雨上がりには

Two-dragon

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第二章 未来

25話 一新(2)

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地元に帰って2年、律子は海の近くの歯科医院で働いていた。戻ってしばらくは実家から通勤していたが歯科医院にほど近い場所に部屋を借りた。思い出がありすぎて乗り続けるのが辛かった軽自動車は新車に乗り替えた。

携帯も新しい番号に変えた。自分の弱さから逃げないように隆と涼一の番号も消した。

全てをリセットして生きていこうと律子は思っていた。



今日は朝からよく晴れた。
律子は歩いて出勤していた。

「斉藤さん」

歯科助手の山科加代子が言った。

「はい?」

「次の患者さんは小さなお子さんだから大変でしょうけど…」

「わかりました。大丈夫ですよ」

山科は律子の反応を確認してから呼び込んだ。

「内藤さーん、診察室にどうぞー」

恐そうな顔をした父親に連れられて3歳くらいの可愛らしい男の子がベソをかきながら入ってきた。

「パパ…怖い、痛いの怖い~」

「大丈夫だから。おいで」

「でも~」

「晴人、ママに言われただろ?ちゃんと治療しないと!」

父親が諭している。

「だって~」

そう言いながら子供は律子に近寄ってきた。

「ん?、キャッ!」

律子は慌ててナース服の裾を抑えた。晴人がスカートをめくろうとしたのだった。それをみて驚いた父親が叱りつけた。

「コラ!晴人!何やってんだ!!」

父親の形相に晴人の顔色が変わり今にも泣き出しそうだった。

「あの、お父さん、私は大丈夫ですから」

律子はバツが悪そうに言った。

「うちの子がすみません…」

「いえ、本当に大丈夫ですから。えっと、晴人君?お口あーんできるかな?お姉さんに見せてくれる?」

律子は泣きそうな晴人に話しかけた。晴人はベソをかきながら口を開けた。

「あーん」

「すごーい!大きく開けれたね!ちょっと見せてねー。」

律子は続けた。

「あっ!虫歯くんが晴人くんのお口の中で悪さしてるよ!どう?先生とお姉さんと一緒にやっつけない?」

晴人は笑顔で頷いて自分から診察台に座り、今度は大きく口を開けた。

「よし!晴人くん、お姉さんの手を握っててね!じゃあ頑張ろう!」

律子は優しく手を握り声をかける。晴人はおとなしくしたまま治療はスムーズに終了した。診察台を起こしながら律子は笑顔で晴人に言った。

「終わったよー!良く頑張ったね!」

晴人は頷きながら誇らしげにピースサインを出し、律子もピースで応えた。
診察室を出る時、父親が律子に言った。

「晴人がすみませんでした」

「いえ、大丈夫ですよ。可愛いお子さんですね」

「晴人、お姉さんにお礼は?」

父親に促された晴人は満面の笑みを浮かべ律子に言った。

「おねちゃんありがとう」

「いいえ、晴人君が頑張ったんだもんね!」

「うん!バイバーイ」

「バイバーイ」

「ありがとうございました」

父親は丁寧に頭を下げた。

「お大事に」

ふたりは笑顔で帰っていった。

「ちょっと、斉藤さん、すごいわねー」

律子のやりとりを見ていた山科が言った。

「え?」

「さっきの坊や、斉藤さんが休みの日に初診で来たんだけど、泣き出すと大変なのよ…でも、斉藤さんの言うことは聞いてたからびっくりしちゃった」

「そうだったんですね」

律子は苦笑いで言った。

「もしかして、坊や、斉藤さんに恋しちゃったんじゃない?」

「あはは、本当にそうなら嬉しいですね!」

「あははは」



「ママー!」

「ただいま」

「おかえり晴くん!浩介お帰り」

「晴人のやつ、大変だったよ」

