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赤峰くんと青野くんの話
赤峰くんの言い分
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素質があった。
負けるのが嫌だった。
できるからやった。
妥協するのは嫌いだ。
やりがいがあった。
青春も、時間も、労力も、友情も、夢も。それら全てを犠牲にして、走り続ける理由はそれなりにあった。そもそも、本人はそれを『犠牲』とすら捉えていなかった。根幹にある、ただ一つの原動力。
それがある限り、走り続けられると思っていた。
だからそれが真っ向から全て否定され、失われたとき、赤峰は初めてトんだ。
具体的には、全ジュニアの晴れ舞台。東西ジュニア合同イベントのリハーサルから、直前になってバッくれた。
「…………………」
信仰の対象を失った裏切り者は、命を絶つ直前、こんな気持ちだったのかもしれない。はたまた、親友に裏切られたローマ皇帝も。殺したくなるような憎悪に、自分自身も周囲も燃やし尽くして、最後には何も残らない。
虚無である。
茹だるような夏空の下、あてもなく街中を彷徨いながら、焦点の定まらない瞳で思考する。
自分は今日を境に、アイドルでは無くなるかもしれない。たくさんの人に迷惑かけて、色々な人の頑張り台無しにして。
だが、そのどれもが正直どうでも良かった。心の底からどうでも良かった。赤峰には今、自分が世界で一番哀れな人間であると言う自負があった。
強いて一つ心残りを上げるのなら、『彼』に不戦勝を与えてしまう事だろうか。
東西対決をコンセプトとするこのイベントのトリこそが、東西エースの直接対決。『西のカリスマ』こと、青野春との対面を、『東の帝王』は曲がりなりにも心待ちにしていた。
「……あれ、『赤峰』?」
そんな声と共に、眼前のコンクリートに影が差す。水たまりに反射する自らは、『アイドル』を名乗る事すら、烏滸がましくなるような表情をしている。呼ばれたからには立ち止まる他無いが、あまりに億劫だった。
「………………」
「うっわひでぇツラ!大丈夫か?」
ピクリとも反応を示さない赤峰。だが男は無遠慮に距離を詰める。その頬を包み、思い切り上向かせる。
顔を顰め、その暴漢を睥睨し。赤峰の目元が、僅かに痙攣する。
「おれ、青野。青野春。お前と同じ事務所で──」
「…………………しってる」
幻覚でも見ているのかと思った。だって本当なら今頃、この男はリハーサル会場に居るはずだから。
しかしその精悍な相貌も、艶めいた黒髪も、紛れもなく『青野春』その物だった。
じろ、と、桃花眼が舐めるように青野を観察する。そして、据わった目がさらに怪訝に細められる。
「監督カンカンだぞ。みんな総出でお前の事探して……なに?」
「……………」
「ああ、これ?」
赤峰の視線を追って、青野は肩に掛けたバドミントンラケットを持ち上げる。
「折角リハ中止になったし、バドやりたいなぁって。本物のラケット買ってさ」
「はぁ……」
「リフレッシュ休暇サイコー」
「…………」
一瞬虚を突かれたように、赤峰は仰反る。自分の決死の逃避行動が、この男にかかると『リフレッシュ休暇』になってしまうのだ。先刻までの、この男に起因する名残惜しさだとか申し訳なさだとかが、一瞬にして馬鹿らしい物に変わるのがわかった。
ともすれば、今現場のスタッフが血眼で探し回っているのは赤峰だけでは無いのだろう。
「なに、そんな物欲しそうな目しちゃって。え、する?お前もミントンする?」
「いや………」
答える暇もなく腕を掴まれ、ぐいぐいとどこかへと引き摺られる。
抵抗すら気力もなく、されるががままに。
気付けば、公園でラケットを振っていた。
今の状態でスタッフ見つかったら、自分は『バドミントンしたさに脱走したジュニア』になってしまうのかと思うと、赤峰は何かもう全てがどうでも良くなった。
「左利きなんだ?意外」
