悪の総統に愛されて夜も眠れないDK

ベポ田

文字の大きさ
29 / 40
大爆発まであと

ぷつん

しおりを挟む
 直感、第六感。
 それを何と呼んで良いのか分からない。ただ何度も何度も怪人に襲われるうちに、予兆のようなものに、身体が先に反応を示すようになっていた。
 全身が総毛立って、項のあたりがぴりぴり痛んで、そして。

「カナちゃん」 

 僅かに重くなった下腹に、庇うように手が伸びる。
 そして、名前を呼ぶ声の低さに驚いたのは春近だけではないようだった。不安げに表情を曇らせたカナちゃんに、努めてにこやかな笑みを浮かべて見せる。

「ごめん。俺、そろそろ準備に行かなきゃなんだ」
「あ、ああ!もうこんな時間!気付かなかった」
「本当だよ。こんなに話したの20年ぶり」
「あはは、生まれてないじゃん。久しぶりだもんね、超、話弾んじゃった」

 視線をうろつかせながら、耳に横髪をかける所作を無意味に繰り返す。「じゃあね」と早口に、踵を返したカナちゃんを、春近は咄嗟に「待って」と引き留めていた。

「…………………その、またね。連絡、する」

 少しだけ目を見開いて、カナちゃんは眉根を寄せたまま微笑む。
 友人の元へと再び駆け出して、今度こそ振り返ることはない。
 華奢な背が見えなくなるまで手を振って。
 だらりと右手を下げた春近の表情は、酷く蒼褪めた物だった。
 ギチギチ、ギチギチと。耳のすぐ後ろから響いてきた不快な音に、震える瞼を伏せた。
 


 身体中を這いまわる節足の感触に、出来るだけ意識が向かないように。
 自らに伸し掛かる『蠅』の巨体越しに、青空を眺める。
 無残に切り裂かれたスラックスの内側、内腿に、臀部に刺毛がちくちく刺さる。その不快な痛みにすら反応する身体が酷く情けなくて、じわりと視界が滲んだ。
 怪人は、どういうわけか自分を優先して狙ってくる。
 自分がここに縫い留められているうちは、カナちゃんや他の人に被害は及ばないだろう。
 中途半端に思い出した自尊心が、みしみし音を立てて軋んでいく。
 何も考えないように、いつも通り心を空っぽに。
 何度も何度も胸中で唱えるけれど、どういうわけか涙が止まらなかった。
 情けない、気持ち悪い、怖い、腹立たしい。
 行き場がなかったはずのそんな感情の矛先を、見つけてしまったから。
 普段は栓をしている激情が、溢れ出して、止まらなくて。

「……離、せよ……っ!」

 気付けば、右手を振りぬいていた。
 髪を振り乱して、泣き叫びながら身を捩る。久方ぶりに、本気で抵抗らしい抵抗をした。

「やめろよ!やめろ!離せ!気持ち悪いんだよ!何なんだよお前ら、いつもいつも!楽しいかよ、人の尊厳踏みにじって、好き勝手身体弄んで!なんでだよ、なんで……なんでおれだけこんな目に───っ!」
「ギ、」
「嫌いだ!お前らなんて、大嫌いだ!」
「ギチギチギチギチ!」

 その巨体を押し退ける力は、怪人にとっては撫でられる程度の物だっただろう。それでも、蠅怪人はいきり立つようにして敵意を露わにした。
 それこそ、どちらが被害者か分からなくなるほどに、あまりにも切実で、悲痛な絶叫を上げた。

 ──何の権利があって、お前の方がそんな風に泣くんだ。

 そんな怒声も、全身に走った痛みに苦悶の悲鳴へと変わる。
 捻り上げられた腕が、人形のそれみたいに千切れてしまいそうだった。
 まだら色の脳内で、しかし、春近は自らの思考が一つに収束していくのを感じていた。

「……………………………たすけて」

 零れた言葉は、諦観に濡れていた。

「……ひ……るはなに、してんだよ」

 か細く、誰に拾われるわけもないと端から一切の期待を捨てた断末魔。

「春近──────ッ!」

 放たれた一本の弓矢のように、その声はよく響いた。
 憂いや、恐怖すら。全てを打ち払うような声に、春近は喉を剝き出し蒼穹を仰ぐ。
 眩しい陽光を遮ったのは、雲でも鳥でもなかった。
 空から降ってきた人影──こちらに手を伸ばす、一人のヒーローだった。
 衝撃、破裂音。
 次に目を開いたとき、蠅怪人の上半分も消し飛んでいた。頬に飛び散った、生温かくて滑った感触。いびつに欠損した蠅の身体が、ぐらりと傾く。
 身体に伸し掛かる重みが消えて、代わりに浮遊感が春近の全身を包み込む。