困った顔で浩介は言った。

「フフフ、泣いて駄々こねたんでしょ?」

「いや、そうなりそうな感じだったけど優しい歯科衛生士さんがいてね。晴人が気に入ったみたいで泣かずに終わったよ。次も頑張るって言ってるし」

「へぇ、あんなに嫌がってたのに?」

香織は驚いて言った。

「でも晴人がその人のスカート捲った時はどうしようかと思ったけど」

「えー!晴人が?!もう!あの子ったら!」

「俺が叱ったら大丈夫ですからって言ってくれて。いい人で助かったよ」

「その衛生士さん?」

「うん」


「ママー」

晴人がヒーローの人形を持ってやってきた。

「ん?晴くんなーに?」

「歯のおねぇちゃんにあげるー」

「ハハ…ねえ晴くん、歯の先生嫌じゃないの?」

「うん!おねぇちゃんがいるから好きー」

「な?言った通りだろ?」

「うん。まぁ泣かずに行ってくれるなら助かるけどね」

香織は3年前、晴人を出産し今第二子を妊娠中だった。浩介は歯のお姉さんが律子だとはもちろん知る由もなかった。

「あっ!浩介ごめん、お風呂掃除お願いできる?」

「ああ、わかった」

そう言って浩介は手際よく風呂掃除を始めた。



「お疲れ様でした」

律子は仕事の帰り海に立ち寄った。

夕暮れの海は人も疎らでどこか儚げな印象を受ける。律子はサンダルを脱ぎ、裸足で砂浜を歩いた。日が傾き温度が下がった砂の感触が心地いい。穏やかな潮騒に耳を澄まし深呼吸すると体が透き通っていくような気がした。

家に帰り着いてからエアコンをつけ洗濯物を取り込みテレビをつけた。冷蔵庫からお茶を取り出しグラスに注いでソファに座ると手首の傷を撫りながら物思いに耽った。

決して忘れる事のない涼一のこと、支えてくれた隆のこと、涼一が好きになった里奈のこと、それぞれの想いの果てに律子は今ここにいる。

「はぁ」

ため息ばかり上手くなっていった。

(ダメだ…強くならないと…)

律子は下唇を噛み締めソファにもたれた。

(会いに行けば会えたはず…)

それをしなかったのは一人を選んだ罪を許せずにいたからだった。

その時、インターホンが鳴った。

「はーい」

「姉ちゃん、俺」

「豊?ちょっと待って」

豊は大学生になった。

「どうしたの?」

部屋の中を見渡して豊は言った。

「うん。別に何もないけど何となく。結構綺麗にしてるんだね」

「当たり前でしょ!何年一人暮らししてると思ってんのよ」

「そうだね。元気そうでよかった」

「私は元気だよ」

「涼一君と連絡とってないの?」

「とってないよ…」

「何で?」

「何でって、私が勝手に想ってるだけだから…」

そう言って左手の傷を撫りながら下を向いた。

「そっか、連絡してみたらいいと思うけどな」

「そうかも…ね」

「涼一君、姉ちゃんのその傷見たらなんて言うんだろうね」

「やめて!涼一は関係ないんだから」

「姉ちゃん、変だよ…」

「え?」

「好きなんだろ?涼一君のこと。やっと自分に正直になれたのに会いに行かないなんてさ」

「私は…そんな…」

「まぁ、姉ちゃんが今素直にそう思うなら、それでいいけどね」

「うん…」

「で、姉ちゃん」

「ん?」

「腹減ったんですけど。夕飯まだなんだよね」

「はい、はい、適当に作るけど、いい?」

「お願いします」

「豊…ありがとうね」

「うん…」

「あ、そうだ。姉ちゃん、今度車貸して欲しいんだけど」

「え?いいけど、どこか行くの?」

「まぁちょっとね」

「彼女?」

「まぁそんなとこ」

「へえ、出来たんだ」

「照れくさいけど、今度紹介するよ」

「うん、楽しみにしてる」

何気ない姉弟の会話が心地良く律子の心を癒していた。
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