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十九之巻、夏祭り、花火に喧嘩に焼き鳥でぃっ!(後篇)
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橋から下流を眺むるに、火除け地の尽きる辺りには、白壁の土蔵が、灰色の瓦を連ねている。夜は、深い闇がわだかまる。
土蔵と土蔵の間、谷底のような暗闇にあぐらをかいて、金巴宇は煙管をふかしていた。もうすぐ優秀な部下が、間抜けで哀れな修理屋の女を連れてくるはずだ。その様を描いて思わず笑みを浮かべたところで、彼の横に人影が立った。
――遅かったではないか。
そう声をかける前に人影が口を開いた。
「金巴宇、修理屋ふぁしるに何用だ?」
抑制された中性的な声に、彼は間抜けで哀れな部下の運命を悟った。
「待っておったぞ、ふぁしる」
彼はゆっくりと立ち上がる。「それともこう呼んだ方がよいかな」
ふぁしるの耳元に口を近付け何事かささやいた瞬間、ふぁしるの顔がこわばった。一歩下がって身構える。
「なぜその名を――」
思わず口走ってから、しまった、と口を閉ざす。ハッタリだったかもしれない。
「調べは全て付いている」
打ち上がる花火の中、巴宇の確信的な笑みが浮かんだ。「わしの女になってもらう」
「女?」
ふぁしるは意味が分からない、というふうに眉をひそめてみせるが、巴宇の表情は少しも変わらない。
「そう。貴様の体があれば、槻来夜を思い通りに出来るのだよ。再びこの金巴宇が、盗み屋マルニン頭目の座に返り咲く日が来るのだ」
「汚らわしい」
いつの間にか黒衣の襟にかけられていた手を払い、ふぁしるは大きく跳躍して土蔵の屋根に飛び移った。「私には全く、あんたの言うことが分からない」
「今更とぼけても無駄だ」
(そうだろうな)
ふぁしるは内心、舌打ちせずにはいられない。(名を認めたら、全て知られたも同然だ)
冷静に記憶をたどる。はじめに来夜を助けたのは、この金巴宇の攻撃からだった。都の人々の話によれば、巴宇は小さい頃から来夜を知っているという。勘が良ければ、自分が何者か予想は付くだろう。
「逃げるか?」
金巴宇は油断のない眼でふぁしるを見上げている。
「逃げはしない。ただあんたが強引な手に出れば、私は戦うだけだ」
「つまり、わしの言葉に従う気はないというわけか」
ひとつしっかりとうなずいて、ふぁしるは余念なく身構える。だが巴宇は何も仕掛けては来ない。高所恐怖症は克服したのか、自らも土蔵の屋根に飛び上がり、ゆったりとした足取りで彼女に近付き、
「若き修理屋よ、よく考えるがよい」
と、その肩に手を置いた。顔をそむけ斜めから巴宇を見据えたまま、ふぁしるは口を閉ざしている。
「何も痛い目に遭わせようと言うんじゃない。あのガキをだませるくらいに、陵辱された女を演じてくれればよいのだ。なぁに、俺が頭目の座に返り咲いた日にゃあ、恩賞の一つや二つだって与えてやらあ。それとも本当に俺の女になるか?」
いい気になって、とんでもないことを言い出した。
「俺としてはそれも大歓迎だぞ。盗み屋マルニンには隠し資金が山とあるんだ。たっぷりいい目見せてやれるぞ?」
何も言わないふぁしるに、巴宇は苛立ち始める。言葉を切り、彼女の形の良い耳に口を近付けた。
「お前が若い女の身だということをわしは知っているんだぞ。それを町中の者にばらしてやろうか? そうすればもうお前は、修理屋として危険な仕事など続けられなくなるぞ」
ふぁしるはぎゅっと唇をかんだ。土蔵の下には何事かと人々が集まり始めている。
肩をつかんでいた巴宇の手が、ゆっくりと胸の方へ下がり、もう一方の手は腰に結わえた山吹色の布にかかる。花結びの結び目をまさぐりながら、
「さあ、巴宇に力を貸すと言え!」
低い声に力を込めた。
顔をそむけていたふぁしるが、正面からにらみ据えた。黄金色の瞳に射られて、巴宇が息を呑んだとき、