「いや、スポーツだけ」
「へぇ、どおりで。両方とも器用に使うもんな」
「どっかで会ったっけ」
「いや、なんか昔踊ってる映像見た時からずっと思ってたんだよね。どっち利きだろーって。お前だけわかんなくて」
「振り付けでわかるんだ、そういうの」
「なんとなく。利き手当てるの一時期ハマってたんだよな」
途切れる事なくラリーと会話が続く。
いつ連れ戻されるものかとヒヤヒヤしていたが、どうやら青野は、とことんバドミントンを楽しむつもりらしかった。
…………思ったよりも、ずっと俗っぽい人間だ。
そんな事を考えながら会話に興じる。
彼のパフォーマンスは洗練されていて、歌もダンスも、周りから頭ひとつ抜けている。バラエティでも取材でも自己主張は強い方では無いが、黙ってそこにいるだけで周りを惹きつける、妙な吸引力があった。
だからこそ世間一般の彼のイメージとは、透き通っていながら底の見えない、神代からの湖のような。そんな、神秘的でミステリアスなものだった。
だからこそ、そのギャップにさらに心を惹きつけられる。
「…………青野くんは」
気付けば、口を開いていた。
「青野くんは、なんでアイドルになったの」
不思議な色をした目が、少しだけ驚いたように瞬く。赤峰から質問をしたのは、これが初めてだったからだ。
「俺はあれ、マイケルジャクソンになりたくて」
「?」
「初めて見た時は震えたよ。俺もこんなふうに、人を驚かせたいと思った」
「…………素敵だね」
本心からの言葉だった。ただ、少し眩しかった。
だから目を伏せた。
「ありがとう。みんなを笑顔にしたいってのが、今の俺の夢」
「……………」
「きっと叶えられる」だの、「応援してる」だの。
平生の赤峰なら、ここで当たり障りの無い、耳障りの良い言葉を返せていただろう。
しかし実際には、喘ぐように口を開き、閉じただけだった。
迷いがあったからだ。普段は抱くこともない、欲望とも呼べる思いつき。
…………この得体の知れない男なら、自分の欲しい答えをくれるのではないか。
他者への期待だなんて。とっくの昔に死んだはずのそれが、息を吹き返したようだった。
この15年誰にも開示してこなかったものを、今日会っただけの男に晒そうとしている。その事実に、自嘲気味な笑いが漏れる。
「…………それって、しんどくない?」
迷った末に、赤峰はそれを口にした。視界の端で、青野が目を見開くのが見えた。
「俺も青野くんのパフォーマンス映像、見たよ。擦り切れるくらい見た。並の練習量じゃないでしょ?あそこまで到達するのって」
「現実みも、具体性もない目標掲げて。そのためだけに、どうしてそこまで頑張れるの」
煽りでもなんでもない。心の底から知りたかった。
青春も、時間も、労力も、友情も、夢も。それら全てを犠牲にして、走り続けて。その先に何も無かったら。果ては、自分の1番大切な物まで失ったら。
怖くはないのか。失った人間は、どう立ち上がれば良いのか。
試すように、羽根を飛ばす。
じっと赤峰を見つめていた瞳が、ややおいて、柔らかくたわんだ。一瞬だけ浮かんだ慈愛とも呼べるそれに、赤峰は表情をこわばらせて。
「俺は、アイドルだからな」
屈託の無い笑顔で笑って、ラケットを振り抜く青年。
気持ちの良い音が響いて、ネットに弾かれた羽根が打ち上げられる。
追うみたいに、顔を上げる。
ちょうど雲が晴れて、太陽と羽根がぴったり重なった。その眩しさに、目を細めた。
「…………ああ、」
どうして、と。
反射的に目を瞑ったまま、逡巡する。
なんて純粋な目をするのだろうと思った。
こう言った手の人間が苦手だ。特に今は、顔を合わせる事すら嫌だった。
「おれはお前のことを尊敬してるんだぜ、赤峰クン」
「お前のパフォーマンス見て、俺は笑顔になったからな。こんなすげーヤツがいるんだって」
「それで思ったんだよ。俺のこと見てくれてる人にも、これと同じ感動を味わってほしいって。マイケルと同列だ」
愚直で、純粋で、どこまでも愚かだ。
