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見えない光
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所詮、人は金で自分を売る生き物だ。時間も、心も、身体も、金となるなら何だって。
だから僕は、今を少しでも高く売る。それはもしかすると、若さの前借りでしかないのかもしれない。
それでもいい。僕は、僕たちは、それしか生き方を知らないから。
今日も、明日も、見えない未来を探しながら、僕たちは生きている。
通勤者が犇めき、足早に足を進める目黒駅から数分下った雑居ビルの地下二階。扉の外にまで漏れる低音で、その先が異世界であることを実感させた。
神田秀が、把手に手を掛け押し開くと、音の波が全身を包み込む。
「いらっしゃいま……って何だ、秀かよ」
カーテンで仕切られた奥から、同じ従業員である山本が慌てた様子で出てきたが、客ではないことに安堵したのか、そのままポケットから取り出した煙草を吹かし始めた。
「随分早い出勤だな。昼からじゃないのか?」
「店長が早めに来て欲しいと言っていたので。見たところあまり忙しそうには思えませんが」
カーテンをそっと捲り、フロアの様子を伺う秀の後ろで、山本は大きな溜息をつく。
「忙しい訳ねぇだろ。連休明け、平日のイベントもないピンサロに朝から来る程目黒の住人は暇じゃねぇよ」
それもそうか、と独り言ちた秀は、そのままフロアを横切り事務所に入った。
秀の勤務するピンサロは、事務所と女性キャストの待機所が同じで、あっても無くても大差ないパーテーションで辛うじて区切られている。
待機するキャストに一声掛けた後、事務所で事務作業を行う店長、田口に挨拶をした。
「おはようございます、店長」
「おう、悪いね、早出してもらって」
振り向くことなくキーボードを叩き続ける田口は、左手を軽く上げて応える。
「何か急用でもありましたか?」
「いや、特には無いんだが、少ししたら入店希望の子の面接で抜けることになる。あいつ一人に回させるのが少し心配でな」
「そうでしたか」
「まぁ、とりあえず俺がいる間にゆっくり準備してくれ」
了解、と一言返し、秀は事務所に置きっぱなしにしているスーツへと着替えた。
インカムを装着し、準備を終えた秀は、フロアへ出た。
大して広くもない一室に、所狭しとソファが横並びに並び、腰ほどの高さの間仕切りで一席として囲われている。
その数、締めて十五席。その内の三分の一程が今は埋まっている。
粘膜が擦れてたてる淫猥な音、キャストの誇張染みた嬌声が、爆音で流れるダンスミュージックの隙間からフロアに漂っていた。
客のキャストに対する暴力、反則行為が無いか、フロアを歩き見回る秀は、そこかしこでさらけ出される欲望の塊を見るたびに、心が芯まで冷えていく感覚を味わっていた。
勤務し始めた当初は、繰り広げられる光景に当惑し、嫌悪感すら覚えたが、今はそれすら無くなった。
人間は誰も彼も皆醜く、卑しい。
その事実に気付き、向き合える人はそういないと秀は思う。自分自身が、その事実に目を背を向けていることに気付いているだけ、幾分ましだというくらいだろう。
(生きているだけで醜いなら、どうしようもないじゃないか)
一人思考を巡らす秀の耳に、インカムから山本の声が響いた。
「一名、6番シートな。案内」
6番了解、と返答すると同時に、フロア入口のカーテンが開いた。
秀は慇懃に礼をし、客を目的の場所まで導く。
人あたりの良い笑顔を向けながらも、また一つ、欲望が買われていく様に、心が乖離していった。
暫く客が忙しなく入出を繰り返し、接客と片付けの業務に追われていたが、昼を過ぎるとパタリと客足が途絶えた。
「秀、休憩入っていいぞ」
田口に後ろから声を掛けられた秀は、小さく首肯し店を出た。
五月の大きな連休を終え、夏の訪れを感じさせる太陽が、秀の頭上を照らしていた。
誰もが皆、どこか倦んだ表情を浮かべながら、彷徨っているように見える。