「邪魔だっ!」
ふぁしるの白い手が巴宇の両腕を打った。目から下を覆っていた黒布を下げて、
「ああ、そうだとも、私は十七歳の小娘だよ、だからそれがなんだと言うんだ?」
にぃっと嗤ったおもてを冷たい月光が差す。頑なに守り続けていた何かが、弾けて砕け散った。
「私に触れたいか? 女である私を見たいか?」
挑発する彼女は花開いた大輪のゆりのよう、巴宇は反撃を忘れて屋根の端に立ち尽くした。
「お望みならば見せてくれよう」
ふぁしるは愉快そうに山吹色の布を引いた。するりと黒い衣の前が開く。肌着もなくあらわになった形の良い乳房に、思わずうわおう、などと見とれたとき、
「来夜くん秘伝の練乳光線っ!」
「うぎゃぁぁぁっ」
両乳房から発する怪しい光線に当てられて、巴宇はたまらず屋根から転げ落ちた。盗み屋は裏経路から武器を入手するが、修理屋のふぁしるは来夜の技を気に入って自分で作ったのだろう。
「私をなめるなよ。誰がそんな情けない役を演じるものか。頭目の座が欲しいのなら、盗み屋の実力で来夜に打ち勝ってみろ!」
後ろでどどーんと花火が打ち上がる。
咄嗟のことに沈黙していた野次馬たちが、歓声を上げ始める。
「くそぅ……」
巴宇は腰を押さえて、よろよろと立ち上がった。
「この俺に恥をかかせやがって…… 目にものみせてくれるわ!」
「望むところだ! お前が来夜の敵にふさわしいかどうか、この腕で確かめてやる!」
土蔵の下で人々は手をたたく。
「いいぞいいぞー!」
「やっちまえー! 悪の盗み屋なんかぶっとばせー!」
「ふぁしるちゃん頑張れぇぇ!」
陽気な人々に、ふぁしるはふと笑んだ。ひとつ頷いて右肩を脱ぐと、山吹色の腰ひもをぎゅっと結び直す。
「いざ!」
掛け声ひとつ、ふぁしるは屋根からひらりと飛び降りる。空中で右手を抜くと、白い腕の半ばから、白銀の刃が現れた。肩から走る古傷が、月明かりに濃い影を作る。
「たぁぁっ!」
飛び降りざま、真上から巴宇に斬りかかる。野次馬のどよめきが大きくなる中、巴宇は素手でその刃を受け止めた。ふぁしるの足が地に着く寸前、そのみぞおちに巴宇の蹴りが入る。
「うあぁっ」
たまらず群衆のただ中へ吹っ飛ぶふぁしるに、巴宇の爪の間から生まれる氷のつぶてが襲いかかる。地面を転がり何とかよけるが、そのうちいくつかは、確実にふぁしるの体を傷付けていた。
ふぁしるが起きあがる前に、巴宇は走り寄り馬乗りになる。喉笛に爪を突きつけ、
「後悔するなよ、修理屋さん。今なら――」
かっこつけ始めた巴宇の頭にごん、と石がぶつかった。
「うごふっ」
こめかみを押さえて野次馬たちを睨め回す。難儀が及ぶのを恐れて皆が逃げ出す前に、石をぶつけた犯人は、まだ両手に三つ四つと石を握ったまま現れた。
「修理屋さん!」
「おみさ……」
ふぁしるが少女の無鉄砲を咎める必要はなかった。少女の後ろから原亮警部に率いられた捕り方たちが、ずらりと姿を現したのだ。
「ひえ」
目を丸くしたのは金巴宇だけではなかった。思わずふぁしるも逃げ腰になる。
「怪我してるでしょ、修理屋さん。動いちゃ駄目だよ」
おみさに両肩を押さえられて、恐る恐る亮警部の端正な横顔を盗み見る。
「追え!」
原亮警部の号令一下、捕り方たちはざざっと金巴宇を取り囲む。だがそこはさすが、盗み屋マルニン前頭目、土蔵の屋根にひらりと舞い上がる。そのまま屋根を伝って逃げると思いきや、屋根をすべって反対側に飛び降りる。まだ高所恐怖症は完治してないのかもしれない。
わぁぁ、と声をあげて、捕り方たちは隣の土蔵へ押し掛ける。野次馬たちもそれを追う。
「二班は町の者を遠ざけ、火除け地の警備をしろ。三班は銀南を奉行所まで連行しろ」
「はっ」と声を合わせて、ふたつの班は散らばってゆく。
見れば銀南は、後ろ手に縛られ縄でぐるぐる巻きにされ、引っ立てられている。無事松の木から下ろしてもらえたようだ。