自分のそれが、理想に過ぎないことを知らない。現実を知らない。世の不条理を知らない。無知ゆえの純粋さだと思った。
故に、想像してしまうのだ。
この先、努力して、藻がいて、足掻いて。それでもほしいものは与えられず。
何も掴めなかった手のひらを、やるせなく下ろす。
そんな──彼らが裏切られ、傷つく姿を想像するのが億劫だった。そんな思いをして欲しくなかった。
ともすれば教えてあげたかった。その先には何もない。頑張ったって、報われない。絵空事だ、綺麗事だ。
…………俺のこの15年が、その証明だ。俺は15年かけて、それを理解した。
なのに。
「だからそんな顔するなよ」
なのに
「おれはお前と会えるの、すげー楽しみにしてたんだぜ」
「…………っ、」
────なぜ、それをわかった上で、この眩しさに惹かれずにはいられないのか。
陽光の名残に痛む目を開くと、少しだけ、世界が鮮やかになっていたみたいだった。
広い広い芝と、そこに横たわるバドミントンの羽。
緑と、白と。
「大丈夫か?」
顔を上げる。
こちらを気遣わしげに見つめる青年は、とりわけ鮮烈に。そして、目に眩しく感じられた。
「日、強くなってきたな。そろそろ帰るか?」
「ううん」
羽を拾う。
この青年の眩しさを……その夢を、ただ守りたいと思った。
何も成し得ない、自身の夢にすら捨てられた自分でも、この青年の夢を守る事はできるのではないかと。
「もうちょっとここに居よう」
もう少し。もう少し。
叶うなら、ずっとここにいたいような気分だった。叶うなら、この青年とずっと。
欲しいものも、生き甲斐も。
潰えて、失ってしまったそれらを、赤峰は取り戻したのだ。
***
「青野くんはさぁ、甘いんだよ。だから後輩に舐められるんだよ」
「綾人が言う?」
「俺のこと1番ディスってるのはお前だからな?」
「俺はいいの!」
ウイスキーを傾けて、腕にへばり付いた男の頬をつつく。メンバーである橙矢と目を合わせて、青野は困ったように笑った。
ドッキリ番組の収録の後、スケジュールを確認するなり、青野を自宅へと引き摺り込んだ赤峰。ウイスキーをグラスに注いですぐ始まった説教は、かれこれ2時間近く続いた。しかもその間、絶えず酒を煽り続けるので、途中参加の橙矢が到着した頃には、すっかりと出来上がってしまっていた。
「とにかく、あれだよ。青野くんは人前で極力口開かないほうが良いよ」
「なに、バカがバレるって?」
「そー、舐められる。極力口ひらかないで、俺たちの横につっ立っとけば良いと思うよ!一人で現場入りの時はあれだね、現場の隅っこで壁と喋っときな」
「お前いつもの10万倍口わるい……」
青い顔で、今度こそ赤峰を振り解こうともがくが、ガッチリと青野の腕に絡まって解けない。新雪のようにくすみ一つ無い肌を赤く染め、左手まで絡みつけてくる始末だった。
「綾人はね、リーダーが他の人と仲良くなるのが嫌なんだよ」
「えー。そうなの、赤峰?…………寝てやがる」
「寝たふりだね」
目を瞑ったままフンと鼻を鳴らす赤峰に、橙矢がほけほけと笑った。グラスの中の氷を混ぜながら、「あ、通知だ」とスマートフォンへと視線を落とす。どこかあどけない笑みを浮かべながら、「いいね」を押す橙矢。メンバーの中々見せない表情に、青野は目を見張った。
「え、橙矢SNS始めたの」
「そー。侑に教えてもらったんだよね、使い方」
「心変わり?エゴサとかあんましたがるタイプじゃなかったよな」
「…………映画の感想が、見たくて」
「あー、この前の?俺も見たよ。何か妙に真に迫ってたよな、失恋のとことか。すごかった」
「ありがとう。役作り頑張ったから」
「エゴサとかが役作りの参考になるなら、俺もSNSやろうかな」
「俺のはモチベーション用だけどね」
「なるほど?」
フォロイー1、フォロワー0の鍵アカウントに目を細め、首を傾げて酒を煽る。青野が口を開きかけると、今度は場違いな着信音が鳴り響いた。
「ごめん、また俺のスマホだ」
