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大爆発まであと
ここが幼馴染のハウスね。。。
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中学二年生の夏、春近は人生最悪の日を迎えた。
天気予報が外れて、土砂降りの雨のなかを野犬に追い回されながら帰って、玄関前でうんちを踏んで、滑って転んで側頭部を強打して、その晩は高熱にうなされて、そういえばその日の占いも最下位だった……、と、
とにかく、そんな日に見た夢が、こんな感じだったと思う。
半壊した校舎に、アホなハロウィン小僧に、真っ白な部屋。馬鹿みたいな名前の光線。
そして──、
「待って!待って緋色くん!」
「~~~っ、」
茜の制服の裾を掴んだまま、息も絶え絶え懇願する。
ついにえずいた春近に、茜は逃走姿勢を取ったまま固唾を呑んだ。
「おれたち、…………セックスした?」
「したわけないだろ!?」
「だ、だよね!?……な、なんか、心臓くり抜いてたよね!?じゃあ誰と誰がセックスしたの!?俺たちは出てきたってことはセッ、」
「勘弁してくれ!」
茜はスイカジュースのペットボトルを握り潰しながら、青い顔で仰け反った。
春近は茜の声が裏返るところを初めて見た。
「君な。事情は分かったが、声量ってものがあるだろう」
まさか、緋色茜に「声がデカい」と苦言を呈される日が来るとは。
春近は純粋に驚いていた。
春近の二つ隣のベンチに座ったまま、茜は「あー、びっくりした……」と腕組みで唸る。
露骨に取られた距離に不満げな表情をしつつ、春近は「ごめん」ととりあえず非礼を詫びた。
「でもそうでもしなきゃ捕まらないと思って……」
「む……」
春近の言葉に、今度は茜が苦虫を嚙み潰したような表情をする。
あの部屋から解放されてからというものの、茜が春近からあからさまに距離を取り始めたのは事実だったからだ。
春近のうろんな視線から逃れるように、わざとらしく咳払いして。
「実のところ、俺もあの時のことはよく覚えてないんだ。どうやってあの部屋から出たのかは勿論、その……心臓を君に預ける前のことは、特に曖昧で……」
気まずげに落とされた告白に俯く。
春近もまた、その通りだったからだ。
ハロウィン小僧に、真っ白な部屋。馬鹿みたいな名前の光線。
断片的な光景は覚えているけれど、自分がどうやってあの部屋から出てきたのかについては、記憶が曖昧で。
そしてもう一つ、酷く大切なことを自らは忘れているのではないか。
そんな焦燥が、常に付き纏っていた。
「覚えているのは───、」
こめかみの鈍痛に顔を顰めたまま、春近は再び茜へと視線を移す。
茜は思いつめたような表情で、膝上で組んだ手を見詰めていた。
「俺と君は、セ……性交渉を回避したこと」
「うん……」
「悪の総統がどうやら君を『お嫁さん』認定していること」
「え゛っ、……えっ?」
「怪人がきみのことを『姐さん』呼びしていた」
「な、なんで?どうして??」
「……あとは、その。…………自分を抑えられず、きみに酷いことをした」
項垂れたまま、か細い声で懺悔する。
下を向いたままの茜と対照的に、春近は天を仰いだ。
心中を現すような曇天……というわけでもない。気持ちが良いほどの快晴だった。
「だから俺を避けたんだ?」
「俺は、」
緋色茜という男には珍しく、歯切れの悪い語り出しである。
横目で盗み見た横顔には、どこか、自分の中の深部に潜るような神妙さがあった。
「俺は、昔から力が強くて。外遊びでは友達に怪我をさせて、室内遊びではすぐに物を壊す……き、嫌われ者だったんだ」
「今は違うでしょ?」
「そうかな……そうかもな。けど当時の俺にとっては、『怪人を倒すこと』だけが、存在意義だった。この暴力性を人のために役立てることでしか、俺は人の輪に入れないと思っていた」
怪人が人間に融和的になったことで、ヒーローは不可欠な存在ではなくなった。
防衛のかなめから、大衆娯楽に変わった。
