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Ⅴ、敵は千二百年前の大聖女

58、精霊王の末裔は公爵令嬢とお忍び――ではなく忍ばない旅に出る

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 時が止まったかのように、サンタ・ラピースラ広場で眠りこける衛兵たちの上を飛び越え馬車へ戻ると、御者も馬も夢の中だった。

「ジュキの睡魔スリープ、強力ね」

 気持ちよさそうに寝ているところかわいそうだが、レモが覚醒ソレイユで目覚めさせる。

「えっ、寝ちまってた!? 申し訳ございません、レモネッラ様!」

 御者は暑くもないのに汗をふきふき頭を下げた。

「どこからともなく、この上もなく美しい歌声が聞こえてきまして――」

「うふふ、天使が白い翼を広げて舞い降りて、銀髪を夜風になびかせながら歌ってくれたのよ」

 楽しそうに笑うレモの手を支えて、俺は彼女が馬車の座席へのぼるのを手伝う。

「ほほーう、さすが聖都。まさしく天上の歌声でしたな、あれは」

 御者を驚かせないように、俺はもう翼も角も魔法で消している。大体羽なんか生えてたら、せまい馬車に乗り込めねぇ。

 大あくびする馬を横目に見ながら、御者も御者台にのぼった。

「では予定通り多種族連合ヴァリアンティ自治領との国ざかいまでお送りしやす」

 人も家畜もまどろむ王都にひづめの音だけが響く。俺とレモも互いに寄りそいながら、うつらうつらと夢心地のまま運ばれていった。



 東の空が白み始めるころ、馬車は国ざかいの街にたどり着いた。川向こうはもう多種族連合ヴァリアンティ自治領だ。重厚な石橋の前に建つ検問所で、俺たちは馬車を降りた。

「いよいよお忍びの旅の始まりね!」

 きらきらと目を輝かせるレモの横で、俺は鎧戸よろいどの閉まった検問所を見上げる。

「まだ門番いないみたいだよ。夜明け前だし仕方ねぇか」

「この柵よじ登れそうだけどね」

 橋の手前に設けられた門をながめながら、不法侵入をほのめかすレモ。

 すると対岸の詰め所から人影が近付いてきた。

「ニャニャニャ! やっぱり旅人ニャ。馬車の音が聞こえたからもしやと思ったんだが」

 猫人ケットシー族のおっちゃんだ。猫人ケットシー族でも若者はこの「にゃ」をつける方言を使わなくなっている。俺も久しぶりに聞いたんだが、この世代の人はまだニャーニャー言うんだな。

