籠ってなーい!」
頬を膨らまし拗ねる。律子の機嫌を取るように涼一が言った。
「もう少し先まで行ってみようか」
「うん。そうだね」
ゆっくり車を進めると、道路沿いの木の隙間から小さな砂浜が見えた。人はいないようだった。
「律子、あそこに砂浜が見えるんだけど、行ってみる?」
「あっ本当だ、行こうよ!」
道路沿いに車を止めた。
「ここから行けそうだよ」
砂浜までの道は細く、防風林の隙間を抜けていく。松の太い根がところどころに隆起していて歩きづらい。
「律子、大丈夫?」
「うん…なんとか」
「はい!」
涼一は手を差し出した。
「ん?」
「ほら、早く!」
涼一は律子の手を取った。
律子は驚いて鼓動が速くなるのがわかった。転ばないように気をつけながら涼一のうしろを歩いた。薄暗い林の中をゆっくり進むと一瞬にして視界が開け、青空が降り注ぐターコイズブルーの海が広がった。波は白くゆっくりと押し寄せてくる。
「凄い…」
「綺麗…」
ふたりは立ち尽くしたまま、どこまでも続く海を眺めていた。
「プライベートビーチみたいだねっ!」
律子は楽しそうに行った。
「うん。誰もいないね」
「海っていいよね…」
律子はサンダルを脱いで波打ち際に向かった。
ワンピースの裾を片手で持ち、濡れないように波にあたる。潮風が髪を靡かせ、細いシルエットは優雅で美しい。打ち寄せる波の音は律子のステップにリズムを付けている。
「優しい風だね…」
律子は微笑んだ。
涼一はその光景をいつまでも見ていたいと思った。
◇◇◇
「里奈ちゃん…?!」
「これで、あいこです…」
「ごめん、変な空気にして…」
隆は申し訳なさそうに言った。
「突然キスなんて…びっくりしましたけど、
不安…なんですよね?彼女さんとの事…」
「里奈ちゃん…」
「だから今日は私が隆さんの彼女になります!」
里奈は元気に言った。
「え?彼女?」
「はい。今日だけ恋人になりませんか?お互い現実逃避して…。実は私も不安なんです。この前彼の家で元カノの写真見つけちゃって…。凄く綺麗な人で…勝てる気がしないんです。ずっと前に別れたみたいなんですけど、彼の心に今もいるような気がして…」
「そうなんだ…」
「だから、隆さんの不安な気持ちがわかるんです。同じだから…」
「里奈ちゃんはいいの…?」
「はい。どうしようもないくらい彼が好きだから…。今日は忘れたいんです、彼のこと…」
「そっか…わかった」
ふたりは微笑んで手を繋いだ。
◇◇◇
「ん?雲行きが怪しいな…」
今までの青空に似つかわしくない黒々とした雨雲が近づいてくる。
「おーい律子。夕立がきそうだよ」
「えー?なにー?」
律子が駆け寄ってきた。
「涼一なんか言った?」
「雨」
涼一は雨雲を指差した。
「あー本当だぁ。せっかく来たのにー」
「車に戻ろう」
「そうだね、残念…」
二人は手を繋ぎ林の中を急ぐ。
「キャッ!」
律子が根に足を取られて涼一の背中にもたれかかった。
「大丈夫?!」
律子は背中に顔を付けたまま動かなかった。
「ん?律子?」
律子の肩が揺れている。泣くのを必死に堪えているようだった。
「律…?!」
「うわぁーん!」
律子は大声をあげ子供のように泣きじゃくった。
「何で私を選んだの?」
「何で私を一人にしたの?」
「ずっと、ずっと待ってたのに…いつも空回り…何でょ…」
降り出した雨に紛れ、涼一も泣いていた。
「ごめん…」
「謝んないで…もう…謝んないでよ…」
夕立ちは激しく…ふたりの心を打ちつける。
◇◇◇
「隆さん、今からプール行きませんか?」
「え?今から?」
隆は腕時計を見る。14時を指していた。
「いいけど、水着がないな」
「ここで買いましょう!私のを選んで下さい。
私も隆さんのを選ぶから」
「面白そうだね。わかった。そうしよう」
隆は里奈と話しているうちに、心が楽になっていくのを感じた。
「こ、これなんか、どう…?女性の水着なんて選んだ事ないから…困るね…」
隆は恥ずかしそうに言った。
「これかわいいですよね!でも…」
そう言って里奈は目を細くして隆を睨んだ。
「ここのラインが細くてセクシー過ぎません?
いいんですか?他の男の的になっちゃっても?」
隆は焦って言った。
「あっ!ダメ!ダメ!違うのにしよう」
「アハハ隆さん焦ってるー」
「そ、そんな事ないよ…」
隆の水着は里奈があっさり決めた。
「里奈ちゃん、プールはどこにあるの?」
「車で20分位です」
「そっか、じゃあ俺の車で行こうよ」
「わかりました」
駐車場に向かうエスカレーターでそう言う話になった。リアシートに律子へのプレゼントと水着を載せ走り出した。
「ねえ、里奈って呼んでもいい?」
「もちろん!私も隆くんにするー」
車は颯爽と走り出した。
◇◇◇
「律子行こう。風邪引いちゃうから」
「ごめん…いつも困らせて…」
涼一は律子の手を取って車に戻った。雨はまだ激しく降り続いている。ふたりはしばらくフロントガラスに打ち付ける雨を見ていた。
「涼一。抱いて…」
「え?」
突然の律子の言葉に戸惑った。
「私をむちゃくちゃにしてよ…もう、どうだっていい…」
「律子…」
涼一は律子の肩を抱き顔を近づけた。律子は静かに目を閉じる。
!!