施行される事こそなかったが、一時はヒーローの運営規模や投資を縮小させるべきだという声すら上がった。
求められるのは、絶対的な強さではなく、大衆ウケする愛想とキャラ付けになった。
「実際はヒーローというだけで、皆俺を受け入れてくれた。誰も俺を怖がらなかったし、笑顔で話しかけてくれて。……でもどこか、俺は、不安で、不満で、」
言葉を切って、茜は吐息だけで笑う。
その自棄っぽい所作は、やはり茜らしくない物だった。
「……結局俺は、誰かに自分の暴力性を受け入れてほしかっただけなんだ。俺が助けたかったのは他人でも何でもなくて、嫌われ者の子供でしかなかった」
「……………」
「そんな時、きみは俺に『ヒーロー』という役をもう一度与えてくれた。怖かっただろうに、俺の暴力性を受け入れて、ありがとうと言ってくれた」
……贔屓するなと言う方が、無理な話だ。
微笑んではいたが、どういうわけか、春近は今にでも茜が泣きだしてしまうのではないかと思った。
あの日茜に助けられたと思っていたが、春近もまた、茜を救っていた。
それが誇らしくもあり、痛々しくて、どこまでも悲しかった。
彼が過去に、どんな仕打ちを受けたのかは知らない。
けれど偶然春近だったというだけで、助けられたのなら、誰だってきっと春近と同じことを言う。
そんな当たり前の言葉が救いになってしまう彼の境遇に、怒りすら覚えた。
反射的に口を出しそうになるのを抑えて、茜の言葉の先を待つ。
「だから、きみに必要以上に付き纏ってしまった。護衛だけなら、遠くからでもできたのに。…………きみの近くがあまりにも心地よくて、うん、浮かれてたんだ」
「間違いみたいに言うじゃん」
「間違いだったよ。君を利用さらに飽き足らず。自分の本質も忘れて、身の丈以上のものに手を伸ばした。だから、君を害して、怖がらせてしまった」
「……………」
「腹立たしいことこの上ないが。悪の総統の指摘は、ある意味で正しかった」
平生の溌溂とした語り口は、見る影もない。丸まった背は、妙に小さく見えた。
「もう迷わないって言ってたのに」
「はは。あれだけの啖呵を切っておいて、このザマだ。……上司に打診してみるよ。悪の総統の素性を掴むまでの間だけでも、君を安全な場所で保護するべきだと」
「…………緋色くんは?」
「俺は、退学だろうな。あくまで悪の総統に対応するという名目で学校生活を許されているわけだから」
眉根を寄せて、「なに、」と困ったように笑う。
「そんなに悲観することでもない。前に戻るだけだ。……俺は学校に行けなくなることより、きみを傷つける方が辛い」
「…………」
「でも、できれば友達である事は許してほしい。それだけで俺は、どこにいても頑張れるから」
少し考えて、春近はため息を吐く。
最近になって分かったことだが、茜は割と気にしいでナイーブだ。
ずんずんと無遠慮に歩いて、茜の隣に太々しく腰を下ろして。
思い詰めていたように下を向いていた茜が、ギョッと目をむいて仰反った。
「だめだ離れてくれ……あ、危ないから」
「まだ光線の影響が残ってるのか?発情してる?」
「し、してない!けど!……俺は君たちとは違うんだ。辛抱が効かなくて、力が強くて──、」
「緋色くんは、俺を傷つけたりしないよ」
「な、何を根拠に!実際俺はあの部屋で────!」
「でも、未遂だった」
「未遂だったけど!」
細い腕を擡げる。
少しためらって、春近は結局茜の胸元へと手を添えた。
学ランの厚い布越しでも、胸の鼓動が指先に伝わってくるようで。
「俺を殺す前に君は、胸に穴あけるだろ」
「それは心臓が無くても60日は死なないし、そもそも20日で新しいのが生えてくるから……」
「君がいくらびっくり人間でも、痛いのは痛いだろ。……俺のために躊躇いなく心臓を抉るようなお人よしを、怖いとは思わない」
濡れた金色の瞳が揺れる。
ややおいて、眩しいものを見るみたいに目を細めて、茜は下手くそに笑った。
「きみにならいくらでもあげるよ。何なら今、20個くらいあげたい気分だ」
「もう、二度とあんなのはごめんだよ」