「着信、ゴジラの曲なんだ」
「うん、わくわくするでしょ。……ごめんリーダー、ちょっと席外すね」
「ゴジラとか好きなんだ……」
「キュン……」と呟き胸を抑え、席を立つ橙矢を見送る。絡まれた右手を一瞥。左手を持ち上げて、覚束ない所作でグラスを仰ぐ。
「…………大好きな幼馴染なんだってさ」
「うわっ、お前急に喋……」
「『そーくん』はゴジラの曲って前言ってた。なんか良いよね、幼馴染って。これだけ長く続いてきた関係なら、これからもずっと続くんでしょ」
据わった目のまま、赤峰が上体を起こす。何処か無常感を漂わせる口調に、青野は、「飲み過ぎだぞ」とウイスキーグラスを取り上げた。
「お互いのこと知り尽くしてさ、1番に相談するのだって幼馴染。妬けるよね」
「お前たいがい橙矢のこと好きだよな」
「好きだよぉ、そりゃメンバーなんだから」
「ふふ」
結成当時の赤峰は、こうではなかった。基本人を信じていなかったし、人当たりこそ良いが、何を考えているのかもいまいち読めない節があった。それがこうして、無防備な姿を晒し、あまつさえ表立ってメンバーへの好意を口走るなど。
同僚であり後輩である男の成長が、単純に嬉しかった。
「青野くん」
ふと、名前を呼ばれて顔を上げる。そしてすぐに、机へと目線を落とす。
投げ出された右手に、赤峰の指が触れたからである。
「SNSの使い方、おれが教えてあげる」
「んん?」
「さっき『俺もやろうかな』って言ってた」
「ああ、確かに言ったけど……お前、結構ちゃんと聞いてるな」
「そうだよ。だから1番に俺に教えてね、始めるとき」
赤みがかった瞳は、基本的に光を反射しない。けれどもその表面は妙に熱っぽく潤んでいて、節目がちな睫毛も相まって、何処か官能的だった。
そんな瞳に見つめながら、青野はもう一度触れられた右手へと視線を落とす。
長く骨張った指は真っ白なのに、色彩に反して、指先はひどく熱い。
「なんでも1番に俺に教えて」
「内容にもよるな」
朴訥と落とされた言葉に、赤峰は半目になる。先刻までの妖艶さなど消え失せ、すっかりとその目は乾いていた。
「はー?どーでも良いことも大事なことも、全部俺に言いなよ。報告だよ報告。コミュニケーションは大事でしょ?」
「お前がまじめに俺の相談に乗るとは思えないんだけど」
「なに?乗るに決まってるじゃん。ほら、言ってみなよ。たとえば何?」
ヤケクソじみた所作でグラスへ伸ばされた手を抑えながら、青野は逡巡する。ぐる、と視線を巡らせて、「たとえば…」と復唱した。
「引退、とか?」
言い終わらないうちに、青野は思わず肩を強ばらせる。
それはひとえに、隣に座る男の雰囲気がガラリと変わったからだった。その違和感を誤魔化すように、ウイスキーのグラスを舐める。隣を──赤峰の表情を見るのが、なんとなく怖かった。
「………………しないよね?」
たっぷりと間を置いて落とされた言葉からは、温度という物が感じられない。怒っているのか、悲しんでいるのか、茶化しているのか。ポッカリと空いた虚を想起しながら、青野は、「たとえばってお前が言ったんだろ」と答えた。
「そうだね。それも、そうだ」
「そうだろ」
「『みんなを笑顔にする』まで」
「え?」
思わずと言った表情で、赤峰を見る。
赤峰は、笑っていた。優しげな目元に、人懐こく刻まれた皺。赤い唇は、無防備に緩み切っている。
それでも、青野の表情は何処か強張ったままだった。
「青野くんはダメでしょ。きみは夢を叶えなきゃ」
「あ、酒。飲み過ぎだって言って……」
「叶えるまで、辞めさせない」
地を這うような声だった。
その悍ましさに、青野は思わず「わ……」と声を漏らす。
光を全くと言って良いほどに反射しない瞳は、どこまでも続く虚のようで。
「…………そうだな」
赤峰がぎゅう、と目を細めて笑ったので、瞳は見えなくなる。美味そうに酒を飲み下す同僚に、青野は胸を撫で下ろした。
