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Ⅴ、敵は千二百年前の大聖女

57、廃墟となった聖堂に奏楽の天使が舞い降りた

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「なんか攻撃激しくなってね?」

 明らかに炎の量が増えている。振り返ると王太子がこぶしを窓枠に打ち付けながら何か叫んでいる。人んちの庭でイチャイチャしやがって、とか言っているような気がするがよく聞こえない。

「幸せな私たちにかわいそうな人たちが嫉妬してるんでしょ。ほっときましょ」

 俺はなるべく高く羽ばたいて、馬車を止めた方角へ向かう。見下ろすと聖堂への攻撃は止まっている。

「イーヴォたち、もう捕まったんだな」

「それで私たちをねらう兵士の数が増えたのかもね」

 聖堂の屋根はほとんど吹き飛び、壁だけが残っているようだ。見ると悲しくなるので背を向けて飛ぶ。しかし――

「まずい。飛行隊まで追ってきたわ」

 風属性の術で空を飛びながら火矢を放ってくる。真空結界のおかげですべて消滅しているが、馬車の位置を特定されるのは困る。

「熱湯」

 とりあえず湯をかけて第一軍は墜落させたものの、すぐに第二軍がやってきた。

「聖ラピースラ王国って攻撃魔法禁止じゃなかったのかよ?」

「表向きはね」

 レモが興味なさそうな顔で解説する。

「レジェンダリア帝国の構成国になってからは平和だけど、昔は亜人さんたちとの戦も絶えなかったんだし、教義と現実は違うのよ」

 レモの言う通り聖ラピースラ王国は、地理的には人族の前線フロンティアだった。

「熱湯」

 会話しつつ第二軍を墜落させる俺。

「王太子を本気にさせちゃったわね」

 レモがため息まじりに渋い顔をする。婚約さえ取り消してくれたら、さっさと逃げるつもりだったのだ。

「どうする? 不可視インビジブルかけて行くか?」

「魔力視のできる衛兵がいないわけないわ。うちの屋敷でも雇ってたくらいなんだから」

睡魔スリープで兵士たち全員眠らせるとか?」

「戦闘態勢にある相手には無理ね。あれは不意打ちじゃないと」

 サンタ・ラピースラ広場に展開した衛兵を見下ろしながら、レモが頭をかかえる。

「めんどくさいわねー、もう! ジュキの力なら簡単に衛兵全滅させられるのに、こっそり逃げなきゃならないなんて!」

 ザツなレモに任せてちゃだめだ。アルバ公爵家お取りつぶしなんてことにもなりかねない。考えるのは苦手な俺だが知恵をしぼる。

 睡魔スリープを使うには、兵士たちを戦闘態勢じゃなくすりゃいいんだから――

「俺が歌ったら戦意喪失するかな? この距離じゃ聞こえないか」

 レモがハッとして顔を上げた。

「そうね…… 風属性の術で音を広げることはできるわ。でも真空結界を解かなくちゃいけない」

 歌声魅了シンギングチャームは一瞬にして効果が出るわけじゃないから、いったん攻撃をやめてもらう必要がある。

「やつらに攻撃されない方法……国王陛下に抱きついて歌う、やつらが攻撃したくない王宮の屋根の上で歌う――」

 しょうもない案を出しながら、俺はふと思いついた。

「崩れかけた聖堂の中は?」

「それだわ!」

 レモが目を見開いて手をたたいた。

 俺はくるりと方向転換してまっすぐ聖堂を目指した。近付くにつれ攻撃が減っていく。半壊していても、彼らは聖堂に攻撃を当てるわけにはいかないようだ。崩落した屋根のあいだから、瑠璃石のあった広間へ降り立つころには一切の攻撃がやんでいた。

「そのローブ、ずっと着てると冷えてこないか?」

 俺はレモの肩から、表面に氷の結界を張った自分のローブを脱がせた。

「焦って魔法使ってたから気付かなかったわ」

 攻撃を受けた広間には、焦げ臭いにおいが充満していた。金箔の装飾はすすけて黒くなり、美しい紋様の描かれていた大理石の床はいたるところが割れ、見るも無残な姿に胸が苦しくなる。