照れくさそうに胸に手を誘導してくる茜に青い顔をしながら、春近は首をブンブン横に振った。
***
自販機のボタンを押しながら、茜は「そういえば」と口を開いた。
「先刻、俺は何も覚えていないと言ったが。ひとつ考えていたことが」
取り出し口の前に屈みこむ茜に、春近は小さく首を傾げる。視線は、茜が取り出した豆板醬ドリンクにくぎ付けだった。
「あの部屋から出たあと、君に付いた匂いが特別濃くなっていた」
「匂い……?」
「そう、悪の総統の。あの部屋から俺たちを助け出したのは、彼かもしれない。それなら、俺たちが何も覚えていないのにも説明が付く。彼の認識阻害と精神干渉技術は凄まじいから」
嫌な顔をして袖口を嗅いでいた春近は、さらに嫌な顔をする。
そういえば、初対面のときも茜は春近から悪の総統の匂いがすると指摘したのだった。
言いたいことは分かるが、納得は行かなかった。もっと言うと、なんやかんやで有耶無耶にはなっていたが、ずっと腑に落ちなかった。
「なんで、悪の総統がわざわざ俺たちを助けるんだ」
「悪の総統は、十中八九君個人に、なんらかの特別な思い入れを持っている」
「ええ?」
「怪人を生み出すのも、そこに目的を刻むのも総統だからな。きみが執拗に狙われるのも納得だ」
袖口を嗅ぐ姿勢のまま、春近は心当たりを探した。
やがてユラユラと横揺れをやめ、「では俺には、隠された大きな力が…………」と神妙に右手を掲げる。その意味もなく掲げられた右手を、茜がソッと優しく包み込む。
「春近は凡人だぞ」
「そんな……慈愛に満ちた目で…………」
「君の戦闘力は、10歳の女児と同等だ。俺が保証する」
「弱いにもほどがあるだろ……。俺が実は天才ヒーローで、それを恐れて秘密裏に……とかじゃないと説明つかなくない?」
「君の愛らしさは確かに天才的だが、違うと思う!」
「じゃあ本当になんなんだよ…………」
こんな靴裏みたいな顔したパッとしない小僧を凌辱しろって。どんだけピーキーな使命のもと産み落とされたんだ、彼らは。哀れすぎる。
そんな疑問が、脳内でぐるぐるとまだら模様を描く。
「恐怖というより、性欲だな」
そして、釈然としない表情で未だユラユラ揺れていた春近は、聞き捨てならない言葉に硬直する。酷く恐ろしいワードが聞こえた気がする。
「あれは正真正銘、君を犯したいという強い思いから生まれた怪人だ。100%性欲由来」
「はぁ!?」
「自分で生み出した怪人に、君が自分の『お嫁さん』だと吹聴して回ってるんだぞ、奴は」
「おぞましい……」
「悪の総統は君に劣情を催している。バチボコに欲情している」
「ああああ!」
顔を覆ったまま叫ぶ春近の目を覗き込みながら、茜は「つまり」と言った。
「悪の総統は、君に近しい存在だ。……少なくとも、接点があるはずで」
「────……」
「心当たりはあるか?」
正面から、肩に手を添えられる。
──────あるかないかでいったら、正直ある。
茜に問われた一言一句が、既視感を以て頭の端に引っ掛かっていた。
それでも春近は、吸い込まれそうな黄金から視線を逸らす。
目を逸らして、脳内に浮かんだ顔を振り払う。その仮説を、茜に──ヒーローに伝えるのが怖かった。
「…………無いよ。ほんと、どんな性癖なんだ」
「…………」
春近は、ひたすらに足元を見つめていた。
猛禽みたいなあの金眼が、じっと自らを見下ろしているとわかっていたから。ひとたび彼の目を覗き込めば、何もかもを見透かされてしまうような気がした。
コンクリートの床に、ぷつぷつと黒い斑点が生まれる。ややおいて、それが自分の頬から滑り落ちた汗だと気付いた。
「──────そうか」
空気が弛緩する。
それでも、春近はただ自分が見逃されただけであることを本能的な部分で悟っていた。
「春近」
茜は優しい声で言いながら、「考えるんだ」と控えめな笑みを浮かべる。
「きみが言っていたこと。『怪人にも、良い怪人と悪い怪人がいる』って。…………悪の総統は、邪悪というだけの存在ではないのではないかと。今ではそんな気がするんだ」
「……………」
「でなければ、あの部屋で俺にとどめを刺さなかった意味が分からないしな」