野次馬していた人々も、ある者は連れだってにぎやかな火除け地の方へ向かい、ある者は亮警部の手下に追い立てられ、渋々そこを立ち去って、土蔵の陰には逃げそびれたふぁしるとおみさ、亮警部だけが残った。
いつの間にか花火がやんでいる。毎年もう少し遅くまで打ち上げているから、今は小休止だろうか。その代わり、盆踊りの和太鼓の音がよく聞こえる。
「修理屋さん、忘れ物だよ」
おみさが、風呂敷包みを差し出す。
「あれ、しまった」
銀南に襲われて、塀の陰に置き去りにしていたものらしい。
「それで自分の怪我、治せる?」
ふぁしるが頷くと、
「とはゆえここでは暗くて無理でしょう。私の草盧へ来ると良い」
「亮警部――、職務中だろ?」
と、不安そうに見上げるふぁしるに、亮警部、飄々と、
「怪我人の保護と事情聴取を兼ねているのですよ。おみさは自身番に、善良な市民が脱獄犯の手に掛かった、と訴え出たのです。私は自身番の要請で駆け付けました。善良な市民を助け出すのは警察の勤めですからね。そして脱獄犯を追うために、その市民から事情も訊かねばなりません」
すとひざまずいて、広い背をふぁしるに向ける。
「歩けるよ」
むっとすると、
「修理屋さん、無理しちゃ駄目だよ。荷物はあたしが持ってってあげるから」
「おみさは家に帰んなきゃ。父さんたちが――」
「修理屋さんが、家のことやんなきゃ駄目だって言うから、あたし雑草抜き終わらせてから来たんだよ、だからいいでしょ?」
ふぁしるは亮の背中で困惑顔だ。家族を困らせてはいけないと言ったが、それは自分にひっついて来るのをあきらめさせるためだ。家の仕事を終えてなお修理屋の修行に励んでは、疲労で体をこわしてしまうんじゃないかと心配になる。今日、怖い目に遭って懲りてくれると思ったのだが――
「でもね、今日修理屋さんが危険だって言ってた意味分かった。もう無闇に付きまとったりするの、やめるよ」
ふぁしるは目を輝かせて顔を上げる。なんだ、物分かりいいじゃん、と思っていると、
「だからその代わりにね、これからは修理屋さんがうちに教えに来てね」
ふぁしるはやっぱり憮然とした。
土蔵と土蔵の間、谷底のような暗闇にあぐらをかいて、金巴宇は煙管をふかしていた。もうすぐ優秀な部下が、間抜けで哀れな修理屋の女を連れてくるはずだ。その様を描いて思わず笑みを浮かべたところで、彼の横に人影が立った。
――遅かったではないか。
そう声をかける前に人影が口を開いた。
「金巴宇、修理屋ふぁしるに何用だ?」
抑制された中性的な声に、彼は間抜けで哀れな部下の運命を悟った。
「待っておったぞ、ふぁしる」
彼はゆっくりと立ち上がる。「それともこう呼んだ方がよいかな」
ふぁしるの耳元に口を近付け何事かささやいた瞬間、ふぁしるの顔がこわばった。一歩下がって身構える。
「なぜその名を――」
思わず口走ってから、しまった、と口を閉ざす。ハッタリだったかもしれない。
「調べは全て付いている」
打ち上がる花火の中、巴宇の確信的な笑みが浮かんだ。「わしの女になってもらう」
「女?」
ふぁしるは意味が分からない、というふうに眉をひそめてみせるが、巴宇の表情は少しも変わらない。
「そう。貴様の体があれば、槻来夜を思い通りに出来るのだよ。再びこの金巴宇が、盗み屋マルニン頭目の座に返り咲く日が来るのだ」
「汚らわしい」
いつの間にか黒衣の襟にかけられていた手を払い、ふぁしるは大きく跳躍して土蔵の屋根に飛び移った。「私には全く、あんたの言うことが分からない」
「今更とぼけても無駄だ」
(そうだろうな)
ふぁしるは内心、舌打ちせずにはいられない。(名を認めたら、全て知られたも同然だ)
冷静に記憶をたどる。はじめに来夜を助けたのは、この金巴宇の攻撃からだった。都の人々の話によれば、巴宇は小さい頃から来夜を知っているという。勘が良ければ、自分が何者か予想は付くだろう。
「逃げるか?」
金巴宇は油断のない眼でふぁしるを見上げている。