触れるだけの接吻をして、赤い唇がグラスから離れる。真っ白な喉で、喉仏が上下して。「逃がさない」なんて呟きに、引き攣る口角を持ち上げた。
負けるのが嫌だった。
できるからやった。
妥協するのは嫌いだ。
やりがいがあった。
青春も、時間も、労力も、友情も、夢も。それら全てを犠牲にして、走り続ける理由はそれなりにあった。そもそも、本人はそれを『犠牲』とすら捉えていなかった。根幹にある、ただ一つの原動力。
それがある限り、走り続けられると思っていた。
だからそれが真っ向から全て否定され、失われたとき、赤峰は初めてトんだ。
具体的には、全ジュニアの晴れ舞台。東西ジュニア合同イベントのリハーサルから、直前になってバッくれた。
「…………………」
信仰の対象を失った裏切り者は、命を絶つ直前、こんな気持ちだったのかもしれない。はたまた、親友に裏切られたローマ皇帝も。殺したくなるような憎悪に、自分自身も周囲も燃やし尽くして、最後には何も残らない。
虚無である。
茹だるような夏空の下、あてもなく街中を彷徨いながら、焦点の定まらない瞳で思考する。
自分は今日を境に、アイドルでは無くなるかもしれない。たくさんの人に迷惑かけて、色々な人の頑張り台無しにして。
だが、そのどれもが正直どうでも良かった。心の底からどうでも良かった。赤峰には今、自分が世界で一番哀れな人間であると言う自負があった。
強いて一つ心残りを上げるのなら、『彼』に不戦勝を与えてしまう事だろうか。
東西対決をコンセプトとするこのイベントのトリこそが、東西エースの直接対決。『西のカリスマ』こと、青野春との対面を、『東の帝王』は曲がりなりにも心待ちにしていた。
「……あれ、『赤峰』?」
そんな声と共に、眼前のコンクリートに影が差す。水たまりに反射する自らは、『アイドル』を名乗る事すら、烏滸がましくなるような表情をしている。呼ばれたからには立ち止まる他無いが、あまりに億劫だった。
「………………」
「うっわひでぇツラ!大丈夫か?」
ピクリとも反応を示さない赤峰。だが男は無遠慮に距離を詰める。その頬を包み、思い切り上向かせる。
顔を顰め、その暴漢を睥睨し。赤峰の目元が、僅かに痙攣する。
「おれ、青野。青野春。お前と同じ事務所で──」
「…………………しってる」
幻覚でも見ているのかと思った。だって本当なら今頃、この男はリハーサル会場に居るはずだから。
しかしその精悍な相貌も、艶めいた黒髪も、紛れもなく『青野春』その物だった。
じろ、と、桃花眼が舐めるように青野を観察する。そして、据わった目がさらに怪訝に細められる。
「監督カンカンだぞ。みんな総出でお前の事探して……なに?」
「……………」
「ああ、これ?」
赤峰の視線を追って、青野は肩に掛けたバドミントンラケットを持ち上げる。
「折角リハ中止になったし、バドやりたいなぁって。本物のラケット買ってさ」
「はぁ……」
「リフレッシュ休暇サイコー」
「…………」
一瞬虚を突かれたように、赤峰は仰反る。自分の決死の逃避行動が、この男にかかると『リフレッシュ休暇』になってしまうのだ。先刻までの、この男に起因する名残惜しさだとか申し訳なさだとかが、一瞬にして馬鹿らしい物に変わるのがわかった。
ともすれば、今現場のスタッフが血眼で探し回っているのは赤峰だけでは無いのだろう。
「なに、そんな物欲しそうな目しちゃって。え、する?お前もミントンする?」
「いや………」
答える暇もなく腕を掴まれ、ぐいぐいとどこかへと引き摺られる。
抵抗すら気力もなく、されるががままに。
気付けば、公園でラケットを振っていた。
今の状態でスタッフ見つかったら、自分は『バドミントンしたさに脱走したジュニア』になってしまうのかと思うと、赤峰は何かもう全てがどうでも良くなった。
「左利きなんだ?意外」
「いや、スポーツだけ」
「へぇ、どおりで。両方とも器用に使うもんな」
「どっかで会ったっけ」
「いや、なんか昔踊ってる映像見た時からずっと思ってたんだよね。どっち利きだろーって。お前だけわかんなくて」