発言だけ聞けば、ヒーローにあるまじき言説であったが、春近はただ泣きそうになった。
春近の考えていることをある程度理解した上で、踏み込まず、それでも元気付けようとしてくれている。
茜は、どこまでも優しいヒーローだった。
無理やりに作った笑みで、春近は「ごめん」と呟く。
「いいよ」という声音の優しさに、また罪悪感が沈殿するようで。
同時に暗い沼のような感情のなかで、春近はとある決意を固めていた。
***
「『プリントを届けに来たよ』。どこにプリントがあるんだよ。『キャッチボールしようぜ』。何歳だよ……つか病欠だし。『カラオケ行こうよ』。だから病欠だって言ってんだろ!うがあッ‼」
春近は立派な門構えの前をウロウロして、ついには頭を抱え込んで蹲る。
「…………光め。無駄に立派なおうちに住みやがって」
急に往来に座り込んだ春近を、リードを握った主婦が怯えた表情で大きく迂回する。
ただのこのこ寄ってきたコーギーが春近のすぐ隣で踏ん張り始めたので、しぶしぶ「大丈夫ですか?」と生存確認をした。
「あの……」
春近が蹲ったまま右手をヌッと上げたので、主婦が「ひィ!」と引き攣った悲鳴を上げた。
「…………さわっても良いですか……」
「…………」
つぶらな瞳で首を傾げたコーギーが、ホカホカのウンコをひり出した。
天気予報が外れて、土砂降りの雨のなかを野犬に追い回されながら帰って、玄関前でうんちを踏んで、滑って転んで側頭部を強打して、その晩は高熱にうなされて、そういえばその日の占いも最下位だった……、と、
とにかく、そんな日に見た夢が、こんな感じだったと思う。
半壊した校舎に、アホなハロウィン小僧に、真っ白な部屋。馬鹿みたいな名前の光線。
そして──、
「待って!待って緋色くん!」
「~~~っ、」
茜の制服の裾を掴んだまま、息も絶え絶え懇願する。
ついにえずいた春近に、茜は逃走姿勢を取ったまま固唾を呑んだ。
「おれたち、…………セックスした?」
「したわけないだろ!?」
「だ、だよね!?……な、なんか、心臓くり抜いてたよね!?じゃあ誰と誰がセックスしたの!?俺たちは出てきたってことはセッ、」
「勘弁してくれ!」
茜はスイカジュースのペットボトルを握り潰しながら、青い顔で仰け反った。
春近は茜の声が裏返るところを初めて見た。
「君な。事情は分かったが、声量ってものがあるだろう」
まさか、緋色茜に「声がデカい」と苦言を呈される日が来るとは。
春近は純粋に驚いていた。
春近の二つ隣のベンチに座ったまま、茜は「あー、びっくりした……」と腕組みで唸る。
露骨に取られた距離に不満げな表情をしつつ、春近は「ごめん」ととりあえず非礼を詫びた。
「でもそうでもしなきゃ捕まらないと思って……」
「む……」
春近の言葉に、今度は茜が苦虫を嚙み潰したような表情をする。
あの部屋から解放されてからというものの、茜が春近からあからさまに距離を取り始めたのは事実だったからだ。
春近のうろんな視線から逃れるように、わざとらしく咳払いして。
「実のところ、俺もあの時のことはよく覚えてないんだ。どうやってあの部屋から出たのかは勿論、その……心臓を君に預ける前のことは、特に曖昧で……」
気まずげに落とされた告白に俯く。
春近もまた、その通りだったからだ。
ハロウィン小僧に、真っ白な部屋。馬鹿みたいな名前の光線。
断片的な光景は覚えているけれど、自分がどうやってあの部屋から出てきたのかについては、記憶が曖昧で。
そしてもう一つ、酷く大切なことを自らは忘れているのではないか。
そんな焦燥が、常に付き纏っていた。
「覚えているのは───、」
こめかみの鈍痛に顔を顰めたまま、春近は再び茜へと視線を移す。
茜は思いつめたような表情で、膝上で組んだ手を見詰めていた。
「俺と君は、セ……性交渉を回避したこと」
「うん……」
「悪の総統がどうやら君を『お嫁さん』認定していること」
「え゛っ、……えっ?」
「怪人がきみのことを『姐さん』呼びしていた」
「な、なんで?どうして??」