「なん…で…?」
涼一は近づけた顔をそらし、そのまま抱きしめた。
「律子…もっと自分を大事にしろよ。今の律子を支えているのは俺じゃないだろ?彼氏の為にもね…」
「そうだよね、こんなの変だよね…ごめん…」
「もういいから。ちゃんとわかってるから。帰ろう…」
律子は涙を拭いて頷いた。
夕立が去り、アスファルトは涼一と里奈の好きな匂いがした。
◇◇◇
今日のプールは天気がいいこともあって大盛況の様だ。ふたりは更衣室を抜けプールサイドで合流した。
「隆くん、お待たせー」
里奈は八重歯が見える満面の笑みで手を振った。隆は初めて見る里奈の水着姿に息を飲んだ
黒のビキニは艶やかに里奈の胸元を引き立てる。
「隆くん、どう?」
「うん、凄くいい…!」
「本当に?これ選んでよかったね!」
小柄だが豊満な里奈の胸は男達の目を引きつけていた。
「里奈、目立ってるかも」
「え?そうかなー?」
「うん、可愛いもん」
「水着がでしよ?」
里奈は拗ねたように言った。
「隆くんあっち行こうよ」
「うん」
プールで買った浮き輪を持ってふたりは流水プールに向かった。
「キャハッ!冷たーい!」
「最初はそうだよな」
流水プールも人が多い。カップルや子供連れ、学生のグループが楽しそうに流れていく。
「ちょっと、隆くん!」
「え?」
「今、他の女の子見てたでしょう?」
浮き輪に乗って流されながら里奈が言った。
「え!?見てないよ?」
「ウソ!セクシーな水着の人、目で追ってたし!」
「そ、そんな事ないって…」
「ハハハッ!冗談だよー」
「なんだよそれー」
「あっ!この先流れが強くなるから隆くん引っ張ってー」
「オッケー」
隆は浮き輪の紐を持って強めに引っ張ると、うきわの里奈は流れに乗ってスピードが上がる。
「キャー」
里奈が八重歯を見せてはしゃいだ。隆は不思議な感覚だった。今日限定彼女の里奈を愛おしく思っている自分がいた。
「うわっ!」
里奈が笑って水をかける。こんなに楽しいと思えたのは久しぶりだった。
水質検査の休憩中に隆がジュースを買ってきた。
里奈は戻ってくる隆を見ていた。
「里奈、どうぞ」
「ありがとう…」
「ん?どうしたの?元気ないじゃん」
「うん。隆くん見てたらさ、女の人がけっこう隆くんを見てるんだよね!なんか妬けちゃって…」
隆は長身で体も引き締まっている。
「そう?でも里奈だけだよ俺は」
「そうだけど…さ…」
隆は隣に座って里奈の肩を抱いた。里奈は恥ずかしそうに下を向いて体を縮めた。
「これでいい?」
「うん…」
里奈は安心して微笑んだ。
「あっ、なんか雨ふりそうだな」
「うん。夕立きそうだね」
「そろそろ上がろうか」
「うん…残念…」
着替え終わって外に出る頃予想通り雨になった。車までタオルを被り走る。
「やっぱり降ってきたね」
隆が言うと寂しそうに里奈は答えた。
「うん…」
里奈は髪を拭きながら流れる雫を眺めていた。
「里奈…」
「ん?」
隆がキスをした。
里奈も目を閉じて受け入れた。
長いキスのあと、隆が言った。
「今日はありがとう。楽しかった」
「私こそありがとう。今日だけでも隆くんの彼女になれて嬉しかったよ」
ふたりはもう一度キスをした。
◇◇◇
律子が家に帰ったのは19時頃だった。隆は帰宅していなかった。
「隆くんまだ帰ってないんだ…」
シャワーを浴びてリビングに戻ると隆から電話があった。
(もしもし)
(ごめん、残業で遅くなりそう)
(うん。大丈夫だよ。夕飯は?)
