上 下
36 / 45

十九之巻、夏祭り、花火に喧嘩に焼き鳥でぃっ!(中篇)

しおりを挟む
 提灯ちょうちん片手に番頭さんが、裏の木戸まで見送ってくれた。

「それじゃあ修理屋殿、わたくしはここまでしか送れませぬが、お気を付けて。先程のことは呉々も――頼みますよ」

 と、語尾を濁す。

「勿論です。ご安心下さい」

 抑揚のない声で答え、ふぁしるは一礼した。

 主人の病について他言無用の旨を言い渡された。広い間口にしっかりとした構え、表向きは大店おおだなだが、裏の顔は暗黒街の元締めか何かなのだろう。昼、明るい喧噪に満ちている繁華街は、日が暮れれば裏組織が暗躍する危険な町に変わる。おかみの禁じた「ブツ」をやりとりする彼らは、出身地域ごとに結びつき、たびたび他のグループとの間に抗争をやらかす。有力グループが病に倒れたと聞けば、また何か一悶着ひともんちゃく起こるのだろう。

 一人になると、ようやく落ち着く。川の方から、浮かれた歓声が流れてくる。

(今夜は祭りか)

 ふと見上げた夜空に、ぱっと花が咲き、脇道でうごめく人影に気付いた。

「何か」

 先に尋ねられて、塀に身を隠していた男はちょっとうろたえたが、薄く笑って姿を見せた。

「おみさ!」

 ふぁしるは男になど見向きもせず、その腕の中の少女に駆け寄った。

「おっと」

 と、男は片手をつきだす。

「その子に何をした」

 目を閉じたおみさの薄汚れた着物から下がる腕は、くたりと力がない。ふぁしるの声に、静かな殺気がこもる。

「気を失っているだけよ。あんたがおとなしく川べりの土蔵までついてくれば、この子供に危害は加えない」

 人質とって強気になったか、男はふんぞり返ってふぁしるを見上げた。

(暗黒街のごたごたに巻き込まれたかと思いきや――)

 この男には見覚えがある、ふぁしるは記憶の糸をたぐり寄せる。

(そうか、思い出したぞ)

 火箭かせん拳ぶっぱなって打つ手なくして、来夜らいやの練乳光線に当てられ屋根から落ちた情けない男だ。

金巴宇こがねぱうが私をお呼びか。それならそうと言え。人質なぞとられなくとも逃げはしない」

「へっ?」

 思わずあっけにとられた一瞬の間に、気を失った少女はふぁしるの腕に抱かれていた。

「よくもっ」

 顔をゆがめて、銀南の中指がふぁしるの眉間めがけてのびる。ふぁしるが膝を折るとほぼ同時に、のばしすぎた指は後ろの松の枝にからみつく。

「しまった」

 焦る銀南の横で、ふぁしるが静かに立ち上がる。

「それはこう使うのだ」

 おみさを塀の前に座らせて銀南の後ろに回ると、彼と同じようにすっと中指を伸ばす。修理屋といってもふぁしるの仕事は危険だらけだから、いつでも「戦闘装備」は欠かせない。

「ひっ」

 肩ごしに冷たい眼を見て益々慌て、腕振れば、伸びた指は余計に絡んで向こうの松が揺れるばかり。元の長さにも戻せず、二進にっち三進さっちも行かなくなる。

 ふぁしるが、左上に構えた右手を勢いよく振り下ろすと、伸ばした指にはじかれて銀南はすっ飛んだ。

「ひよぉぉぉ」

 松の枝に絡んだ指を中心に、ぐるんぐるんと夜空を三回転して、今度は体ごと、さっきの百倍くらい絡みまくってようやく停止する。

「川べりの土蔵と言ったな」

 夜空を仰いで確認するふぁしるの足下あしもとで、おみさが小さなうめき声を上げた。

「気付いたか?」

 ふぁしるは慌てて少女の前に片膝付き、額にかかるおくれ毛をのけてやる。おみさはじんわりと汗をかいていた。

「修理屋さん……?」

 うっすら目を開け、不思議そうにまたたきする。「あたし――」

「怖い目にあったね、でももう大丈夫だよ」

「修理屋さんが助けてくれたの?」

「違う。私のせいで、おみさは危険に巻き込まれたんだ。――立てるか?」

 おみさの両手をとった時、視界の隅に炎が映って、ふぁしるは小さな肩を抱いて道を転がった。胸の中で小さな悲鳴が上がり、たった今まで二人のいた場所に拳が着弾する。

「何をするんだ! 腹いせか?」

 見上げた松の枝に銀南。こちらに向けた腕の先がない。

「ふふふ。もう一発あるぞ」

 と、片足をあげる。もう一方の手は指が枝に絡んで使用不可能らしい。

「どうやって木から下りるつもりだ?」

 銀南を沈黙させたところで、ふぁしるはふるえるおみさの両肩に手を置き、濡れた瞳をのぞき込んだ。

「ここは危険なの。分かったよね? 早く逃げて」

 おみさは何か言おうとして、だが口をつぐんだ。ぱっと身をひるがえしてにぎやかな方へ駆け出してゆく。その後ろ姿を見送って、ふぁしるも川の方へ足を向けた。

「おい修理屋、俺はこのままか? おい、無視するな、聞け! この鬼、悪魔!」

 後ろでわめき続ける銀南を、松の木に残して――。
しおりを挟む

処理中です...