「そこで何をするつもりだ!」

「出てこい!」

 聖堂の外から大勢の兵士たちが叫んでいるのが聞こえる。

「ジュキ、大丈夫?」

 ショックでぼーっとしていた俺の頬をレモがそっとなでた。

「あ、うん。あまりの有り様にちょっと――」

 俺は小声で答えながらローブを亜空間収納マジコサケットにしまい、かわりに竪琴を取り出した。

「歌える気分じゃない?」

 レモが心配そうに俺を見つめる。

「無理しなくていいのよ」

「いや、この気持ちを歌に乗せるようにするから……」

「やっぱり芸術家なのね、ジュキって。私はあなたの最高に美しい作品をみんなに届けることに集中するわ」

 レモが唱え始めた呪文が夜風に流れる。

聞け、風の精センティ・シルフィード。麗しきうた、汝がたなごころにて遥かなる地まで運びたまえ――」

 俺はかろうじて残った祭壇の石段に腰かけ竪琴をひざに乗せると、自分の声に合わせて調弦する。

「――拡響遠流風ポルタソンロンターノ

 レモが術を完成させると風が変わった。聖堂の底から湧きあがるように、円を描いて広がってゆく。

 俺は目を閉じて竪琴を奏で始めた。傷付いた聖堂を癒すようにゆっくりと――

 いつの間にか兵士たちのがなり声が静まっている。目を開けると満月が静かに見下ろしていた。

「――耳を傾けなさい、心をひらきなさい、が子供たちよ。
 風の音を聞き、水の流れに身をゆだね、
 大地の鼓動にふれ、炎の中に真実を見よ――」

 俺は祈るように歌い出した。悲しみにとらわれたまま千年以上地上をさまようラピースラ・アッズーリのために、人生を捧げ聖堂で祈り続けてきた何世代もの聖女たちへ、そしてラピースラ・アッズーリを大聖女と信じあつい信仰を捧げてきた民衆たちへ――

 竜人族の古代語で語られるうたは、この国の人には理解できないだろう。でも一番重要なのは言葉じゃない。この曲の旋律には自然に感情が乗る――俺の心を届けられるから。

「――私たちの敬愛する精霊王、私たちはいつも『はい』と答えます。
 あなたの声を聞き、あなたの言葉に身をゆだね、
 あなたの美しさにふれ、共に真実に生きます――」

 聖魔法教会ラピースラ派の聖堂だから、亜人族が信じる精霊教会の聖歌を歌うべきじゃないなんてちっぽけな考えは消えていた。ひとが祈る気持ちは一緒だから。その対象が違っていても、それはいつでも偽りのない真摯な思いなんだ。

「――私たちをお守りください精霊王、
 私たちはあなたのために歌います――」

 レモが空中遊泳の術を使って浮かび上がり、壁の向こうをのぞいている。気が付けばあたりは静まり返っていた。焼け残った壁にさえぎられて姿は見えなくても、耳を傾けている人々の意識が伝わってくる。

「――あなたのために祈ります。
 あなたのために生きて――」

 心地よく張り詰めた緊張感の中、俺は最後のフレーズを大切に歌った。

「――眠ります。最後の瞬間ときまで――」

 曲を終えて一息つくと、レモが音を立てないように拍手のジェスチャーをしている。忍び足で近づいてくるとこっそり耳打ちした。

「外の兵士たちみんな、ひざまずいて祈っているわ」

 俺は親指を立ててうなずくと、短い子守唄を歌いだした。

「――お眠りなさい、いとおしい子よ。
 夜は大きな黒い布、あなたをやさしく包み込む」

 ぽろんぽろんと爪弾く竪琴の音色は、寝付くまでぽんぽんと優しくたたいてくれていた母さんの手のひらのように、リズミカルに夜風をふるわせる。

「――お休みなさい、大切な子よ。
 朝にはまたの光が、あなたをやさしく包み込む――」

 空中で偵察していたレモは戻ってくると、俺が歌い終わったのを確認し、音を広げる風魔法を解除した。

「戦意喪失なんてもんじゃないわ。疲れて居眠りしてるのもいるわよ」

「よしっ」

 期待以上の効果だ。俺はうなずくと、歌と同じくらいたくさんの人に届けるイメージで呪文を唱えた。

うつつね。夢よ来たれ。癒しの霞よ。かの者の魂、在りし夜空にしたまえ」

 初歩的な魔術でも、俺の精霊力をそそぎこめば広範囲に影響を及ぼし、一度に大勢を眠りに誘えるはず――

睡魔スリープ

 まるで空中のちりひとつひとつが凍てつくように、微細な光の粒が散らばってゆく。

「なんだか私まで眠くなってきちゃったわ」

 レモが目をこすりながら俺のとなりに腰かけた。無理もない。午前中にちょっと仮眠を取ったとはいえ、午後から今まで徹夜なんだから。

 俺は彼女の頭をそっと、自分の胸の辺りに寄りかからせた。彼女のやわらかいピンクブロンドの髪に、指をすべらせていると、

「ジュキの歌、素敵だったわ……。透き通った歌声が月夜にぴったりね」

 虫さえも寝静まった夜のただ中で、俺は彼女の細い肩を抱きしめた。

「こんなことしてる場合じゃないわ! 続きは宿でしましょ!」

 え!? どこで何をするって!?

 俺が尋ねる前にレモは小声で呪文を唱えだす。なんの術だろうと首をかしげていると、

覚醒ソレイユ! ――よし、これですっきりよ!」

「目を覚ます術? そんなのあったんだ」

「そりゃ寝かす術があれば起こす術もあるわよ」

 言われてみればそんな気もする。どちらも聖魔法だから俺が詳しくないだけか。

「聖堂が崩れると危険だから、空から行きましょ」

 レモは呪文を唱え、俺は翼を羽ばたく。二人はまた手をつないで満月へと飛び立った。



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二人は無事、ヴァリアンティ自治領まで逃げられるのか? 次話に続きます!
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