「振り付けでわかるんだ、そういうの」
「なんとなく。利き手当てるの一時期ハマってたんだよな」
途切れる事なくラリーと会話が続く。
いつ連れ戻されるものかとヒヤヒヤしていたが、どうやら青野は、とことんバドミントンを楽しむつもりらしかった。
…………思ったよりも、ずっと俗っぽい人間だ。
そんな事を考えながら会話に興じる。
彼のパフォーマンスは洗練されていて、歌もダンスも、周りから頭ひとつ抜けている。バラエティでも取材でも自己主張は強い方では無いが、黙ってそこにいるだけで周りを惹きつける、妙な吸引力があった。
だからこそ世間一般の彼のイメージとは、透き通っていながら底の見えない、神代からの湖のような。そんな、神秘的でミステリアスなものだった。
だからこそ、そのギャップにさらに心を惹きつけられる。
「…………青野くんは」
気付けば、口を開いていた。
「青野くんは、なんでアイドルになったの」
不思議な色をした目が、少しだけ驚いたように瞬く。赤峰から質問をしたのは、これが初めてだったからだ。
「俺はあれ、マイケルジャクソンになりたくて」
「?」
「初めて見た時は震えたよ。俺もこんなふうに、人を驚かせたいと思った」
「…………素敵だね」
本心からの言葉だった。ただ、少し眩しかった。
だから目を伏せた。
「ありがとう。みんなを笑顔にしたいってのが、今の俺の夢」
「……………」
「きっと叶えられる」だの、「応援してる」だの。
平生の赤峰なら、ここで当たり障りの無い、耳障りの良い言葉を返せていただろう。
しかし実際には、喘ぐように口を開き、閉じただけだった。
迷いがあったからだ。普段は抱くこともない、欲望とも呼べる思いつき。
…………この得体の知れない男なら、自分の欲しい答えをくれるのではないか。
他者への期待だなんて。とっくの昔に死んだはずのそれが、息を吹き返したようだった。
この15年誰にも開示してこなかったものを、今日会っただけの男に晒そうとしている。その事実に、自嘲気味な笑いが漏れる。
「…………それって、しんどくない?」
迷った末に、赤峰はそれを口にした。視界の端で、青野が目を見開くのが見えた。
「俺も青野くんのパフォーマンス映像、見たよ。擦り切れるくらい見た。並の練習量じゃないでしょ?あそこまで到達するのって」
「現実みも、具体性もない目標掲げて。そのためだけに、どうしてそこまで頑張れるの」
煽りでもなんでもない。心の底から知りたかった。
青春も、時間も、労力も、友情も、夢も。それら全てを犠牲にして、走り続けて。その先に何も無かったら。果ては、自分の1番大切な物まで失ったら。
怖くはないのか。失った人間は、どう立ち上がれば良いのか。
試すように、羽根を飛ばす。
じっと赤峰を見つめていた瞳が、ややおいて、柔らかくたわんだ。一瞬だけ浮かんだ慈愛とも呼べるそれに、赤峰は表情をこわばらせて。
「俺は、アイドルだからな」
屈託の無い笑顔で笑って、ラケットを振り抜く青年。
気持ちの良い音が響いて、ネットに弾かれた羽根が打ち上げられる。
追うみたいに、顔を上げる。
ちょうど雲が晴れて、太陽と羽根がぴったり重なった。その眩しさに、目を細めた。
「…………ああ、」
どうして、と。
反射的に目を瞑ったまま、逡巡する。
なんて純粋な目をするのだろうと思った。
こう言った手の人間が苦手だ。特に今は、顔を合わせる事すら嫌だった。
「おれはお前のことを尊敬してるんだぜ、赤峰クン」
「お前のパフォーマンス見て、俺は笑顔になったからな。こんなすげーヤツがいるんだって」
「それで思ったんだよ。俺のこと見てくれてる人にも、これと同じ感動を味わってほしいって。マイケルと同列だ」
愚直で、純粋で、どこまでも愚かだ。
自分のそれが、理想に過ぎないことを知らない。現実を知らない。世の不条理を知らない。無知ゆえの純粋さだと思った。
故に、想像してしまうのだ。
この先、努力して、藻がいて、足掻いて。それでもほしいものは与えられず。