(帰って食べるからお願い)
(わかった。うん。じゃあね)
隆の夕食を準備して、洗濯を終わらせてからベッドに倒れ込れこんだ。
隆は21時に帰宅した。
水着と浮き輪は車に置いたままにした。
「ただいまー。ん?律ちゃん?」
テーブルには夕飯が準備してありメモが書いてあった。
「ん?」
隆くんおかえり
夕飯はチンして食べてね
今日は体がキツくて…
ごめんなさい、先に寝ます
「具合悪かったのかぁ。大丈夫かな?」
食事を済ませシャワーを浴びた。
(プレゼントは明日にしよう…)
クローゼットの隅にしまった。
隆もすぐに眠りに就いてそれぞれの長い一日が終わった。
各々が理由のつかない感情を抱えたまま普段通りの生活を装っていた。嫉妬や不信感、愛するがゆえの憎悪。そういった醜い心に誰もが向き合えず、時間だけが過ぎていった。
「もしもし?」
うわずった声で里奈は言った。
「あっ、えっと、この前の花火大会の時はありがとうございました」
「え?」
豊は戸惑った。
「あの、助けて頂いて…」
「あー!あの時の!、あのあと電話なかったけど、大丈夫だった?」
「あっ、はい、お陰様で連絡が取れました」
「それはよかった」
「あの、それで、えっと、隆さんにもお礼を言わなきゃって思って…」
「あっ、そう言えば隆くん番号教えてなかったですよね」
「そ、そうなんです。だからその、番号をお教えて頂きたくて…」
豊は教えるのを迷ったが、隆と里奈はお互いの状況を知る事はないだろうと思い番号を伝えた。
「ありがとうございます。電話してみます」
その日夕方、里奈は隆に電話した。
「はい、もしもし?」
「隆さんですか?」
「はい、そうですが?」
「里奈です…」
「あー!里奈ちゃん!大丈夫だった?彼氏と会えた?」
「はい、お陰様で」
「それは良かったね!」
「隆さんに優しくして頂いて、すごく助かりました」
「俺は何も」
「いえ、何かお礼をしたいと思って」
「そんなの気にしなくていいってー」
「でも、それでは私の気持ちが…」
「うーん。そしたら…付き合ってくれない?」
「え?え?付き合う…?」
里奈は驚いて聞き返した。
「え?あー!違う!違う!付き合うってそういうことじゃないよー。何故だかわからないんだけど花火大会のあとから彼女が元気無くてね…。あまり会話もないんだ。それで、そっちに行った時、彼女が気に入った靴があってさ、それをプレゼントしようなかぁって。一人で行くのはちょっと心細いから、明日の休日に里奈ちゃんが付き合ってくれたらと思って」
必死に弁解する隆に里奈は笑って言った。
「フフフ、そうなんですね。ステキです…。
そういうことなら喜んで。でも、隆さん、遠くから来てたんでしょう?」
「うん。でも朝から行くから平気だよ」
「わかりました。私で良ければ一緒に」
「本当に?サンキュー!」
「じゃあ明日」
「はい、連絡待ってます!」
時間と場所を決めて電話を切った。
ガチャ!…バタン!
いつもより少し遅く律子が仕事から帰ってきた。
「律ちゃん、お帰り」
「ただいま、残業になって…。ごめん、すぐご飯作るから」
「うん…」
律子はそれ以上話さず夕飯を作り出した。
隆は野菜を切っている律子の横に並んだ。
「律ちゃん」
「ん?なに?」
「俺さ、明日仕事なんだ」
「わかった、朝ごはんも、ちゃんと作るから」
「あ、いや、そうじゃなくて。明日は律ちゃん休みでしょ?だから、ご飯はいいよ、ゆっくり休んで」
「でも…」
「本当に大丈夫だから」
「わかった。ありがとう」
あの日から、律子に笑顔がなくなった。
◇◇◇
「里奈、今日泊まれる?」
手作り弁当を食べながら涼一は言った。
「あー、ごめん。明日は朝から友達と買い物の約束してるから、泊まれないんだぁ」
「そっか…」
「ごめんね…」
「いや、いいんだ。ご馳走様」
「お粗末さまでした」
「じゃあ涼ちゃん、お昼からも頑張ってね」
「うん。里奈も」
涼一は元気のない里奈が気になっていた。
◇◇◇
次の朝。地元のショッピングモールで待ち合わせていた里奈は落ち着かない様子だった。
ピピピピー!ピピピピー!
「わっ!びっくりしたー!」
自分携帯の音に驚き、慌てて電話に出た。
「は、はい」
「里奈ちゃん?隆だけど」
「あっ隆さん、おはよございます!」
「おはよう。今どこ?」
私はモールの駐車場にいますよ。2階のいちばん端っこです」
「そっか、俺も今着いたからそっちに行くよ。
車で来てるの?」
「はい」
隆は里奈の隣に止めて降りてきた。
「里奈ちゃーん!隆が手を振ると里奈も会釈で応えた」
「一週間ぶりだねっ!」
「はい!隆さん、この前は有り難うございました」
里奈が深々と頭を下げると隆は慌てて言った。
「いや、いや、里奈ちゃん、そんなのいいから、堅苦しいのは無しだよ、それと…」
「はい?」
「ご飯食べない?朝から何も食べてないんだよね」
「ハハハ。わかりました、もうすぐお昼だし、ランチしましょう」
「本当に??ありがとう!」
そう言って隆は里奈を抱きしめた。。
「え!!」
突然抱きしめられた里奈は言葉を失い固まってしまった。
「あっ!ごめん!」
「い、いえ、大丈夫です…」
里奈は顔を赤らめて言った。
「じゃあ行こう」
「はい…」
モールのレストランに向かうエスカレーターを下りながら里奈は言った。
「隆さんいい匂いがしますね、香水着けてるんですか?」
「え?ああ、着けてるよ、彼女と同じなんだ」
「そうなんですねー!」
「ん?どうかした?」
「いえ、とてもいい匂いがしたから。彼女さんと同じ香水っていいですね!」
「そう?考えた事なかったなぁ」