「逃げはしない。ただあんたが強引な手に出れば、私は戦うだけだ」
「つまり、わしの言葉に従う気はないというわけか」
ひとつしっかりとうなずいて、ふぁしるは余念なく身構える。だが巴宇は何も仕掛けては来ない。高所恐怖症は克服したのか、自らも土蔵の屋根に飛び上がり、ゆったりとした足取りで彼女に近付き、
「若き修理屋よ、よく考えるがよい」
と、その肩に手を置いた。顔をそむけ斜めから巴宇を見据えたまま、ふぁしるは口を閉ざしている。
「何も痛い目に遭わせようと言うんじゃない。あのガキをだませるくらいに、陵辱された女を演じてくれればよいのだ。なぁに、俺が頭目の座に返り咲いた日にゃあ、恩賞の一つや二つだって与えてやらあ。それとも本当に俺の女になるか?」
いい気になって、とんでもないことを言い出した。
「俺としてはそれも大歓迎だぞ。盗み屋マルニンには隠し資金が山とあるんだ。たっぷりいい目見せてやれるぞ?」
何も言わないふぁしるに、巴宇は苛立ち始める。言葉を切り、彼女の形の良い耳に口を近付けた。
「お前が若い女の身だということをわしは知っているんだぞ。それを町中の者にばらしてやろうか? そうすればもうお前は、修理屋として危険な仕事など続けられなくなるぞ」
ふぁしるはぎゅっと唇をかんだ。土蔵の下には何事かと人々が集まり始めている。
肩をつかんでいた巴宇の手が、ゆっくりと胸の方へ下がり、もう一方の手は腰に結わえた山吹色の布にかかる。花結びの結び目をまさぐりながら、
「さあ、巴宇に力を貸すと言え!」
低い声に力を込めた。
顔をそむけていたふぁしるが、正面からにらみ据えた。黄金色の瞳に射られて、巴宇が息を呑んだとき、
「邪魔だっ!」
ふぁしるの白い手が巴宇の両腕を打った。目から下を覆っていた黒布を下げて、
「ああ、そうだとも、私は十七歳の小娘だよ、だからそれがなんだと言うんだ?」
にぃっと嗤ったおもてを冷たい月光が差す。頑なに守り続けていた何かが、弾けて砕け散った。
「私に触れたいか? 女である私を見たいか?」
挑発する彼女は花開いた大輪のゆりのよう、巴宇は反撃を忘れて屋根の端に立ち尽くした。
「お望みならば見せてくれよう」
ふぁしるは愉快そうに山吹色の布を引いた。するりと黒い衣の前が開く。肌着もなくあらわになった形の良い乳房に、思わずうわおう、などと見とれたとき、
「来夜くん秘伝の練乳光線っ!」
「うぎゃぁぁぁっ」
両乳房から発する怪しい光線に当てられて、巴宇はたまらず屋根から転げ落ちた。盗み屋は裏経路から武器を入手するが、修理屋のふぁしるは来夜の技を気に入って自分で作ったのだろう。
「私をなめるなよ。誰がそんな情けない役を演じるものか。頭目の座が欲しいのなら、盗み屋の実力で来夜に打ち勝ってみろ!」
後ろでどどーんと花火が打ち上がる。
咄嗟のことに沈黙していた野次馬たちが、歓声を上げ始める。
「くそぅ……」
巴宇は腰を押さえて、よろよろと立ち上がった。
「この俺に恥をかかせやがって…… 目にものみせてくれるわ!」
「望むところだ! お前が来夜の敵にふさわしいかどうか、この腕で確かめてやる!」
土蔵の下で人々は手をたたく。
「いいぞいいぞー!」
「やっちまえー! 悪の盗み屋なんかぶっとばせー!」
「ふぁしるちゃん頑張れぇぇ!」
陽気な人々に、ふぁしるはふと笑んだ。ひとつ頷いて右肩を脱ぐと、山吹色の腰ひもをぎゅっと結び直す。
「いざ!」
掛け声ひとつ、ふぁしるは屋根からひらりと飛び降りる。空中で右手を抜くと、白い腕の半ばから、白銀の刃が現れた。肩から走る古傷が、月明かりに濃い影を作る。
「たぁぁっ!」
飛び降りざま、真上から巴宇に斬りかかる。野次馬のどよめきが大きくなる中、巴宇は素手でその刃を受け止めた。ふぁしるの足が地に着く寸前、そのみぞおちに巴宇の蹴りが入る。
「うあぁっ」