何も掴めなかった手のひらを、やるせなく下ろす。
そんな──彼らが裏切られ、傷つく姿を想像するのが億劫だった。そんな思いをして欲しくなかった。
ともすれば教えてあげたかった。その先には何もない。頑張ったって、報われない。絵空事だ、綺麗事だ。
…………俺のこの15年が、その証明だ。俺は15年かけて、それを理解した。
なのに。
「だからそんな顔するなよ」
なのに
「おれはお前と会えるの、すげー楽しみにしてたんだぜ」
「…………っ、」
────なぜ、それをわかった上で、この眩しさに惹かれずにはいられないのか。
陽光の名残に痛む目を開くと、少しだけ、世界が鮮やかになっていたみたいだった。
広い広い芝と、そこに横たわるバドミントンの羽。
緑と、白と。
「大丈夫か?」
顔を上げる。
こちらを気遣わしげに見つめる青年は、とりわけ鮮烈に。そして、目に眩しく感じられた。
「日、強くなってきたな。そろそろ帰るか?」
「ううん」
羽を拾う。
この青年の眩しさを……その夢を、ただ守りたいと思った。
何も成し得ない、自身の夢にすら捨てられた自分でも、この青年の夢を守る事はできるのではないかと。
「もうちょっとここに居よう」
もう少し。もう少し。
叶うなら、ずっとここにいたいような気分だった。叶うなら、この青年とずっと。
欲しいものも、生き甲斐も。
潰えて、失ってしまったそれらを、赤峰は取り戻したのだ。
***
「青野くんはさぁ、甘いんだよ。だから後輩に舐められるんだよ」
「綾人が言う?」
「俺のこと1番ディスってるのはお前だからな?」
「俺はいいの!」
ウイスキーを傾けて、腕にへばり付いた男の頬をつつく。メンバーである橙矢と目を合わせて、青野は困ったように笑った。
ドッキリ番組の収録の後、スケジュールを確認するなり、青野を自宅へと引き摺り込んだ赤峰。ウイスキーをグラスに注いですぐ始まった説教は、かれこれ2時間近く続いた。しかもその間、絶えず酒を煽り続けるので、途中参加の橙矢が到着した頃には、すっかりと出来上がってしまっていた。
「とにかく、あれだよ。青野くんは人前で極力口開かないほうが良いよ」
「なに、バカがバレるって?」
「そー、舐められる。極力口ひらかないで、俺たちの横につっ立っとけば良いと思うよ!一人で現場入りの時はあれだね、現場の隅っこで壁と喋っときな」
「お前いつもの10万倍口わるい……」
青い顔で、今度こそ赤峰を振り解こうともがくが、ガッチリと青野の腕に絡まって解けない。新雪のようにくすみ一つ無い肌を赤く染め、左手まで絡みつけてくる始末だった。
「綾人はね、リーダーが他の人と仲良くなるのが嫌なんだよ」
「えー。そうなの、赤峰?…………寝てやがる」
「寝たふりだね」
目を瞑ったままフンと鼻を鳴らす赤峰に、橙矢がほけほけと笑った。グラスの中の氷を混ぜながら、「あ、通知だ」とスマートフォンへと視線を落とす。どこかあどけない笑みを浮かべながら、「いいね」を押す橙矢。メンバーの中々見せない表情に、青野は目を見張った。
「え、橙矢SNS始めたの」
「そー。侑に教えてもらったんだよね、使い方」
「心変わり?エゴサとかあんましたがるタイプじゃなかったよな」
「…………映画の感想が、見たくて」
「あー、この前の?俺も見たよ。何か妙に真に迫ってたよな、失恋のとことか。すごかった」
「ありがとう。役作り頑張ったから」
「エゴサとかが役作りの参考になるなら、俺もSNSやろうかな」
「俺のはモチベーション用だけどね」
「なるほど?」
フォロイー1、フォロワー0の鍵アカウントに目を細め、首を傾げて酒を煽る。青野が口を開きかけると、今度は場違いな着信音が鳴り響いた。
「ごめん、また俺のスマホだ」
「着信、ゴジラの曲なんだ」
「うん、わくわくするでしょ。……ごめんリーダー、ちょっと席外すね」
「ゴジラとか好きなんだ……」