「彼女さん、素敵な方なんでしょうね…。香水もセンス良いし」
「うん…そうかも。俺にはもったいない人だよ…」
「そんな事ないですよ!隆さんも素敵です!」
「ありがとう!里奈ちゃんもいい匂いがするね!」
エスカレーターの一つ下の段にいた隆が里奈に手招きをする。
「え?」
里奈が前屈みになって隆に視線を合わせた。
「え!!」
顔が触れるくらいの距離で隆は言った。
「ほら、すごーくいい匂いじゃん」
また里奈の顔が紅潮した。
「そんな…からかわないで下さい…」
里奈は困って泣きそうな顔をした。
「あ!ご、ごめん…そんなつもりじゃ…ごめんね」
里奈は頷いた。
モールのレストラン街は昼時で混み始めていた。
「里奈ちゃん何食べたい?」
「わたしは何でも大丈夫です。隆さんは?」
「うーん。俺もお腹空いてるから、何でもいけるかな」
「ハハハ、じゃあ、あそこにしましょう。ランチ美味しいんですよ!」
里奈はそう言ってイタリアンの店を指差した。
「おっ!いいねぇ、行こう!」
店内は混んでいて少し待ったが意外と早く座れた。
「すみません、サービスランチ2つ」
里奈が注文した。
「ここのパスタ美味しいんですよ!」
「そうなんだぁ、楽しみだねー。よく来るの?」
「彼と時々」
「へえ、彼氏はどんな人なの?」
「えーっと、同じ会社なんですよ、部署は違って、彼は営業、私は総務で。顔は前から知ってたんですけど話した事はなくて。そしたら、休みの日に偶然クリーニング屋さんであって、その時花火しませんか?って誘ったんです」
「え?里奈ちゃんから?」
「はい」
「積極的だね!」
「前からカッコいいなぁって思ってたから、チャンスだ!と思って」
「で、どうなったの?」
「それが、私が母と約束してたの忘れてて結局できなかったんです」
「そっかぁ、残念だったね」
「ええ。でも、それから暫くして居酒屋でまた会って一緒に飲んだんです。すごく楽しくて、つい飲み過ぎちゃって」
「そうなんだぁ」
「酔ってたのもあって、その勢いに任せて泊めてくださいって…そのまま朝まで一緒でした…」
「ほう!凄いな」
「じゃあさ、この前の花火は尚更残念だったね」
「そうなんです…」
「隆さんの彼女さんはどんな人なんですか?」
今度は里奈が訊ねた。
「学生時代のバイト仲間なんだけど、スッゲェ可愛くて、一目惚れだったんだぁ。もちろん彼氏がいてさ、なかなか振り向いてくれなくて」
「そうなんですね…」
「そしたら彼氏に振られちゃって、すごく傷ついて…辛そうにしてたんだぁ。俺はずっと想ってたんだけど…彼女は引きずってて、なかなか次の彼氏も作んなくて。俺も諦めて、彼女出来たんだけど…やっぱり諦めきれなくて。幸せになって欲しいって思ってたから、俺が絶対幸せにしてやるって決心して…。今までで一番緊張したけど、告白したんだ。知り合って8年近くかかっちゃったけど。で!いつも一緒に居たいから、今、同棲してる」
「すごーい!感動しますね」
「でも、何か違うんだよね…」
隆はを首を捻り考え込んだ。
「え?何がです?」
「う~ん。何だろう、前の彼氏が心の何処かに居ると言うか…。元彼って、凄い人だって思う…。別れて随分経つんだけどさ、今一緒に居る俺が勝てないなんて…。彼女は今が幸せだよって言ってくれるんだけど俺は正直不安で…」
里奈は涙ぐんで言った。
「隆さんにここまで想われて、彼女さんは幸せですよ、きっと…」
「そう思いたいけどね…」
その時、隆の携帯が鳴った。豊からだった。
「もしもし?」
「あっ、隆くんこの前はありがとう」
「こちらこそ。どうしたの?」
「はい。花火の時、隆くんと一緒に居た子からこの前連絡があって、隆くんの携帯番号教えたんですけど大丈夫だったかな?って思って」
「そうなんだね。うん、大丈夫だよ」
律子に今日は仕事だと言ってある。
豊には里奈と会っていることは言えなかった。
「よかった。お礼言いたいからって言ってたんで、連絡があるかも知れませんよ?」
「うん。わかった」
「じゃあ、また」
そう言って豊は電話を切った。
「さぁ、行こうか里奈ちゃん」
「はい!」
ランチを満喫した二人は席を立った。
◇◇◇
律子は9時に目覚めた。
「んん~、はぁ~」
あくびと背伸びを同時にする。久しぶりな気がした。独り暮らしの時は普通に出来た事が今は懐かしく思える。
「隆くん頑張ってるかな?」
トースターにロールパンをセットした。まだ、スタートボタンは押さない。フライパンをコンロにのせ冷蔵庫からベーコンと卵を取り出し火をつけた。
「はぁ」
美味しそうに焦げ目のついたベーコンエッグを食べながらブラックコーヒーを飲む。
(ブラックコーヒーか…ずっとブラックだったよね…)
律子は携帯のラ行を見た。
涼一の番号は別れてからも消さなかった。覚えているので消す意味がなかった。
(声が聞きたい…)
その衝動を抑えきれず深呼吸して涼一に電話をした。
コールが長く感じた。
「う~ん…もしもし?」
「!!」
涼一の声だ。起きたばかりのようだった。
「ご、ごめん、突然」
「ん?え?!律子?!」
「う、うん…」
「どうしたの?」
「ごめん、迷惑だよね…突然電話して…切るね」
「ちょっと待って!大丈夫だから」
「……」
律子は黙っていた。
「律子は大丈夫なの?同棲してるんでしょ?」
「うん、大丈夫…今居ないから…」
「そ、そっか」
沈黙が続く。律子が口を開いた。
「電話で話すのも久しぶりだね…」
「そうだね、何年ぶりかな?」
「うん。あ、この前大丈夫だった?彼女…」
「え?ああ、何とかね…」
律子は?