「……あとは、その。…………自分を抑えられず、きみに酷いことをした」
項垂れたまま、か細い声で懺悔する。
下を向いたままの茜と対照的に、春近は天を仰いだ。
心中を現すような曇天……というわけでもない。気持ちが良いほどの快晴だった。
「だから俺を避けたんだ?」
「俺は、」
緋色茜という男には珍しく、歯切れの悪い語り出しである。
横目で盗み見た横顔には、どこか、自分の中の深部に潜るような神妙さがあった。
「俺は、昔から力が強くて。外遊びでは友達に怪我をさせて、室内遊びではすぐに物を壊す……き、嫌われ者だったんだ」
「今は違うでしょ?」
「そうかな……そうかもな。けど当時の俺にとっては、『怪人を倒すこと』だけが、存在意義だった。この暴力性を人のために役立てることでしか、俺は人の輪に入れないと思っていた」
怪人が人間に融和的になったことで、ヒーローは不可欠な存在ではなくなった。
防衛のかなめから、大衆娯楽に変わった。
施行される事こそなかったが、一時はヒーローの運営規模や投資を縮小させるべきだという声すら上がった。
求められるのは、絶対的な強さではなく、大衆ウケする愛想とキャラ付けになった。
「実際はヒーローというだけで、皆俺を受け入れてくれた。誰も俺を怖がらなかったし、笑顔で話しかけてくれて。……でもどこか、俺は、不安で、不満で、」
言葉を切って、茜は吐息だけで笑う。
その自棄っぽい所作は、やはり茜らしくない物だった。
「……結局俺は、誰かに自分の暴力性を受け入れてほしかっただけなんだ。俺が助けたかったのは他人でも何でもなくて、嫌われ者の子供でしかなかった」
「……………」
「そんな時、きみは俺に『ヒーロー』という役をもう一度与えてくれた。怖かっただろうに、俺の暴力性を受け入れて、ありがとうと言ってくれた」
……贔屓するなと言う方が、無理な話だ。
微笑んではいたが、どういうわけか、春近は今にでも茜が泣きだしてしまうのではないかと思った。
あの日茜に助けられたと思っていたが、春近もまた、茜を救っていた。
それが誇らしくもあり、痛々しくて、どこまでも悲しかった。
彼が過去に、どんな仕打ちを受けたのかは知らない。
けれど偶然春近だったというだけで、助けられたのなら、誰だってきっと春近と同じことを言う。
そんな当たり前の言葉が救いになってしまう彼の境遇に、怒りすら覚えた。
反射的に口を出しそうになるのを抑えて、茜の言葉の先を待つ。
「だから、きみに必要以上に付き纏ってしまった。護衛だけなら、遠くからでもできたのに。…………きみの近くがあまりにも心地よくて、うん、浮かれてたんだ」
「間違いみたいに言うじゃん」
「間違いだったよ。君を利用さらに飽き足らず。自分の本質も忘れて、身の丈以上のものに手を伸ばした。だから、君を害して、怖がらせてしまった」
「……………」
「腹立たしいことこの上ないが。悪の総統の指摘は、ある意味で正しかった」
平生の溌溂とした語り口は、見る影もない。丸まった背は、妙に小さく見えた。
「もう迷わないって言ってたのに」
「はは。あれだけの啖呵を切っておいて、このザマだ。……上司に打診してみるよ。悪の総統の素性を掴むまでの間だけでも、君を安全な場所で保護するべきだと」
「…………緋色くんは?」
「俺は、退学だろうな。あくまで悪の総統に対応するという名目で学校生活を許されているわけだから」
眉根を寄せて、「なに、」と困ったように笑う。
「そんなに悲観することでもない。前に戻るだけだ。……俺は学校に行けなくなることより、きみを傷つける方が辛い」
「…………」
「でも、できれば友達である事は許してほしい。それだけで俺は、どこにいても頑張れるから」
少し考えて、春近はため息を吐く。
最近になって分かったことだが、茜は割と気にしいでナイーブだ。
ずんずんと無遠慮に歩いて、茜の隣に太々しく腰を下ろして。
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「だめだ離れてくれ……あ、危ないから」