「遅くなって済まない!助けに来たぞ!」

 完璧に均整の取れた相貌が、狼狽に歪んで、真っ赤な血と肉片に汚れていた。
 それが、初めて会ったときの光景と重なって。

「…………おい、おい春近!大丈夫か、どこか怪我したのか?」

 またぼたぼたと涙を流し始めた春近に、「怖がらせたか⁈」と顔面に飛び散った血を慌てて拭った。
 

 ***


 光は走っていた。
 廊下を駆けては、一気に階段を飛び降りる。
 怪人の気配と共に、春近の、助けを求める声が聞こえた。「嫌いだ」という拒絶も。春近のこれだけの悲痛な叫びを聞くのは初めてだった。
 どこかできりきりと引き絞られるような縄の音を聞きながら、それでも光の心のすべては春近の安否に傾いていた。
 どれだけ酷い目にあっているのか。自らのせいで、春近がまた傷付いて───。

「…………嫌っ、」
「っ、」

 一階の廊下に着地したところで、甲高い悲鳴が上がる。
 女性にぶつかりかけた。女子高生、しかも他校だ。なぜ封鎖された校舎にいるのか。
 纏まらない思考の半分は、女生徒の風体を見て解決する。

「───カナちゃん」
 
 女生徒は──『カナちゃん』は、一目見て先刻まで泣いていたのだと分かる有様だった。
 思わずと言った表情で口元を抑える光に、自らもまた赤く腫れた目を見開く。
 光の存在を認識するのと同時に、小ぶりな相貌に浮かんだのは嘲るような笑みだった。

「振られたよ」
「…………なに?」

 大きな黒目が、貫くように光を見据える。

「私、春近くんに振られた」
「…………何で、それを俺に?」
「別に。気にしてたから」

 凛とした声で断じられて、光の指先が僅かに跳ねる。
 中庭を一望できる窓から差し込んだ陽光を、細い金髪が皮肉なほど美しく反射していた。
 一時は凪いでいたカナちゃんの相貌に、再び嘲るような笑みが浮かぶ。攻撃的でありながら、自らに向けられた嘲りだった。

「いい加減、隠れるのにあんまり向いてないって自覚した方が良いよ。……たぶん、春近くんも気付いてた」

 そんな皮肉が、右耳から左耳に抜けていく。
 今や光の視線は、窓の外に縫い付けられていた。
 怪人だった肉片と血の海、その中央。
 春近は、ヒーローの腕の中で泣きじゃくっていた。

「春近くん、好きな人がいるんだって」

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの、酷い顔。それでも、確かに春近は安心していた。

「──────『いつも近くにいて、自分を助けてくれる人』、だって」

 唯一、やけに鮮明に届いた言葉が、脳に絡みついては根を張るようだった。
 あまりにも強く噛み締めたので、唇から血が伝う。
 前触れもなく軋み、震え始めた窓ガラスに、カナちゃんがまた引き攣った悲鳴を上げた。

 ぷつん。

 そんな音が、耳の内側から響いて。
 真っ二つのままだらりと垂れ下がった縄の残骸を、光は冷えた思考のまま眺めていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

お兄ちゃんができた!!

くものらくえん
BL
ある日お兄ちゃんができた悠は、そのかっこよさに胸を撃ち抜かれた。 お兄ちゃんは律といい、悠を過剰にかわいがる。 「悠くんはえらい子だね。」 「よしよ〜し。悠くん、いい子いい子♡」 「ふふ、かわいいね。」 律のお兄ちゃんな甘さに逃げたり、逃げられなかったりするあまあま義兄弟ラブコメ♡ 「お兄ちゃん以外、見ないでね…♡」 ヤンデレ一途兄 律×人見知り純粋弟 悠の純愛ヤンデレラブ。

ヤリチン伯爵令息は年下わんこに囚われ首輪をつけられる

桃瀬さら
BL
「僕のモノになってください」 首輪を持った少年はレオンに首輪をつけた。 レオンは人に誇れるような人生を送ってはこなかった。だからといって、誰かに狙われるようないわれもない。 ストーカーに悩まされていたレある日、ローブを着た不審な人物に出会う。 逃げるローブの人物を追いかけていると、レオンは気絶させられ誘拐されてしまう。 マルセルと名乗った少年はレオンを閉じ込め、痛めつけるでもなくただ日々を過ごすだけ。 そんな毎日にいつしかレオンは安らぎを覚え、純粋なマルセルに毒されていく。 近づいては離れる猫のようなマルセル×囚われるレオン

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

平凡な俺が完璧なお兄様に執着されてます

クズねこ
BL
いつもは目も合わせてくれないのにある時だけ異様に甘えてくるお兄様と義理の弟の話。 『次期公爵家当主』『皇太子様の右腕』そんなふうに言われているのは俺の義理のお兄様である。 何をするにも完璧で、なんでも片手間にやってしまうそんなお兄様に執着されるお話。 BLでヤンデレものです。 第13回BL大賞に応募中です。ぜひ、応援よろしくお願いします! 週一 更新予定  ときどきプラスで更新します!

普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。

山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。 お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。 サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。

ヤンデレ執着系イケメンのターゲットな訳ですが

街の頑張り屋さん
BL
執着系イケメンのターゲットな僕がなんとか逃げようとするも逃げられない そんなお話です

処理中です...