「うん、私も大丈夫だった」
「律子今何してるの?」
「今日休みだから家に居るよ」
「そっか。俺も休みなんだ」
「うん。彼女は?」
「今日は友達と買い物に行くって言ってたから彼女と会う予定はないよ。律子はどこか行くの?」
「ううん。私も予定ないよ。彼仕事だし」
「そっか…」
少し間が空いた。
「律子…」
「ん?」
「今から会わない?」
「え?」
「会いたいんだ」
涼一は衝動的に言った。
「う、うん…。今日なら…大丈夫だよ」
ふたりは待ち合わせの場所を決めて言った。
「じゃあ、あとで」
「うん」
電話を切って落ち着くまで時間がかかった。
「ふう」
大きく呼吸をして律子は立ち上がった。
シャワーを浴びて鏡の前に座った律子は鏡の中の自分を見つめた。いろんな感情が込み上げてくる。
背徳、嫉妬、猜疑…不変の愛を信じて、それに裏切られ、やっと手にした幸せさえも、幻のような…。
(私は何なの…)
涙が頬を伝う。
「……」
涙を拭いて化粧を始めた。
◇◇
涼一は冷蔵庫から水のペットボトルを取り出して飲み干した。着替えを済ませ足早に家を出た。
車はエアコンの修理が終わったばかりだった
エンジンを掛け、ギアを入れた。
「ふう…よし!」
迷いを断ち切るかのように涼一はアクセルを踏んだ。
互いに高速に乗り、途中の街のインターで降りた。待ち合わせたのは、わかりやすい駅前の駐車場だった。律子が着いたのは12時を少し過ぎた頃でまだ涼一は居なかった。初めて買った律子の車は古くなり、何度も買い替えを勧められたが、しなかった。律子が着いて15分程してから涼一が到着した。変わっていない律子の車で涼一は律子に気づいた。
律子は小さく手を振って車を降りた。運転席の窓を開けて涼一は言った。
「ごめんね、待った?」
「ううん、大丈夫だよ」
「ランチ行こうか?」
「うん」
「律子の車はここに置いて行こう」
「いいけど…涼一はいいの?私が隣に乗っても」
「うん。問題ない」
「わかった」
「涼一が運転するの久しぶりに見た」
助手席の律子は楽しそうに言った。ふたりだけの空間は今までの緊張が嘘のように消えていった。
「買ってからずいぶん経つよ。ついこの前までエアコンが壊れてて大変だったんだ。やっと修理したんだけどね。律子は今でもあれに乗ってるんだね」
「うん、古いんだけど、買い替える気にならなくて…」
「見た時すぐわかったよ」
「そうだよね、涼一を最初に乗せたんだから」
「あの時は迷惑かけたなぁ」
「本当だよー!雅君から連絡もらって、びっくりしたんだから!迎えに行ったら気絶してるし、雅君はただ謝るだけだし。でも…懐かしいね」
「うん、色々あったよなぁ」
「だね…涼一どこで働いてるの?」
「地元の商社に勤めてるよ。営業だから大変だけど、まぁ、頑張ってるよ」
「へえ!そーなんだ、涼一が営業ねぇ」
「ん?なんだよー」
「フフフ、別に」
律子はニヤけた。
「律子は?仕事」
「うん、あのままだよ、今も勤めてる」
「そうなんだね、歯科衛生士の夢が叶ったもんな」
「うん。私ね、涼一と別れてから仕事頑張ったんだよ」
「そっか…何かごめん」
「ううん、私がいけなかったの…涼一の事わかってあげれなかった…ごめん」
涼一は俯いてしまった律子に言った。
「律子、この話はやめよう」
ふたりは幹線道路を走り、通り沿いのレストランに入った。
「涼一何にする?」
「う~ん。久しぶりにステーキとか?」
「いいね、私もそれにするー」
ふたりはステーキのセットを注文した。
「ねぇ、涼一、雅君はどうしてるの?元気?」
「元気にしてるよ。家業の工務店継いで頑張ってる。最近はお互い忙しくてなかなか会う事はないけどね。彼女とも長いからそろそろ結婚するかもなー」
「へえ!そうなんだね、雅君は大工さんかぁ。みんな大人になったんだね」
「私も老けるはずだ」
「ハハハ…」
涼一は不敵に笑った。
「ん?ちょっと?!何よー!」
「あははは」
ふたりの会話は別れてからの時間を飛び越え、むかしのふたりに戻ったような錯覚を覚えた。
◇◇◇
「隆さん、どの靴ですか?」
「確か、この辺だったけど…あった!」
シルプルで履きやすそうなスニーカーだった。
「これ、私の彼も履いてるんですよ。シンプルなのにかわいいですよね!」
「え?本当に?人気あるんだなぁ。この前、彼女がこのスニーカーを見てて俺は勧めたんだけど、買わなかったんだ」
「え?」
「でしょ?同棲してる俺に気を使ってるんだと思う…」
「そうなんだぁ。だからプレゼントなんですね!素敵ー!」
「そういうこと。喜んでくれればいいけどさ」
「大丈夫ですよ!すみませーん、この靴プレゼント用の包装をお願いできますか?」
里奈は近くにいた店員に声をかけた。
