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五、苦渋塔

12、銀の騎士が動き出す

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 日が暮れると男たちは酒場に集まってくる。それはこの、人の国でも同じだった。ここは旅人たちにとって恰好の情報交換所だった。

 薄暗い室内の空気は、汗と酒と葉巻の煙でよどんでいる。

「おい今、妖怪の国が大変らしいな」

 カウンター席に場所を占めた男たちの話題は、邪神ロージャ一色だった。うわさはすでに、人の国、国境付近まで広がっていたのだ。

 ロージャは時折、狭間の国を越えて人の国にまでちょっかいをだす。人の国の守護神である太陽神の御子みこ様が目を離した隙に、自然災害を起こして人々を困らせ、自分の力を見せつけるのだ。

「ロージャ様ってぇのは本当、力は強いが慈悲のない神様だなあ。ま、邪神の呼び名がお似合いよぉ」

  あまり柄の良くない男は、グラスの酒をぐいっとあおった。

 カウンターの中では、キザな青年と店の親父が客たちのだみ声を聞き流しつつ、――妖怪の国ならおでんを煮ているところだが――慣れたというより手荒な手つきでカクテルを作っている。だが客層はあまり変わらない。

「狭間の国で聞いた話なんだが――」

「狭間の国帰りか、おめぇは」

「おうよ。今朝がた国境越えたんでさあ」

 ここは狭間の国と人の国との国境の街だった。

「サラムーフの街に変な城がおっ建ったんだと。ナヒーシャの城とか呼ばれてるらしいが、一晩で丘の上にいきなり古~い館が現れたらしいぜ。あのサラムーフらしい、塔の三、四本建ってる奴な」

 その時店のドアを押して青い髪の青年が静かに入ってきた。カウンターの男は気付かず先を語る。

「それでよぉ、そのいっちゃん高い塔――クジューの塔ってぇらしいが、そのてっぺんに妖怪の女の子が閉じこめられてるんだと。助け出したら英雄よぉ、だけんどその城だの塔だのってのが、ロージャ様の使いの者の――」

 言いかけた男の腕を、となりの男がひじでつついた。

「なんだよ」

 不満そうな若い男に、老年の男は短く刈った白いひげをもごもごさせる。若い男がその視線を追うと、店の一番すみ、小さな机にひじをついて、青い髪の青年がひとりで酒を飲んでいる。

「ありゃあ」

 若い男の言を継いだのはひげの男のとなりに座ったバンダナの男だった。

「銀の騎士スイリュウだな」

「なんでそんな大層な奴がこんなところに……」

 騎士は王や諸侯に仕え、その替わりに土地の所有を認めてもらう。スイリュウほどの騎士となれば戦で手柄を立て、恩賞として新たに土地を与えられることも多かった。だから生活は安定しているはずだ。何もこんな胡散くさい場末の酒場に足を運ぶこともあるまい。

「何か情報を探しているんでしょう」

 カウンターの中から、清潔とは言えない布でグラスを拭きながら青年の方が小声で応じた。

「情報――?」

 若い男は肩ごしにスイリュウを盗み見る。

 不揃いな青い髪は肩に掛かるくらい、戦う男にはふさわしくない白い肌と、狡猾ささえうかがわせる賢い瞳は、詩人か学者かというおもむきだ。ロウソクの光を映して揺れる酒をぼんやりながめながら、それを口元に運ぶ。

「ふん」

 若い男は鼻を鳴らして向き直った。

 流れ者の傭兵にとって、公的な権力に守られている騎士は気分のいい存在ではない。その上に国で二番目に強いと名高い男が、あんな華奢ななりでは自尊心を傷つけられたような心持ちになる。

 他の者はそんな男の様子を面白がっていた。

 彼らの話題は再びサラムーフに捕らえられた妖怪の少女のことに戻る。

「こっちへ向かってるってぇこたぁ、妖怪の国は大変らしいし、誰かに救援を請いに来たんだろう」

「でもこの国でロージャ神に対抗できるほどの力を持つ者と言ったらひとりしかいるまい」

「ゴールデンナイト・ヒノリュウか」

「おいっ」

 と、向こうのテーブルを気にかける者がある。相手は声を低くして、

「でもやはりスイリュウさんじゃあ……」

  そのとき銀の騎士スイリュウががたんと立ち上がった。

「親父、勘定だ」

 カウンターに向かって短く言う。

「へいへいへい」

 と、中年の男が両手をズボンで拭きながら出てくると、

「釣りはいらん」

 その手に銀貨を一枚握らせて、マントをなびかせさっさと店から出てゆく。

 木のドアに付いた鈴が鳴りやむと、酒場の空気はやっとゆるんだ。皆何となく銀の騎士の動向に注目していたのだ。

「お兄さんの方は親しみやすいかたなのになぁ」

 カウンターの中で青年がつぶやくと、店の親父は彼をこら、と一言たしなめた後で、

わけぇのよ、あのひたぁ」

 と、悟ったような声を出した。
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