「夜通し馬車旅ですかにゃ? お早いお着きで」

 おっちゃんは甲高い声で話しながら、多種族連合ヴァリアンティ側から門を開けてくれた。

「人族の役人はまだ出勤してないのに、あなたたちは優秀なのね」

 レモの称賛に、ちびデブなおっちゃんは尻尾を振りながら笑い声をあげた。

「ニャハハハ! 夜明け前から早朝、夕方から深夜がわしらの勤務時間にゃ。太陽が高い時間帯は人族が働いているんだにゃ。わしら寝てるから」

 おっちゃんのうしろについて、欄干に石像の並んだ橋を渡る。幅の広い川の向こうに見えるのは獣人族の街並みだ。

「身分を証明できるものはお持ちかにゃ?」

 多種族連合ヴァリアンティ側の詰め所に入りながら、おっちゃんが尋ねる。俺はグローブをはめた手で、ギルド発行の通行書とランクメダルを渡した。

「ヴァーリエ冒険者ギルドから受けた依頼で、聖ラピースラ王国に行っていました」

「ふむ。じゃあお帰りなさいだにゃ」

 相づち打ちながらメダルを確認したおっちゃんが、目を見開いた。

「SSSランク!? 坊ちゃんSSSランクなのか!?」

「あっ、はい……」

 反応に困って伏し目がちになる俺の代わりに、

「そうなの! ジュキってすっごく強いんだから!」

 レモが胸を張った。

「にゃは~、SSSランクメダルなんて初めて見たニャ!」

 ずっと該当者がいなかったんだから当然だよな。

「にゃあ次、お嬢ちゃん。身分証明できるものを――」

 レモはスカートの脇から亜空間収納マジコサケットにつながっていると思われる切れ目に手を入れて、何やらごっつい指輪を取り出した。

「印章指輪でいいかしら? わたくし聖ラピースラ王国アルバ公爵家のレモネッラですわ」

 自己紹介になったとたん令嬢口調になるのは、子供のころから教育されて何度も口にしてきたフレーズだからかな。

「にゃあぁっ!? 公爵令嬢サマ!?」

 印章を手に取ったおっちゃんが仰天した。印章指輪ってあれか――貴族さんたちが封筒に封蝋するとき使うやつか。

「ほにゃ~、やっぱ貴族さんとSSSランク冒険者ってなると移動も馬車にゃのかぁ」

 いや、今後は徒歩になるはず―― などと思っていたらレモがふんぞり返った。

「そうよっ! この青年、ジュキエーレ・アルジェント殿はわたくしレモネッラの護衛にして婚約者! 聞いて驚きなさい! 彼は強大な水竜の力を受け継ぐ精霊王の末裔なんだから!」

「ちょっ……、レモ! 全然忍ぶ気ないじゃん!」

 お忍びの旅とか言ってたくせに!

「だってジュキが控えめな態度で面白くないんだもん」

「いやだって……、努力して手に入れたわけでもない能力で威張っても、しょうがねぇじゃんか」

 歌声魅了シンギングチャームのレベル99についてならまだしも。歌うことは子供のころからずっと好きで、もっと自由に表現したいと渇望して練習と研究を重ねてきた自負がある。でもドラゴネッサばーちゃんの力を受け継いだのは、俺が何かしたわけじゃないし。

「ようやく自由だわーっ」

 検問所を出たレモがぐいーっと伸びをした。

 黄金こがね色の光芒こうぼうに川の上流を振り返ると、連なる山のあいだから朝日が顔を出したところだ。山ぎわも、たなびく雲も金色に染まってゆく。

「レモ、多種族連合ヴァリアンティへようこそ」

 ここから領都ヴァーリエまでは、またさらに五日ほどかかるのだが。

 レモはいたずらっぽい笑みを浮かべて、小声でつぶやいた。

「亡命成功!」

「ええ……」

「だって王太子が指名手配してこないとも言いきれないでしょ?」

 綺麗な瞳をくりっとさせながら、事も無げに言い放つレモ。

「そんな―― お母様と一生会えなくなったらどうするんだよ!?」

 胸が詰まる思いで尋ねた俺に、レモはケラケラと笑って返した。

「それもまた人生よ! 大体まだ起きてもいないことで不安になるなんて、時間がもったいないわ。せっかく手に入れた自由を思いっきり楽しみましょ!」

 そうだった。レモはこの先聖堂に閉じ込められ、一日三回祈る人生が待っていたかも知れないのだ。俺だってうっかりドラゴネッサばーちゃんのもとへ落ちなければ、ダンジョンで餓死して魔物のエサになっていたかも知れない。

「レモの言う通りだ。そろそろ街も動き出す時間だし、とりあえずメシでも食いに行こう」

「賛成!」

 右手のこぶしを元気よく空へつきあげるレモ。彼女の左手を、俺はさりげなくにぎった。

「ねえジュキ、せっかく手をつないでくれるならグローブはずしてて欲しいな」

「へ?」

 さりげない意味なかった! 落ち着かずパチパチとまばたきする俺に、

「ジュキのぬくもりを感じたいの」

 ねだるような上目遣いで見つめるレモ。

「でも俺の手……、魔物みたいだよ?」

「そんなことないもん!」

 駄々っ子のようにぶんぶんと首を振るレモがいじらしくて、俺は右手のグローブだけポケットにつっこんで彼女と手をつないだ。

「えへへ」

 俺を見上げて幸せそうに笑うレモがいとおしい。

 昇る朝日と共に、愛する人との二人旅が幕を開けた。



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ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
次回は第一章エピローグ。

「そういえばイーヴォたち、王都でつかまったんだよな?」
「クロリンダ嬢にとがは及ぶのか?」

等々、明らかになります。

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