「わかりました。サイズはいかがなさいますか?」
店員はすぐに対応してくれた。
「えっと、隆さん、彼女さんのサイズは?」
「24センチだよ」
「24センチですね、すぐにお包み致します」
「お願いします」
5分ほどたってバックヤードから店員が戻ってきた。
「ありがとうございました!」
店員は綺麗に包装した商品を誇らしげに渡し、深々と頭を下げた。
「里奈ちゃんありがとう、助かったよ、俺こういうの苦手で」
「フフフ、隆さんってかわいいとこあるんですね!」
「ん?そうかな…?ハハハ」
照れくさそうに隆は言った。
休日のショッピングモールは家族連れやカップル、部活帰りの学生達が楽しそうにはしゃいでいた。
「こうやってふたりで歩いてたら周りの人は勘違いするのかなぁ」
「え?」
「俺たちのこと」
「そ、そうかもですね…」
「里奈ちゃん、はい!」
隆は手を差し出した。
「え?」
「繋ごうよ、手」
「え?」
「どうせなら勘違いさせてやろう」
「フフッ、そうですね」
隆は笑顔で言った。
里奈も微笑んで隆と手を繋いだ。
◇◇◇
「お腹いっぱいだ!」
涼一は運転席に座りお腹をさすりながら言った。
「アハハッ!さすがにあの量は多いでしょう
美味しかったけどね!」
「律子、どこ行こうか?俺この辺わからないんだよね」
「私も。普段来ないから」
それなりに栄えてはいるが、ふたりの興味を引くようなものはなかった。
「うーん。どうするかな」
小さな声で律子は言った。
「ねぇ涼一、海…行かない?」
「うん、そうだね…行こう」
この町にも海があった。30分程走れば海岸沿いに着く。
「海も懐かしいね…」
律子は寂しそうに言った。初めてキスをしたのも、別れ話をしたのも海だった。色んな思いが律子の胸を締め付ける。
途中コンビニに立ち寄った。
「飲み物買って来るよ。いつものでいい?」
「うん。ありがとう」
律子は微笑んで言った。
付き合っていた頃、ふたりはコーヒーをよく飲みに行った。そのうち律子も涼一と同じブラックコーヒーを飲むようになり、涼一は律子に「いつものでいい?」と聞いてから注文していた。
(覚えてたんだぁ…)
「はい、どうぞ」
涼一は助手席の窓からブラックコーヒーを手渡した。
「ありがとう。昔は飲めなかったんだよね。ブラック」
「そうだっけ?」
「うん。最初は苦くてさ、でも涼一が飲んでるから、頑張ったんだぁ。涼一が唯一大人に見えたもんね!」
「なんだよそれー」
ふたりは顔を見合わせて笑った。
◇◇◇
「里奈ちゃんゲームセンター行かない?」
「行きたーい!」
2階にあるゲームセンターに向かった。数台あるクレーンゲーム機の前で隆は腕組みをした。
クマのぬいぐるみを凝視している。
「取れそう?」
里奈が言った。
「うーん。どうかな?」
隆は100円を入れ、ボタンを押した。音楽が流れてクレーンが動き出した。
「ここだ!」
パッと手を離すとクレーンはぬいぐるみに向かって下がった。ぬいぐるみは少し持ち上がったが、するりと滑り落ちた。
「あー!残念!もう一回!」
隆が100円をポケットから出そうとした時、里奈が財布から100円を出して投入した。
「私がやります!」
里奈は真剣な顔つきでボタンを押した。
クレーンは微妙な振動に耐えぬいぐるみを持ち上げている。
「もう少し!頑張れ!よし!よし!行けー!」
隆が懸命に応援した。
「やったー!」
商品出口にクマが落ちてきた。
「里奈ちゃん凄い!プロじゃん!」
隆は里奈を抱きしめ喜んだ。
「え?!」
「あっごめん!またやっちゃった!」
隆は焦ったが里奈は顔を真っ赤にして言った。
「だ、大丈夫…です…」
商品出口からぬいぐるみを取り出した里奈は隆に言った。
「隆さん、はい、これ」
「え?俺に?」
「いえ。彼女さんに」
「いいの?」
「はい」
「里奈ちゃんありがとう!そうだ!里奈ちゃんプリクラ撮ろうよー」
「え?」
里奈は戸惑っていた。
「嫌?」
「そ、そんな事ないですけど…」
「じゃあ行こう!」
「はい…」
里奈は断らなかった。
(プリクラだけなら…いいよね…)
プリクラコーナーにもいろいろな機種があり隆が迷っている。
「どれがいいのかな?」
「これがいいんじゃないですか?」
「そう?じゃあこれにしよう!」
設定は里奈に任した。
「隆さん!始まりますよ」
ハイチーズ! カシャ!
隆は変顔をして里奈を笑わせた。
「隆さんおもしろーい!」
最後の一枚は全身を撮るらしい
少し後ろに退がる。
ハイチーズ!
その瞬間、隆は里奈をを抱きしめて唇にキスをした。
「キャ!」
里奈は隆を押し離れた。
「ご、ごめん…」
里奈は唇を押さえた。目から大粒の涙が頬を伝う。
「隆さん…何で?彼女さんが居るのに…」
「ごめん、俺どうかしてるね…里奈ちゃ…」
!!