たまらず群衆のただ中へ吹っ飛ぶふぁしるに、巴宇の爪の間から生まれる氷のつぶてが襲いかかる。地面を転がり何とかよけるが、そのうちいくつかは、確実にふぁしるの体を傷付けていた。
ふぁしるが起きあがる前に、巴宇は走り寄り馬乗りになる。喉笛に爪を突きつけ、
「後悔するなよ、修理屋さん。今なら――」
かっこつけ始めた巴宇の頭にごん、と石がぶつかった。
「うごふっ」
こめかみを押さえて野次馬たちを睨め回す。難儀が及ぶのを恐れて皆が逃げ出す前に、石をぶつけた犯人は、まだ両手に三つ四つと石を握ったまま現れた。
「修理屋さん!」
「おみさ……」
ふぁしるが少女の無鉄砲を咎める必要はなかった。少女の後ろから原亮警部に率いられた捕り方たちが、ずらりと姿を現したのだ。
「ひえ」
目を丸くしたのは金巴宇だけではなかった。思わずふぁしるも逃げ腰になる。
「怪我してるでしょ、修理屋さん。動いちゃ駄目だよ」
おみさに両肩を押さえられて、恐る恐る亮警部の端正な横顔を盗み見る。
「追え!」
原亮警部の号令一下、捕り方たちはざざっと金巴宇を取り囲む。だがそこはさすが、盗み屋マルニン前頭目、土蔵の屋根にひらりと舞い上がる。そのまま屋根を伝って逃げると思いきや、屋根をすべって反対側に飛び降りる。まだ高所恐怖症は完治してないのかもしれない。
わぁぁ、と声をあげて、捕り方たちは隣の土蔵へ押し掛ける。野次馬たちもそれを追う。
「二班は町の者を遠ざけ、火除け地の警備をしろ。三班は銀南を奉行所まで連行しろ」
「はっ」と声を合わせて、ふたつの班は散らばってゆく。
見れば銀南は、後ろ手に縛られ縄でぐるぐる巻きにされ、引っ立てられている。無事松の木から下ろしてもらえたようだ。
野次馬していた人々も、ある者は連れだってにぎやかな火除け地の方へ向かい、ある者は亮警部の手下に追い立てられ、渋々そこを立ち去って、土蔵の陰には逃げそびれたふぁしるとおみさ、亮警部だけが残った。
いつの間にか花火がやんでいる。毎年もう少し遅くまで打ち上げているから、今は小休止だろうか。その代わり、盆踊りの和太鼓の音がよく聞こえる。
「修理屋さん、忘れ物だよ」
おみさが、風呂敷包みを差し出す。
「あれ、しまった」
銀南に襲われて、塀の陰に置き去りにしていたものらしい。
「それで自分の怪我、治せる?」
ふぁしるが頷くと、
「とはゆえここでは暗くて無理でしょう。私の草盧へ来ると良い」
「亮警部――、職務中だろ?」
と、不安そうに見上げるふぁしるに、亮警部、飄々と、
「怪我人の保護と事情聴取を兼ねているのですよ。おみさは自身番に、善良な市民が脱獄犯の手に掛かった、と訴え出たのです。私は自身番の要請で駆け付けました。善良な市民を助け出すのは警察の勤めですからね。そして脱獄犯を追うために、その市民から事情も訊かねばなりません」
すとひざまずいて、広い背をふぁしるに向ける。
「歩けるよ」
むっとすると、
「修理屋さん、無理しちゃ駄目だよ。荷物はあたしが持ってってあげるから」
「おみさは家に帰んなきゃ。父さんたちが――」
「修理屋さんが、家のことやんなきゃ駄目だって言うから、あたし雑草抜き終わらせてから来たんだよ、だからいいでしょ?」
ふぁしるは亮の背中で困惑顔だ。家族を困らせてはいけないと言ったが、それは自分にひっついて来るのをあきらめさせるためだ。家の仕事を終えてなお修理屋の修行に励んでは、疲労で体をこわしてしまうんじゃないかと心配になる。今日、怖い目に遭って懲りてくれると思ったのだが――
「でもね、今日修理屋さんが危険だって言ってた意味分かった。もう無闇に付きまとったりするの、やめるよ」
ふぁしるは目を輝かせて顔を上げる。なんだ、物分かりいいじゃん、と思っていると、
「だからその代わりにね、これからは修理屋さんがうちに教えに来てね」
ふぁしるはやっぱり憮然とした。
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