「まだ光線の影響が残ってるのか?発情してる?」
「し、してない!けど!……俺は君たちとは違うんだ。辛抱が効かなくて、力が強くて──、」
「緋色くんは、俺を傷つけたりしないよ」
「な、何を根拠に!実際俺はあの部屋で────!」
「でも、未遂だった」
「未遂だったけど!」
細い腕を擡げる。
少しためらって、春近は結局茜の胸元へと手を添えた。
学ランの厚い布越しでも、胸の鼓動が指先に伝わってくるようで。
「俺を殺す前に君は、胸に穴あけるだろ」
「それは心臓が無くても60日は死なないし、そもそも20日で新しいのが生えてくるから……」
「君がいくらびっくり人間でも、痛いのは痛いだろ。……俺のために躊躇いなく心臓を抉るようなお人よしを、怖いとは思わない」
濡れた金色の瞳が揺れる。
ややおいて、眩しいものを見るみたいに目を細めて、茜は下手くそに笑った。
「きみにならいくらでもあげるよ。何なら今、20個くらいあげたい気分だ」
「もう、二度とあんなのはごめんだよ」
照れくさそうに胸に手を誘導してくる茜に青い顔をしながら、春近は首をブンブン横に振った。
***
自販機のボタンを押しながら、茜は「そういえば」と口を開いた。
「先刻、俺は何も覚えていないと言ったが。ひとつ考えていたことが」
取り出し口の前に屈みこむ茜に、春近は小さく首を傾げる。視線は、茜が取り出した豆板醬ドリンクにくぎ付けだった。
「あの部屋から出たあと、君に付いた匂いが特別濃くなっていた」
「匂い……?」
「そう、悪の総統の。あの部屋から俺たちを助け出したのは、彼かもしれない。それなら、俺たちが何も覚えていないのにも説明が付く。彼の認識阻害と精神干渉技術は凄まじいから」
嫌な顔をして袖口を嗅いでいた春近は、さらに嫌な顔をする。
そういえば、初対面のときも茜は春近から悪の総統の匂いがすると指摘したのだった。
言いたいことは分かるが、納得は行かなかった。もっと言うと、なんやかんやで有耶無耶にはなっていたが、ずっと腑に落ちなかった。
「なんで、悪の総統がわざわざ俺たちを助けるんだ」
「悪の総統は、十中八九君個人に、なんらかの特別な思い入れを持っている」
「ええ?」
「怪人を生み出すのも、そこに目的を刻むのも総統だからな。きみが執拗に狙われるのも納得だ」
袖口を嗅ぐ姿勢のまま、春近は心当たりを探した。
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「春近は凡人だぞ」
「そんな……慈愛に満ちた目で…………」
「君の戦闘力は、10歳の女児と同等だ。俺が保証する」
「弱いにもほどがあるだろ……。俺が実は天才ヒーローで、それを恐れて秘密裏に……とかじゃないと説明つかなくない?」
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「じゃあ本当になんなんだよ…………」
こんな靴裏みたいな顔したパッとしない小僧を凌辱しろって。どんだけピーキーな使命のもと産み落とされたんだ、彼らは。哀れすぎる。
そんな疑問が、脳内でぐるぐるとまだら模様を描く。
「恐怖というより、性欲だな」
そして、釈然としない表情で未だユラユラ揺れていた春近は、聞き捨てならない言葉に硬直する。酷く恐ろしいワードが聞こえた気がする。
「あれは正真正銘、君を犯したいという強い思いから生まれた怪人だ。100%性欲由来」
「はぁ!?」
「自分で生み出した怪人に、君が自分の『お嫁さん』だと吹聴して回ってるんだぞ、奴は」
「おぞましい……」
「悪の総統は君に劣情を催している。バチボコに欲情している」
「ああああ!」
顔を覆ったまま叫ぶ春近の目を覗き込みながら、茜は「つまり」と言った。
「悪の総統は、君に近しい存在だ。……少なくとも、接点があるはずで」
「────……」
「心当たりはあるか?」
正面から、肩に手を添えられる。
──────あるかないかでいったら、正直ある。
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それでも春近は、吸い込まれそうな黄金から視線を逸らす。