今度は里奈が隆にキスをした。
完成したプリクラは恋人同士の様なふたりが写っていた。
◇◇◇
「うわっ!人多いな…」
海岸沿いを走りながら涼一は言った。海水浴客で砂浜は溢れている。
「水着持ってくればよかったぁ」
律子は口を尖らせて拗ねた。
「そのまま入ったら?」
涼一が揶揄う。
「ブーッ!下着透けちゃうじゃん!」
「ハハハ…だよね」
律子は涼しげな水色のワンピースにサンダルを履いていた。
「髪伸ばしたんだね」
風に靡く律子の綺麗な髪はさざ波のように揺れている。
「え?ああ、変えてみようかなぁって…似合ってる?」
「ああ。似合ってるよ」
「もーう、気持ちが籠ってなーい!」
頬を膨らまし拗ねる。律子の機嫌を取るように涼一が言った。
「もう少し先まで行ってみようか」
「うん。そうだね」
ゆっくり車を進めると、道路沿いの木の隙間から小さな砂浜が見えた。人はいないようだった。
「律子、あそこに砂浜が見えるんだけど、行ってみる?」
「あっ本当だ、行こうよ!」
道路沿いに車を止めた。
「ここから行けそうだよ」
砂浜までの道は細く、防風林の隙間を抜けていく。松の太い根がところどころに隆起していて歩きづらい。
「律子、大丈夫?」
「うん…なんとか」
「はい!」
涼一は手を差し出した。
「ん?」
「ほら、早く!」
涼一は律子の手を取った。
律子は驚いて鼓動が速くなるのがわかった。転ばないように気をつけながら涼一のうしろを歩いた。薄暗い林の中をゆっくり進むと一瞬にして視界が開け、青空が降り注ぐターコイズブルーの海が広がった。波は白くゆっくりと押し寄せてくる。
「凄い…」
「綺麗…」
ふたりは立ち尽くしたまま、どこまでも続く海を眺めていた。
「プライベートビーチみたいだねっ!」
律子は楽しそうに行った。
「うん。誰もいないね」
「海っていいよね…」
律子はサンダルを脱いで波打ち際に向かった。
ワンピースの裾を片手で持ち、濡れないように波にあたる。潮風が髪を靡かせ、細いシルエットは優雅で美しい。打ち寄せる波の音は律子のステップにリズムを付けている。
「優しい風だね…」
律子は微笑んだ。
涼一はその光景をいつまでも見ていたいと思った。
◇◇◇
「里奈ちゃん…?!」
「これで、あいこです…」
「ごめん、変な空気にして…」
隆は申し訳なさそうに言った。
「突然キスなんて…びっくりしましたけど、
不安…なんですよね?彼女さんとの事…」
「里奈ちゃん…」
「だから今日は私が隆さんの彼女になります!」
里奈は元気に言った。
「え?彼女?」
「はい。今日だけ恋人になりませんか?お互い現実逃避して…。実は私も不安なんです。この前彼の家で元カノの写真見つけちゃって…。凄く綺麗な人で…勝てる気がしないんです。ずっと前に別れたみたいなんですけど、彼の心に今もいるような気がして…」
「そうなんだ…」
「だから、隆さんの不安な気持ちがわかるんです。同じだから…」
「里奈ちゃんはいいの…?」
「はい。どうしようもないくらい彼が好きだから…。今日は忘れたいんです、彼のこと…」
「そっか…わかった」
ふたりは微笑んで手を繋いだ。
◇◇◇
「ん?雲行きが怪しいな…」
今までの青空に似つかわしくない黒々とした雨雲が近づいてくる。
「おーい律子。夕立がきそうだよ」
「えー?なにー?」
律子が駆け寄ってきた。
「涼一なんか言った?」
「雨」
涼一は雨雲を指差した。
「あー本当だぁ。せっかく来たのにー」
「車に戻ろう」
「そうだね、残念…」
二人は手を繋ぎ林の中を急ぐ。
「キャッ!」
律子が根に足を取られて涼一の背中にもたれかかった。
「大丈夫?!」
律子は背中に顔を付けたまま動かなかった。
「ん?律子?」
律子の肩が揺れている。泣くのを必死に堪えているようだった。
「律…?!」
「うわぁーん!」
律子は大声をあげ子供のように泣きじゃくった。
「何で私を選んだの?」
「何で私を一人にしたの?」
「ずっと、ずっと待ってたのに…いつも空回り…何でょ…」
降り出した雨に紛れ、涼一も泣いていた。
「ごめん…」
「謝んないで…もう…謝んないでよ…」
夕立ちは激しく…ふたりの心を打ちつける。
◇◇◇
「隆さん、今からプール行きませんか?」
「え?今から?」
隆は腕時計を見る。14時を指していた。
「いいけど、水着がないな」
「ここで買いましょう!私のを選んで下さい。
私も隆さんのを選ぶから」
「面白そうだね。わかった。そうしよう」
隆は里奈と話しているうちに、心が楽になっていくのを感じた。
「こ、これなんか、どう…?女性の水着なんて選んだ事ないから…困るね…」
隆は恥ずかしそうに言った。
「これかわいいですよね!でも…」
そう言って里奈は目を細くして隆を睨んだ。
「ここのラインが細くてセクシー過ぎません?