「キュン……」と呟き胸を抑え、席を立つ橙矢を見送る。絡まれた右手を一瞥。左手を持ち上げて、覚束ない所作でグラスを仰ぐ。
「…………大好きな幼馴染なんだってさ」
「うわっ、お前急に喋……」
「『そーくん』はゴジラの曲って前言ってた。なんか良いよね、幼馴染って。これだけ長く続いてきた関係なら、これからもずっと続くんでしょ」
据わった目のまま、赤峰が上体を起こす。何処か無常感を漂わせる口調に、青野は、「飲み過ぎだぞ」とウイスキーグラスを取り上げた。
「お互いのこと知り尽くしてさ、1番に相談するのだって幼馴染。妬けるよね」
「お前たいがい橙矢のこと好きだよな」
「好きだよぉ、そりゃメンバーなんだから」
「ふふ」
結成当時の赤峰は、こうではなかった。基本人を信じていなかったし、人当たりこそ良いが、何を考えているのかもいまいち読めない節があった。それがこうして、無防備な姿を晒し、あまつさえ表立ってメンバーへの好意を口走るなど。
同僚であり後輩である男の成長が、単純に嬉しかった。
「青野くん」
ふと、名前を呼ばれて顔を上げる。そしてすぐに、机へと目線を落とす。
投げ出された右手に、赤峰の指が触れたからである。
「SNSの使い方、おれが教えてあげる」
「んん?」
「さっき『俺もやろうかな』って言ってた」
「ああ、確かに言ったけど……お前、結構ちゃんと聞いてるな」
「そうだよ。だから1番に俺に教えてね、始めるとき」
赤みがかった瞳は、基本的に光を反射しない。けれどもその表面は妙に熱っぽく潤んでいて、節目がちな睫毛も相まって、何処か官能的だった。
そんな瞳に見つめながら、青野はもう一度触れられた右手へと視線を落とす。
長く骨張った指は真っ白なのに、色彩に反して、指先はひどく熱い。
「なんでも1番に俺に教えて」
「内容にもよるな」
朴訥と落とされた言葉に、赤峰は半目になる。先刻までの妖艶さなど消え失せ、すっかりとその目は乾いていた。
「はー?どーでも良いことも大事なことも、全部俺に言いなよ。報告だよ報告。コミュニケーションは大事でしょ?」
「お前がまじめに俺の相談に乗るとは思えないんだけど」
「なに?乗るに決まってるじゃん。ほら、言ってみなよ。たとえば何?」
ヤケクソじみた所作でグラスへ伸ばされた手を抑えながら、青野は逡巡する。ぐる、と視線を巡らせて、「たとえば…」と復唱した。
「引退、とか?」
言い終わらないうちに、青野は思わず肩を強ばらせる。
それはひとえに、隣に座る男の雰囲気がガラリと変わったからだった。その違和感を誤魔化すように、ウイスキーのグラスを舐める。隣を──赤峰の表情を見るのが、なんとなく怖かった。
「………………しないよね?」
たっぷりと間を置いて落とされた言葉からは、温度という物が感じられない。怒っているのか、悲しんでいるのか、茶化しているのか。ポッカリと空いた虚を想起しながら、青野は、「たとえばってお前が言ったんだろ」と答えた。
「そうだね。それも、そうだ」
「そうだろ」
「『みんなを笑顔にする』まで」
「え?」
思わずと言った表情で、赤峰を見る。
赤峰は、笑っていた。優しげな目元に、人懐こく刻まれた皺。赤い唇は、無防備に緩み切っている。
それでも、青野の表情は何処か強張ったままだった。
「青野くんはダメでしょ。きみは夢を叶えなきゃ」
「あ、酒。飲み過ぎだって言って……」
「叶えるまで、辞めさせない」
地を這うような声だった。
その悍ましさに、青野は思わず「わ……」と声を漏らす。
光を全くと言って良いほどに反射しない瞳は、どこまでも続く虚のようで。
「…………そうだな」
赤峰がぎゅう、と目を細めて笑ったので、瞳は見えなくなる。美味そうに酒を飲み下す同僚に、青野は胸を撫で下ろした。
触れるだけの接吻をして、赤い唇がグラスから離れる。真っ白な喉で、喉仏が上下して。「逃がさない」なんて呟きに、引き攣る口角を持ち上げた。
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