目を逸らして、脳内に浮かんだ顔を振り払う。その仮説を、茜に──ヒーローに伝えるのが怖かった。
「…………無いよ。ほんと、どんな性癖なんだ」
「…………」
春近は、ひたすらに足元を見つめていた。
猛禽みたいなあの金眼が、じっと自らを見下ろしているとわかっていたから。ひとたび彼の目を覗き込めば、何もかもを見透かされてしまうような気がした。
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「──────そうか」
空気が弛緩する。
それでも、春近はただ自分が見逃されただけであることを本能的な部分で悟っていた。
「春近」
茜は優しい声で言いながら、「考えるんだ」と控えめな笑みを浮かべる。
「きみが言っていたこと。『怪人にも、良い怪人と悪い怪人がいる』って。…………悪の総統は、邪悪というだけの存在ではないのではないかと。今ではそんな気がするんだ」
「……………」
「でなければ、あの部屋で俺にとどめを刺さなかった意味が分からないしな」
発言だけ聞けば、ヒーローにあるまじき言説であったが、春近はただ泣きそうになった。
春近の考えていることをある程度理解した上で、踏み込まず、それでも元気付けようとしてくれている。
茜は、どこまでも優しいヒーローだった。
無理やりに作った笑みで、春近は「ごめん」と呟く。
「いいよ」という声音の優しさに、また罪悪感が沈殿するようで。
同時に暗い沼のような感情のなかで、春近はとある決意を固めていた。
***
「『プリントを届けに来たよ』。どこにプリントがあるんだよ。『キャッチボールしようぜ』。何歳だよ……つか病欠だし。『カラオケ行こうよ』。だから病欠だって言ってんだろ!うがあッ‼」
春近は立派な門構えの前をウロウロして、ついには頭を抱え込んで蹲る。
「…………光め。無駄に立派なおうちに住みやがって」
急に往来に座り込んだ春近を、リードを握った主婦が怯えた表情で大きく迂回する。
ただのこのこ寄ってきたコーギーが春近のすぐ隣で踏ん張り始めたので、しぶしぶ「大丈夫ですか?」と生存確認をした。
「あの……」
春近が蹲ったまま右手をヌッと上げたので、主婦が「ひィ!」と引き攣った悲鳴を上げた。
「…………さわっても良いですか……」
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つぶらな瞳で首を傾げたコーギーが、ホカホカのウンコをひり出した。
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目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
平凡な俺が完璧なお兄様に執着されてます
クズねこ
BL
いつもは目も合わせてくれないのにある時だけ異様に甘えてくるお兄様と義理の弟の話。
『次期公爵家当主』『皇太子様の右腕』そんなふうに言われているのは俺の義理のお兄様である。
何をするにも完璧で、なんでも片手間にやってしまうそんなお兄様に執着されるお話。
BLでヤンデレものです。
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週一 更新予定
ときどきプラスで更新します!
普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。
山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。
お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。
サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。
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