いいんですか?他の男の的になっちゃっても?」
隆は焦って言った。
「あっ!ダメ!ダメ!違うのにしよう」
「アハハ隆さん焦ってるー」
「そ、そんな事ないよ…」
隆の水着は里奈があっさり決めた。
「里奈ちゃん、プールはどこにあるの?」
「車で20分位です」
「そっか、じゃあ俺の車で行こうよ」
「わかりました」
駐車場に向かうエスカレーターでそう言う話になった。リアシートに律子へのプレゼントと水着を載せ走り出した。
「ねえ、里奈って呼んでもいい?」
「もちろん!私も隆くんにするー」
車は颯爽と走り出した。
◇◇◇
「律子行こう。風邪引いちゃうから」
「ごめん…いつも困らせて…」
涼一は律子の手を取って車に戻った。雨はまだ激しく降り続いている。ふたりはしばらくフロントガラスに打ち付ける雨を見ていた。
「涼一。抱いて…」
「え?」
突然の律子の言葉に戸惑った。
「私をむちゃくちゃにしてよ…もう、どうだっていい…」
「律子…」
涼一は律子の肩を抱き顔を近づけた。律子は静かに目を閉じる。
!!
「なん…で…?」
涼一は近づけた顔をそらし、そのまま抱きしめた。
「律子…もっと自分を大事にしろよ。今の律子を支えているのは俺じゃないだろ?彼氏の為にもね…」
「そうだよね、こんなの変だよね…ごめん…」
「もういいから。ちゃんとわかってるから。帰ろう…」
律子は涙を拭いて頷いた。
夕立が去り、アスファルトは涼一と里奈の好きな匂いがした。
◇◇◇
今日のプールは天気がいいこともあって大盛況の様だ。ふたりは更衣室を抜けプールサイドで合流した。
「隆くん、お待たせー」
里奈は八重歯が見える満面の笑みで手を振った。隆は初めて見る里奈の水着姿に息を飲んだ
黒のビキニは艶やかに里奈の胸元を引き立てる。
「隆くん、どう?」
「うん、凄くいい…!」
「本当に?これ選んでよかったね!」
小柄だが豊満な里奈の胸は男達の目を引きつけていた。
「里奈、目立ってるかも」
「え?そうかなー?」
「うん、可愛いもん」
「水着がでしよ?」
里奈は拗ねたように言った。
「隆くんあっち行こうよ」
「うん」
プールで買った浮き輪を持ってふたりは流水プールに向かった。
「キャハッ!冷たーい!」
「最初はそうだよな」
流水プールも人が多い。カップルや子供連れ、学生のグループが楽しそうに流れていく。
「ちょっと、隆くん!」
「え?」
「今、他の女の子見てたでしょう?」
浮き輪に乗って流されながら里奈が言った。
「え!?見てないよ?」
「ウソ!セクシーな水着の人、目で追ってたし!」
「そ、そんな事ないって…」
「ハハハッ!冗談だよー」
「なんだよそれー」
「あっ!この先流れが強くなるから隆くん引っ張ってー」
「オッケー」
隆は浮き輪の紐を持って強めに引っ張ると、うきわの里奈は流れに乗ってスピードが上がる。
「キャー」
里奈が八重歯を見せてはしゃいだ。隆は不思議な感覚だった。今日限定彼女の里奈を愛おしく思っている自分がいた。
「うわっ!」
里奈が笑って水をかける。こんなに楽しいと思えたのは久しぶりだった。
水質検査の休憩中に隆がジュースを買ってきた。
里奈は戻ってくる隆を見ていた。
「里奈、どうぞ」
「ありがとう…」
「ん?どうしたの?元気ないじゃん」
「うん。隆くん見てたらさ、女の人がけっこう隆くんを見てるんだよね!なんか妬けちゃって…」
隆は長身で体も引き締まっている。
「そう?でも里奈だけだよ俺は」
「そうだけど…さ…」
隆は隣に座って里奈の肩を抱いた。里奈は恥ずかしそうに下を向いて体を縮めた。
「これでいい?」
「うん…」
里奈は安心して微笑んだ。
「あっ、なんか雨ふりそうだな」
「うん。夕立きそうだね」
「そろそろ上がろうか」
「うん…残念…」
着替え終わって外に出る頃予想通り雨になった。車までタオルを被り走る。
「やっぱり降ってきたね」
隆が言うと寂しそうに里奈は答えた。
「うん…」
里奈は髪を拭きながら流れる雫を眺めていた。
「里奈…」
「ん?」
隆がキスをした。
里奈も目を閉じて受け入れた。
長いキスのあと、隆が言った。
「今日はありがとう。楽しかった」
「私こそありがとう。今日だけでも隆くんの彼女になれて嬉しかったよ」
ふたりはもう一度キスをした。
◇◇◇
律子が家に帰ったのは19時頃だった。隆は帰宅していなかった。
「隆くんまだ帰ってないんだ…」
シャワーを浴びてリビングに戻ると隆から電話があった。
(もしもし)
(ごめん、残業で遅くなりそう)
(うん。大丈夫だよ。夕飯は?)
(帰って食べるからお願い)
(わかった。うん。じゃあね)
隆の夕食を準備して、洗濯を終わらせてからベッドに倒れ込れこんだ。
隆は21時に帰宅した。
水着と浮き輪は車に置いたままにした。
「ただいまー。ん?律ちゃん?」
テーブルには夕飯が準備してありメモが書いてあった。
「ん?」
隆くんおかえり
夕飯はチンして食べてね
今日は体がキツくて…
ごめんなさい、先に寝ます
「具合悪かったのかぁ。大丈夫かな?」
食事を済ませシャワーを浴びた。
(プレゼントは明日にしよう…)
クローゼットの隅にしまった。
隆もすぐに眠りに就いてそれぞれの長い一日が終わった。
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