少々うんざりした気持ちを抱え、秀は行きつけの喫茶店の入口を潜った。
だから僕は、今を少しでも高く売る。それはもしかすると、若さの前借りでしかないのかもしれない。
それでもいい。僕は、僕たちは、それしか生き方を知らないから。
今日も、明日も、見えない未来を探しながら、僕たちは生きている。
通勤者が犇めき、足早に足を進める目黒駅から数分下った雑居ビルの地下二階。扉の外にまで漏れる低音で、その先が異世界であることを実感させた。
神田秀が、把手に手を掛け押し開くと、音の波が全身を包み込む。
「いらっしゃいま……って何だ、秀かよ」
カーテンで仕切られた奥から、同じ従業員である山本が慌てた様子で出てきたが、客ではないことに安堵したのか、そのままポケットから取り出した煙草を吹かし始めた。
「随分早い出勤だな。昼からじゃないのか?」
「店長が早めに来て欲しいと言っていたので。見たところあまり忙しそうには思えませんが」
カーテンをそっと捲り、フロアの様子を伺う秀の後ろで、山本は大きな溜息をつく。
「忙しい訳ねぇだろ。連休明け、平日のイベントもないピンサロに朝から来る程目黒の住人は暇じゃねぇよ」
それもそうか、と独り言ちた秀は、そのままフロアを横切り事務所に入った。
秀の勤務するピンサロは、事務所と女性キャストの待機所が同じで、あっても無くても大差ないパーテーションで辛うじて区切られている。
待機するキャストに一声掛けた後、事務所で事務作業を行う店長、田口に挨拶をした。
「おはようございます、店長」
「おう、悪いね、早出してもらって」
振り向くことなくキーボードを叩き続ける田口は、左手を軽く上げて応える。
「何か急用でもありましたか?」
「いや、特には無いんだが、少ししたら入店希望の子の面接で抜けることになる。あいつ一人に回させるのが少し心配でな」
「そうでしたか」
「まぁ、とりあえず俺がいる間にゆっくり準備してくれ」
了解、と一言返し、秀は事務所に置きっぱなしにしているスーツへと着替えた。
インカムを装着し、準備を終えた秀は、フロアへ出た。
大して広くもない一室に、所狭しとソファが横並びに並び、腰ほどの高さの間仕切りで一席として囲われている。
その数、締めて十五席。その内の三分の一程が今は埋まっている。
粘膜が擦れてたてる淫猥な音、キャストの誇張染みた嬌声が、爆音で流れるダンスミュージックの隙間からフロアに漂っていた。
客のキャストに対する暴力、反則行為が無いか、フロアを歩き見回る秀は、そこかしこでさらけ出される欲望の塊を見るたびに、心が芯まで冷えていく感覚を味わっていた。
勤務し始めた当初は、繰り広げられる光景に当惑し、嫌悪感すら覚えたが、今はそれすら無くなった。
人間は誰も彼も皆醜く、卑しい。
その事実に気付き、向き合える人はそういないと秀は思う。自分自身が、その事実に目を背を向けていることに気付いているだけ、幾分ましだというくらいだろう。
(生きているだけで醜いなら、どうしようもないじゃないか)
一人思考を巡らす秀の耳に、インカムから山本の声が響いた。
「一名、6番シートな。案内」
6番了解、と返答すると同時に、フロア入口のカーテンが開いた。
秀は慇懃に礼をし、客を目的の場所まで導く。
人あたりの良い笑顔を向けながらも、また一つ、欲望が買われていく様に、心が乖離していった。
暫く客が忙しなく入出を繰り返し、接客と片付けの業務に追われていたが、昼を過ぎるとパタリと客足が途絶えた。
「秀、休憩入っていいぞ」
田口に後ろから声を掛けられた秀は、小さく首肯し店を出た。
五月の大きな連休を終え、夏の訪れを感じさせる太陽が、秀の頭上を照らしていた。
誰もが皆、どこか倦んだ表情を浮かべながら、彷徨っているように見える。
少々うんざりした気持ちを抱え、秀は行きつけの喫茶店の入口を潜った。
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