鬻がれた春【完結】

天川 哲

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光彩の君

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 店内はそれほど広くは無く、薄らと珈琲の香りが漂っている。秀は迷うことなくいつも座る席へ向かう。
 「おっと」
 不意に目の前に転がった何かに、秀は思わず躓きそうになり、声を漏らした。
 「ごめんなさい」
 か細くも凛とした声が、秀の横から響く。
 足元に落ちるボールペンを拾おうと屈む少女に、秀は釘付けになった。
 「君、一人?」
 口から放たれた言葉に驚きながらも、少女に問いかける秀は、そのまま彼女の目の前に座った。
 「一緒にお茶してもいいかな?俺も一人だったからちょうどいいよね」
 「ご自由に」
 何とも言えない心地良さを覚えながらも、誰一人として侵入を許さない拒絶を孕む声が、秀の耳を擽る。
 秀のことなど意に介する様子もない彼女のことが、ますます気になる秀は、言葉を続けた。
 「名前、何ていうの?」
 「あなたは?」
 「秀」
 「瑠々」
 「へぇ、可愛らしい名前だね。歳はいくつ?」
 「……あなたは?」
 「今年二十二、かな」
 「十六」
 「まじかよ、ガキじゃねぇか」
 瞬間、顔を上げ睨む瑠々に、秀はにやりと笑いかける。
 「やっとこっち向いてくれた」
 すぐさま顔を伏せ、再び熱心に何かを手帳に記入し始める彼女に、秀はすかさず話し続ける。
 「なぁ、子供のあんたがどうしてこんな時間に、こんな洒落た喫茶店にいるのさ。学校は?」
 「放っておいて。話したくない」
 「つれないねぇ。まぁいいや。そうだ、連絡先交換しようよ」
 「嫌よ」
 「そう言わずに、さ」
 徐に名刺ケースから一枚取り出し、連絡先として携帯の電話番号を裏書きした秀は、名刺を瑠々の前に滑らせた。
 名刺を一瞥した瑠々は、手をとめ、呟いた。
 「あなた、ホストなの」
 「そっ。まぁうちの店未成年入れないから、電話してよ」
 「……興味、ないわ」
 先程より、少しばかりこちらへ向けられた言葉に、秀は気を良くした。強張っていた心もほんの少し和らぎ、煙草に火を灯け、ゆっくりと吐き出す。
 ふと、瑠々の方を見ると、自身で頼んだであろうグラスが空になっていることが目についた。
 「何か飲む?同じやつでも」
 「いらないわ」
 ふーん、と相槌を打つ秀は、その後何も言わず、ただ目の前で何かを記し続ける瑠々を、じっと見つめた。
 煙草の灰が、ゆっくりと、時の経過を知らせる様にテーブルの上に落ちた。
 構わず秀がそのままにし、瑠々を見つめていると、
 「落ちたわよ」
 と一言発し、怪訝そうに顔を上げた。
 「灰、落ちてるけど」
 「あ?あぁ、悪い」
 慌ててテーブルの上の灰を払い落とした秀は、左手の腕時計に目をやり、休憩時間の終わりが迫っていることに気付き、席を立った。
 「じゃあ、俺時間だから。電話ちょうだいよ、本当」
 机の上の伝票を掴むと、返事を待たずに秀は店を出た。
 先程まで歩く人々が皆倦んで見えたのが、少しだけ晴れやかに見受けられた。
 「随分楽しそうじゃねぇか。一発ヌイてきたんか??」
 「別に何も。休憩いただきました。山本さんお次どうぞ」
 けっ、と吐き出す山本を尻目に、秀は事務所に向かった。
 「秀くんおかえりぃ」
 待機所からキャストのうみが手を振る。
 「うみさん、お疲れ様です。そろそろ上がりですか?」
 「そ、今待ってる一組やったらおわりー」
 「そうですか、頑張ってくださいね」
 「ほーい」
 そうだ、と鞄を何やら手探りはじめたうみは、やがて何かを秀へ手渡した。
 「何ですか、これ」
 「クッキー焼いたから配ってるの。秀くんのは特別だから、包み紙捨てないでね」
 「ありがとうございます。これって……」
 内緒、と口だけ動かし、口元に人差し指を添えたうみに、秀は小さく首肯した。
 『2番シート、うみさんフロア指名、有難うございます___』
 場内に流れるマイクコールにうみは腰を上げ、フロアへ向けて歩き始めた。
 「じゃあ、いってきまぁす」
 「いってらっしゃい、頑張ってくださいね」
 ひらひらと手を振り、フロアへ消えていくうみを、秀は最敬礼で見送った。
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